2021年8月15日 巣鴨ときわ教会説教「イザヤの預言の通り」

イザヤ書39:1~8

ヒゼキヤはイザヤに、「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていた。(イザヤ39:8)

説教者 山本裕司 牧師

 本日は、日頃その宣教のお働きに深い敬意を抱いてきました御教会の「平和月間」、その説教者として招かれましたことを大変光栄に思っております。しかし折角のこの主日ですが、今コロナ感染爆発によって、制御不能、災害級と呼ばれる医療崩壊が勃発してしまいました。このような危機を招いた理由の一つは、政府の楽観的な姿勢にあったことは言うまでもありません。「五輪を人類がウイルスに打ち勝った証しとする」との菅(すが)首相の言葉は記憶に新しいと思います。これらの情緒的なウイルスとの戦いのあり方に対して、多くの人たちが、1944(S19)年に決行されたインパール作戦を思い出したのです。その「無為無策」の大作戦によって、結局何万人もの軍人が死傷しますが、その死因の多くは無謀な行軍と撤退による、飢餓と感染症にあったと言われています。それに似た非科学性が今回も強行突破的なオリンピック開催によって、現在の医療崩壊を引き起こしたのではないでしょうか。私たちは今、「福島復興」とか「コロナに打ち勝った証し」どころか、76年前の今日、8月15日の敗戦、2011年の原発敗戦、それに続くものとしての「コロナ敗戦」の時代を迎えてしまったのではないでしょうか。

 私はこれら東日本大震災やコロナ災害に遭遇する時、イザヤの預言を繰り返し思い出すのです。私は表面的な読み方しか出来ませんが、それでも21世紀のこの日本の状況が、2700年前の「イザヤの預言の通り」に進んでいると感じ、深い驚きを覚えてきました。

 イザヤは、紀元前8世紀、南ユダ王国が、複雑な国際情勢の中での生き残りを懸けて、繰り返し「軍事同盟」に頼ろうとする空しさを訴え続けた預言者です。ただ万軍の主にのみ寄り頼み「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」(7:4、1070頁)と、つまり神にのみ信頼しなさい、それが平和への道だと歴代王に忠告してきたのです。そして私たちの「憲法九条」にその精神が受け継がれたと言ってもよい「非武装中立」を政策の要とするように王に進言してきました。しかし紀元前703年頃、時の南ユダ王ヒゼキヤは聞き入れず、東の帝国アッシリアへの反乱を決断します。その折り王は、西の大国エジプトと「密約」を交わし、軍事同盟の締結を図りました。しかしイザヤは、それを「死との契約」、「陰府との協定」(28:15、1103頁)と喝破し、それが国を救うどころか、むしろ破滅をもたらすと預言したのです。これはまさに私たちに、1969年、首相佐藤栄作と米大統領ニクソンが交わした、沖縄核持ち込み許容、朝鮮半島有事共同作戦などの「密約」を思い出させるのではないでしょうか。

 これら権力者たちの「密約」は、平和を作り出すために、ようやく人類が到達した政治制度・デモクラシーを破壊するものです。この後、花岡しげるさんの講演会があるそうで、私も楽しみにしていますが、この会を提案された藤田さんは、第2次安倍内閣以後に成立した悪法リストを上げておられます。そのトップは、2013年12月に成立した「特定秘密保護法」でした。3・11以後、原発の秘密が様々な形で暴露されて、私たち一般人にも、ようやく原発問題の本質が見えてきました。しかし、原発推進の真の目的は、核武装の野心であることを考えると、原発システム全体をテロ対策などの名目で機密化することは確実です。そうなると反原発運動は情報飢餓の中で戦うこととなり、推進者には痛くも痒くもなくなってしまうのではないでしょうか。実際、高木仁三郎先生はその著『プルトニウムの恐怖』において40年前、預言者的に指摘しています。「核文明は「プルトニウム社会」を作り出した。このような、危険な元素を扱うため、完璧な管理社会が要求され、情報秘密主義になり、市民監視を不可能にする。」逆に言えば、このプルトニウムを用いる「原発システム」を推進するためには、「特定秘密保護法」がどうしても必要だったのです。

 ヒゼキヤ王も、結局、イザヤの忠告を無視して神に立ち帰ろうとはせず、エジプトとの密約を図ります。そして人間の力に頼る「多重防御システム」を構築して戦争に突入していきました。先ず、後に見事な土木工事と賞賛される地下水道掘削によって、都エルサレムの水源を確保しました(列王記下20:20)。また都周辺に46の軍事要塞都市を築きます。これらはエルサレムにとって絶対安全と思われた「多重防御」でした。ところがそれらが全て破られ、最後の砦・要塞都市ラキシュも破壊されました(36:1~2)。私は昔ラキシュに旅したことがありましたが、そこは井戸のみが残る荒涼たる無人地帯でした。(実は、正確には、この後ラキシュは再興と敵国による破壊を繰り返しますが、結局、今は廃墟です)…それは放射能のため長く警戒区域とされて、人の立ち入りが許されなくなった福島原発周辺町村の姿と重なるのではないでしょうか。

 イザヤは、その数十年前の初期預言も残しましたが、当時は、南ユダ王・ウジヤ(B.C.787~759年)と北イスラエル王・ヤロブアム二世(787~747年)の治世でした。両国は、ダビデ・ソロモン黄金時代の領土と同一の広さを支配下におき、数十年間に渡る経済的繁栄を謳歌しました。しかしその高度経済成長は貧富の著しき格差を生み出し、その道徳的頽廃は目を覆うような状態に陥ったのです。やがてアッシリアが台頭し、時代の大転換が始まったにもかかわらず、なお支配階級は成長神話の前に、バブル崩壊の預言を信じず、飽食と美酒に酔っていました。「災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに/この地を独り占めにしている。」(5:8、1067頁)、この預言は、まさに、現在、福島や沖縄を、「国内植民地」と化して栄えようとした日本の姿そのものです。この御言葉の直前にイザヤは「葡萄畑の愛の歌」(5:1)を印象深く記しています。

 「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ぶどう畑を持っていた。」そう美しく歌い始めますが、しかし、その美しい畑は収奪されてしまいます。そして酸っぱい葡萄しか実らなかったと続くのです。それはまさに、福島の肥沃な大地と海が放射能汚染され、そこから生じたセシウム入り産物のことを連想させるのではないでしょうか。また現在、沖縄における米軍普天間基地の移設先として名護市辺野古での基地建設が進められています。ご承知のように辺野古は美しい珊瑚礁が広がる干潟ですが、その自然破壊を糊塗するために、現在、珊瑚移植が始まりました。沖縄県は水温の高い時期を避けるように条件を付しましたが、無視され、この真夏に移植が行われているのです。私には、このイザヤが歌った「葡萄畑の愛の歌」は辺野古への挽歌として聞こえてきます。辺野古の埋め立ては、回復不能の漁業被害と同時に、そこに生きるジュゴンやウミガメなど絶滅危惧種にとっても、酸っぱい葡萄しか産み出さない、死の海に変わるのです。

 そうやって、福島と沖縄の生態系が死んだ後、それはイザヤにとって、当然のこととして、次に滅びるのは都でした。「万軍の主はわたしの耳に言われた。(都の)多くの家、大きな美しい家は/必ず荒れ果てて住む者がなくなる」(5:9)。気鋭の経済学者斎藤幸平先生は、飽くなき経済成長を求める資本主義の結果として、結局地球そのものが破壊されると、現在のコロナ禍や温暖化による大雨はその前兆に過ぎないと危機感を露わにしています。

 ヒゼキヤによる「多重防衛システム」の捨て石・ラキシュを壊滅させたアッシリア軍は、怒濤の如く、都・エルサレムに押し寄せます。それは、十年前の福島第一における、炉心冷却システムの破綻、そして放射能封じ込めの所謂「5重の壁」の崩壊によって、まさに都・東京に大量放射能が降り注いだ災厄と重なるのでははいでしょうか。後に西片町教会堂の雨樋下の土壌から、1㎏当たり、2種の放射性セシウムの合計が、11,288ベクレルを計測することとなったのです。

 イザヤ書30:13~14(旧1107頁)にはこうあります。「この罪は、お前たちにとって/高い城壁に破れが生じ、崩れ落ちるようなものだ。崩壊は突然、そして瞬く間に臨む。その崩壊の様は陶器師の壺が砕けるようだ。〈容赦なく粉砕され/暖炉から火を取り/水槽から水をすくう破片も残らないようだ。〉」ヒゼキヤは大軍に都を包囲された時「もう全ては終わった…」と王国滅亡を覚悟したと思います。それに似て、当時の菅直人(かんなおと)首相はその時、首都圏が放射線という目に見えない敵に占領されたと感じ、日本沈没の予感に戦慄していたと述べました。ところがイザヤ書を読み進むと、すんでの所で、万軍の主の「わたしはこの都を守り抜いて救う」(37:35、1121頁)との恵みの御介入があり、アッシリア軍は敗走しエルサレムは救われました。同様に、日本も、福島の一部を事実上喪失しながらも、現時点では、かろうじて生き延びました。それはまさにイザヤの預言の通り、神のぎりぎりの御恩寵、奇跡だったのではないでしょうか。

 3・11以前は安全神話が流布され、事故後も一部からは「今回の事故が、あの程度で済んだのも、日本の原子力技術の高さががあったからだ」とまことしやかに言われました。やがて安倍晋三首相は、アベノミクスの成長戦略として原発輸出を掲げ、海外で「我々は福島から教訓を得たので世界一安全な原発の技術を提供できる」とセールスに邁進しましたが、全て失敗しました。また現在の感染爆発の原因である五輪誘致のプレゼンで「汚染水は完全にブロックされている」と偽りました。しかし、このような「偽りの子」(30:9、1107頁)らの出現もイザヤは預言しているのです。事実は、菅(かん)前首相が自著『東電福島原発事故/総理大臣として考えたこと』の中で、まるで信仰告白のように語った通りだったのです。「日本壊滅の事態にならずにすんだのは、いくつかの幸運の偶然が重なった結果だ。それはまさに神のご加護あったのだ。」爆発寸前の各原子炉や、核燃料プールにおいて、次々に奇跡的偶然が出現して、砂上の楼閣ですが、福島第一は徐々に鎮まっていきました。

 今年出版された、ジャーナリスト添田孝史さんがまとめた『東電原発事故10年で明らかになったこと』によると、地震3日後の3月14日の夜、2号機が絶体絶命の窮地に陥っていました。原子炉内の圧力が下がらず冷却水が入らないのです。そのままでは燃料が全て露出し溶け落ち、凄まじい放射能が環境に放出されます。そうなれば作業員は全員退避となり、既に水素爆発を起こしていた1号機、3号機への注水も中止されます。すると全ての燃料はみなメルトアウトしてしまうのです。その破滅の予感の最中、2号機は爆発しましたが、幸運にも格納容器に穴が開き減圧が起き、注水が可能となったと言うのです。また当時停止中の4号機のプールには燃料棒1533本が入っており、通常は水を循環させて冷却していましたが、ポンプが止まりプール温度は上昇しました。水が沸騰して失われれば、核燃料が大気中に露出して、やはり大量の放射能が放出されます。ところが震災前に部品取り替え工事が始まっており、被曝を防ぐために原子炉に大量の水を入れていました。予定では、3月7日までに水を抜く予定でしたが不具合が見つかり工事が遅れていました。そのため地震発生時に、原子炉内に大量の水が残っていて、それが地震の揺れで偶然燃料プールに流れこみ、燃料溶融を免れたと言うのです。工事が遅れていなかったら今頃、私たちはどうなっていたのでしょうか。
 それだけでなく近接の福島第二原発も東海第二原発も奇跡的に破局は免れました。添田さんは、それらを指摘しながら「将来、線量が下がって現場検証が可能となったとき、東日本壊滅から救ってくれた意外な要因が、さらに見つかるかもしれない」と書き加えているのです。もしこれらの複数の幸運の内の一つでも起こらなかったら、まさに、政府が「最悪のシナリオ」で想定した通り、原発250キロ圏内、五千万人の終末的避難が現実となったはずです。

 恵みの主はこう言われました。「わたしはこの都を守り抜いて救う/わたし自らのために、わが僕ダビデのために。」(37:35、1121頁)そして、「主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた」(37:36)のです。ヒゼキヤ王の不信仰にもかかわらず、主は奇跡によって、都エルサレムを救われました。しかし、これはハッピーエンドではなく「神の最後警告」であったと確信します。ヒゼキヤは喉元過ぎると、この期に及んでなお真の悔い改めに至らず、もう一度、人間の力に頼ろうとするのです。

 そしてようやく、今朝朗読頂きましたイザヤ書39章に歴史は至るわけですが、バビロン王は使者を遣わし、戦争ストレスで瀕死となりましたが回復した病み上がりのヒゼキヤ王を見舞い、そこで両者は、反アッシリア軍事同盟を締結したと推測されます。トモダチが出来て有頂天となったヒゼキヤは、バビロンの使者たちを自国の宝物庫や倉庫、武器庫までわざわざ案内します(39:2、1123頁)。しかしそれは、自国の機密を異国にオープンにしてしまったことを意味しました。つまりこの王は、自らの国民には「秘密保護」をしたがるのに、同盟国の権力者には極めてオープンな体質を持っているのです。

〈3・11の原発事故直後、政府はSPEEDIによる放射性物質拡散予想の情報を隠しました。そのために、浪江町(なみえまち)の住民が、東北の赤宇木地区という放射線量が一番高い所に避難し被曝しています。しかし政府は拡散データを、米国だけには提供していたことが判明しています。あるいは、1957年、砂川町米軍基地闘争で逮捕された学生ら7人を、「米軍基地は憲法九条違反する」として無罪とした一審判決(伊達判決)を、最高裁が地裁に差し戻し有罪となりました。実は当時の最高裁長官・田中耕太郎が、秘密裏に米国大使と会い、伊達判決破棄を話し合い最初から決めていたのです。〉(東京新聞2013/11/10・日〉

 このことを知ったイザヤは「王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる」(39:6)と預言しました。しかしヒゼキヤは、自分の外交成功を誇り、この預言を意に返しません。「彼は、自分の在世中は平和と安定が続く」(39:8)と確信しました。この安心感は、まさに私たちが基本的に陥っている精神状態ではないでしょうか。私たちは貪欲の故に環境を犯し、地球温暖化やコロナ禍を招き、核廃棄物を大量に生み出し、後世に大変なツケを残しました。それでいて「在世中」とありますが、私たちが生きている間は、平和と安定が続く、そうどこか高を括っているのではないでしょうか。しかしそれは目先の平和に過ぎません。南ユダは、この日以来、経済状況、軍事機密を知られたバビロンに弱みを握られ、やがて脅迫されるような立場に陥っていったのではいでしょうか。

 日本においても菅(すが)首相はバイデン大統領就任時早々祝辞を送り、日米両国が自由と民主主義の普遍的価値観を共有する同盟国であることを強調しました。しかし本当にアメリカは、私たちと価値観を共有する同盟国、トモダチなのでしょうか。そうではないと藤田さんの「提案」にも書かれてありました。「戦後75年が経過しても未だに米軍が駐留し、日本の空は…すべて米軍に支配されている」と。それを読んで私が思い出したのは、矢部宏治(やべこうじ)著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』という一冊です。そこに書かれてあるのは、76年前の今日8月15日以来、現在に至るまで、米国が戦勝国として敗戦国日本を徹底的に支配してきた構造です。その本によれば「憲法九条」の成立も、日本の軍国主義化を防ぎ二度と米国の脅威とさせないことが意図であった、そうありました。つまり日本はアメリカの「同盟国&潜在的敵国」であり続けていると矢部さんは指摘するのです。

 ところで四国には伊方原発があります。私は西片町教会に来る前にこの伊方から30キロ圏内に入る大洲教会の牧師でした。その地で牧会している最中の1988年、米軍機がこの伊方原発の直ぐ横に墜落したのです。もし機体が原発を直撃したら、福島なみの大惨事となったと言われています。では何故こんな場所で米軍機は低空飛行をしていたのでしょうか。沖縄国際大学の前泊博盛教授は矢部さんにこう言われたそうです。「原発を標的にして、演習をしてたのでしょう」と。そうやって、いざという時に、米軍は日本中の原発を爆撃出来るように今も訓練を怠らないのだと言うのです。

 イザヤは、バビロンとの軍事同盟締結を喜ぶヒゼキヤ王に、あなたがトモダチと思ったそのバビロンによって、南ユダは滅亡すると、この39章で預言しました。そしてこれまで恐いほどイザヤの預言の通りに、私たちの国日本が推移してきたことからするならば、本日、2021年夏は、まさに私たちはこのイザヤ書39章にさしかかったと思います。そしてもしこのイザヤの預言通りであるのなら、日本を滅ぼすのは、中国でも韓国でも北朝鮮でもありません。いつの日か、沖縄・東村高江のヘリパッドからオスプレーが、辺野古から米軍戦闘機F-22ラプターが飛び立ち、76年前の夏そうであったように、今度は東京都民の頭上に原爆を落とす時が来るかもしれません。あるいはそんな手間はいらないと、これまで伊方などで低空飛行訓練を重ねてきた通り米軍機が各地の原発を爆撃するだけで始末をつけるかもしれません。

 ではこの39章、この最後のイザヤの預言を覆すために、日本に住む私たちは、今、何をするべきなのでしょうか。それは、矢部さんが指摘するようなアメリカの思惑という成立の問題があるにしても、それにもかかわらず「憲法九条」を死守することであると思います。どうしてそんなことが出来るかと言うと、人間の愚かささえ御業のために用いることがお出来になる、主が「九条」を私たちに与えた下さったと、私たちキリスト者なら信じることが出来るからであります。同時に数多くの預言の内、イザヤの初期預言こそが、最後に「その通りになる」、その預言の成就をこそ信じることが出来るからであります。イザヤ2:4~5を朗読して、今朝の説教を終わります。

 「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。/ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」

 祈りましょう。 主よ、今私たちは、恐るべき危険な時代を迎え深い憂慮の中にあります。どうかこの時こそ、平和をつくり出すために、私たち教会は神の子としての幸いなる道を、歩み続けることが出来ますように。そのためにも、巣鴨ときわ教会に仕えておられる敬愛する平井文則牧師をあなたが支え、そのお働きを祝福して下さい。また牧師と共に平和のために献身的に奉仕されている教会員の方々を導き、さらに御教会が、地の塩、世の光として、あなたの良き御業を果たしていくことが出来ますように聖霊を注いで下さい。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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