2020年6月28日 主日朝礼拝説教「天の法廷での勝訴」

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ヨハネ福音書16:1~15(新200頁)

説教者 山本裕司 牧師

「これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。」(ヨハネ福音書16:1)

 「ヨハネ福音書」の起源は、長く濃い霧に包まれてきました。しかし聖書学者(J.L.Martyn)の学説が発表され、それを多くの研究者たちが認めるに至りました。それによると、主の年70年の対ローマ戦争による徹底的な破壊によって、都エルサレムを追われたユダヤ人たちは、地中海沿岸の小村ヤムニアに逃れました。彼らはそこを新たな民族的拠点とし、ユダヤ最高法院(サンヘドリン)と会堂(シナゴーグ)を据えました。やがて彼らは自らの正統性を確立するために、キリスト教の異端宣告をします。そしてイエスを神と告白するユダヤ人を、会堂から追放することに決定しました。その時、会堂礼拝の「十八の祈願」の中の十二番目に呪いの言葉を付け加えたのです。「ナザレ人たちは瞬時に滅ぼされるように。そして、彼らは命の書から抹殺されるように。」これを会衆が唱える時、沈黙する者、口籠もる者を摘発した。そうやって追放されたキリスト者は、会堂に代わる共同体を組織しました。それがヨハネ福音書を生み出したヨハネ教会であったと言われるのです。

 当時、ローマ帝国は離散のユダヤ人に自治権やユダヤ教を信じる自由を与えていました。この帝国公認会堂からの追放とは、ユダヤ人にとって死活問題でした。「世があなたがたを憎む」(15:18)、「迫害」(15:20)とあるように、会堂からは憎悪の的になり、ユダヤ人特権や法的保護も奪われます。それはアブラハムのように「行き先も知らずに」(ヘブル11:8)前人未踏の旅に出ることを意味しました。そのヨハネ教会員にとって、半世紀前の受難週に主イエスが弟子たちに語られた御言葉は、まさに自分たちへの預言、そのものでありました。

 「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。」(ヨハネ16:2)

 これは二千年前の初代教会だけに起こった試練ではありません。今「オリーブの会」が読んでいるのは、2007年に私たちが出版したソウルチェイル教会との姉妹関係30周年記念『カナンをめざして共に』です。また八年前には、山田貞夫さんが翻訳した朴炯圭(パク・ヒョンギュ)牧師回顧録『路上の信仰』が出版されました。私は西片町教会に来て御教会の歴史を学んだ時、まさに「現在のヨハネ教会がここに存在した」という感慨を覚えずにはおれませんでした。

 今年、私たちは姉妹関係締結45年を迎えましたが、この長い間の姉妹関係をずっと支えてきた「きょうだい」たちには忘れ難く刻まれている記憶を、改めて紹介したいと思います。それは次代を担う人々、特に今大変嬉しいことですが、日韓教会青年会の交流が再開していますが、その若者たちに、是非ソウルチェイル教会の戦いの歴史を知って欲しいと思うからです。

 朴炯圭牧師はソウルチェイル教会からの招聘を1972年に受けました。それは朴正熙(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドゥファン)両大統領による軍部独裁政権の時代と重なったのです。そのために当時、韓国民主化闘争に献身した朴牧師もソウルチェイル教会も、激しい逆風の中を進む他はありませんでした。1980年、光州(クァンジュ)虐殺事件が起こり、国民からの支持を失った全斗煥政権は、それを埋めるために、名のある知識人、宗教人を利用するために接触を試みてきました。彼らの計略にかかり、再び帰ってくることの出来ない河を渡ってしまった者も多かったのです。ソウルチェイル教会が属する「韓国キリスト教長老会」(PROK)所属の有力牧師の二人が、全斗煥政権の国政諮問委員と国家保衛立法会議委員に就任するという大きな躓きを教団は経験することとなりました。これまで民主化闘争に邁進してきた教団が分裂の危機を迎えたのです。この時PROKは、朴炯圭牧師を総会長に選出しこの躓きに耐えようとしました。
 
 二千年前の会堂のナザレ人、つまり主イエスを信じる者たちの間でも、同様の分裂が生じたに違いありません。主イエスへの信仰を表明して「解放への巡礼」に旅立ったヨハネ教会と、その信仰を隠し「神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好」(12:43)んだ者たちがいたのです。その代表こそ、イエス様を「夜」つまり隠れて訪ねた最高法院(サンヘドリン)議員のニコデモです(3:1)。あるいは同じくサンヘドリン議員ヨセフがいますが、彼はこう紹介されました。「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフ」(19:38)と。十字架後、このヨセフとニコデモは協力してイエス様の御遺体を埋葬しました。その点でこの二人の議員がその限界の中で主に献げた愛を評価する人が多い中で、ある注解者(橋本滋男)の辛辣な批判が目立ちました。「生ける主」には従うことが出来ず「死せる」イエスに仕えるところに、彼らの「死せる信仰」が表れているのだと。そしてその学者は「生ける主」の御言葉を引用するのです。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」(ルカ14:26)。

 韓国現代史に戻れば、1983年夏、WCC総会の主題講演の任を終えて帰国した朴炯圭牧師は、いきなり長老から暴行を受けた。以前から三人の長老と1/3近くの教会員が朴牧師に辞任を迫っていたのです。一年後1984年朴先生を懐柔出来ないと判断した政権は、教会員の中の保守派を選んで、教会分裂を起こすように仕向けました。見知らぬ男たちが教会に現れ本格的な礼拝妨害が始まり、暴力が日常的に振るわれるようになった。同年九月には礼拝妨害者たちが牧師室に押し入り、牧師に辞表を出せと、そうでなければ殺すと迫る。先生が断ると暴力を振るい、鄭光瑞(チョン・グァンソ)伝道師らが牧師を体を張って守りました。また後にソウルチェイル教会牧師となった丘昌完(ク・チャンワン)執事など、若い教会員たちが暴漢を追い出し牧師室にバリケードを築いた。結果、牧師室に女性二名を含む十四名が監禁状態となり、ライフラインが切断され消火器二本が吹き込まれます。警察は何もしない。このような状態が六十時間続いた。また次の主日礼拝後、再び暴力派が朴牧師を殴打し守る青年たちも負傷した。最も怪我がひどかったのは、当時の鄭光瑞伝道師の弟でしたが、逆に最も過激な妨害派こそ、この鄭兄弟の兄と長老の父であったのです。
 
 怖いくらい預言の通りになりました。「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。…父は子と、子は父と、…対立して分かれる」(ルカ12:51、53)。

 それはまさに「あなたがたの心は悲しみで満たされている」(ヨハネ16:6b)、そういう経験をソウルチェイル教会はしてきたのです。教会は、命の危険がある礼拝堂を去り、中部警察署前で路上礼拝を始めました。そのような中で、朴牧師は1985年の新年礼拝で説教された。

 「キリストの体なる教会は決してこの世の暴力によって破壊されることはない。暴力は人の肉体を殺すことは出来ても、魂を殺すことは出来ない。イエスの十字架は暴力の醜悪さと無力さの象徴である。…我々は決して孤独ではない。我々よりもはるかに多くの苦難に勝利した歴代の証人が天から激励してくれており、地上の多くの兄弟、教会が、特に西片町教会の兄弟姉妹が覚えて祈ってくれている。我々は暴力の前に屈服せず、敗北もしない。キリストは勝利者であるからである。十字架によって勝利されたイエスを見つめ行進を続ける限り勝利は我々にある。」
 
 二千年前の非合法組織ヨハネ教会の牧師、長老たちも何度も逮捕され、サンヘドリンによって裁かれ殉教した者も多かったと思います。しかしその時、彼らを慰めたお方こそ、御子が天にお帰りになることと引き換えに、地上に来て下さった、「弁護者」(15:26、16:7)聖霊様でした。御子は約束された。「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。/罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、/…裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである」(16:8~11)。たとえ今、この世のユダヤ最高法院サンヘドリン裁判では、教会は敗訴しても、天の法廷から派遣された弁護者・聖霊によって、教会の勝訴が確定している。ソウルではその天の法廷の裁きが、地上にまで波及し、民主化が実現したと言って良い。朴炯圭牧師の新年説教の通り。「十字架によって勝利されたイエスを見つめ行進を続ける限り、勝利は我々にある。」

 今、私たちが模範とすべき二つの教会、ヨハネ教会とソウルチェイル教会の勝利を学びました。しかし私たちは、この誇るべき証しを知れば知るほど劣等感を覚えるかもしれません。自分の信仰は、むしろ躓きに満ちていると思わないわけにはいかない。その思いの中で、先ほどの夜の人ニコデモとアリマタヤのヨセフの物語を聞いた時、何かこの二人の方に親近感を覚えるほどです。少なくても彼らを強く批判した学者のように切り捨てることは出来ないのではないでしょうか。ルカ福音書の受難週の記事には、ヨセフが「善良な正しい人で、/同僚の決議や行動には同意しなかった」(23:50b~51a)と書かれています。もし議員ヨセフがこの良心に従って「イエスは無罪」と表明したならば、裁判結果は議員総数七一人中、七十対一であったと記録が残ったはずです。しかしそのような記事はありません。つまりヨセフもニコデモも沈黙したのです。しかし私たちは彼ら議員の気持ちに身に覚えがあるのではないでしょうか。現在の教会会議の中でさえ、私たちは、少数派として反対を表明することに躊躇します。それは多数から排斥される道だからです。名誉や地位を失います。友達も失われます。それが悲しくて日和る。そうやって神に対する「真」に躓く。ヨハネ教会の中にも、会堂礼拝における十八祈願の十二番目が来た時、見張りの視線を恐れて、心ならずも「ナザレ人たちは瞬時に滅ぼされるように」と脂汗を流しながら唱えた者もいたかもしれない。そうやって信仰一筋の「行進」に躓いた。日本のキリシタン弾圧では「踏み絵」を踏んだ者を「転び」と呼びました。軟弱な私たちは、自分がこの真理の道に躓かないで転ばないで、一生「行進」を続けられるようにと、切実に祈らざるを得ません。

 その祈りに応えて、主は私たちの弱さを憐れんで下さり、予め御言葉を与えて下さいました。「これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである」(ヨハネ16:1)と。「これらのこと」とは、この御言葉の前後に記される「聖霊派遣」(15:26、16:7)の約束だと思います。聖霊が弁護者として来て下さる。そして世の誤りを明らかにして下さり(16:8)、世の支配者を断罪して下さる(16:11)。それだけでない、何よりもこの真理の霊は「あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。…また、これから起こることをあなたがたに告げるからである」(16:13)。「これから起こること」とは、主イエスが十字架によって、罪と死と悪魔に勝利して下さることです。その真理を、その時は「理解できな」(16:12)くても、「その時が来たとき」(16:4)聖霊は私たちに「真理をことごとく悟らせ」(16:13)て下さる。その時、この聖霊様のおかげで、私たちでも躓かなくなる、転ばなくなる、そう約束して下さったのです。
 
 教会青年の一人にSY君がいます。彼は東京大学特任研究員として、著しい体調不良に耐えてロボット研究に献身してきました。その努力を主は祝福し、最近その成果が国際的学術誌「PNAS」に掲載されました。何と嬉しいことでしょうか。その研究とは、私にはよく分かりませんが、端的に言って「何故人間や動物は歩く時躓きにくいか」という研究らしいのです。これまでのロボットはどんなに精巧に作っても、何故か動作がぎこちなく転びやすい。それに対して生物は、滑りやすい道や外からの圧力に、咄嗟に適応して躓きを避けることが出来ます。どうしてか。Y君の研究によると、私たちの脳内神経細胞「ニューロン」は、スパイク状(尖った)電流を作る事によって情報処理を行っています。しかしこれまで何故ニューロンが火花のようなスパイクを生成するのか、そのメリットが不明でした。Y特任研究員は、二脚ロボットでのシミュレーション実験を行い、スパイクによって筋肉の運動制御を行った方が、様々な環境に適応する優れた運動能力を得られることを発見したのです。このシステムを人工知能に付与すれば、何かあっても臨機応変に振る舞える、生物の滑らかな動きに近いロボットを作ることが出来るとY研究員は話すのです。そうであれば今後、運動機能を持ったあらゆるロボットの人工知能に、このシステムが応用されるに違いありません。

 この大発見を教えられた時、私が思い出した御言葉こそ、今朝のヨハネ福音書16:1です。「これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。」私たちが躓かないとしたら、肉体的には創造主が「スパイキングニューロン」を備えて下さっていたからです。私たちが霊的に躓かないのは、同じく神様のお働きなのです。炎、火花のような聖霊が、私たちの魂の内でいつもスパイクして下さっているのです。そして、私たちに咄嗟の試練や困難が襲ってきても、躓かないように、転ばないように、密かに働き続けて下さっているのです。私たちがどんなに信仰の筋肉が脆弱であったとしても。その聖霊のスパイクする力によって、私たち西片町教会もまた21世紀のヨハネ教会になる、そう信じる。

 祈りましょう。 主なる神様、直ぐ人を恐れ迷う私たちに、あなたは御霊を送って下さり、躓かないで一途に進むことを可能として下さった、その恵みに感謝します。そこに勝利が約束されることを、ヨハネ教会とソウルチェイル教会の歴史から学んだ私たちは、その先達の背を見詰めつつ、神の国を目指す「行進」を続けることが出来ますように。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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