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2020年5月24日 主日朝礼拝説教「私たちはみなしごでない」

2020年5月24日 主日朝礼拝説教「私たちはみなしごでない」

https://www.youtube.com/watch?v=AYUQWo8j6aQ&feature=1s

ヨハネ福音書14:15~24(新197頁)

説教者 牧師 山本裕司

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。/この方は、真理の霊である。」(ヨハネ福音書14:16~17a)

 今朝も主イエスと弟子たちとの最後の晩餐の記事を朗読しました。主イエスはこの直後、十字架につけられて死なれるのです。主は父なる神のもとにお帰りになると告げておられるのです。その告別の中で主は言われました。ヨハネ福音書14:15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。」「主の掟」とは愛の掟です。14:21a「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。」神を愛し、互いに愛し合う(13:34b)ことが「新しい掟」です。

 この主の言葉を福音書に引用したのは、主が昇天されてから半世紀後を生きるヨハネ教会です。その時代、教会は会堂のユダヤ人とローマ帝国から迫害され、存亡の機にありました。そこで掟を守るとは、具体的には試練の嵐の中の教会を愛することと一つだったのです。ところが主が命じられた「新しい掟」(13:34)は、二つの不名誉な指摘に囲い込まれています。それは、13:21以下に記されるユダの裏切りと、13:36以下のペトロの否認の預言です。これは群れ(教会)を代表する二人が、いざとなった時、主イエスと同信の友を本当には愛していなかったことが暴露された事件でした。

 その半世紀後にこの痛恨事を書いているヨハネ教会も、同様の経験をしたと推測されるのです。いえヨハネ教会だけではありません。いつの世の教会もまた、裏切りと否認の物語を綴ってきたのではないでしょうか。誰でも教会が楽しい時はいそいそと通うでしょう。けれども試みが来きた時は、もう教会を愛さなくなるのです。むしろ教会の悪口を言うようになる。あそこには愛がないなどと言って回るかもしれません。しかし主が言われた新しい掟とは「互いに愛し合う」ことです。教会に愛がないと言うなら、愛が家庭にないと言うならば、先ず自分が愛をそこに置いて回るのです。ところが私たちはしばしば逆に、そこに復讐の種、憎しみの種を蒔いて歩くのです。そのせっせと蒔いた種がやがて芽を出して育ち、そして教会や家庭をそのつるで締め上げる時がやって来きます。しかしそれは実は自分で自分の首を絞めていただけなのです。そうやって私たちは結局、一人になる、孤独になる、家を失う、愛のみなしごになってしまうのです。

 シナイ山でモーセに与えられた掟「十戒」は与えられた瞬間に破られていました。モーセはその時怒って、十戒の石版を投げつけて砕いてしまいました(出エジプト32:18)。それではこの「新しい掟」も、二つの裏切りの物語に挟まれた時、主イエスも打ち砕いてしまわれたのでしょうか。そうではありませんでした。いえやはり打ち砕いたと言ってもよい。しかしそれは弟子たちを打ち砕いたのではありません。主イエスは弟子たちを守るために、御自身を打ち砕いてしまわれたと言ってよいのです。

 愛がないというなら、自分が愛を置いて歩きなさい、それを本当に実行して下さったのは主イエス・キリストのみです。人間の裏切りの罪がコロナのように、放射能のように覆う、不毛の「世」(14:22)、その大地に主は愛の苗木を植えつつ旅されました。そこに私たちが生きるに値する世界が生まれたのです。

 今、コロナ問題の中で、宮崎駿さんの作品「風の谷のナウシカ」が読み直されているそうです。その物語は「火の七日間」と呼ばれる最終戦争によって文明は破局を迎えたと描きました。そして「瘴気」(しょうき)と呼ばれる有毒ガスが充満する「腐海」(ふかい)という樹海の傍らで、わずかに残った人間は細々と生きていました。その毒を吸い込むと5分で肺が腐ってしまうのです。だから人はいつも頭から大きな防毒マスクを被って生活していました。それは今、私たちの日常となったマスク姿を預言しているかのようです。我が内なるコロナ、その名の通り、まさに人間は自ら「王冠」を被ろうとしたために、皮肉にも「マスク」を被らずには出歩くことも出来ない世界を、作り出してしまったのです。
 時は38世紀、16歳になる風の谷の少女ナウシカは、地下室で猛毒ガスの瘴気を排出する腐海植物の研究に没頭していました。腐海は自然を汚した人間たちへの神の罰と理解されていましたが、やがて彼女が知ります。これら森の菌類たちは人類が汚染した土壌から、その有害物質を浄化する働きをしているのだと。そして巨大で異形の蟲たちは、全生命の未来の希望であるその森を守る番人でした。ところが全土を覆う腐海の森の境にある、ナウシカの小さな村だけはマスクはいりません。緑の林がひろがっています。きよらかな川が流れています。それは海からの強い風がいつも吹いていて、毒を吹き飛ばしているからです。だからそこは「風の谷」と呼ばれました。そう物語を聞いた瞬間、私たちは次週迎える聖霊降臨日、ペンテコステの「風」を連想するのではないでしょうか。

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、/突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」(使徒言行録2:1~2)

 今朝与えられたヨハネ福音書の御言葉の中で、主イエスは聖霊を与える約束をして下さいました。主は十字架につかれて死に、復活されますが、直ぐ父のもとお帰りになるのです。その告別の言葉は、弟子たちに恐れと孤独を感じさるのに十分でした。掟を破ることしか出来なかった自分たちは、その報いとして不毛の大地に捨てられる、みなしごにされると。しかしそこで主は言われたのです。14:16「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」弁護者とは聖霊様のことです。14:17b~18「この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。/わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」主イエスは確かに天に帰られますが、次は霊として戻ってきて下さる、そして永遠に一緒にいてくださると励まして下さるのです。

 このヨハネ福音書14:18は、2011年3月11日(金)の東日本大震災と原発事故が拡大していく中で読んだ、日々の聖句「ローズンゲン」(2011年3月12日)が、イザヤ66:13「母がその子を慰めるように/わたしはあなたたちを慰める」と共に預言のように選んでいた箇所です。それは多くの人々に忘れ難い印象を残しました。その時、4基の破壊された原発から、まさにナウシカが見た「瘴気」のような白煙が吹き出している情景はこの世の終わりを連想させるのに十分でした。私たちはその高慢の故に見捨てられた、家を失った、そう私を含めて多くの日本に住む者たちは確信しました。しかしそのレントの期節に巡ってきた「ローズンゲン」の聖句は、そうではないと「みなしごにはしない」という主の憐れみの言葉だったのです。
 しかしそう弟子たちに言われた後、主は十字架で死なれました。弟子たちは、自分たちが主を十字架につけたのだ、愛の掟を破ったのだ、だからそのコロナ的原罪の報いとして、神から見捨てられ孤児とされたのだ、そう確信し絶望しました。

 ところが、そうでないと福音書は言うのです。主の十字架とは、私たちが受けるべき罪の裁きを過ぎ越させるための神の小羊の犠牲であったと。十字架とは私たちがどんなに罪を犯しても、私たちは見捨てられない、みなしごにならない、そのための神の愛の御業だったのです。

 36世紀の腐海でも似たことが起きたと宮崎さんの物語は語ります。世界終末戦争の結果、放射能が想定されているのでしょう、土壌にまき散らされた有毒物質を、胞子植物は吸収し、自らを石化させ無害化するのです。実際にチェルノブイリでも福島でもこれに似た農業再生のアイデアがあります。放射能に汚染された農地に菜の花や向日葵を植えて放射能を吸い取らせて、一度死んだ土壌を甦らせようとする試みです。物語の腐海は、一見救いようもなく醜い胞子植物で覆われた悲惨な森です。しかしナウシカはその植物は、自らを犠牲にして汚れた大地を浄化しているということを発見しました。

「…主であるわたしがこの破壊された所を建て直し、荒れ果てていたところに植物を植えたことを知るようになる。」(エゼキエル36:36「ローズンゲン」2011年3月13日聖句)

 しかもこの再生のあり方は植物だけでもなかったと言うのです。16歳のナウシカは11人目の末娘として生まれました。しかし兄姉は誰もいません。みな子どもの時死んだのです。何故なら母親が毒に犯されていたからです。しかしその母親から11番目に産まれたナウシカだけは健康に育ちました。どうしてでしょうか。それは兄姉たちが母親の毒物を胎盤から吸収したからです。兄姉たちはそうやって母の子宮を浄化して、妹に命を託して死んでいったのです。私たちはこの物語を聞いた時、水俣のことを思い出すのではないでしょうか。胎児性水俣病患者と呼ばれる、障害をもった子どもを産んだある母親は、御自分に水俣病の症状が出ないことに気付いた時言いました。「自分が生きているのは、子どもが体内から毒を全部吸い取ってくれたお陰です」と。これらは主イエスの十字架の意味を、この上ない形で指し示しているのではないでしょうか。

「この人は…見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。/彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。…彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。」(イザヤ53:2~4)
 
 主イエスは、この告別の辞が、16:7(新200頁)に至った時こう言われました。「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。」十字架につくことは弟子たちにとって良いことなのだと。結局、神も隣人もそして教会も愛さない私たちのコロナ的毒を、主はみな吸い取って下さり、十字架で死なれたのです。弟子たちと死別することをもって、弟子たちを孤児にするどころか、話は全く逆です。十字架の犠牲の御業を成し遂げられた後、14:18b~19「あなたがたのところに戻って来る。…あなたがたはわたしを見る」、これは復活のこととも考えられますが、ここではそれ以上に、聖霊によって、主イエスを信仰の眼差しを以て見るということを意味しているのです。

 その聖霊様は、14:16「弁護者」でもあられます。この弁護者という言葉は、元のギリシア語では「呼ばれて傍らにいる者」という意味だそうです。迷子は父母を呼び求めるでしょう。私たちも同じです。その時、傍らに来て下さるお方、それが聖霊様だと言われるのです。ヨハネ教会は非合法の群れでした。それはまさに法的保護者なき状態でした。そのような中で会員は裁判に引き出されます。検事が罪状を読み上げる。その時自分は、ユダのように密告したり、ペトロのように否認したりと、愛の掟を破るのではないかと、彼らは恐れたと思います。しかし聖霊が来て下さる時、あなたたちも変わると主イエスは言われるのです。14:23「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」と。どうしてそんなことが出来るかと言うと、傍らに弁護者がいてくれるからです。「この者は無罪です」と弁護してくれる、それに支えられた時、教会に対する裏切りの罪を、もしかしたら犯さないで済むかもしれない。私たちが愛において崩れようとする時、しかしその罪を十字架で負って下さった主の霊が、しっかり傍らで支えて下さるからに違いない。そのような聖霊様がペンテコステの日から、永遠に私たちと共にいて下さると、もうみなしごではないと、それどころではない、14:23b「父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」、霊においてです。私たちは三位一体の神と一緒に住む、そう主は約束して下さいました。何と嬉しいことでしょう。

 ナウシカが最初の戦いのために、ついに風の谷を旅立つ朝が来ました。その時別れを悲しむ少女たちが祈ります。「いつも、いい風がお姉さまのほうに吹くように」、そしてナウシカはグライダー「メーヴェ」にまたがると風にのって、地球を救うための果てしない戦いの旅に出て行きました。
 ペンテコステの後、この弱かった弟子たちも、全世界に出て行って主の言葉を伝えました。教会を建てました。ペトロもそうです。その時彼はもう恐れなかった。彼は主への愛、教会への愛、その新しい掟を死ぬまで守り抜きました。最後に主と同じでは畏れ多いと言って、逆さの十字架刑を望んで殉教したと伝えられます。そうやって、彼もコロナ的罪に汚染された大地に植えられ、その土壌の罪を浄化する一本の苗木となったのです。それは決してペトロの力、お弟子たちの力ではありません。いつも傍らに弁護者がいたからです。いつも聖霊の風か吹いていたからです。風が彼らの背を押したのです。風が心の黒雲を吹き払ったのです。次週のペンテコステ、神様の風が私たちに向かって吹いてくる、そのことを心からお祝いをしましょう。

 祈りましょう。 主なる父なる神様、御子が去られる、その別離こそが、あなたが聖霊を通して、永遠に私たちと共にいて下さる恵みであると知らされた、この聖霊降臨日前の礼拝を心より感謝します。しかしそのために御子は十字架につかれました。どうかその罪の赦しの十字架の上から吹いてくる聖霊様の風によって、私たちの内なるコロナを吹き飛ばしてください。そして私たちの淀んだ心に、新鮮なあなたの風を送り込んで下さり、掟を守る者に変えて下さい。これを聞いた愛する兄姉姉妹たちのほうに、あなたのいい風が吹きますように。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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