このインタビューは2000年11月、中国エンベン(延邊)で活動している
韓国宣教師と元女性教師の脱北者で行われたものである。
安全のため名前は明らかに出来ない。分かり易くするため
質疑の形で整理した。文章は理解のため若干修正したが
その字体は可能な限りそのままとした。
〔編集者注、以下〔〕表示は編集者〕
偽りの社会
問:北朝鮮の社会はどんなうそをついていると思いますか?
答:例として、師範大学をみましょう。最初には師範大学と
いう名前を掲げておき、何の内容も無く名前を変えます。
そして何か大きな変化でもあるように社会的に騒ぎ立てます。
内容があってこそ形式は変える必要があるんですよ。大学で
勉強した時をかんがえると内容と形式があるのですが、形式と
いうものは内容に従わなければなりませんよ。最近、北朝鮮は
形式というものは何の変化もなしでもこんな風にしょっちゅう
変えます。それはすなわち歴史を歪曲し、人民を騙し、ただただ
ほんの少数のひとたちだけがいい暮らしをするような畜生の
ような状態なんです。
問:このような話はここに出てきたからされるのでしょう、あのなか
ではこのような話は出来ないでしょう。
答:昔はこんな話をしていたらだれも知らないうちに命がどこに
吹っ飛ぶかわかりません。話などひとことも出来ず思想テストを
されました。ところが今は90年度から洋2千年〔2000年度〕まで
10年間に人々、父母兄弟、子供たちが飢え死にしてしまい、
ああやってもこうやっても死ぬので、話しようがしまいが何の
関係がありますか?
問:先生の家族はどうされましたか?
答:私たち1家族だけ見てみましょう。私は父母がいて兄弟4人、
息子2人、娘2人でした。この社会がうそをついているのが
どれだけとんでもないものか見てください。私の父は1945年から
共産党員として晩2時まで家族と社会と人民のため一生仕事を
したので最後には少しよくなると思いました。もう少しすれば
国旗勲章2級というのか功労メダル4,5個もらえば最後に歳とって
60で退職して仕事をしている時と同じように食料やお金をくれると
いいました。だから年寄りたちがとても喜んだんじゃないですか。
ところが私達の父が65歳まで仕事をして、その後をみると全部
真っ赤なうそなんです。ひとつもくれません。
そして私たち家族というものが父母に一銭もないので、父母を
助けなければならないのですが、助けるどころか私の命も
やっとのことで難しいときに、父が死ぬなら死に、生きるなら
生きるで、関係ないということなんです。そこで父は一人で草と
いう草は全部むしって食べて生活し、最後に死ぬときは犬豚も
たべない、キャベツの青い芽をなんと風呂敷一枚とって卵より
小さめのジャガイモ3個ほど刻んで載せたのが一日の食事です。
私は近くに行くとき父を助ける力もないけど、生きているのか
死んでいるのかということでも知ろうとたまには入って見ようと
して娘なのに空手でいきました。けれど父は親だけあって一鉢
全部食べずに私にくれました。それを食べると一時間も経たない
うちに全身ぐったりして力が抜けて倒れてしまいそうなほどです。
この父の家で一食多く食べたら私までも飢え死すると思って
一言も言えずに家を飛び出しました。そうこうするうち私達の父は
最後に大通りで「ご飯少し下さい」と言いましたが誰も助けて
やれずそのまま倒れて死んでしまったんです。すると父の友達たち
が来て言うのは、「いやあ、ほんとに嘆かわしいね。日帝時代より
ひどい」というんです。このような話はお年寄り達から続々出ます。
はじめはこのようないけないことを言えば誰も知らないうちに
殺されたのですが、今はそうなれば朝鮮の人は皆死ぬことに
なります。街の広場でキムジョンイルの悪口を言っても、みんな
だまって聞いています。
私の兄さんがやはり餓えて最後には粥1匙ほしがって
「粥ひとさじだけ、ひとさじだけ」といって45歳を越さずに倒れて
死にました。また姉さんのうちの子供たちは二人なんですが、
13歳というさかんに勉強し遊び回る歳にお母さんが物を売りに
何日か出かけている間に死にました。その子は少し体が弱くて
もう一人の子にお母さんが来るまで面倒見るように言ったけれど、
力の強い子が全部たべてしまって弱い子は飢え死したんですよ。
一家族に人数が多くなく3,4名なのにこんな風に飢死しました。
それで ひとつの市、郡や全国的にみれば、飢死した人の数が
どれほど多いかということは言うまでもなく簡単な計算になるでしょ。
それからか私は私の娘が飢え死にしたことも忘れるほどです。
満一歳になる前まで私のおっぱいを飲んで生きていましたが、
まあその後は私もおっぱいをあげると死ぬかもしれず、なにも
食べる物もないからおっぱいをあげず穀物の粒を少しあげたら
すぐさま消化不良でか、おもゆさえ食べさせられず飢え死に
したんですよ。それが父母兄弟達が飢え死にするのを見て
いるから、私の娘が死んだことも忘れてしまう有様です。
私は教員として革命家らしく学生達をこの社会に価値ある
人材に育てようと夜も、日曜も休まず献身的に奮闘しましたが
今では幻滅して、こんな腐りきった社会を全世界に公表したい
です。まずなんとしてでも韓国に行き、テレビの前で北朝鮮の
現実を知らせたいです。出来ることなら世界中の國のテレビに
でて心いくまで叫んで死ねれば本当に悔いはありません。
希望は現実を世に知らせることだけ
問:いつまで教師として教えられましたか
答:89年度までです。教師生活も短くはありません。教師を
4級に分けますが、わたしは2級までしました。しかし、食料も
お金もくれませんから、それ以上続けられず商売を始めました。
ところで、どうやって商売がうまくいきますか?
問:今でも学校はありますか?
答:男の教師をみると、少しましな家の両親が一食分の食べ物
なんか手伝ってくれ、奥さんは出かけて商売をします。
それでも腹が減るから、男の教師は、今日はこの生徒、
明日はあの生徒といった具合に、生徒の家に行っては
借食いします。何たるざまですか?教育になりますか?
生徒も露骨に“学校に行って何になるの?今腹が減っているのに。
商売でもして、一食でも食べる方がましじゃん。”といった
有様で、学習意欲はありません。
問:それでは学校はまったくないのですか?
答:学校というものがあるにはありますが生徒と教師は
徐々に減ってきています。どうしても勉強させなければ
ならないと思っている家の両親が教師に食べ物を
与えて維持しています。
問:いい生活をしている人たちはどうしてそう出来るんですか?
答:朝鮮の諺通りですよ。金持ちになる人は“裕福は代々続き、
貧乏は代々続く。” とにかく、両親から財産をたくさん譲り受ける
家があるんですよ。ですから、子供たちに教育を受けさせ、
社会に出て働くようになった人はお金があるからいい生活を
するんです。商売も元手があってこそではないですか?
韓国についての感想は
問:韓国についてどういう風に理解していますか?
答:45才になるまで、幼稚園から大学、社会に出てから
今まで、全世界の情報がぴたっと切断された中でもっぱら
北朝鮮放送だけを聞き、電話や手紙も北朝鮮内でだけに限られ、
万一、ソ連や中国と通信すればみな検査されるので批判がましい
ことは言えずに生きてきました。今日の今日まで、南朝鮮の
絵にでてくる小学校の女の子をみながら、継ぎ接ぎだらけの
着物を着 食べるものもなく道端で靴磨きをしたり商売をして
いる、という話ばかり聞かされてきました。私はいままで、
南朝鮮の人々はこの世で最も貧しい生活をし、みな飢え死にし、
何人も生き残っていないものとばかり思っていました。
ところで、王(金日成)が死ぬ直前にどんな歌が
はやったかというと、それは‘七千万が一つになろう。
統一の虹’ですが、とても不思議でした。どうして七千万人か
というと、韓国が四千万、北朝鮮が三千万というのです。
ところで、みな飢え死にしているという韓国が北朝鮮より人口が
多いじゃありませんか?一千万はどうなっているのですか?
‘これは矛盾じゃないか’という思いがしました。
インタビューは続きますが録音状態が悪く整理できませんでした。(編集者 註)
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