2020年10月18日 主日朝礼拝説教「復活の主と朝食を」
https://www.youtube.com/watch?v=-jknFBG1zvI=1s
エゼキエル書3:1~3(旧1298頁) ヨハネ福音書21:1~14(新211頁)
「わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。」(エゼキエル書 3:3)
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。(ヨハネ福音書21:12)
説教者 山本裕司 牧師
復活の主と弟子たちとの出会いの物語の終わりにこうありました。「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」(ヨハネ21:14)。しかし、この元になっている伝承は、甦りの主と弟子たちとの、初めての再会の物語だったはずだと、ある学者は指摘しています。ガリラヤに帰って来た弟子たちは未だ復活を知らない。知っているのは、主イエスが十字架で死なれたということだけであった。そのように読んだ方がこの物語は筋が通ると言うのです。
そうであれば、弟子たちの打ち沈んだ姿はよく分かる。主イエスが十字架につけられた後、彼らは「ティベリアス湖畔」に帰ってきました。挫折の末の弟子たちの目には、この春の故郷の湖は涙が出るほど美しく見えたことでしょう。三年間の伝道は失敗に終わりました。都での弟子集団の崩壊、裏切りと棄教、それは思い出すだけでも苦痛でした。「これからどう生きればよいのか」その疑問に兄弟子ペトロはこう答える他はありません。「わたしは漁に行く」(21:3)と。元々漁師だったのだ、それがイエス様の口車に乗って「人間を獲る漁師」になろうなどと思い上がったのが迷い道の始まりだ、今、頭を打ってやっと我に返ったのだと。神学校の先生が嘆いていました。教会に派遣された卒業生が、数年で躓く、伝道者であることを辞める、そして普通の仕事に戻る者が多いと。
しかし、そうやって徹夜で働いても一匹の漁獲もありませんでした。この労働の空しさこそ、弟子たちが三年間の伝道において味わい尽くした、苦さだったのではないでしょうか。「その夜は、何もとれなかった」(21:3b)。ここに、再びヨハネの「夜」が現れるのです。「ある夜」(3:2)、イエスを訪ねた議員ニコデモも「新しい人」になり損なう、その「夜の人」と描かれていました。ユダが裏切るために出て行った時も「夜であった」(13:30)。ペトロの伝道の夜、それは手応えなき労苦のことです。力一杯奉仕をした者だけが知る、深い虚無が教会を海のように満たしている。最初から弟子になどならず、もっと従うことにいいかげんだったら、この空しさを味わうことも、生涯なかったであろうに、そう思う夜であります。
「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」(21:14)。ここを「補遺」であることを忘れて素直に読めば、21章は、弟子たちが、エルサレムで既に二度、甦りの主と出会った後の物語となります。主は20章で既に弟子たちに息を吹きかけ(20:22)、伝道の使命を与え、疑い深いトマスもついに「わたしの主、わたしの神よ」(20:28)と信仰を告白することが出来ました。それでいて、どうして21章でこんなことになるのか。湖畔で、もうペトロもトマスも、暗い。歓喜の信仰告白がなされた直後、ぱっと場面が変わったら、もう同じ人が、立ち尽くしている。だから、最初に言った解釈、これは未だ復活の主に出会っていない弟子たちの伝承だったのだ、そう言われることにもなります。しかしこれを、私たちの信仰生活に当てはめれば、どこも不思議ではありません。むしろ本当に教会で見慣れた姿、私たちにも思い当たる「夜の心」だと思います。
ここにおられる方々は、主の甦りを信じて、洗礼を受けた人たちです。しかしその後、迷わずキリストの弟子として前進したかと言うと、そういう人は私も含めて多くありません。むしろ、そこが故郷であるかのように、受洗前の時代に、夜の時代に帰ってしまった、そういう経験はないかということです。弟子たちはその先輩です。後世の学者たちから言われます。これでは20章と21章は繋がらないではないかと、それと似て、私たちの人生も後の人々から、一貫しない信仰生活と、この人はあんなに喜んで洗礼を受けたのに、やがて元に戻った、20章と21章は繋がらないと、伝記に書かれるような生き方をしている。しかし復活の主は、そんな私たちを決して見棄てない。そういう憐れみの物語を、ヨハネ福音書21章の「補遺」は語ろうとしているのです。
伝道者の挫折の物語が、「空の舟」を岸に向けて漕ぐ、ペトロの姿に投影されています。しかしそこで福音書は訴えるのです。虚無の夜しか待っていないはずの岸に、他のものが待っていると。「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた」(21:4)。光の主がその労働の虚無に沈む、疲れ果てた男たちを待っています。この「既に」を、「イエスが〈既に〉岸に立っておられた」と訳すことも出来るそうです。そうであれば、たとえ、私たちが復活の主を忘れていても、復活などなかったものとして生きていても、そうやって、足を引きずるようにして、職場から家に帰った夜も、そこに「既に」復活の主は待っていてくださる。復活の主の御存在とは、私たちの迷いなき不動の信仰によって、ようやくリアルになるものではない。そのことは、20章でも既に記されていました。頑なに閉ざされた私たちの不信仰の壁を打ち破って、復活の主は、入って来て下さると。そこに光が差し込むのです。私たちが生涯、信仰の灯火を守って、この人生を終えることが、もし出来るとしたら、それはただ、復活の主が、私たちの人生に力尽くとも言える御介入をしてくださる、その愛にある。それ以外にない、そのような気がします。
主は、弟子たちの空しい戦いを「既に」見守っておられた。そして言われます。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」(21:6)。彼等は無駄だと知りつつ網を打ちました。思い掛けず強い手応えが腕に伝わってくる。その瞬間、愛弟子が岸辺に立つその人を指して叫びます。「主だ」(21:7)と。そこに「シジフォスの神話」の如き苦役ではなく、祝福の労働が出現する。彼等の長年の経験がものを言ったのではありません。お甦りの主の故に、私たちの労働は、私たちの一生は、初めて報いられるのであります。
「シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。」(ヨハネ21:11)
何故「百五十三匹」なのでしょうか。これは古今東西の読者たちの問いとなりました。バッハはその『ヨハネ受難曲』冒頭を、153小節で組み立てています。バッハは「数」に特別な拘りを持ったことは有名です。では、今回の「153」とは彼とってどのような意味だったのでしょうか。磯山雅先生の引用する、バッハにおける「数象徴」研究者スメントによると、「10」は旧約における律法(十戒)を表します。それは音楽において、一つの主題を10回提示するという形で、旧約を暗示します。そして「7」は新約における恵みの数と定められており、楽章数などを「7」として、新約の恵みを表現します。その10(旧約)と7(新約)を足した「17」は、神の救いの約束が、旧約・新約聖書を通じて成就したという意味を持つ。そして、1から17までの数を一つ一つ合計した数が「153」となるのです。そうだとすれば「ヨハネ受難曲」冒頭の153小節には、「神の救済の成就」、この意味が込められていると言われるのです。「受難曲」とは、主の死と埋葬で終わる定めです。だから決して歌われないはずの「救済の成就」としての復活賛歌を、バッハは受難曲冒頭合唱曲を壮大な「153」小節によって、暗号のように潜ませていると言うことが出来るのではないでしょうか。
「 シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。」(21:11)
あるいは土戸清先生は、このような数象徴は、バッハ以前の大昔からあるユダヤの知恵であって、それが時々、今回のように聖書の中に不思議な数として表れてくると指摘しています。この「153」については、四世紀末の偉大な聖書ラテン語翻訳者ヒエロニムスの発見があると先生は紹介しています。それはエゼキエル書47章、「新しい神殿(神の国)の幻」との関わりがあるとのことです。その神殿の敷居の下から水が湧き上がり、それが四方に流れ出て全てを潤していくという、この上なき美しい幻です。エゼキエルは恍惚として歌うように預言しました。
「川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。/漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚のように非常に多くなる。」(エゼキエル47:9~10)
この命の水が流れ込む「エン・エグライム」という地名を「ヘブライ語アルファベット数値転換法」を用いると、総計が「153」になります。この川が流れていく時、大海の魚は非常に多くなる。どうしてかと言うと、水がきれいになるからです。そして、全ての生き物が生き返る、復活する、新しくなる。あの「夜の人」ニコデモが、年を取った者が、どうしてそんなことが出来るのかと訝った「新しい人」に再創造される。エゼキエルが幻の内に見た、命の水の流れによって「…魚も非常に多くなる。…この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」この旧約・エゼキエルの預言の成就としての神の国「エン・エグライム」を思い出させるために、その数の総数を、新約・ヨハネ福音書は「153匹」と記したのではないか。そうやって、もはや主イエスだけが、お一人で復活するのではない。ペトロの伝道はついに報いられ、「153」に暗示される夥しい命がここから甦ると、神の国における全人類の命の救済の完成が、この湖(うみ)から始まると、ヨハネは暗示しようとしたのだ、そうヒエロニムスは洞察したと言われるのです。
この直後、朝の輝ける光に照らされて、お甦りのイエスと弟子たちの朝の食事が始まります。今、聖餐はコロナのために自粛中です。しかしこの「真ん中」(ヨハネ20:19,26)に常に存在するテーブルによって、これこそが礼拝の要であると示される聖餐、これは「主の晩餐」とも呼ばれます。朝礼拝でも「主の晩餐」と呼ばれるのには理由があります。主が十字架につかれる直前に開いてくださった「最後の晩餐」こそ、聖餐の源流と覚えるからです。しかし聖餐には、その最後の晩餐の名に込められた「十字架の贖罪」だけでなく、多様な意味が含まれています。特に復活の主との食事、これもまた源流であると強調されるのが、最近の聖餐理解です。ですから私はコロナが去った、来年春のイースター礼拝において、このヨハネ福音書のティベリアス湖畔の御言葉を以て、皆様を、満を持して、この食卓の前に招きたいと計画しています。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」(21:12)と。そこで聖餐は、晩餐だけでなく、朝食という意味にもなるのです。
その時の食卓の「糧」はどこから来たのでしょうか。最初の頃、主が「『子たちよ、何か食べる物があるか』と言われると、彼らは、『ありません』と答えた。」(21:5)、という問答がありました。それは、私たちが自分だけでなす労働によって、命の糧を生み出すことは出来ないことを意味しているのではないでしょうか。そこに労働の虚無が生まれる。ルカ福音書の似た物語でペトロはこう言いました。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(ルカ5:5)。「お言葉ですから」と、神の言葉に従って働く時、それは空しくは終わらない。もう一度言います。そこで労働はもはや苦役ではなく祝福となるのです。
そうやってついに夜が終わります。その夜明けの湖畔で、弟子たちは、御心に従って得た労働の豊かな実りを御前に持って来ました(ヨハネ21:10)。奉献です。今で言う献金です。それを主は聖餐で用いてくださる、それを主は救いのために用いてくださる。私たちの労働はそこで真に報われるのであります。ああ毎日働いてやっぱり良かったと、私たちもついに思えるのです。礼拝はそのためにあります。空しく躓くことがあっても、やはり明日も働きに出て行こうと、そこで立ち上がる力が与えられるのです。挫折の夜、故郷に逃げ帰っても、春の朝が来れば、もう一度伝道者にだって甦ることが出来る。主の食卓に招かれることによって。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」(21:12)、その時受ける聖餐の味の豊かさ、何を忘れても、その主の愛の味だけは、決して忘れることはありません。
「わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。」(エゼキエル 3:3)
祈りましょう。 主なる父なる御神、時に空しさに負けて、信仰を見失う私たちです。しかしその罪人を、お甦りの御子は朝食に繰り返し招いてくださり、生き返らせてくださる、この恵みの甘さに心より感謝します。その食卓によって力付けられ、伝道と奉仕に生きる私たちとならせてください。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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