2020年12月27日主日朝礼拝説教「みな、御子の箱舟に入れ」

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創世記7:1~16(旧9頁)

主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。/あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。…」(創世記7:1~2)

説教者 山本裕司 牧師

 今朝私たちに与えられました「洪水物語」は、このコロナ禍に翻弄された2020年最後の主日礼拝に読むのに、まことに相応しいと思いました。創造主なる神は、創世記7章に先立つ、6:12~13でこう決定的な裁きを告げられました。「神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。/神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」

 気鋭の経済思想学者斉藤幸平先生は、著書『人新世の「資本論」』の中で、資本主義の際限なき経済成長を止めない限り、地球は破壊されると言います。それは寓意的意味を越えて今、地球温暖化による海面上昇やスーパー台風などによる「大洪水前夜」であるという意味です。今回の「コロナ禍」はその危機の先行事例であると言うのです。私たち先進国において増え続ける需要、それは貪欲と言ってよいでしょう、それを満たすために、人は自然の奥地にまで入り込みました。森林を破壊し大規模農業などを行います。自然の奥深くまで入っていけば、未知のウイルスと人間の接触機会が増えます。また森は複雑な生態系によって、ウイルス増殖を制御しています。しかし都市空間には生態系による防御システムが存在しないためにウイルス拡大を抑え込むことは出来ません。ウイルスは人間を介して変異し人の流れに乗って、大洪水のように世界中を飲み込んでしまうと言われるのです。

 今朝朗読した創世記7:1aにおいて主はノアに言われました。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。」6:9「神に従う無垢な人」ノアには、三人の息子がいました、セム、ハム、ヤフェトです。彼らは聖書が記す洪水後の人類の三大潮流となる太祖です。彼らはこの洪水の時点では、ノアだけでなくその家族たちも「無垢」であったことが暗示されています。そうでなければ、彼らは御言葉に従い雨の一滴も降らない晴天の丘の上で、協力して箱舟を作ることは出来なかったはずです。今の私たちはどうでしょうか。現在は晴天とは言えません。この冬感染拡大による暗雲がたちこめています。しかしこのように大洪水の兆候が始まっているのに、新年に人類はコロナに打ち勝ち、オリンピックの晴天の朝を迎えるであろう、そう高を括っていてよいのでしょうか。このコロナ禍を創造主からの警告と覚え、新しい生き方、文明の大転換に舵を切ることをしないとどうなるでしょうか。つまり箱舟を作り、7:1「箱舟に入りなさい」との主の命令に従わないとしたとしたらどうなるかを、今朝の神話は預言しているのではないでしょうか。7:4~8「七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。/…ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。/ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。/清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて」と。

 同志社大学神学部の小原克博先生は「人間の家族こそ最高の社会組織である」と論じます。それは皆が協力して箱舟を作るノアの家族のような姿です。この家族の必要こそ人間創造の時、創造主が2:18「人が独りでいるのは良くない」と言われた理由です。ところがその直後最初の夫妻アダムとエバは貪欲に駆られて信仰を失いました。「神に従う無垢な人」(6:9)であることを棄てたのです。禁断の木の実を食べた彼らは、もはや助け合おうとはしません。その原罪はその息子カインに受け継がれ彼は血を分けた家族、その弟を殺す。人類最初の家族は「最高の社会組織」どころか、破綻家族であったと言われるのです。その人類という破綻家族において起こっていることが、先に述べた自然の収奪であり、弱い隣人からの搾取なのです。斉藤先生によると、私たちの豊かな生活を許しているのは、収奪や代償を押しつける植民地的な外部社会の存在なのです。この帝国主義的なあり方には、人類を一つの家族として助け合う姿勢はありません。

 斉藤先生の言う「人新世」(ひとしんせい)とは、現在、人間の経済活動が全地球を覆ってしまったということです。そのため、もはや外部の「安価な労働力」のフロンティアは消滅しようとしています。それが今、先進国内で弱い人たちを最低賃金で雇うという方法以外で、経済成長を維持することが出来なくなっている理由だと言われるのです。あるいは「人新世」とは、人間の作った建造物が、自然の量を上回ったという意味です。そのため資源を収奪する「安価な自然」も地球が有限であるためなくなりつつあります。これからは私たちが、これまでの無理な経済成長の恐るべきツケを払う時代である、コロナ禍もその一つの前触れに過ぎないと言われるのです。

 アダムの破綻家族の末裔としての私たちに、ノアの家族の姿を以て創世記は人間本来の「神に従う無垢な人」(6:9)として、共に生きる、そのあり方を示そうとしているのではないでしょうか。また新約聖書では、御子イエスは私たちの「長子」(ローマ8:29 )であり、私たちは御子のもとで家族「きょうだい」となりました。私たちは現在の箱舟・西片町教会建造のために献身する神の家族です。時々、破綻家族に戻りますが、その都度、箱舟に立てられる十字架の「マスト」、その長子イエスの執り成しによって、私たちの家、その破れを悔い改める時、赦され神の家族に立ち帰ることが出来るのです。そして私たちは、未だその事実を知らない人たちに、御子イエスこそ私たちの家族、長子であると、「さあ、その御子のおられる箱舟に入りなさい」と、一人でも多くの人間を、またそれだけでなく、一匹でも多くの動物をこの箱舟の中に招く、その文明の大転換、その宣教の使命が私たちに与えられていると思います。

 7:2~3「あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。/空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。」

 小原先生は「神の国に招かれる者」は、人間だけかと、我々は「人間中心主義」によって神の国を矮小化していなかと問われます。主の御命令は、7:2「清い動物」だけでなく、「清くない動物も全て」とあります。いずれも「つがい」(7:2、9、5)とあり、絶滅しないための配慮がされています。この物語ではノアたちは菜食であったことが想定されているようですが、洪水後に肉食が許されます(9:3)。その肉食に適さない「清くない動物」の生命もここで守ることが求められています。それは、動物はただ人間にとって利用価値のあるものだけが大切なのではない、律法で言う汚れた動物も、神が創造されたものとして保護すべき大切な生命なのだ、そういう自然に対する憐れみがここに溢れていると思います。今朝の朗読した創世記7:1~16は、ノアの家族、つまり人間以上に多くのスペースを、箱舟に入る動物たちのことに割いていることに気付きます。

 2013年の映画『ノア 約束の舟』という作品があります。これはカトリックなど多くのキリスト教教派から聖書的ではないと酷評されたシネマです。しかし同志社香里中学校・高等学校(どうししゃこうりちゅうこう)宗教主任の富田正樹牧師が指摘しますが、この映画は創世記の本質を捕らえていると思いました。そこで描かれる人間の描写は本当に醜いものです。そこには資源の奪い合いと大量消費という現代社会の問題が先取りされています。特に注目されるのは、ノアの家族以外の人間は既に肉を食べますが、問題はその食べ方です。映画の中の人間は動物に対する何の憐れみもありません。アイヌも狩りをして肉を食べますが、彼らがどれ程動物に感謝し、畏敬の念をもって接するかはよく知られています。映画はそういう心と対極の話で、動物が残虐に切り裂かれる無惨な情景が映し出されます。それはアルベルト・シュバイツアーが言った「生命への畏敬」の反対、生命への冒瀆に思われます。それは現代の私たちが動物をどう扱っているのか、その批判的メッセージが込められています。今、以前の農林水産大臣が鶏卵会社から賄賂を受けたことが報道されています。現在、家畜の飼育環境に配慮しなければならないという「動物福祉」の考えが起こっていて、養鶏においても、止まり木などの設置が求められています。しかし日本の養鶏業界では拷問のような「ケージ飼い」が主流で、何かをすればコスト増となります。そこで業界の要求を受け入れ、大臣は新基準案に反対しました。そのため相変わらず鶏たちはストレスフルな環境で卵を産み続けているのです。私はこの事件を知って、自分自身がスーパーでなるべく安い卵ばかりを選んで買い求める、そのあり方が問われたと思いました。鶏が可哀想です。

 『ノア 約束の舟』の中にノアのライバルとして登場するのが、何千人もの人間を従える武闘派リーダーであるトバル・カインです。創世記4:23以下で、あの復讐の歌を歌ったレメクの息子ですが、彼は鍛冶師の始祖で、金属製武器を作る者として暗示されています。映画の中のトバル・カインは何かと言えば、創世記1:27の言葉を引用します。「人間は神のかたどりとして創造されたのだから、動物より偉いのだ」と誇ります。そう言って動物に対する残虐行為を正当化します。この御言葉からあたかも「人間中心主義」(ヒューマニズム)を主張しているかに見えるトバル・カインの本質は、実は「自己中心主義」(エゴイズム)以外のなにものでもありません。ですから彼は動物だけでなく弱い人間も同様に利用するだけです。それは隣人を「神のかたち」として尊重しているとはとうてい思えません。それは斉藤先生の言う、今の帝国主義的先進国のあり方、自然と外国人からの収奪の姿と同様なのです。

 創造主は、創世記7:4「七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした」と言われました。しかしこれは全滅を求めることが目的ではく、むしろ話は逆です。これは堕落したトバル・カイン的人間の破壊と殺戮から、むしろ6:9「神に従う無垢な人」、そのノアの家族に代表される「本来の人間」から「洪水を免れ」(7:7)させ、その命を守ろうとする神の救いの御業なのです。同時にこの洪水は、罪のない動物たちの生命を、その遺伝子を、何とか保護しようとする創造主の非常手段なのです。7:3「全地の面に(動物たちの)子孫が生き続けるように」とあるようにです。

 小原克博先生はこう言われます。日本においては先に言いましたアイヌの文化があり、また6世紀以後、アニミズム的な生命観と仏教が混じり合い、「不殺生」の生き方が奨励されたと。そのため動物の肉を食べるにしても、それは抑制的なものでした。現在は大量の動物を商品化し、痛みも感謝もなく肉を買い漁る現代人は、人類史上、最も野蛮な段階に達したのではないか。我々は物言えぬ動物たちの声を聞かねばならないと先生は主張されますが、これも私にとって本当に耳の痛い話ばかりで、生き方を本気で変えねばと思いました。

 二千年前のパレスチナでは子どもたちもまた軽んじられていたそうです。主イエスのもとに、その子どもたちが連れられてきた時、弟子たちは叱りつけました。ここはお前たちの居場所ではないと。しかし主イエスは逆に弟子たちを憤り、子どもたちを招いて、「神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10:14)と言われました。弟子たちのイメージする「神の国」(神の家族)とは、弟子である自分たちのような男だけの世界だったのかもしれません。しかし御子イエスにとって、父なる神が設計された箱舟(神の国)とは、子どもたちがそこで自由に遊ぶ世界であるとイメージされるのです。その主の御心をさらに広く受け止めれば、そこに動物たちも招かれているのではないでしょうか。弟子たちにはそのような神の国の大きさを想像することが出来ません。箱舟の巨大さがこう書かれています。6:15~16「長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、…一階と二階と三階を造りなさい」(1アンマ=45㎝)。それは神の国、新しい地球の大きさを暗示しているのではないでしょうか。しかもその箱舟で大多数を占めるのは、人間ではないようです。人間は今のところわずかノアの家族八人であって、後は全ての動物です。7:8、9「清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、/二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは…雄と雌であった。」

 その「種」の数ですが、多くの動物が絶滅した現在でも、鳥類が九千種、哺乳類が五千種、爬虫類が五千種ということですので、この「すべて」と言う御言葉では、約二万種以上がつがいで箱舟の中に招かれたということになってしまうのです。神の国・箱舟は人間が独り占めする場所ではない。箱舟(地球)を人間が支配し、動物を追い出そうとすれば、主イエスは再び私たち弟子たちを憤り叱責されることでしょう。神の国は無垢で謙遜な子どもたち動物たちのものであると、私たちも新しい年にその子どもの一人にならなければならない、そう思います。

 祈りましょう。 主なる父なる神様、あなたから頂いた「神のかたち」としての貴い私たちの賜物を、どうか自分の貪欲のために用いるのではなく、弱い人、小さなものの生命を守るために用いることが出来ますように、コロナ禍をあなたからの大洪水前夜を示す警告と受け止め、今度こそこれでの生き方を悔い改め、2021年、新しい文明を、神の国の似姿を求めて、西片町教会という箱舟に乗り込み、聖霊の風を受けて、御心に叶った航海を始める私たちとならせてください。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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