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2020年12月6日 主日礼拝「新しい歌を主に向かって歌え」

2020年12月6日 主日礼拝「新しい歌を主に向かって歌え」

https://www.youtube.com/watch?v=3KbmwbT5zig=1s

創世記4:17~26(旧6頁) マタイ福音書18:21~22(新35頁)

「その弟はユバルといい、竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった。」(創世記4:21)

説教者 山本裕司 牧師

 先ほど朗読しました旧約聖書・創世記4:24にこうありました。「カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」これを聞いておられて、併せて読みました新約聖書に似た数字が出ていたことに、お気づきになられたと思います。マタイ福音書18:22の主イエスの御言葉です。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」この両者の数字は、完全には一致していません。しかし注解者によると、このイエス様のお言葉は、「七の七十倍」ではなく、やはり創世記と共通に「七七倍」とも訳すことが可能だそうです。そしてこちらの訳し方の方が、元々のイエス様の言葉であったのではないかと言う人もいます。それは「七七倍」という数字を、主イエスは今朝の創世記4:24の中から、何度もお聞きになられ、熟知しておられたと思うからです。当時の会堂などでは、ユダヤを支配していたローマ帝国、あるいは蛮行を働くローマ人に対する復讐を誓う場面で、この創世記の言葉が繰り返し引用されたに違いありません。

 創世記4:23~24「さて、レメクは妻に言った。「アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。わたしは傷の報いに男を殺し/打ち傷の報いに若者を殺す。/カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」

 このことを思い出しながら、主イエスはここで、弟子ペトロの問いにお答えくださったと考えることが出来るのです。

 マタイ18:21~22「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」/イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」

 この旧約聖書の方の歌を歌ったのは、レメクという男ですが、彼の先祖はカインです。二週に亘ってここで学びましたように、カインは弟アベルを殺した人類最初の殺人者です。その血の流れの中で、六代目のレメクが生まれました。このレメクには二人の妻がいて、彼女たちが産んだ息子たちが、人類の文化文明の先祖となりました。創世記4:20、ヤバルは牧畜の始祖となる。4:21、ユバルは音楽家の先祖となり、4:22、トバル・カインは鍜治師の祖となる。これはそれぞれ食文化、芸術、工業技術の起こりと考えることも出来ます。これによって、私たちは高度な文明を手に入れることが出来ました。しかしその文明の先祖がカインの血統から生まれてきたと聖書は描きます。そこから私たちは聖書が、人間の進歩発展を手放しで肯定していないということに気付くのではないでしょうか。父レメクのこの歌に、その問題性が表れているのです。

 これは「剣の歌」と呼ばれています。人間が生み出した最古の歌と言われています。良い歌ではありません。復讐の歌、人殺しの歌でした。彼は、おそらく三番目の息子トバル・カインの鍛えた剣を用いて、若者を殺しました。そしてこの歌の伴奏を買って出たのは、その上の兄、音楽家の祖ユバルであったに違いありません。そのような技術、芸術をもってレメクは人殺しを謳歌する歌を歌うことが出来たのです。その時、彼は4:24で、少しでも自分を傷つける者があったら、七倍でも足りない、七七倍にしてお返しする。そういう破壊的力を持つのが私だと胸を張って誇りました。アダムとエバの原罪が、その長男カインに受け継がれ、さらに六代目のレメク、さらに七代目のその息子たちの文明において花開く、悪の花が開いたのです。

 振り返れば4:16、エデンの東ノド(さすらいの地)に住んだカインの場合は、未だ自分を守る文明を持っていませんでした。土地を失い怯えるカインに主は、創世記4:15で「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう」と言って下さいました。それは主なる神が復讐を肯定したのではありません。それ程にカインを守って下さるとの罪人に対する恵みの約束だったのです。しかしカインはやがてその神の守護を忘れ、さすらいの不安定から解放されるために、4:17「町を建て」ました。ここに文明が芽吹くのです。そうやって、カインはエデンの東であっても、自分で自分を守る術を身に付けていきました。やがて例によって「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということになります。彼は真の守護者・主なる神が額に付けてくださった「カインのしるし」を忘れた。私たちが時に額に洗礼の水を受けたことを、忘れてしまうように。そして再び原罪の冠(コロナ)で額を覆ったのではないでしょうか。そして神なしに自らの力で生きようとする、それが原罪の子の生き方でした。

 その不信仰は遺伝し、レメクに至って増幅します。人間は文化文明の鎧をまといました。しかし聖書は、神なしの文化は人間を幸福にするものではない。平和を作り出すことは出来ない。むしろそこに七七倍の罪が立ち現れる。文明を持たなかった時には考えられなかったような、七七倍の殺人、つまり大量殺戮が起こると暗示しているのです。

 私たちはこのレメクの歌の経験を、75年前にしてきました。日本人は、その時トバル・カインにその源を持つ、鍛え上げた金属製武器を担いで、「君が代」と軍歌を高らかに歌いながらアジアに出て行き大虐殺を行いました。これがカインの末裔の生き方だったのです。
 25年前、日本基督教団讃美歌委員会が、戦後50年を迎えての謝罪と懺悔を明らかにしました。それによると、1941(S16)年出版の『青年讃美歌』、1943(S18)年の『興亜讃美歌』、『興亜少年讃美歌』などに、軍歌と見まがう戦争讃美とアジア侵略を喜ぶ歌が多く含まれていたのです。そうであれば当時の日曜学校で子どもたちは、キリストではなくレメクを賛美する歌を歌わされたのです。

 悲惨この上ないベトナム戦争を描いた監督コッポラの「地獄の黙示録」という映画があります。ベトナムの森林農村を焼夷弾で焼き尽くす米軍ヘリコプター攻撃シーンで、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』が鳴り響き始めます。ヘリコプターに大出力アンプとスピーカーが取り付けられているのです。ヒトラーはワーグナーの熱烈な信奉者であり、ナチスはこの音楽をプロパガンダとして積極的に利用しました。

 創世記4章は、その最初の一歩は、カインの小さな心の中で起こったことだと、それは誰にも身に覚えのある、弟の成功に対する嫉妬だったと言いました。しかしそういう私たちの心の片隅で起こっていることが集められ、それに技術や芸術が加えられた時、そこに地球をも破壊してしまう、七七倍の大爆発が起こると言われているのです。まさに私たちの戦争の歴史とは、そうやってコロナウイルスのように拡大していった。伝染する、やられたらやり返す、その時はもう聖書の掟にあるように「目には目、歯には歯」(出エジプト21:24)では済まない。何倍、何十倍にもしてと。その終わりに広島と長崎に原爆が落とされました。今、これだけ再生可能エネルギーが安価になったにもかかわらず、日本がなお原発に固執している、その理由は七七倍の破壊力を持つ核武装の夢を捨てきれないからだと私は思います。私は、2011年3月14日の主日、つまり福島原発が深手を負った獣のようにのたうち回っているその暗い朝、それでも集まって来た少数の礼拝者を前に、このレメクの歌を朗読しました。そして皆で、自らの文明のあり方を悔い改める、それを御前に誓った、あの時の礼拝経験を私は生涯忘れることはないでしょう。

 主イエスは言われました。マタイ18:22「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」つまり主は「剣の歌」をひっくり返すと言われたのです。主は復讐の歌に打ち勝つ赦しの歌をここから歌い始めるのです。レメクが七七倍と言うなら、私も七七倍と言おう。ここに御子イエスがクリスマスの夜、私たち住む「エデンの東、ノド(さすらい)の地」(創世記4:16)、その暗黒の地に降って来てくださった理由があります。マタイ福音書で主イエスがお語りになられること、それはひたすらなる神の赦しです。その地に不信仰の都市を建て、神なしで生きていけると思う私たちの傲慢、その原罪に対する神の大いなる赦しの言葉です。そのように神は原罪の子に復讐しない。むしろその私たちの罪のために、御子イエスを犠牲にされて私たちを赦してくださるのです。

 その私たちに臨む主の七七倍の赦しを知った時、私たちもまた復讐を捨てて赦しに生きる、最初の一歩を踏み出し始めます。それこそが「新しい人間」なのです。カインの血統ではない、新しい血統、御子イエスに連なる信仰の遺伝子を開花させて生きる者が出現する。その群れが教会です。

 カインからレメクに至る系図とは別に、創世記4章はその最後、4:25~26節でこう記します。「再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。/セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」
 このエノシュたちが呼び始めた「主の名」とは「ヤハウエ」です。クリスマスの時に御子イエスの別名を私たちは繰り返し聞きます。インマヌエルと。この後、土屋御夫妻が転入会式に臨まれますが、ご夫妻がこれまで属していた教会、それこそ「インマヌエル」です。「神は我々と共におられる」という意味です。ヨハネ福音書を読んでいる時も紹介しましたが、ヤハウエの意味は「わたしはある」(出エジプト3:14)です。どこにあるのか、それは「我々と共にある」という、インマヌエルの意味そのものなのです。あるいはイエスというお名前自体が「ヤハウエ・主は救い」との意味があります。文明文化が人を守り救うのではありません。ヤハウエそのものであられる「インマヌエルの主イエス」が私たちの命を守るのです。十字架の上で、自分を十字架につけた人たちへの赦しを父なる神に祈られたのがインマヌエルの主イエスです。私たちがこの御名を呼ぶ時、復讐の連鎖が終わり、むしろそこから赦しの連鎖が始まるのではないでしょうか。十字架を掲げて御名を呼ぶ教会を中心とする新しい文化、平和を作り出す文明がここから始まるのです。

 〈列王記上に、ソロモンの神殿建設の記述がありました。列王記上6:7(旧536頁)「神殿の建築は、石切り場でよく準備された石を用いて行われたので、建築中の神殿では、槌(つち)、つるはし、その他、鉄の道具の音は全く聞こえなかった。」注解者はこう説明しています。「神の家は平和と和合を象徴する。そのために闘争と暴虐の象徴である鉄の道具の騒音に煩わされてはならなかった。」ユダヤの伝説には、ソロモンはシャーミールという小さな不思議な虫を用いて石を切ったという。これは非常な力をもつ虫で、ただ触れるだけで思いのままの形に石を切ることが出来、一切鉄器を用いず静寂無音の内に神殿を建てることが出来たそうであります。トバル・カインの生み出した鉄器は暴力的な音を発したことでしょう。レメクの息子、トバル・カインの鍛えた鉄器は武器として発展していきました。だからそれは平和の主の神殿建立にはふさわしくない道具だと言われているのです。神殿は静けさの内に平和と愛によって建ち上がるのだ。そう言われているのです。その静けさこそが教会に連なる文化なのです。〉

 レメクの「剣の歌」の伴奏となったであろう、音楽家の始祖ユバルの用いた楽器、その一つは、創世記4:21「笛」(ヘブライ語・ウガブ)と記されています。この原文を調べてみて、私はとても驚いた経験があります。その翻訳の一つに「オルガン」と記されていたからです。オルガンについているパイプはそれぞれが一本の笛です。そうであれば、このユバルの用いた笛とはオルガンの起源です。そしてその楽器は最初何に用いられたかと言うと、レメクにおいて人殺しを賛美する時に用いられたのです。復讐賛歌の伴奏に用いられた。それがオルガンの発端です。その後5世紀くらいまでオルガンは世俗的楽器でした。ところが今このユバルの笛は礼拝堂に置かれています。そして神を讃美する歌に用いられるようになりました。これは何と不思議なことでしようか。そしてここに神の深い恩寵があると私は確信します。私たちもこのオルガンのように、変えられる。復讐を謳歌する恐ろしい人間から、赦しの歌を歌う人間に変えられる。ここに座る私たち一人一人もオルガンの運命同様に、レメクの家から礼拝堂に移されてきた者なのであります。

 主イエスが私は七七倍赦すと言って下さった時に、人類の歴史が変わる。私たちが変わる。音楽の意味が根本から変わる。コロナを被った戦意高揚のための音楽が、自己賛美のための楽器が、神をひたすら賛美する楽器に変わります。最も汚れたものが、最も清いものに変えられる。私たちの唇が変わる。呪う言葉ではなく、赦す言葉に、憎しみの言葉が、愛の言葉を発する器に変わります。
 このことが、本当に現実となるために、主イエスは、さすらいの地・ベツレヘムの馬小屋に生まれ、復讐を捨てて愛に生きられ、十字架について下さったのです。レメクではなく、御子イエスを賛美する笛、そのオルガンを今朝も聞きつつ主を賛美することが出来た私たちの限りなき祝福を思う。

祈りましょう。  主よ、私たちはあなたを讃美する資格なき罪人です。今、この悔い改めの期節アドヴェントに、この頭の冠(コロナ)をかなぐり捨てて、「カインのしるし」に似た罪の赦しの洗礼の水を額に受けることが出来ますように。その滴り落ちる水によって、汚れた唇を清めて頂き、復讐の歌を捨てることが出来ますように。ひたすらあなたを褒めたたえる、新しい歌を主に向かって歌う新しい人にしてください。そのために聖霊をこの会堂に充満させてください。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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