2020年3月15日 主日朝礼拝説教「死ねば、多くの実を結ぶ」

ヨハネ福音書12:20~26 山本裕司 牧師

 「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ福音書12:24)

 今朝、私たちは、この忘れ難き御言葉を聞くに至りました。イエス様は幼い頃から、麦の穂を手に取って、深い黙想の時を持たれてこられたのではないでしょうか。そして、一粒の麦が、自分の命を守るかのように倉の隅にぽつんと落ちている、しかしそれは何年過ぎても、一粒のままである。主イエスの永遠を見詰める眼差しでは、2000年後まで、その麦は一粒のままである、確かに生物学的には生きているかもしれないが、それで麦は果たして生きたことになるのか、そうお感じになったのではないでしょうか。主は続けられました。12:25「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」まさにその何としても生きようと、自らの命を惜しんで生きた一粒の麦は、逆説的に言って、命を失う、そう呼ばれたのです。しかし、地に落ち、低き闇の中に埋められた時、ああ、もう死ぬのだと思った時、そこから多くの実の結ぶ、そう主イエスは、この過越祭の春の一週、ご自身の受難の道を思いながら、語っておられるのです。

 今から70年前、千葉県検見川(けみがわ)で、古代人が使用した丸木舟などが発掘されました。その地は大昔の「船溜まり」と推測されました。やがて植物学者・大賀一郎(1883-1964)は、地下6㍍の泥炭層からハスの実3個を発掘します。それは弥生時代(2000年前)のもので、大賀先生はその内の1粒の発芽に成功しました。そこに美しい古代ハスの花が咲き「世界最古の花」として有名となりました。
 この大賀先生は、青年時代、岡山基督教会で受洗し、その後一高に進学すると直ぐ、内村鑑三の聖書講義に加わったキリスト者です。それは上京前に内村の『後世への最大遺物』を読み大変感銘を受けていたからです。『後世への最大遺物』とは、内村が1894(M27)年、キリスト教青年会夏期学校でなした、とても楽しい講演です。そこで内村は人が後世に残せる遺物として、第一に金を、第二に事業、第三に思想をあげています。しかしそれらに勝る「後世への最大遺物」を、内村は「勇ましい高尚なる生涯」と呼びました。彼はそこで、マウント・ホリヨーク・セミナリーという世界を感化する力を持った女学校を紹介します。その力は、メリー・ライオンという教師が「勇ましい高尚なる」生き方を、以下のように、女学生に教えたからだと言うのです。

 「他の人の行くことを嫌うところへ行け 他の人の嫌がる事をしろ」

 内村は言います。「これがマウント・ホリヨーク・セミナリーの土台石であります。このような生き方を残す、これが世界を感化した力ではないかと思います。金はなく、能力なく、学問なくとも、これは「志」、そのキリストへの服従、これさえあれば出来る。これこそ人が死後残す、後世への最大遺物であり『勇ましく高尚なる生涯』である。」これを読んだ大賀青年は、後に2000年前の種を発見する。その一粒の種と同時代の人イエス様がこう言われたのです。「死ねば、多くの実を結ぶ」(12:24)と。まさにこの主イエスこそ、後世への最大遺物であられ、他の人の行くことを嫌うゴルゴタに行かれ、他の人の嫌がる十字架につく事をされました。そうやって自分の命を憎まれたからこそ、後世に多くの実が結んだのです。主イエスの生き方、死に方が、女子教育者メリー・ライオンを生み、それに感化されて内村鑑三が、さらに内村の手引きによって、大賀一郎が結実する。世界中に「勇ましい高尚なる魂」が芽吹いた。古代ハスの一粒の種が2000年の眠りから覚めて、一度死んだ。その死によって多くの実を結び、日本だけでない、世界中に種は蒔かれ、今や、世界中に大輪の花を咲かせている。それは、内村の言った、「勇ましい高尚なる魂」そのシンボルのように思えます。

 今朝のヨハネ福音書には、過越祭に巡礼に来たギリシア人が登場します。彼らは主の弟子フィリポのもとに来て、イエスにお目にかかりたいと願います。そうすると、フィリポはもう一人の弟子アンデレに話して、2人はギリシア人の願いをイエス様に伝えた、そういう挿話(そうわ)が記されています。ここで、そのギリシア人の来訪をイエス様に伝えた弟子たちの名は、フィリポとアンデレですが、これはやはりギリシア名だそうです。そのようにどうして、ここでギリシア人、また、その異邦人世界の名を持つ弟子たちの名が一々登場するのかとういうことです。これに関しては、長いヨハネ福音書研究の歴史があるそうです。土戸清先生によると、その研究結果として、ギリシア人も含む異邦人世界全体が、主イエスと会うことを求めている。26節の主の御言葉で言えば、御子イエスの「いるところに」いたいと願って巡礼して来る、そのことが暗示されていると指摘されるのです。

 この福音書を書いたヨハネ教会を創立したのは、ユダヤ人キリスト者でした。彼らは元々ユダヤ会堂(シナゴーグ)に属していました。しかし会堂は、イエスへの信仰を異端と宣言したのです。それでも26節、主に仕え、主に従った、このユダヤ人たちは会堂を追われた。ユダヤ人が会堂を追放されることは、村八分となることであり、死をも意味していたのです。そのために、まさに、12:25「自分の命を愛して」、自分のイエスへの思いを曖昧にして、会堂に留まったユダヤ人たちも多かったのです。しかし、ヨハネ教会を建てたユダヤ人たちは、まさに、自分の命を憎む道を選んだ。女学校のメリー・ライオン先生の言い方で言えば、ユダヤ人同胞が最も嫌う所へ出て行くのです。どうしてか、それはまさに、一粒の麦として死なれたイエス、26節、その主に仕え、主に従う、つまり自分も主イエスに倣い、地に落ちて死ぬ一粒となる。26節、その時だけ、子なる神のいる所に、一緒にいることが出来る。父なる神に大切にして頂ける、その人生最大の祝福を得る。その主の約束の言葉を信じて信仰を貫いたのです。そうやってもう死んだと思った時、主イエスが「はっきり言っておく」と、つまり原文では「アーメン、アーメン」と言って約束された。「死ねば、多くの実を結ぶ」と。その多くの実りこそ、ギリシア人、つまり異邦人世界を代表するの巡礼者たちの登場として、この福音書は物語っているのだそうです。

 このヨハネ教会の時代、本当に思い掛けなかったと思います。ユダヤ人教会を命懸けで建てたところ、そこに、むしろ、多くのギリシア人など、異邦人が教会に来るようになった、そして一緒に主イエスを礼拝するようになった。この20節ですが、何人かのギリシア人も(過越の)「祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た」とあります。しかし、実は、福音書記者が本当に言いたいことは、これは、ユダヤの過越の祭りを超えて、実は、真の犠牲、真の過ぎ越し、神の小羊イエスを礼拝するための異邦人の巡礼のことが暗示されている、ということです。そうやって、教会が、異邦人世界に広がって行く、と言われているのです。24節「死ねば多くの実を結ぶ」、ヨハネ教会のユダヤ人は、ああやっぱり、イエス様の言うことは「アーメン、アーメン」だったのだ。本当だったのだ。自分たちが死ぬ気で会堂を出て、やっぱり良かった、それによって、信仰はユダヤ人の枠を超えた。あらゆる地に御言葉の種が落ちて、全世界に、あの古代ハスのように豊かに花を咲かせているではないか、そう歓喜したに違いありません。

  12:24「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
 
 この御言葉を聞く度に、私が思い出すのは、10年前の2010年9月に開催された、日韓合同修養会の時、事前に私が一つの課題を与えられたことです。それは、かつて朝鮮の民と連帯した日本人キリスト者を紹介せよとのことでした。それでいろいろと調べるのですが、「韓国キリスト教界の中で、日本人牧師の態度が、称讃され記録に残っているものは、皆無に等しい」(澤正彦『南北朝鮮キリスト教史論』)と行き成り指摘され、これは困難な課題であることが分かりました。また古屋安雄先生は書いています。「日本の主流的なプロテスタント教会は殉教者の出ない教会である。ホーリネス教会などに殉教した牧師たちが数人いたが、主流教会には一人もいない。牧師にも、信徒にもただの一人もいない。これが韓国の教会との違いである。」そうであれば、もしかしたら、日本の教会は主イエスの言われる「自分の命を愛する者」(12:25)であったのではないでしょうか。一方、韓国の教会は「この世で自分の命を憎む人」であったのです。これが典型的に現れたのが神社参拝問題でした。1938(S13)年6月末、日本基督教会大会議長であった富田満牧師が、神社参拝拒否の長老教会を説得するために、東洋のエルサレムと呼ばれた平壌(ピョンヤン)を訪れました。警官護衛のもと富田は「神社は宗教でなく、国民儀礼であって罪ではない」と講演した、それに憤激したのが朱基徹(チュ・キチョル)牧師でした。彼は「神社参拝は第一戒違反なのに、どうして罪にならないのか」と富田と論戦し、爾来、反対運動に生命を賭すことになります。反対を貫いた2000名が投獄され、200以上の教会が閉鎖され、朱(チュ)牧師以下50余名の牧師たちが殉教の死を遂げたのです。朱牧師は、電気ショックを受け、木刀で殴られ、生爪をはがされ、言うも憚(はばか)られますが、尿道にアルコールランプの芯を差し込まれました。拷問の様子は家族に見せつけられた。しかし牧師夫人呉貞模(オ・チョンモ)サモニムは、朱(チュ)牧師に「韓国教会の一粒の麦になって、この教会に多くの実を結ばせるようにして下さい」と励ましたのです。牧師は拷問中も「人間はすべて同じ、天皇も、神を信じず過ちを犯せば地獄に落ちる」と断言した。彼は、1944(S19)年4月21日、49歳の若さで、平壌刑務所で殉教します。拷問で爪はすべてはがされ、遺体は骨と皮だけになっていました。一方、富田は、1941(S16)年6月24日、日本基督教団初代統理者に就任し、直後、自ら進んで伊勢神宮を参拝し、敗戦後も自らの戦争責任を否定し、キリスト教界の要職を歴任したのです。

 現在、私たち日本基督教団は教勢低迷に呻吟しています。それに対して、韓国はキリスト教大国となりました。その理由を、歴史学者金田隆一先生はこう指摘しました。「朝鮮キリスト者の神社参拝に対する抵抗と殉教こそ、独立後韓国における教会隆盛の最大の要因である。そして教会は、70年代の韓国民主化闘争の担い手となったのである」と。教団が伝道停滞に悩むなら、この言葉こそ、大きな示唆を与えるのではないでしょうか。かくして、主イエスの御言葉がまさに真実「アーメン」であったことが、2000年後の東アジアで明らかになったのです。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」

 私はその10年前の合同修養会で、内村の言う「勇ましい高尚なる生涯」を、自らの限界の中で、何とか果たそうとした日本人キリスト者数名を見付けて紹介しました。その一人こそ内村鑑三自身です。彼は日本の朝鮮侵略に対して批判的であり、朝鮮を大変尊敬してこう言いました。「朝鮮は政治的自由と独立を失ったが、心霊的自由と独立を獲得しようとしている。神は、朝鮮に軍隊を賜らなかったが、聖霊を下された。昔ユダヤが政治的自由を失ったが、宗教によって西洋を教化したように、朝鮮は新たに福音に接して、東洋の中心となり、東洋を教化するように、自分は期待する。」これに対して「日本は、地上に多くの植民地を得たので、霊において多くのものを失った。そこに、士気の衰退、道徳の堕落、社会の崩壊が起こっただけではいか」(1907(M40)年)、そう酷評し、内村は今朝の御言葉に近似のマタイ福音書16:26を引用しています。たとえ日本の領土が膨脹して「全世界を手に入れても、自分の命〈霊魂〉を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」(1910(M43)年)と。

 「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」

 このご受難の主の御言葉が、アーメン、アーメンであったことが、ヨハネ教会や韓国教会の受難の歴史においても明らかになったことを覚え、神の栄光を褒め称えましょう。

祈りましょう。 主イエス・キリストの父なる神様、あなたの御子が、かけがえのないお命を捨てられたことによって、全世界に教会が建ち、多くの命が生まれたことを覚え、心から感謝します。私たちもまた、その御子に倣い、一粒の麦として、後世に命の花を咲かせる「勇ましい高尚なる生涯」を歩むことが出来ますように、死ぬことを恐れる私たちです。先輩牧師を、今の自由な時代を良いことに、批判する資格は私にはありません。どうか、聖霊の水を豊かに注いで下さり、その御力によって、私たちもまた、遺産は何もなくても、後世への最大遺物としての信仰、その一粒の種だけは残して、この世を去ることが出来ますように。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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