2020年8月16日 主日朝礼拝説教「公然と語るイエス」
https://www.youtube.com/watch?v=wgJXzN2smL0=1s
イザヤ50:4~9(旧1145頁) ヨハネ福音書18:12~27(新204頁)
説教者 山本裕司 牧師
「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。」(ヨハネ福音書18:20)
今朝私たちに与えられたヨハネ福音書の御言葉の中に、有名なペトロの否認の物語が含まれます。それで思い出すのは、最後の晩餐の席で、主は、13:36(新196頁)「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできない…」、そう御受難を預言された時のペトロの反応です。13:37「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」この「一番弟子」としての誓いを実行しようとしたに違いありません。園で縛られた主の後に、18:15、ペトロともう一人の弟子は従いました。しかしそれは主の弟子としての真の服従にはならかったことが、預言の通り、大祭司邸で暴露されたのです。18:17「門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。」自ら主の弟子であることを否定した、それが鶏鳴前に三度繰り返されてしまったのです。どうしてペトロは服従の道に躓いてしまったのでしょうか。
数日前の東京新聞のインタビュー記事の中で、91歳になられた関田寛雄牧師が御自身の戦時体験を語っておられました。「あの頃は、誰よりも軍国少年と言い切れるほど無我夢中に頑張った。普通の日本人より人一倍、日本人になろうとしてね。」そう言われます。父親が牧師であった関田先生は幼い頃に洗礼を受けられました。小学5年生の時同級生から「アメリカのスパイ」と殴る蹴るの暴行を受けた関田少年は「日本でキリスト教徒でいることは危ないんだ」と感じました。それで中学生になると、軍事教練に積極的に励みます。「お国のために死ぬことが良いこと」と話して教師に褒められ、周りから尊敬されていく自分を誇らしく思った。「クリスチャンであることと、軍国少年を目指すことに葛藤はなかったんですか」との若い記者の問いに、関田先生は、「キリスト教徒という少数派でいる自分が、良くないと思ってたんだよ」そう答えられています。
ペトロももう一人の弟子とだけなら、いわばそのプライベートな道行きであれば、主について行けました。しかし大祭司邸というイエス様を裁くために敵対者が集合している「公」の場に立つ。そこでペトロは関田少年同様、本当に自分たちは少数だと突き付けられたと思います。そこで「公然」と主を証しすることが出来ません。18:25に、二度目のペトロの否認があります。「…人々が、『お前もあの男の弟子の一人ではないのか』と言うと、ペトロは打ち消して、『違う』と言った。」この「人々が」という箇所をある英語聖書が「the others」という代名詞で訳しました。そうであれば、ここは文法的に「焚き火にあたっているペトロ以外の者全員が」という意味になります。何人焚き火の周りにいたのでしょうか。ペトロ以外の「the others」、つまり全員が「お前もあの男の弟子ではないのか」と指差し始めたのです。もう一人の弟子はどこに行ってしまったのでしょうか。ここではペトロはたった「独り」で、多数に囲まれている。それは恐怖でした。そういう時、私たちは多数派に組したくなります。そのペトロの心が、既に18:18で暗示されているのです。「僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた」と。この僕や下役とは、さっき園で主イエスを逮捕した者です(18:26)。その彼らとペトロは「一緒に立って、火にあたっていた」と福音書は書く。同じ立場に立った、そうやって「少数者」に向けられた人の冷たい視線から逃れようとしたのだと思います。関田少年も、キリスト者であるよりも、人一倍日本人になろうとしました。
あるいは土戸清先生はここを解説して、ヨハネ福音書は、裏切りのユダと否認のペトロを重ね合わせて描く、そう指摘されます。それがどこで分かるかと言うと、やはり同じ、18:18で、ペトロが「彼ら(下役たち)と一緒に立っていた(meta auton)」そうありますが、それと原文でもほぼ同じ言葉が、ユダの場面でも先行して使われたからです。18:5b(新203頁)「…イエスを裏切ろうとしていたユダも彼ら(下役たち)と一緒にいた(meta auton)」です。どうしてこんな工夫を福音書はするのかと言うと、ユダもペトロも同じだったと、そして私たちも同じだと、少数にされる、それを思うと、主を裏切っても否定しても多数派と一緒に立ちたいと思うようなる。サタンの誘惑はそれほど強いのだ。だからこの福音書を読む兄弟たちよ、そのことに注意を払って、教会の依って立つべき唯一の「岩」を忘れるな。そういう意味が、この構成の工夫に表れていると思います。ヨハネ教会も本当に小数でした。彼らは教会の奥に隠れるようにして、「ひそかに」(18:20)信仰の話をしていた。そこでは自分は主の弟子だと思えました。しかし彼らもまた、公の席に引っ張り出される時が来る。そこで躓いて、小さな教会から逃れ多数の方に行ってしまった者たちが現れた、その痛烈な経験がこの福音書の構造に反映していると思います。福音書は、少数であることに耐えよと、そこに教会員は注意を払って生きて欲しいと、暗示しているのです。
ペトロは、お前は弟子だと言われた時、18:17「違う」、 18:25「違う」と、そして三度目は、「打ち消した」としか書いてありませんが、同じことを言ったに違いありません。そしてこの「違う」この言葉と、主イエスが大祭司の問いに答えられた時、18:20「公然と話した」、これが強く対比されているのです。18:20「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。」逃げも隠れもしなかった「公」で話した、だから誰でも私の話を知っていると言われたのです(18:21)。何を話して下さったのか。それは第一に「わたしはある」と言われたのです。18:5、6、8で言えば三度の「わたしである」です。英語で言えば「I am」です。主は「公然」と神の名で、御自身を現されました。それに対して、大祭司邸でのペトロの否認18:20、25「違う」、これは元のギリシア語では、「わたしでない」(I am not)です。I amという神の御名にただ「否定詞」を付して、裏返した言葉です。ここにもまたヨハネ福音書の緻密な暗示が感じらます。つまりペトロはここで、いつの間にか、ただ自分は弟子ではないと言った不信仰を超えて、主が先ほど、三度「わたしである」(18:5、6、8)と言われた、この御名をも同時に三度否定したのだ、そういう意味が暗示されているのです。つまりイエスこそ神ご自身である、そのヨハネ教会の信仰を、さらに言えば、後の時代の教会教義「三位一体」を否定したのだ、そういうキリスト者として決定的な間違いを犯したのだ、そうまでして多数の側に立ちたかったのだ、そう指摘しているのではないでしょうか。
このイエス様の時代から半世紀後、ユダヤ教の会堂は、イエスを神だと告白する、所謂、ナザレ人(つまりキリスト者)を異端と定めて追放しました。会堂から追放された者たちが、ヨハネ教会を創立したのです。その時、会堂にはそれなりの勢力のナザレ派がいたと思います。しかしその多くが、お前はイエスの弟子かと問われた時、否認したと思われます。「I am not」と。そうやって会堂に留まりユダヤ人の特権を確保したまま、これからはイエス様のことは「ひそかに」(18:20)話していればいいではないかと思った者も多かったと思う。そうやって多数派と「一緒に立って」この世の冷酷を避けて暖をとろうとしたのです。18:18「僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。」
しかしその中にあって、主イエスと「一緒に立ち」たいと、迫害の冬、我々に炭火はなくても耐えようではないか、そう願って会堂を出た者たちが建てた教会が、ヨハネ教会でした。そこで彼らは、もうひそかにでない、この主イエスに倣って、18:20「世に向かって公然と話した」のではないでしょうか。イエスこそ「わたしはある」(I am)だと、その神の御名をもつ、神ご自身なのだと、それを人間は皆信じよと伝道した。お前はイエスの弟子か、と問われたなら、今度こそ公然と「そうです」(I am)と答え、この信仰告白という岩の上に教会を建てようではないか。ここに天国の鍵があり、陰府の力も対抗出来ない教会を(マタイ16:18)。そういうヨハネ教会の決断が、今朝の物語の中に、緻密に構成され組み込まれていると言えると思います。これは何と偉大な福音書でしょうか。
18:22を見ると、下役の一人が「公然」と語って下さった主イエスを、18:22「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。」そうあります。それに対して主は、18:23b「…正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」そう問われた。バッハは「ヨハネ受難曲」において、ここで、パウル・ゲルハルトの歌詞を用いた、受難のコラールを再登場させます。それが先ほどの「讃美歌21」295「見よ、十字架を」の2節です。「主を恥ずかしめ、打つのは誰か、さばく者よ」と問います。ここで賛美は、下役を糾弾する音楽になるのでしょうか。そして下役と一体のユダヤに対する、呪いと復讐の歌を続けるべきでしょうか。//実際、その後の時代、キリスト教はローマで国教化され世界を支配しました。教会が多数派に取って代わった。その時教会は、イエスを殺したのはユダヤ人だと言って徹底的に差別するようになったのです。それがついにナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺にまでなった。何と恐ろしいことでしょうか。ユダヤの名を持つ裏切りのユダも、その後のキリスト教世界の中で、容赦なき呪いの対象となりました。
しかしそのような理解が、このヨハネ福音書を書いたヨハネ教会の歴史を知ると、どれほど間違ったものであるか明らかです。例えば、今朝の言葉で言えば、この福音書の中の至る所に登場する、主イエスを問い裁く「ユダヤ人」とは、人種としてのユダヤ人のことではありません。「ユダヤ会堂」(シナゴーグ)のことです。そしてこれまでも何度も指摘してきたように、ヨハネ教会を建てたのは、元々このユダヤ会堂に属していた、ユダヤ教ナザレ派がそのルーツです。だからヨハネ教会とはユダヤ人が創立した教会であって、この福音書に、民族としてのユダヤ人を差別する気持ちなどありません。そして、今朝も読んできたように、主を平手で打った下役たちと、18:18、一緒に立ってしまったのは、弟子であるユダとペトロと書いた、その意味は、自分たちも一度主の弟子となったけれども、同じだと、同じように多数派と一緒に立って温もりたいとの誘惑から免れる者ではないと、つまり自分の罪の告白として、この福音書を書いているのです。決してヨハネ教会は、信仰に挫折する者を高みから見下していません。迫害をしたユダヤ人を呪っていません。自分も同じ罪人だと知っているのです。そのことを、バッハも熟知していました。だから、この18:23で、主が平手で打たれた直後のコラール(讃美歌)において、「誰があなたを打つのですか」と先ず問い、そして答えます。「讃美歌21」295番3節と同じ歌詞です。「それは私です」と。誰を責めるのでもない。私があなたを打ったのですと、私があなたを十字架につけたのですと、その裏切りの罪を告白しました。
しかしそれで、私たちはユダのように自らの罪責に絶望して首を括って死ぬ必要はないのです。「それは私です」と罪を告白する時、私たちには、むしろ再生する道が開けるからです。バッハは、戻ればこの18:12「そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り…」という主の捕縛の聖書朗唱の直後、ここでバッハは、受難曲最初の「アリア」を印象深く用います。「私が犯した罪の縄目から、私を解放しようとして、私の救いの君は縄目につかれた」と。ここで2本のオーボエが交差しながら伴奏しますが、磯山雅先生は、その音楽は「私たちの身にからみつく罪」を表現しているのだと分析します。私たちはからみつく罪に縛られている、しかしそこで、主が「縛られる」(18:12)ことによって、私たちはその罪の縄目から解き放たれるのだ、と福音の大いなる逆説がアルトで朗々と歌い上げられるのです。
〈そうやって、大祭司カイアファが、18:14,イエス一人に死んでもらって、我々は生きようではないかと言った、邪な権力者の言葉が、神に用いられた時、それは福音の言葉に変わりました。主が十字架の死の縄目に捕らえられる時、全人類を縛ってきた原罪の縄目が解き放たれる、その救済を、大祭司は、自ら何も知らないまま、預言したのであると福音書は言うのです。〉
だから、ペトロは主の十字架の赦しの中で立ち直ることが出来た。後の教会が土台とする「岩」(ペトロ)という名にふさわしい働きをするようになった、もうひそかにではない。公然と全世界に向かって福音伝道をする使徒となった。関田少年も悔い改めて牧師となった。その牧師としての活動の大半を、在日コリアンの差別解消に費やした。少数者が排除されない世界を目指して生涯を捧げられました。私たちの裏切りの罪、否認の罪、その罪が赦されたとの歓喜の場で、もう次は多数とではない、主イエスと一緒に立つ、そして「I am」と、私はイエスの弟子であると、そのイエスこそ「I am」、「わたしはある、わたしはあるという者だ」(出エジプト3:14)、その御名を持つ神である、そう公然と語る弟子として立つ。その立ち位置こそが、真に聖霊の炎を受ける場、どんな外の世の冷気にも、内なる原罪の誘惑にも、陰府にも負けない、永遠の熱を帯びる教会をそこに建てることが出来る。私たちもこの主の教会建築に参加している弟子です。
イザヤ50:4「主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。」何と名誉なことでしょう!
祈りましょう。 主なる父なる神様、私たちにからみつく不信仰と罪の縄目を、どうか御子イエスの縄目の免じて解き放って下さい。そこで自由にされて、公然と証しする私たちとなりますように。聖霊によってその勇気を与えて下さい。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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