2019年7月7日 主日朝礼拝説教「あなたの子は生きる!」

ヨハネ福音書4:43~54 山本裕司 牧師

イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。(ヨハネ福音書4:50)

 暫く教会に通っていますと、このヨハネ福音書4:44の言葉を覚えると思います。「預言者は自分の故郷では敬われないものだ。」これは元々、諺だったと言われいます。主イエスはこれを、ご自身のこととして引用されたのです。主イエスは伝道を始めたばかりでした。しかし主はもう自分は敬われない、その悲しみを知っていると言われているのです。人間の気持ちに合わせた「言葉」を語り、その人間の願いを果たす神の子であったら、主イエスはどこへ行っても敬われたことでありましょう。しかし主イエスは、先ず神のお気持ちを語られました。それはいつも私たち人間にとって耳に優しい、分かり易い言葉ではなかった。むしろ私たちにとって、それは苦い言葉、自分が「これで良い」と思ってきた信心でさえ、時に打ち壊されるような言葉でもありました。だから主は自分は敬われない、特に故郷では、とお語りになられたのです。

 ところが今朝の御言葉を読んでいて、不思議に思われた人もあるのではないでしょうか。主イエスの故郷とは、ガリラヤのナザレではないか。主はユダヤ地方から旅をされ、今、故郷ガリラヤにお着きになりました。その時、「ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。」(4:45)と書いてあるのです。ガリラヤの人たちから歓迎されたのです。もうここで話は難しくなって、ここは、学者の間でも難解な箇所と言われています。

 そこで、主がここで言われた故郷とは、実は生まれ故郷のことではなくて、霊的な故郷を言っておられる。御子イエスが父の家と呼ばれた神殿のある都エルサレムが、主の故郷である。今回、主がガリラヤに来られた時も、いわば、ユダヤから追われたためです(4:3)。その主の霊的故郷、ユダヤでは、敬われなかったが、ガリラヤでは歓迎された、そう読むことが出来る、これは一つの理解です。

 しかし、また話は戻りますが、そうではない。やはり主イエスの故郷はガリラヤであって、主は確かに歓迎されたけれども、本当にご自分が受け入れられたとは思わなかった、そういう理解もあります。その証拠が「彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。」(4:45b)という言葉なのです。ガリラヤの人がどうして歓迎したかと言うと、実は、ガリラヤの人もお祭りの時、都エルサレムに巡礼していた。その時、イエス様も、過越祭の時、エルサレムにおられて、そこで、目覚ましい奇跡を行われたらしいのです。そのことが書かれてある箇所が「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。/しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。…」(2:23~24)
 ここに書かれていることは、その奇跡を見て、お祭りに来た多くの人がイエスの御名を信じた。そこまでは良いようですが、主はその人たちを、信用されなかった、と言う、恐るべき言葉がここにある。それとの関連で、奇跡を見て、つまり御利益を得て、神を信じる信仰者は信用ならない。そういう意味で、故郷・ガリラヤの人たちが、真にご自身を敬っていることにはならない、やはり自分は故郷で敬われてはいない、そういう意味なのだと学者は説明しています。

 こういう学者のややこしい解釈、主を敬わなかった故郷とは、やれユダヤだ、やれガリラヤだ、そういう議論を読みながら、私は思いました。主イエスは、つまり生まれ故郷であろうと、霊的故郷であろうと、どちらにしても、敬われなかった、ということが分かったということです。つまり、主イエスは人間全体に敬われなかったということです。人は奇跡を得た時はイエスを愛した。でも人は皆、主が奇跡を行われなかった時は、もう敬おうとしなかった。主はそうやって、結局、全ての人間から捨てられて、十字架につけられたのです。人間によって利用されるのを拒んだからです。父なる神に御利用される道を歩まれたからです。人間の気持ちより、神のお気持ちを優先された預言者であれらたからです。「イエスは自ら、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」とはっきり言われたことがある。」(4:44)

 主がかつて、水をワインに変えたガリラヤのカナにおられた時、カファルナウムから役人がやって来て、主イエスに願いました。息子が死にかかっていたのです。都での主の奇跡を聞いたのでしょう。カファルナウムとは、ガリラヤ湖畔北にある大きな町でした。カファルナウムからカナまでは約30㎞、父は、高度差600㍍あるこの30㎞の道が果てしなく長く感じられたかと思います。やっと主イエスを探し当てて、どうかカファルナウムまで来て、息子を癒やして下さいと頼みました。主はそれに対してどうされたでしょうか。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(4:48)、そう言われたのです。まさに、人が主を歓迎するのは、人間の「気持ち」を叶える奇跡を見た時だけなのだ、それをあなたたちは信仰と呼んでいるだけなのだ、そう主はここで批判されているのです。そうやって、主は、私たちがこれが信仰だと思っていることを、打ち砕かれる。何のためでしょうか。真の命の希望を私たちに与えて下さるためであります。
 
 私は先週、50年来のファン遠藤周作さんの書いた『死海のほとり』を久し振りに開きました。ここに描かれているイエスは、福音書の主イエスではありません。その点で注意して読まなければなりません。しかし忘れ難いイエス像が描かれていると思いました。やはりイエスの故郷ガリラヤ湖畔でのことです。
 「その夏、何年ぶりかでガリラヤ湖畔の村や部落に疫病が蔓延した。…不幸がまたやって来たのだ。そういう時、ガリラヤ湖畔の住民たちは、自分たちのこの惨めさを救う人が南からあらわれるという言い伝えを思い出した。…彼が来れば、足の不自由な人は歩き、寡婦は慰められ、息を引き取った赤ん坊は蘇生すると言われていた。マグダラの網元のアンドレアも、幼い頃、夜、添い寝をしてくれる母親からその話をいつも聞かされていた。…ある日、イエスとその弟子たちが、湖畔に来て、そこで伝道を始めた。多くの病人たちが期待を込めて、イエスの所に癒やしを求めて集まっていると聞いた。この人こそ、何世代にも渡って湖畔の貧者たちが待ち焦がれていた、救い主ではないかという噂が流れていた。しかし、イエスはただ、病人の手を握り、その世話をするだけだったと、憎み蔑む者も多かった。…湿気のこもった暑さが毎日毎日続いた。そのためかアンドレアの幼い子どもも熱を出した。アンドレアは妻と交代で看病したが病気は治らなかった。匙を投げた村医から、ナザレにギリシャ人の薬剤師がいる、良い薬があるかもしれないと聞くと、アンドレはナザレに発った。いつもなら、さして遠いと思わないこの道のりが、アンドレアには遠いエルサレムに行くより長く感じられた。ようやく尋ねた薬剤師から高い値の薬を手に、ガリラヤに戻ってきた時、子どもは、泣く力さえ失い、妻の手の中でぐったりしていた。…もう薬も受け付けなかった。アンドレアは黙って、岸から小舟を出し、対岸の谷に、うち捨てられた病人と共に野営をしているイエスのもとへと舟を漕いだ。もし子どもを治してくれたら…と彼は櫓を動かしながら、心の中で叫びました。(すべてを捨てて、弟子になるだろう)。対岸に着くとイエスの名を連呼した。…やがて、イエスと弟子たちが現れた。「ラビ」と思わず、アンドレアは叫んだ。「来て下さい。子どもが死にかけているのです。」弟子たちは止めたのに、イエスはよろめくように、アンドレアの後に付いていった。…「この子は、何も悪いことをしていません。それなのに、何故、神は、この子を奪うのですか。」イエスは子どものそばに座り、片手で汗にぬれた子どもの頭をなで、もう一方の手でアンドレアの手を握っていた。しかし、子どもの息づかいは次第に静かに、熱から解放されたように、その息は消えた。「どうしたのだ」、アンドレアは、拳で自分の膝を叩きながら叫んだ。…すすり泣きが、あちこちから起こった。イエスも泣いていた。「神がそう願われたからだ。」そうイエスは繰り返した。「お前は何も出来なかった。」アンドレはイエスを指さして叫んだ。…何も出来ぬイエスは秋のはじめ、湖畔から人びとに追われて去っていった。彼と弟子を五ヶ月前、あれほど迎え入れた者たちが、罵声をあびせ、石を投げる光景が湖畔の至るところで見られた。アンドレアも彼等にまじって、石をひろい、イエスたちに投げつけた。彼の投げた石がイエスの頬に当たり、一筋の血が顔に流れた。「役立たず」と人びとと共に、アンドレアも叫んだ。

 そういう物語です。繰り返し申します。これは福音書のイエスではありません。福音書の主イエスは奇跡を起こすことがお出来になります。
 「イエスは言われた。『帰りなさい。あなたの息子は生きる。』その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。/ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた」(ヨハネ4:50~51)。
 この通り、この役人の息子の熱は下がり、生きたのです。では、遠藤さんが何故奇跡を一つも起こすことが出来ないイエスを描いたのでしょうか。それは、奇跡より、もっと大事なものがあると語るためです。遠藤さんはそれは「愛」だと言います。それはこのヨハネ福音書の言葉で言えば、「生きる」という言葉なのです。主が私たちに与えて下さる、最も大切なことは、ヨハネ福音書では3度も繰り返される、「生きる」(4:50、51、53)ということです。このヨハネの主題と言っても良い、「生きる」、それは単に、生物学的な意味での「蘇生」という意味ではない。ここが大切です。「永遠の命」に生きるということです。やがて、主イエスは、ベタニアで、ラザロの死に際して、マルタに言われました。「私を信じる者は、死んでも生きる」(11:25~26)と。

 誰もが死ぬのです。信仰者であっても重い病気になる人は後を絶ちません。この癒やされた役人の子どもも、ラザロも、そして、「死んでも生きる、これを信じるか」と問われ、「はい、信じます」と答えたマルタも、妹マリアも、やがて皆その肉体においては死にました。
 私たちも早かれ遅かれ皆死にます。やがて今ここにいる全員が、この世を去ります。私たちの教会は創立130年を迎えました。明治期にこの教会を建てて、毎週、私たちと同じように礼拝を重ねていた先達は、今、一人もここにいません。皆死にました。しかし、主イエスはその現実に逆らうようにして、大声で「生きる!」、そうここで、お約束下さっているのです。

 私は若い頃、教会で「どん底の救い」という言葉を教えられました。人の苦しみの上澄みを救うことは、人間にでも出来る。病気なら医者がそれを治すだろう。金がないなら、誰かが貸してくれる。そうやって、上澄みを救う人は大勢いる。しかし人生には、どん底がやって来る。医者でも治らない病気になる。破産する。いや、最大の私たちのどん底は罪だ。しかしそのどん底を救うのがキリストなのだ。それは病気が治ることではない。金が降ってくるのではない。そうではなくて、無一文になっても、治らなくても、死んでも、なお、消えることなき希望が与えられる。罪人も生きる。死んでも生きるという希望は消えない、それを与えるためにイエス・キリストは来て下さったのだ。そういうことを学びました。私は若い頃それを聞いて、本当にほっとした。今でもそれを思い出す度にほっとする。地上の御利益だけを宗教に期待する人は、きっとこのほっとする気持ちは得られないのだと思う。

 人間の願い通りに神様がして下さる、それだけでは、小さな救いしかないのです。もっと大きくて、確かな救いを、主は与えて下さるために、私たちの願い通りにはされない。願いを聞いて下さる時もあります。しかしそうでない時もあるのです。しかしそれは私たちを見捨てたのではい。繰り返し言います。人間に利用されることを主は拒まれる。だからこそ、主は、私たちの真の救い主になることがお出来になったのです。父なる神に利用されることを選ばれたのです。そこに、真の命が出現するからです。人の思いより神の思いを先にする時だけ、人は「生きる」からです。そのことを信じる時、始めて私たちは、真に主イエスを敬う生き方を始めることが出来る。目に見えるところでは、何の御利益もないように思われるところで、真の御利益、永遠の命の希望は揺るがない。それを与えて下さったイエス・キリストを、私たちは「敬う」(4:44)のです。それが主日毎の礼拝です。主は決して私たちを悪いようにはされない、その信頼に生きる時、魂の平安が与えられる。その平安によって、私たちの免疫力を強化される。それをも用いながら、神は、実際に私たちの病気を治して下さることも起こる。この役人の子どものように、そう思う。
 
 祈りましょう。 主なる父なる神様、あなたを本当に、敬うこと少なき、私たちの罪を思います。しかしあなたは、この第2のカナの物語を通して、私たちの水のような罪の心を、葡萄酒である信仰に変えて下さったことを、心より感謝します。どうかどん底に落ちても生きることが出来る、この信仰を一人でも多くの人に宣べ伝えることが出来ますように。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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