2020年10月11日 主日朝礼拝「わたしの主、わたしの神よ」
https://www.youtube.com/watch?v=AVagnaFiF_c=1s
イザヤ53:5(旧1149頁) ヨハネ福音書20:24~31(新210頁)
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。(ヨハネ福音書20:28)
説教者 山本裕司 牧師
注解書によると、先ほど朗読したヨハネ福音書20章をもって、元々のヨハネ福音書は終わっていたそうです。21章は、後の時代に「補遺」として追加された文書であると言われています。一冊の書物を書き終わる時、執筆者はどういう気持ちになるでしょうか。一冊の本を書く、それは誰にとっても激しい戦いです。まして福音書です。執筆者は心血を注いだと思います。私たちのようにワープロで打ち込むのではありません。二千年前の執筆作業はとても困難でした。葦の茎を開いた、ざらざらのパピルスが紙代わりでした。そこに割り箸の先を尖らせたような筆記用具を用い、インクはススとゴムを水に溶かしたものが使用されます。揺らぐ蝋燭の炎のもと、ギリシア文字を刻んでいくのです。主の十字架の痛みを追体験するかのように指は痛み、やがて血が流れ出たかもしれない。しかしその終わりに、復活の物語を書く時を迎えます。指の痛みを忘れたと思う。そうやって綴られた、一文字、一文字は、書く者の魂を時に抉り、時に快楽と言ってもよい喜びで充たした。その長い執筆の日々が終わろうとしているのです。
20:30「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。」それでも書ききれなかったと言うのです。余りも多くの主のなさった恵みのしるしを思い出すと、心残りであったことでしょう。それが後の時代、新資料の発見と共に、21章にある湖畔の物語が付け加えられる動機となったのかもしれません。しかし同時に、福音書記者は、全部書かなくてもいいという気持ちもあったのではないでしょうか。神のことを人間が、どれほど詳細に書いても、それが何十巻にもなっても、たとえ読者がそれを読破したとしても、それだけで、この福音書を書いた目的が果たせるわけではない。そのことを直感して筆を置くことが出来たのではないでしょうか。今、この福音書の目的と言いました。
20:31「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」この福音書を読んだ人に信仰と命が与えられること、それが目的でした。
たとえば、聖書の学問の世界には、「史的イエス」研究という分野があります。そこで「歴史の中のイエス」を実証的に研究します。聖書はもう教会の解釈が入っているから歴史的ではないと言って、歴史の目撃者のようにイエスの実際を研究します。それは大切な学問ですが、それだけで、主の復活の信仰が生まれるわけではありません。何故なら、復活は歴史的次元を超える神的霊的事件だからです。福音書記者はそのことをよく承知していますので、これ以上全部証拠を書かなくても良いと、分かる人には分かると、安心して筆を置くことが出来たのです。何故なら、復活の主御自身がトマスにこう言われたからです。20:29「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
時に、未だ自分は聖書が全部分かっていませんから、洗礼を受けられません、と言う求道者がおられます。その気持ちはよく分かります。でも並の牧師よりよほど聖書を深く研究している学者たちの中には、ヨハネが言う「イエスは神である、あってある者である」、その信仰を持っていない人もいるらしいのです。トマスは、20:25b「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と言いましたが、それを学問の世界に置き換えたような、実証的研究、しかしそれだけでは、未だ何かが欠けているのです。それだけでは、私たちに息を吹きかけて(20:22)くださるイエスこそが、「わたしの主、わたしの神」(20:28)です、という「三位一体」の信仰告白は生まれないのです。
それではどうしたら、私たちに信仰は生まれるのでしょうか。その人間のあげる「最重要の問い」を受けて、その答えは、この最後に登場する「トマスの物語にある」、そう福音書記者は読者に伝えようとしているのではないでしょうか。この実証主義者トマスも、終わりには、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白することが出来たのだのからと。
先週読んだ20:19に戻ると、その世界最初のイースターの夕べに、一つの家に集まっていた弟子たちは、復活の主とお会いすることが出来ました。しかしトマスは、ここにはいませんでした。何をしていたのでしょうか。分かりません。ある人は、彼は誰にも会いたくなかったのだと推測しています。この福音書には何度かトマスが登場しますが、その最初は11章です。そこでイエス様は、身の危険を顧みずベタニアに行く決心をされたことがありました。その時、トマスだけが声を上げるのです。「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」(11:16)と。ところが、そう「一緒に」と言ったトマスが、十字架後も生きています。あの時の勇ましい言葉はどうなったのでしょうか。それだけに今、自分が裏切り者として、生きていることが許せなかったのではないでしょうか。
しかしイースターの夕礼拝後、弟子たちが彼を心配して来たのでしょう、20:25「わたしたちは主を見ました」と伝道してくれました。しかしトマスは信じられませんでした。主は手足に釘を刺され、脇腹を槍で刺され、その肉体はずたずたにされたのではないかと。取り返しがつかないことがあるのだ。そうトマスが思ったとしたら、それは自分自身のことも言っているのではないでしょうか。取り返しのつかない罪を犯したのだと。肉体は生きている、しかし肉体を生かすために、逆に魂はずたずたとなって、死ぬということがある。死ねば生き返ることはない。弟子としての自分は死んだ、だからこれからは集会出席も止めますと、そう心の扉を固く閉めたと思います。
ところがそのトマスが、何故か、20:26「八日の後」、弟子たちと一緒にいました。どうして彼は集会に出席出来たのでしょうか。私たちも一度、礼拝に行かなくなると、求道者以上に、教会の敷居は高くなるものです。しかしトマスはその高い敷居をまたげた、その勇気はどこから出てきたのでしょうか。推測ですが、こういうことが起こったのではないでしょうか。疑いの中に閉じこもるトマスに、弟子の中のもしかしたらフィリポかもしれない。1:43以下の物語によると、弟子となったフィリポは直後、ナタナエルに会いました。その時フィリポは喜び勇んで「今、メシアに出会った」と伝道したところ、ナタナエルが「ナザレから何の良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポが「来て、見なさい」(1:46)と誘いました。同様に「分からない、分からない」と頭を抱え込むトマスに、フィリポがこの時も、「来て、見なさい、そうしたら分かるだろう」と招いた、その日こそ、20:26「八日の後」でした。これは最初の復活日から、一週間後の日曜日、復活節第2主日だったのです。その家は、再び、20:26、「戸にはみな鍵がかけられてあった」とありました。トマスの心を象徴すると思います。しかしそこに、もう復活の主は来て下さり、20:26「真ん中に立って」下さったのです。これまでトマスの心の「真ん中」を支配していたのは罪です。取り返しはつかないことをしたとの思いです。しかしその「中心」を奪い取るようにして、主が立たれた。「平和」と挨拶してくださった。その意味は、いや、取り返しはつくよと、君にも平和と命は甦るよと。その思いの中で主はトマスに続けられました。20:27「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」それは、トマスが願っていたことを、そのまま主がお許しになったと読めますが、しかしそれは、トマスが求めていた「実証」を遙かに超えた意味をもっていたのです。主からそう促されて、トマスは、それをしたのでしょうか。あるいはしなかったかもしれません。しかしどちらにしても、もうその時、彼の魂を満たしていたのは、実証と全く違う、「信仰」でした。そこで彼は、先にもう一箇所朗読した旧約の御言葉、イザヤ53:5bが思い出したと思います。何と言っても、主の傷口が目の前にあるのですから。
「彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
トマスにとって主の傷を見るとは、彼の罪責がそこに突き付けられると同時に、その傷を通して、主は、トマスの魂の傷を癒やしてくださったのです。十字架の罪の贖いによって、主の挨拶の通りの「平和」が、トマスの魂を支配したのです。その瞬間、彼の信仰は復活しました。取り返しがつく、その奇跡が起こったのです。トマスは信仰告白をした。20:28「わたしの主、わたしの神よ」と。
この福音書は、この約五十年後の迫害下にあって、それこそ、20:26「戸にはみな鍵をかけている」ようなヨハネ教会が、自分たちの礼拝のために編纂したと言われています。ユダヤ会堂からは、イエスが神どころか、「ナザレ(ナザレ派=教会)から、なんの良いものが出るだろう」と言われているのです。そして、イエスは五十年も前に御昇天されて、肉眼で見ることはもはや誰にも出来ません。それで本当に頼りなく思い、どこに救いの証拠があるのか、あるなら見せてみろと言う信者も現れた、次々にその疑いの中で礼拝を欠席するようになる。あんな所に行っても何の希望もないと。その時、福音書記者はこのトマスの物語を語ったのです。トマス先生も疑ったのだ。復活の証拠を見せろと言ったのだ。どうしてそうなったかというと、トマス先生が特別に弱い心しかなかったからじゃない。むしろイエス様と一緒に死のうではないかと言ったほど強かったのだ。ではどうして信仰を失ったのか。その理由一つだ、20:24b「…トマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。」彼は日曜日の礼拝に欠席した。だから分からなくなったのだ、そう福音書は暗示しているのです。そうであれば、私たちは、何故、毎主日の復活記念日(日曜日)になったら礼拝を守らなければならないのでしょうか。疑うようにならないためです。日本プロテスタント教会は明治最初期より「主日遵守」を訴えてきました。その掟の聖書的典拠が今朝の御言葉にあると言えるのです。信仰は教会でだけ与えられ、一度失われても、ここでだけ甦るからです。主日礼拝の20:26「真ん中」に復活の主は立ってくださる、そうヨハネは約束していると読んでもよいのです。主が、そこで罪の赦しの傷を見せてくださり、20:22,息を吹きかけてくださるのです。
非合法地下教会・ヨハネ教会には、イエスが主であり、神であられる、その目に見える証拠は何もありません。現在のように世界人口の1/3がキリスト者であるとなれば、その内実はともかく、目に見える人口や富、教会堂の巨大さを誇って、これが真理の証拠だと言えるかもしれません。しかしヨハネ教会には、そのよう目に見える「確かさ」は何もありません。本当に小さな家の教会でした。しかしそこで、ヨハネは、復活の主は言われたではないかと、20:29「見ないのに信じる人は、幸いである」と。そしてこの小さな家に集まって、自分たちの正典・ヨハネ福音書を朗読した、聞いた。そこで、何もかもフィリポの言う通りだった、「来て、見なさい、そうしたら分かる。」その確信を彼らは主日礼拝に出席する度に取り戻した、そうやって、生涯、信仰を守り通したに違いないのであります。
私が神学生だった時、新約聖書神学を教えてくださったのは竹森満佐一教授でした。優れた説教者でもあられました。先生の説教集は主に「パウロの手紙」が多いのですが、福音書の説教も何冊か出版されおられます。その一冊の表題がこのトマスの言葉です。20:28「わが主、わが神よ」、これを本の題名としたくらいですので、今朝の御言葉の説教がその本の「トリ」を飾っています。そこで、先生は、トマスにも最後に信仰が与えられたことを取り上げて、こう語られます。「これは、信仰の弱いわれわれにとって、大きな慰めです。復活の主は、一番、信仰は駄目だ、と思っている、その人を目指しておいでになって、そして、その人に対して、何とかして、わたしが甦ったことを信じなさい、と仰せになるのであります。…主イエスの心は大変に激しかった、と思います。戸を閉めて、鍵をかけているところに、すっとお入りになった、ということは、主イエスは復活者だから、あたりまえのことだと、我々は考えるかもしれません。しかし、それは、主イエスが、並々ならぬ熱意をもっておられたからではないでしょうか。どんなものが妨げようとしても、妨げることは出来ない、…我々の一番弱い気持ち、我々の一番信じようとしない気持ち、いつまでたっても信じようとしない気持ち、そういうもので自分自身の魂を閉ざしている、その中に安住している、その我々の疑いの壁を破って、主イエスは入っておいでになるのです。主イエスが、我々に、信じる者になりなさい、その願いは、並々ならぬものである。」そう言われます。本当にそうだと思いました。
私たちに信仰が生まれた、それは、ついに私たちが自らの力で、疑いを破る、何か確かなものを獲得した、世界中に教会があるからとか、神学博士号を取ったとか、そうやって、自分の手の中に、その確かさを掴んでいる、だから信仰があるのだ、そういうことではないのです。この復活の主がただ、罪と不信仰の壁を打ち破ってくださった、そして20:26「真ん中に立」ってくださった、それだけが、私たちが信じることが出来た理由だと先生はおっしゃるのです。私たちの内に、確かさなど、一つもないのです。主の私たちを救おうとする愛の熱意こそが確かなのです。
竹森先生はここでボンヘッファーの言葉を引用しています。「トマスは主イエスに触れようとしなかった、それは、トマスは、もはや、自分の手も、自分の目も信じなかったからである。そして、ただ主イエス・キリストだけを信じたからだ。」そう引用されて先生は続けます。「私たちの小さな生活の中でも、…どうにもならないような苦しみに出会うたびに思うことは、今まで確かだと思っていたことが、どんなに不確かなものであったか、ということでしょう。今まで信じられたことが、少しも信じられなくなった、ということではないでしょうか。あの人は、自分に忠実だと思っていたが、そうではなかった。あの人は、自分を愛していると思ったら、そうではなかった。これは本物だと思ったが、これもそうではなかった。これまであのお医者にかかっていれば、大丈夫だと思っていたが、頼りならないどころか、もっと苦しめられるばかりだった。つまり、これこそ確かだと思うことが、次から次へと、不確かなものだったということを我々は知るのではないでしょうか。我々の手で確かめたとしても、目で見ることが出来たものも、結局、どれも確かなものではなかった、そういうことは私たちの生涯の中で、何度かは出て来るのではないでしょうか。そういう時に、最後に信じられるのは、主イエス・キリストだけだ、その十字架と復活だけだ、それが分かるのです。そして、この確かさだけは、覆されることはないでしょう。」そう竹森先生は説教しました。本当にそうだと思いました。このような信仰を再びこの主日礼拝において与えられた私たちの祝福を思います。
祈りましょう。 主なる父なる神様、御子こそ、私たちの真の救い主と信じることが出来ましたことを、心から感謝します。それでいて、教会を一歩出ると、この世の力に目を奪われ、直ぐそこに人生の確かさを求めてしまう愚かな者です。その時はどうかあなたが私たちの「真ん中」に立ってくださり、聖霊を与え、罪を赦し、信仰を甦らせてください。その信仰の確かさを与えるために、あなたが私たちに備えてくださるこの主日礼拝を宝物のように大切に覚え、自分にも、友にも「来て、見なさい、そうしたら分かるだろう」、そう伝道して、信仰の灯火を一緒に、終わりまで守る、私たち西片町教会とならせてください。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
a:752 t:1 y:0