2021年4月11日朝礼拝説教「ソドムの滅亡-命がけで逃れよ」

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創世記19:1~28

 彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」(創世記19:7)

説教者 山本裕司 牧師

 今朗読した創世記の物語に久し振りに登場したのは、アブラハムの甥ロトです。都ウルからの旅、その苦楽を共にしてきた家族でした。しかし創世記13章ですが、カナンで彼らが豊かになった時、土地が狭くてもはや共に暮らすことは出来なくります。そこでロトは移住地として、13:10「主の園」のように豊かな低地ソドムを選びました。そこは塩の海、南方沿岸にありました。農業は言うにも及ばず、鉱物やアスファルトなどの天然資源が豊富で、富み栄えていました。その利権を巡って大戦争が起こったことも、14章に書かれてあります。ロトは若い頃過ごした、メソポタミアの故郷ウルで享受した都市文明生活の喜びが、忘れられなかったに違いありません。そうやって彼は天幕を捨ててソドムに定住しました。しかしその都市的繁栄とは、人間にとって常に悪魔的誘惑と背中合わせなのです。ソドムからは既にその重い罪を訴える叫び主に届いていました。その調査のために、客人の姿を取った二人の御使いが派遣されて、アブラハムとの会見後、夕方ソドムに着きます。ロトは彼らを見ると、門から立ち上がって迎え、ひれ伏して言いました。19:2「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりください。」この時のロトの姿とは、18:2以下(旧23頁)に記される、マムレのアブラハムが同じ客人を持て成す態度そのままですので、ロトには未だ伯父から学んだ旅人の心が生きていたことが分かります。

 律法にはこうあります。申命記10:19「…あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」と。

 寄留者を持て成す心とは、その寄る辺なき不安と一宿一飯の恩義を知る旅人ならではことです。あるいはロトは旅人にとってのソドムの恐ろしさを経験してきたのかもしれません。それは遊牧民のあり方と対極的な、内と外を峻別するあり方です。日本人の持っている差別心の根源にもそれがあるのではないでしょうか。そこでロトは旅人に、自分の家に泊まった後、19:2「明日の朝早く起きて出立なさってください」と求めました。また19:3「酵母を入れないパンを焼いて食事を供し」とあるように、即席パンで接待しました。これはアブラハムの18:6「上等の小麦粉」を用いたパン菓子による接待とは対照的だと注解は指摘しています。つまりロトは客人にさっさと夕食をとってもらい、早く床に着かせたいのです。それで早朝、旅立たせて、ソドム人と鉢合わせしないように配慮しているのです。しかし客人、つまり御使いたちは、そちらの方がソドム実態を知ることが出来ると考えたのか、19:2、広場で野宿をすると言います。しかしこのロトの必死の説得を受け入れて彼の家に泊まることにしました。

 ところが案の定、19:4~5「まだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、…/今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから」と喚きたてた。この「なぶりものにする」とは、男が男に対して性的暴行を加えるという意味です。男色を表す「ソドミー」という言葉がここから生じました。しかしここで注意すべきは、同性愛がソドムの罪とされているのではないということです。注解は、「ソドムには外来者を性的に犯すことによって、自分たちに服従させる風習があった」とあります。問題は力尽くで人を支配するあり方です。それは今も形を変えて、同じことが行われているのではないでしょうか。官僚や学者、そしてマスコミを「人事」で「マウンティング」することを以て、最高権力者として君臨する男が存在するのではないでしょうか。それこそが現在のソドミーです。そのようなあり方が、対外的には経済や軍事力によって他国を力尽くで支配しようとする「野蛮」に繋がっていくのです。ロトは、客を出せと騒ぐ男たちの前に、二人の客の代わりに自分の二人の娘を差し出すから止めてくれと言いました。無論あってはならない取り引きですが、外の男たちの前に家から出て来た彼自身が、19:6「後ろの戸を閉めて」と書かれてあります。このことからロトが自分自身を全て犠牲にしても客人を守ろうとしてるという意味だと思います。しかし男たちにロトの説得は通じません。何故なら何十世代にも亘る定住ソドム人にとって、たとえ家屋敷を構えたロトであっても、19:9「よそ者」に過ぎなかったからです。19:9a「男たちは口々に言った。「そこをどけ。」「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」

 19:9b、男たちは、ロトに激しく迫り、戸を破ろうとしました。その瞬間、二人の客は19:10「手を伸ばして、ロトを家の中に引き入れて戸を閉め、戸口の前にいる男たちに、老若を問わず、目つぶしを食わせ、戸口を分からなく」するという神業を発揮する。このことを通して、客たちが、実は「主の使い」であり、彼らがソドムに来た真の目的を明らかにされるのです。19:13「実は、…大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」それを聞いたロトは驚愕して、19:14「嫁いだ娘たちの婿のところへ行き」ました。そして「さあ早く、ここから逃げるのだ。主がこの町を滅ぼされるからだ」と促しましたが、「婿たちは冗談だと思った」と書かれてあります。生粋のソドム人である婿たちは、ロトの言葉を信じませんでした。ソドム滅亡の警告を冗談だと笑い飛ばしたのであります。
 
 私は、2011年4月に、中村雄介兄弟からの依頼に応えて、「キリスト者政治連盟」機関誌に「地の基は震え動く」(イザヤ24:19)という説教を書きました。そこで一月前に勃発した3・11の原発事故と、それ以前の安全神話を問いました。1987年、つまり3・11から24年も前に作家広瀨隆さんはこう書いていたと(『危険な話-チェルノブイリと日本の運命』219頁、1987年4月出版)。日本の原発は「33基(当時)がすでに運転中で、宮城県にあるのが女川です。隣の福島県に実に9基あります。ここで津波が起こって海水が退いてゆけば、この10基がまとめてメルトダウンを起こすかもしれません。そうなると日本人だけでなく、世界の全人類を末期的な事態に巻き込む大変な災害が起こるでしょう。…全世界のなかで最も危険なのは日本です。アメリカやヨーロッパのジャーナリストの人たちが、なぜ日本人はこれで平気なのか、なぜ地震帯のうえにこれほど大量の原子炉を建ててしまったか…と言っているのはこういう理由からです。…今まで大事故が起こらなかったのは、まったく偶然のなかの偶然です。私たちは、たまたま生きているのにすぎないのです。」
 津波による引き潮によるメルトダウンを予想したことは、福島第一で起こった事故経過とは異なります。しかし地震と津波がメルトダウンの原因となると予知した点は、まさに彼は旧約の預言者に匹敵すると思いました。
 最近、裁判を受けている事故当時の東電会長・勝俣恒久は『危険な話』が出版された1987年当時、東電副部長でした。彼はこの本についての書評を掲載しました。「専門家が読めば、『何と非科学的な、相当な神経の持ち主でないと、ここまでは書けない』といった感想を抱かれると思う。…本書はチェルノブイリ事故を題材としたフィクション…である」(「朝日新聞」1988年6月11日)。つまり冗談とあざ笑ったのです。そうであれば、彼はまさに「ロトの婿」だったのではないでしょうか。しかしかく言う私も同様です。「私は四国にいた時、伊方原発から30㎞圏内の大洲で二人の息子を育てていました。伊方で事故があれば、この美しい城下町大洲はゴーストタウンとなる可能性があることを、チェルノブイリ以来知ってたのです。しかし私は「ためらい」結局、伊方原発は危険だと、大洲教会で説教したことはただの一度もありませんでした。私は子ども頃、父親に「何故、お父さんは戦争反対の声を上げなかったの」と問うた時、キリスト者である父は苦しそうに顔を歪めました。しかし、私も自分の子どもや孫から、今そのように問われる立場となった。」そう今からジャスト十年前に書いています。その慚愧は今も変わりません。

 荒れ野で信仰の父アブラハムから薫陶を受けたロトは、腐っても鯛ということでしょうか、御使いの警告を冷笑はしませんでした。しかし、19:16やはり「ためらっていた」とあります。やっと立派な家を建てたところかもしれません。ロトはやはり荒れ野の主と共に、旅する心を失おうとしていたのです。19:17「命懸けで山へ逃れよ」と促す主ヤハウエに対して、ロトは自分は山に逃げることが出来ません。そこでなく、19:20「あれは小さな町です。あそこへ逃げさせてください。…どうか、そこでわたしの命を救ってください」とお願いします。小さいと言っても町です、町がどうしても、自分の命のためには必要なのですと、そのようにロトは、アブラハムが生きてみせている、町がなくても生きられる、天幕一つで生きられる、荒れ野の主が自分を救うから、その旅人の信仰に徹しきれません。しかし彼は結局は、19:30、主が言われた通り、山中の洞穴に住む他はなくなったのだと物語られ、聖書の舞台から消えていきました。

 19:23~24「太陽が地上の昇った時、…/主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、/これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。」ある学者は「硫黄の火が降る」という表現から、火山噴火ではないかと推測します。あるいは死海南部の断層地震によって大地が裂け、地下の硫化水素ガスや瀝青、石油が噴き出し、発火して大爆発が起こしたのかもしれない、そうであれば、一瞬にして町が炎に包まれ、壊滅してしまうことも科学的に起こりうると書いています。その「危険な話」をソドム人は知らなかったのでしょうか。きっと神様は、この時だけでなくて、小地震を以て警告を重ねてこられたのではないでしょうか。しかし彼らは塩の海沿岸の資源がもたらす莫大な利権を手放すことはどうしても出来なかったのです。主はロトに、19:17「命懸けで逃れよ」と命じました。最新の共同訳では「生き延びるために逃げなさい」、つまり「命のために逃げよ」という意味だと訳されたのです。命と金とどちらが大切なのかとの問いが、ここにはあるのです。今、日本の54基の原発は全て、この地震噴火列島の海岸地帯に建設されています。それはまさに塩の海から離れることが出来なかったソドム人の姿そのものだと思います。

 その災害は、聖書においては自然現象ではなく、19:24「主は天から、主のもとから降らせられた」と書かれています。私たちは、あの3・11直後、福島第一原発の四基から四本の白煙が立ち上る光景を見ました。それはまさに、19:28でアブラハムが丘の上から見下ろした光景「炉の煙のように地面から煙が立ち上る」そのものだったのです。そうであれば、今朝の物語は21世紀のソドム・日本に対する数千年前の警告、預言、そのものなのではないでしょうか。ソドム的経済と軍事優先(原発は核武装のため)のあり方は、神に裁かれるのです。何故なら「命」が大切だからです。現在も、一年以上コロナ感染を封じ込めず、悪くなる一方なのも、経済、そしてオリンピックを優先しているからではないでしょうか。それによって日本で既に一万人の命が失われているのです。強い者が益々富み栄えるために、弱い者たちが犠牲となるあり方こそ、ソドミーなのです。主は19:17「命のために逃れよ」と、そのようなソドム的生き方から一日も早く逃れよと、訴えているのです。命を得るために。

 私たちは、ウルやソドムのような繁栄の大都市定住者です。ソドムは13:10「主の園のよう」であったとありました。そうであれば、その土地は、禁断の果実の誘惑にいつも晒されているのです。そこで暮らすなら、人一倍、神の警告の言葉に耳を澄まさねばなりません。アブラハムがバベルの塔の建つメソポタミアの大都市ウルを去って、荒れ野に祭壇を築いた。そのように私たちもこの西片町教会において、真の主ヤハウエを拝し、神の言葉をあざ笑わず、静聴する時、生きることが出来る。そしてそのソドミー的文明から荒れ野の主を拝する文明への大転換を迫る言葉を、一人でも多くの隣人に証ししていくことが求められています。それが伝道です。その時、教会はアブラハム以来の祝福の源としての使命を、果たすことが出来ることでしょう。そうやって日本の破滅を止めることが出来るのではないでしょうか。この大都市の中で、その文明に逆らうように、荒れ野の主ヤハウエを拝する、旅人の教会をここに共に建てるために、この2021年度を出発致しましょう。

 祈りましょう。主なる神様、目に見える力に頼り、それによって安心を確保しようとする私たち定住生活者に対して、荒れ野から吹く清々しい風を送って下さり、ただあなたのみが私たちの救いである、その旅人の信仰を思い出させて下さり、心から感謝いたします。どうか私たちの内なるソドミーをあなたが打ち砕いて下さり、神の子として平和を作り出す2021年度の教会の歩みを始めることが出来ますように、聖霊を与えて下さい。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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