2021年1月3日 主日朝礼拝説教「地の上に風は吹く」

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創世記8:1~22(旧10頁) ルカ福音書23:39~43(新158頁)

 「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。」(創世記8:1)

説教者 山本裕司 牧師

 この新年にノアの箱舟の物語を読んでいると思い出されるのは「世界終末時計」の存在です。これは1945年、核時代の始まりにおいて、アインシュタインらの呼びかけによって創刊された科学雑誌の表紙に描かれる象徴的時計のことです。76年前の最初の針は、原爆の出現によって「真夜中」(地球終末)まで7分前を指しました。しかし1953年、米ソの水爆実験成功によって2分前と時計の針は最も終末に近付いたのです。その後いろいろな推移の後、1991年、ソ連崩壊と戦略兵器削減条約が評価されて、最も針は「真夜中」から遠のき17分前になりました。1989年からは「核」だけでなく環境問題も判断基準に加えられています。最近になると、核装備強化に加えて環境問題に消極的なトランプ大統領のために、2018年には冷戦時代にカウントした最悪の2分と同時刻になりました。では去年2020年はどうだったでしょうか。核軍縮も環境対策も進まず、ついに1分40秒(100秒)前という、歴史上最も破滅が近付いた時代となったと判断されたのです。このコロナ感染爆発で始まった2021年はどうなるのでしょうか。今、世界は一触即発の状況であるのです。

 もしこの終末時計が正確であるとしたら、2021年は創世記のどの箇所に達したのでしょうか。私は6:5以下(旧8頁)の段階であると思います。「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、/地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」創造主は喉元まで6:7a「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。」この決意がもう喉元まで出掛かっている、その発声に耐えておられる、そのような「時代」に至っているのではないでしょうか。そうであれば私たちは、ノアが晴天のもと丘の上で、箱舟を建造している時、そのノアを見て横でせせら笑っていた人間にだけはなってはならない、そのように改めて思います。

 ノアの六百歳の2月17日、創世記7:11~12(旧9頁)「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。/雨が四十日四十夜地上に降り続いた」のです。核問題に警鐘を鳴らし続けてきた高木仁三郎先生はこの聖書の言葉を解説して、これは現代の異常気象すなわち温暖化、オゾンホール、酸性雨などと二重写しになる。そして「創世記は人間の暴走が…全地球的な環境破壊を招くであろうことをはるかに予見していた」と、つまりこれは現代の話だと言われました。もう一度読みます。7:11「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。」これは創世記冒頭の天地創造神話と「対」になっている言葉です。創世記1:2(旧1頁)に出て来る創造以前の世界「混沌」「闇」「深淵」「水(大海)」とは全て、冒頭の「混沌」と同義です。それはあらゆる生命が生きることの出来ない虚無の宇宙を表現しています。創造主はその「死の虚無」を追い払うことをもって、天地創造を始められました。創造主は闇を駆逐する1:3「光あれ」との御言葉に続き、全宇宙を充たす虚無の大海から、命育まれる乾いた大地を創造されます。1:6「神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」…1:9 神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」ノアの時代に、この天地創造とフィルムの逆回しのようなことが起こったのです。7:11、人間の罪によって、創造主が造ってくださった上部の海を支えているドーム状「大空」、その窓が全開しました。同時に大地の下部の深淵の源も決壊して、宇宙の海が地下からも溢れ出し全生物が滅亡することになる、神話はそのように描くのです。

 勿論、宇宙が海で満たされているという古代人の世界観は間違っていました。しかしその信仰的洞察は余りにも正確でした。私はかつて2012年の日韓合同修養会で説教しましたが、この創世記の原始の大海を、宇宙を充たしている「放射能の海」と理解することが出来るのではないかと提案しました。宇宙からは有害な放射線が絶えず地球に降り注ぎ、生命の生存を脅かしています。しかしその恒星爆発の原子核反応に由来する「銀河宇宙線」は「太陽風」によって地球への直撃を妨害されます。この第1のバリア「太陽風」の名も暗示的で、創世記1:2「神の霊が水の面を動いていた」とありますが、この「神の霊」を「強風」と訳すことも可能です。それであればここから「太陽風」を連想することも許されるのではないでしょうか。そうやって、神は死の放射能を吹き飛ばすことをもって、天地創造の御業を始められます。今朝朗読した創世記8:1「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた」、そうありました。やはり「風」が吹いたのです。神の「御心」である愛と赦し、そのものである聖霊の風が吹いたのです。その時破滅の大海は減り始めました。

 「太陽風」の他に、地球の「磁気」、「大気」、「オゾン層」などが御翼の如く広げられて、私たちの世界は荒涼たる宇宙の中の唯一のオアシスとなりました。今年10年を迎える2011年3・11以前、原発は多重バリアによって放射能は漏れないとする「安全神話」が宣伝されてきました。しかし福島原発事故においてそのバリアは脆くも破壊されたのです。天地創造の神こそがドーム状の「大空」(1:7)という放射線や紫外線に対する真の多重バリアを創造してくださり、全生命を守ってくださっています。

 この創世記記者の理解では、天空だけでなく、先にも言いましたが、地下の深淵も原始の海で満たされています。これまでの連想を踏襲すれば、この意味するところは、地の下も危険な放射性物質で満たされていると言えます。地球の歴史は46億年ですが、それが生まれた当時、地球上の物質は放射性物質にまみれていました。とうてい生命が存在出来るような環境ではありませんでした。しかし「半減期」といって、寿命の短い順に放射性物質は地球上から減っていきました。しかし大変寿命が長いために、46億年たっても生き残ったのが、天然ウランです(小出裕章『原発はいらない』165頁)。この天然ウランを濃縮したものが広島で使われた「ウラン型原爆」です。ウランの半減期は45億年ですので、やっと現在放射線が半分になったところです。その地中深くに封じ込められていた鉱物「ウラン」が、核兵器を作るために、わざわざ人の手によって掘り出されました。そのために先ず採掘者を被曝させ、放置された「ぼた山」など周辺を著しく汚染しました。さらに原爆や核燃料作成時、核爆発や発電、使用済核燃料の処分や再処理によって、放射能を環境に放出し、現在も多くの被曝者を生み出し続けています。元々、宇宙的規模の放射能に覆われていた地球が、何十億年の歳月の中で獲得した多重バリアと放射性物質の減少によって、楽園の如き命溢れる星となったのです。ところがその46億年の末期に誕生した人類によって、放射能無害化のための神の創造の御業46億年が、今、空しくされようとしているのです。そうやって、人間自らが、7:11「深淵の源をことごとく裂き」、「天の窓を開く」という愚行によって、せっかく神様が封じ込めてくださった放射能の大洪水を今地球に招いたのです。そういう状況の中で「終末時計」の針は100秒前という最悪の時を指すに至ったのです。

 神の私たちの生命を守るための創造の御業を台無しにしてしまう人間の貪欲、その罪がノアの洪水物語に神話的に表現されているのではないでしょうか。しかし話はそれで終わりません。神はそのように罪人を裁くと同時に、そこからの赦しを与えてくださるのです。

 この新年の朝与えられた創世記8:13は大洪水の翌年のことが記されてあります。「ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日(つまり元旦です)に、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。」私たちはこの今朝の御言葉に深い暗示を受けるのではないでしょうか。ここを2021年1月1日の元旦に「地上の疫病は乾いた」、そう読めたらどんなに良かったことでしょうか。残念ながら未だ疫病の大洪水は地球を覆ったままですが、私たちはこれを新春の希望の言葉として読みたいと思います。

 創世記によると丁度1年間、地球は洪水で覆われましたが、箱舟よって守られた生命と信仰の遺伝子は新天新地に受け継がれました。8:4、昔のユダヤ人が知っていた最高峰、トルコの極東アララト山(8:4)に舟は止まりました。その他の「山々の頂き」(8:5b)が現れた時、8:7、ノアは烏を放ちます。烏とか鳩が繰り返し放たれますが、これは今で言う「ガイガーカウンター」とか「PCR検査」ということになるかもしれません。その測定は、やがて8:11b「見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。」そう続き、この検査の値は日々低くなっていくという経験を彼はしたのです。そしてついに、8:12「彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。」ガイガーカウンターは0ベクレルとなりPCR検査は陰性になりました。この時のノアの喜びがどれほどのものであったか私たちにも分かるのではないでしょうか。かくして、さあ、出て来なさいとの神の促しの日を迎え、つまり長い「外出制限」が終わり、8:18~19「ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。/獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た」のです。これもまた外出自粛が求められているこの新年に、主が私たちに与えてくださった励ましの言葉である、私はそう思います。

 新しい創造と呼んで良い乾いた大地が与えられたのは、神様がノアと動物たちを「御心に留め」(8:1)てくださったからです。別の訳では「思い起こして」くださったからです。この部分が書かれたのは「バビロン捕囚」の時代だと考えられますが、その捕囚は60年間続きました。その長さがこの箱舟というシェルターの中で丸一年耐えたノアたちの心理状態に例えられていると思いますその救いの兆しがついに見えた時「まだか、まだか」とじりじりする捕囚民の心が、創世記8:4~14で、何度も烏や鳩を放つノアの姿に映し出されていると思います。これは今「まだか、まだか」とコロナ禍の収束を待っている私たちの気持ちと重なるのではないでしょうか。しかし主なる神が「御心に留め」(8:1)てくださる、私たちのことを「思い起こして」くださる。
 この大洪水は私たちの貪欲の報いです。「悪い」(8:21)ことをしたのです。しかし神は私たちのことを忘れられません。見捨てられません。その主の憐れみを、この感染爆発の新年、私たちは信じることによって明日の希望を回復したいと思います。この神の憐れみの「御心」によって、コロナの大洪水もまた引き始めるであろうと。

 先ほどもう一箇所ルカ福音書23:39以下の御言葉を朗読しました。十字架にかけられていた犯罪人の一人が、自分の最期の望みとして、隣に磔にされている主イエスにお願いをします。これは祈ったと言って良い、礼拝したと言って良い。23:42「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と。するとイエス様は「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言ってくださいました。その瞬間、このゴルゴタの丘にも風が吹いてきたに違いないと思う。罪人自身が言った、ルカ24:41「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。」これはまさに、貪欲に駆られて核をもてあそび、環境を破壊し、その報いを今受けている私たちの言葉ではないでしょうか。しかしそれにもかかわらず、この死刑囚を覆い包んでいた、虚無の大海の水が、ここで主イエスの故に引き始める、そして楽園の大地がせり出してくる、そこに立つことが出来る、そういう救いを彼は得るのです。その理由は、ただ主がルカ24:42「思い出して」くださったために。この「思い出す」が創世記8:1「御心に留める」と同じ意味です。「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。」

 ノアが新天新地に立った時、大地には何もありませんでした。文明再建のためにするべき仕事は山のようにあります。しかし彼は何よりも先に「主のために祭壇を築いた」(8:20)のです。私たちで言えば教会を建てたのです。礼拝のためです。私は、今、終末時計100秒前の危機に際して、私たちは「文明の大転換」が求められると繰り返し語ってきました。その文明の大転換こそ、どのようなインフラ整備より、先ず祭壇を築くことなのです。つまり人間が礼拝者になることです。これ以上の文明の大転換はありませんし、言い換えれば、礼拝を「第一」とする人間によって文明の大転換は始まるということであります。

 主は、そのノアの祭壇に献げられた焼き尽くす供え物の宥めの香りをかいで言われました。8:21b~22「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。…地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない」と言われました。ノア自身もその家族たちも、信仰の遺伝子だけでなく「原罪の遺伝子」を受け継いでいます。それがこの後の創世記の物語でも明らかになります。それを先取りするように神は言われます。8:21「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」そう人間の罪を承知の上で主は、8:21b「生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」と約束してくださいました。どうしてそんなありがたいことを言ってくださったのでしょうか。ノアの祭壇礼拝において主は、焼き尽くす献げ物の8:21a「宥めの香りをかいで」くださったからであります。贖罪の犠牲の香りです。やがて、主イエスが十字架につかれて死なれた時、この上なき宥めの香りが天に昇りました。そして一人の死刑囚が十字架の上で礼拝を献げた時、祈った時、彼は身動き出来ない十字架から自由に解き放たれ「御国」に立つことが許されたのです。御子の十字架の贖罪の故にであります。この神の子の死の犠牲を記念する礼拝を献げる時、創世記8:21「幼いときから悪い」心しかない私たちであっても滅亡しない。この御子の十字架の贖罪の故に、終末時計100秒前の針は戻り始めるであろう。だからこそ、この2021年、父と御子を礼拝することを何にも勝って優先する、そのような一年を生きたいと願います。そうすれば、神様は必ずこのコロナ禍から、核問題から、放射能から、その滅びから私たちを救ってくださる、そう思う。

 祈りましょう。 主なる父なる神様、今、自らの罪の報いを受けて、後100秒前と言われるほどの滅びに瀕している、2021年の私たちを憐れみの内に「思い出してください」。御子が十字架の贖いによって、この私たちの罪を赦し、滅びから免れてさせてくださったことに感謝し、三位一体のあなたを、何を差し置いても礼拝する、その人類最大の「文明の大転換」を始める西片町教会の一年とならせてください。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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