2020年12月27日主日朝礼拝説教「みな、御子の箱舟に入れ」
https://www.youtube.com/watch?v=54qi30wMas4=1s
創世記7:1~16(旧9頁)
主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。/あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。…」(創世記7:1~2)
説教者 山本裕司 牧師
今朝私たちに与えられた「洪水物語」は、このコロナ禍に翻弄された2020年最後の主日礼拝に読むのに、まことに相応しいと思いました。創造主なる神は、この創世記7章に先立って、こう決定的な裁きを告げられました。
「神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。/神はノアに言われた。『すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。』」(創世記6:12~13)
気鋭の経済思想学者斎藤幸平先生は『人新世の「資本論」』でこう断言しています。資本主義の際限なき経済成長を止めない限り地球は破壊される、「地球温暖化」や「コロナ禍」はその先行事例であると。
先進国において増え続ける需要、それは貪欲と言ってよいでしょう、それを満たすために、人は森林を破壊し大規模農業などを行います。自然の奥深くまで侵入すれば、未知のウイルスと人間の接触機会が増えます。森は複雑な生態系によってウイルス増殖を制御しています。しかし都市空間には生態系による防御システムが存在しないために、ウイルス感染拡大を抑え込むことは出来ません。ウイルスは人流に乗って「大洪水」のように世界中を飲み込んでしまうと言われるのです。
「神に従う無垢な人」(創世記6:9)ノアは、この危機に際して雨の一滴も降らない晴天の丘の上に、箱舟を作り始めました。今の私たちはどうでしょうか。現在は晴天とは言えません。この冬は感染拡大による暗雲がたちこめています。しかしこのように大洪水の兆候が始まっているのに、新年に人類はコロナに打ち勝ち、五輪の晴天の朝を迎えるであろうと予想する者たちがいます。そう甘く考え、コロナ禍を創造主からの警告と覚え、文明の大転換に舵を切らないとどうなるでしょうか。つまり箱舟を作り「箱舟に入りなさい」(7:1)との御言葉に従わなかったらどうなるかを、今朝の神話は預言しているのです。
「七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。/…ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。/ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。/清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて」(7:4~8)と。
斎藤先生の言う「人新世」(ひとしんせい)とは、人間の経済活動が全地球を覆ってしまった状態という意味です。そのため、もはや外部の「安価な労働力」のフロンティアは消滅しようとしています。それが今、先進国内で弱い人たちを最低賃金で雇うという方法以外で、経済成長を維持することが出来なくなっている理由だと言われるのです。あるいは「人新世」とは、人間の作った建造物が、自然の量を上回ったという意味です。そのため資源を収奪する「安価な自然」も地球が有限であるためなくなりつつあります。これからは私たちが、これまでの無理な経済成長の莫大なツケを払う時代である、コロナ禍もその一つの前触れに過ぎないと言われるのです。
小原克博先生(同志社大学神学部)は「家族こそ最高の社会組織である」と論じます。ところがその最初の夫妻アダムとエバも、その息子カインも貪欲に駆られて「神に従う無垢な人」(6:9)であることを棄てました。人類は、こうやって禁断の木の実を追い求めたために、「最高の社会組織」どころか破綻家族となったのです。アダムの破綻家族の末裔としての私たちに、創世記はノアの家族の姿を見せ、人間本来の「神に従う無垢な人」(6:9)として共に生きる、そのあり方を示そうとしているのではないでしょうか。また新約聖書では、御子イエスは私たちの「長子」(ローマ8:29 )であり、私たちは御子のもとで家族「きょうだい」となりました。私たちは現在の箱舟・西片町教会建造のために献身する神の家族です。時々、破綻家族に戻ってしまいますが、その都度、箱舟に立てられる十字架の「マスト」、その長子イエスの執り成しによって、その破れを悔い改め赦され、神の家族に立ち帰ることが出来るのです。そして私たちは、未だその事実を知らない人たちに、御子イエスこそ私たちの長子であると、「さあ、その御子のおられる箱舟に入りなさい」と、一人でも多くの人を、それだけでなく、一匹でも多くの動物を、この箱舟の中に招く、その文明の大転換、その宣教の使命が私たちに与えられているのです。
「あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。/空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように」(創世記7:2~3)。
小原先生は教会が「神の国に招かれる者」は人間だけと覚えるなら、神の国を矮小化していると指摘します。主の上記の命令は「清い動物」(7:2)だけでなく、「清くない動物をすべて」とあります。律法で祭儀に用いることも、食べることも許されない、つまり利用価値がない「清くない動物」の生命も保護することが求められるのです。創世記7:1~16は、人間以上に多くのスペースを割いて、箱舟に入る動物たちのことを書いています。
『ノア 約束の舟』(2013年)、これは多くのキリスト教各派から聖書的ではないと酷評されたシネマです。しかし私は富田正樹牧師(同志社香里中高宗教主任)の解説を読み、これは創世記の本質を捕らえていると思いました。そこで描かれる人間の描写は本当に醜いものです。それによって、資源の奪い合いと大量消費という現代社会の問題を描こうとしているのです。特に注目されるのは、菜食であったノア家以外は既に肉を食べますが、問題はその食べ方です。映画の中の人間は動物に対する何の憐れみもありません。アイヌも狩りをして肉を食べますが、彼らがどれほど動物に感謝の念をもって接するかはよく知られています。映画はそういう心と対極の話で、動物が残虐に切り裂かれる無惨な情景が映し出されます。それはアルベルト・シュバイツアーが言った「生命への畏敬」の反対、生命への冒瀆です。
今、農林水産大臣が鶏卵会社から賄賂を受けた事件が報道されています。家畜の飼育環境に配慮しなければならないという「動物福祉」の思想があり、養鶏においても止まり木などの設置が求められています。日本の養鶏業界では拷問のような「ケージ飼い」が主流ですが、言うまでもなくコストをかけたくないからです。そこで大臣は業界の要求を受け入れ新基準案に反対しました。そのため相変わらず鶏たちはストレスフルな環境で卵を産み続けているのです。それでいいのでしょうか。
『ノア 約束の舟』の中にノアのライバルとして登場するのが、何千人もの人間を従える武闘派リーダー、トバル・カインです。あの「復讐の歌」(4:23~24)を歌ったレメクの息子ですが、彼は鍛冶師の始祖で金属製武器を作る者と暗示されています。映画の中のトバル・カインは何かと言えば、人間は「神のかたち」(1:26、27)として創造されたのだから動物より偉いのだと誇り、動物に対する残虐行為を正当化します。しかしそのように「人間中心主義」(ヒューマニズム)を主張しているかに見えるトバル・カインの本質は、実は「自己中心主義」(エゴイズム)以外のなにものでもありません。ですから彼は動物だけでなく弱い人間も同様に利用するだけです。それは隣人を「神のかたち」として尊重しているとはとうてい思えません。それは斎藤先生の言う、今の帝国主義的先進国のあり方、「自然」と「弱者」からの収奪の姿そのものです。
創造主は「七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした」(7:4)と言われました。しかしこれは全滅が目的ではありません。話は逆です。これは堕落したトバル・カイン的人間による破壊と殺戮から「神に従う無垢な人」(6:9)を守るためです。そのノアの家族に代表される「本来の人間」から「洪水を免れ」(7:7)させようとする神の救いの御業なのです。同時にこの洪水は、罪のない動物たちの生命を保護しようとする創造主の非常手段です。「全地の面に(動物たちの)子孫が生き続けるように」(7:3)とある通りです。小原先生は、日本においてはアイヌ文化だけでなく、六世紀以後、アニミズム的な生命観と仏教が混じり合い「不殺生」の生き方が奨励されたと指摘します。そのため動物の肉を食べるにしても、それは抑制的なものでした。現在、大量の動物を商品化し、痛みも感謝もなく肉を買い漁る現代人は、人類史上、最も野蛮な段階に達したのではないか、我々は物言えぬ動物たちの声を聞かねばならない、そう先生は主張されますが、本当に耳の痛い話ばかりです。
二千年前のパレスチナでは子どもたちも軽んじられていました。主イエスのもとに、その子どもたちが連れられてきた時、弟子たちは叱りました。ここはお前たちの居場所ではないと。しかし主イエスは逆に弟子たちを憤り、子どもたちを招いて「神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10:14)と言われたのです。弟子たちのイメージする「神の国」(神の家族)とは、弟子である自分たちだけの世界だったのかもしれません。しかし御子イエスにとって、父なる神が設計された箱舟(神の国)とは、子どもたちがそこで自由に遊ぶ世界であるとイメージされるのです。その主の御心をさらに広く受け止めれば、そこに動物たちも招かれているのではないでしょうか。弟子たちにはそのような神の国の大きさを想像することが出来ません。しかし聖書では箱舟の巨大さが強調されているのです。「長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、…一階と二階と三階を造りなさい」(創世記6:15~16、1アンマ=45㎝)。それは神の国、新しい地球の大きさを暗示しているのではないでしょうか。しかもその箱舟の中の人間は、わずかノアの家族八人だけであって、後は全ての動物です。「清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、/二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは…雄と雌であった」(7:8、9)。多くの動物が絶滅した現在でも、鳥類が九千種、哺乳類が五千種、爬虫類が五千種存在します。「すべて」であれば、約二万種以上がつがいで箱舟の中に招かれたということになってしまいます。神の国・箱舟は人間が独り占めする世界ではない。箱舟(地球)を人間が支配し、動物を追い出そうとすれば、主イエスは再び私たち弟子たちを憤り叱責されることでしょう。神の国は無垢で謙遜な子どもたち、動物たちのものであると。私たちも新しい年に、その子どもの一人にならなければならない、そう思います。
祈りましょう。 父なる神様、あなたから頂いた「神のかたち」を、貪欲のために用いるのではなく、弱い人、小さなものの生命を守るために用いることが出来ますように、コロナ禍をあなたからの「大洪水前夜」の警告と受け止め、2021年、西片町教会という箱舟に入り、聖霊の風を受けて、神の国を目指す私たちとならせて下さい。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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