2020年4月12日 復活日朝礼拝説教「命へ向かって走れ」

https://www.youtube.com/watch?v=0cGCPbaMYyM&t=1s
イザヤ書40:28~31 ヨハネ福音書20:1~10 説教 山本裕司 牧師

「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ書40:31)

「二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。」(ヨハネ福音書20:4)

 最近、私たちは政府や都から、週末になる度に、「不要不急の外出自粛を強く願う」と要請されてきました。これは私たちにとって、違和感なしに聞くことは出来ない言葉です。彼らの言う「週末」とは土、日です。しかし私たちにとって日曜日は、週末ではありません。今朝のイースターのために、私たちに与えられた、ヨハネ福音書20:1にはこう書かれてあるからです。「週の初めの日」と。爾来、日曜日は、大イースターである今朝だけでなく、常に主の復活記念日であり、週の初めの日です。ましてその日曜日に、復活の主を礼拝することを「不要不急」と言うことは出来ません。不要不急の意味は「重要でなく、急ぎでもないこと」です。私たちの人生にとって、復活の主を礼拝することほど重要なことはなく、急ぐべきことはありません。しかし私たちは今、外出を制限され、家庭でそれぞれイースター礼拝を献げることとなりました。しかし、これもまた国や都の「要請」にただ従ったのではありません。

 既に皆様に送ったメッセージにも記しましたが、 教会は決して、国の言うがままに従う群れではありません。教会の主権は神にあるからです。国にはありません。その信仰から、かつて鈴木正久牧師は、教団が国家の「要請」に従って戦争に加担した罪責を告白しました。そのような過ちを私たちはここで繰り返すことがないように、主に祈らねばなりません。しかし私たちには手持ちの知識は少なく、行政や専門家からの情報を集めて判断する他はありません。その中であっても、西片町教会は出来る限り、自らの主体性をもって、ウイルスへの対応を考えようとしてきました。生命は神のものですから、自分と隣人の生命と健康を守るために、感染リスクを減らすことが、今、主から求められていると思います。しかし同時に、私たちは「父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」(ヨハネ福音書4:23)との御子の「要請」に服従し、YouTubeなどを利用して、家庭礼拝を守っていきたいと願います。

 もう一度言います。不要不急の礼拝など存在しません。それは「週の初めの日」に、エルサレムで見られたことこそ、急ぐ人、走る人であったことからも分かります。ヨハネ福音書20:1~5の短い間に、「走る」という言葉が3度も出て来るのです。
 そう言われれば、私たちはこれまで毎年、イースターページェントにおいて、会堂中を走り回る子どもたちを見てきました。それが終わると卵探しです。卵のシールをパパたちが、会堂中に隠します。その後、子どもたちが卵シールを探すために、我先に大ホールから礼拝堂に向かって疾走してくる、まさに、イースターは不急どころか、急ぐ祭りなのです。

 2000年前の春の朝、最初に走り始めたのは、マグダラのマリアです。彼女は未だ暗い内に、イエス様の墓へ行きました。するとその墓の石が取りのけられています。お身体が誰かに盗まれた、そう直感した彼女はきびすを返すと走り始めます。先ずシモン・ペトロのいる家に、20:2a「走って行った」、それからまた、イエスが愛しておられたもう一人の弟子の所に走った。そしてそれぞれ、20:2b「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」、そう息せき切って報告したのです。
 それを聞いて、ペトロは家から飛び出して走り始めた。もう一人の弟子も走り始めた。この二人は途中、20:4a「一緒に走った」とあります。この一瞬を捕らえた作品がパリのオルセー美術館に展示されています。ビュルナンの作品「復活の朝、墓へ急ぐペトロとヨハネ」(https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=RMN99015569)です。私もオルセーでこの巨大な作品を鑑賞しましたが、高久眞一さんも「キリスト教名画の楽しみ方」でこう紹介しています。「師の遺骸が盗まれたのかもしれないという不安、ひょっとしたら、師が日頃、言葉の端端に匂わせていた何やら凄いことが実際に起きたのかもしれないという興奮で、とにかく、じっとしていられなくて走り出したのだ。走ることによってしか、体の震えに耐えることが出来ない。…空には朝焼けの名残が見える。」

 先ほど私は「一緒に走った一瞬」と言いましたが、それは、20:4で、物語が直ぐこうなるからです。「二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。」もう一人の弟子というのが、ヨハネ福音書の伝承を担った弟子ヨハネと思われます。そのビュルナンの作品でも、ヨハネは若者として描かれていて、ペトロより足が速かったのでしょう。先に墓に着きます。そして私たちはこれを読んだ時、ペトロとヨハネが競争していると感じるのではないでしょうか。英語聖書でも、「レース」とここが訳されていました。そしてこの競争に、後の時代の教会、例えば、ペトロ教会とヨハネ教会の覇権争いが暗示されているのではないだろうか、そう推測する人もあったほどです。マリアが、20:2b「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」と弟子たちに報告しています。そうであれば、あの卵探しのように、どの教会、どの教派が真っ先に、隠れている復活のイエス様を発見出来るのか、言い換えれば、信仰の真理を一番先に見つけた教会はどこか、その教会のレースがここに始まっている、そう思った人もいるかもしれません。

 しかしもう少し丁寧にこのランニングを見ると、果たして誰が一番だったかということが本当に語られているのか、ということです。墓石が取りのけてあるのを見たマリアは、先ずペトロの家へ行きました。ですからこの重要な報告を聞いたのはペトロの方が先なのは確かです。後から知らされたのが、「もう一人の弟子」で、彼は後発ですが、ペトロに追いつきます。ビュルナンが描いたように、暫くは一緒に走った。しかし「もう一人の弟子」の方が先に着く。これは確かに、ペトロに対するヨハネの優位と解することも出来るかもしれませんが、よく見ますと、彼は先に着いたのに、5節、お墓に直ぐ入りません。ヨハネは、身をかがめてのぞいて、イエス様の遺体をくるんでいた亜麻布を見ました。そこへペトロが遅れて到着し、躊躇なく、墓にはペトロが先に入るのです。ペトロも、亜麻布や主の頭を包んでいた覆いを見ました。その複数の布の様子に、遺体が奪われた痕跡はなかった、それが見られます。そこへ「もう一人の弟子」も入ってきます。同じことを見ました。彼の方は、それを見ただけではなく、20:8「見て、信じた」とあります。「信じた」のはこちらが先、ということでしょうか。確かに、このヨハネ福音書では、20:2「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」とあるように、この愛弟子ヨハネは、弟子集団の中で、特別な存在であることは確かです。では、その愛弟子に由来を持つ「ヨハネ福音書」は、ペトロを中心とする教会より、自分たち「ヨハネ教会」の方が、上だと言いたいのでしょうか。そんなわけがありません。確かに先週の受難週、棕梠の主日に「洗足」の記事で学んだように、12弟子の中で、この期に及んで、未だ誰が一番上なのかと競い合っている、そうルカが書いていると私は指摘しました。しかしそのような競争心に対して、主は弟子の足を洗って下さり、教会は一番高くなることを求めるのではいと、一番低い僕となって、隣人に仕えるのだと、御自ら模範となってくださったのです。

 それでも、先ほども指摘したように、ヨハネが「空の墓」の中で、20:8「見て、信じた」とある、これはやはり復活の主を見付ける競争に勝ったのは、ヨハネの方である、そう言いたいのかと思えるかもしれません。しかしこれに対して、土戸清先生が取り上げるのは、20:29(新210頁)の有名な話、弟子トマスの物語です。復活の主はトマスに言われました。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」主が私たちに求める信仰とは、見ないで信じることなのです。ですから、愛弟子ヨハネの復活信仰がペトロに勝った、などとここに書いてあるわけはありません。その証拠に、20:8「見て、信じた」、この言葉の直後、20:9「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」そう、この2人とも、つまりペトロだけでなく、ヨハネも不十分な信仰しか持っていなかった、そうはっきりこの「ヨハネ福音書」は指摘するのです。

 このようなことについて、土戸先生は、ヨハネ福音書は全体的に、弟子たちの信仰の成長に焦点を当てている、そういう意味のことを書いておられます。私たちは、信じるか信じないか、二つに一つだと思う時がありますが、必ずしもヨハネ福音書はそうではない。信仰が未だ全くない人間が、やがて今朝の2人の弟子のような、あるいはトマスのような、不十分ですけれども、ともかく信仰を持ち始める。やがて完全で正しい信仰に至る、そのキリスト者の成長が肯定的に描かれてあるのだと言われるのです。

 それは私たちにも覚えがある成長なのではないでしょうか。確かに青年時代、洗礼を受けた頃、情熱に沸き立って、ぼくは全部分かったと錯覚する時があるかもしれません。私が神学校に入学して最初の授業の時、熊沢義宣教授が新入生に自己紹介をさせました。その時ここに時々説教をしに来てくださる、今の神学教授N君が、「ぼくは聖書や教理を全部分かっていますが、それを確認するために入学しただけです」そう胸張った。40年以上も前の記憶ですので、間違っているかもしれませんが、その時の熊沢先生の苦笑いはよく覚えています。実は私もN君と同じような気持ちだったかもしれませんが、とんでもない話だと、2人とも神学校生活で、直ぐ分かるようになります。土戸先生は、弟子たちも最初は、イエスを優れた先生(ラビ)の一人として尊敬したり、メシアと言ってもユダヤ人の王と理解しただけだったりと、そのような部分的な信仰から、やがて、イエスは神の子であり、「わたしはある。わたしはあるという者だ。」(出エジプト3:14)、という、その昔、モーセが教えられた、創造主の御名の持ち主であるという、高度なキリスト信仰に導かれていく、その求道の歩みを、ヨハネ福音書は暖かい眼差しを注ぎながら書こうとしているのだと言われるのです。

 従ってヨハネ福音書は、ビュルナンの作品のように、教会は復活の命を目指して、競うのではい、一緒に走りなさいと、そう求めているのです。そのことを、福音書は、20:5b、ヨハネが、遅れたペトロを待っていたという物語で表現したのではないでしょうか。どうして競争ではないのでしょうか。それは私たちの足の速さによって、復活の主を発見することは誰にも出来ないからです。私たちは、子どもの頃から競争社会で生きています。しかし私たちは、復活祭で疾走する子どもたちに、教会生活は競争でないことを教える必要があるのではないでしょうか。何故なら、もう一度言います。私たちの足の速さによって、救われることはないからです。使徒パウロは、律法ではない信仰のみによって、と言いました。私たちの足がどんなに速くても、マリアの問い、20:2b「主が…どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」その答えに到達することはないのです。復活の主がどこにおられるのか、それは足が速いから得られる知恵ではないのです。神学大学で一番になっても、世界一の大教会を建てても、それで主がどこにおられるか、分かるということはない。奇跡を見るほどの霊的眼力があっても、「見ないで信じる人が幸いなのだ」と復活の主に言われるだけなのです。

 ではどうしたらいいのか。それは復活の主の方が私たちの前に現れてくださる他はなかったのです。20:19(新210頁)「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。」
 走るどころではない、今朝の私たちのように、教会堂に急ぐ事も出来ず、恐れの中で家に閉じこもっていた。しかしそこにイースターの主は来て下さるのです。そして、20:22「彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」」そうやって与えられる信仰以外に、私たちが復活の主の居場所、永遠の命のありか、それがどこかを知ることは出来ません。

 その意味とは、逆に言えば、私たちがどんなに足腰が弱くても、躓いて倒れ立ち上がれなくても、ウイルスに取り囲まれて身動きがとれなくても、復活の主は、主の方から、そのような私たちに向かって、凄い勢いで走って来てくださる、隠れていても探し出して下さる。私たちに行いはないのに、ただ恩寵のみによって救って下さる。その信仰の真理を「完全」に知った時、私たちは、喜びの余り立ち上がり、もう一度走り始めるに違いない。それは競争ではない。話は逆です。もう競争はいらないと告げるために走る。その福音を宣べ伝えるために、あのビュルナンの作品のように、皆が「一緒に命に向かって走る」、それが私たち教会の走り方です。

 祈りましょう。 お甦りの主なる父なる神様、私たちの命は競争には依らない、それを知ったイースターの喜びによって、今私たちはウイルスによって外出もままならないの試練のただ中にありますが、等しく新たな力を得ることが出来ますように。このイースターの望みによって、走っても弱ることなく、歩いても疲れることもない、その命の力を回復することが出来ますように、聖霊の息吹を、これを聞く全ての人に与えて下さい。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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