2019年3月3日 主日朝礼拝説教「南風よ吹け」
使徒言行録28:1~16 山本裕司 牧師
「…一日たつと、南風が吹いて来たので、二日でプテオリに入港した。/わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた。」(使徒言行録28:13b~14)
囚人パウロたちの航海は最初から逆風に悩まされ、旅半ばのクレタ島に到着した時は、もう秋も深まっていました。冬の地中海は大荒れになり、当時の船では航海することが出来ませんでした。ですからパウロを護送する船も、クレタ島で越冬することに決まっていたのですが、快適な港を探そうとして、海にふらふらと出てた時、暴風「エウラキロン」(使徒言行録27:14)に襲われます。そのまま沖へ連れて行かれてしまうのです。そして地中海を流されるままとなります。船乗りたちの熟練も船具も強風の前に、一切無力化され、どこを漂流しているかも分からなくなりました。
「朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。/そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。/ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。…そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、/残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。」(27:39~44)
彼等は、九死に一生を得てマルタ島に上陸しました。既にここまで、この船は、あらゆる積み荷を捨ててきました。多目的船であり、囚人護送というより、貿易が主要な目的でした。それによって、船主を始めとする船乗りたちは大きな利益を得る。それが自分の人生を守ると覚え、海に乗り出したことでしょう。しかし船が沈没しそうで、貿易品も、船具も、食料も捨てざるを得ない。そして、いよいよ、27:40節以下、嵐の中で、錨を捨てた。暗礁に乗り上げ、船尾のほうから壊れてゆく。皆、身一つとなって海に飛び込み、板きれにつかまり、マルタ島に上がるのです。振り返れば、船らしきものはなく、ただ残骸だけが波の上を踊っている。彼らは全てを失ったのです。しかし276人の乗組員、誰一人、生命を失わなかった。パウロは、主の食卓、聖餐を思わせる、嵐の中の食事会の中で「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(27:34)と約束した、その伝道者の語る神の言葉が真実となったのです。
人生もまた航海に例えられます。私たちは今、多くの有形無形の持ち物に頼る時、人生の航海は安全だと思います。しかしそれだけに、その安全装置の一つ、例えばそれは金です、例えば健康です、それが流され始めると不安でノイローゼになるかもしれません。
しかし創世記に「ノアの箱舟」の物語があります。大洪水から生命を守るために神ご自身が設計された舟には舵はありません。帆もない。それは自力で目的地を目指して航海するものではありません。箱舟は流されるままです。しかし人間が自分の持ち物を捨てて、風任せにした時、つまりそれは神任せを暗示する、その神の御守りに委ねることが出来た時、生命は全て守られたのです、それは大昔の非現実的なおとぎ話にすぎないと言ってよいのでしょうか。
私はかつて大洲教会に仕えていましたが、その先々代の牧師に山田京二牧師がおります。先生を大洲教会でお招きした時こう説教された。「信仰とは、若者や壮年期を生きる時の力だと言われる。しかし人間の一生とは、そのように体力もあり頭脳明晰な時代が全てではない。病気になる。だんだん老いてくる。昨日持っていたものを、今日は失うという季節を迎える。そして死ぬのだ。しかしその時こそ、むしろ福音というものが何であったか、はっきりするかも知れない。病人の方が、健康な者よりも、遙かに正しくキリストの救いとは何かということを見抜いている場合が多いと私は思う。」そう言うのです。私たちの人生もいつか「箱舟化」される。エンジンを回して、ガソリンを湯水のように浪費し、目的地にまっしぐらに進む、そういう世界から降りる季節が来ます。流されるのです。しかしそれは自然に翻弄されるのではない。病魔に支配されるのでもない、神が最良の岸に導いて下さることを信じて、流されるのです。
これを私が山田牧師から聞いたのは、ずっと前ですが、その後、やがて山田京二牧師は本当に失う、そういう経験をされました。それは、33歳の息子様を病気で失ったことです。先生はこう書いています。「今までも失ってきたものは沢山ある。しかしそれは何かで補充出来た。しかし息子を若くして失ったことは、なにものによっても補充出来ない。…そのことを通して、今痛切に思うことは、今まで自分は何と観念的にしか生きてこなかったかということである。言葉を換えて言えば、今まで自分は仮想現実の中で生きてきたのではないか。そうすると、今までしてきた説教は何だったのだろうか。今までわたしは説教者として自分は観念的な説教はしまいと心に誓ってきた。現実的な説教をしなければと思ってきた。その自信が今揺らいでいる。」そう言われるのです。これは説教者である私にとっても、恐るべき痛烈な言葉です。
息子の最期の日々において現れた、息子の凝視、あれは何だったか。夜、面会の方はお帰り下さいというアナウンスが始まる前後に、親に見せた息子の凝視は何だったのか。…彼は危険度ぎりぎりまで睡眠薬を飲ませても眠れなかった、あれは眠れなかったのではなくて、眠ろうとしなかったのではなかったか。夜が怖かったからだ。眠ってしまったらもう朝が来ないのではないかという不安があったのではないか。あの凝視は独りで死に行くことが怖かったからではないか。だから一緒にいてくれという訴えだったのではないか。もし彼が病院で最期を迎えるのではなく、自宅で最期を迎えることになったとしたら、どうだったろう。最期まで手を握ってあげることが出来たかもしれない。そうしたら息子の凝視はなかっただろう。われわれ親はあの息子の凝視を見なくてすんだであろう。…しかしそれが彼にとって幸いだったか。親にとって幸いだったか。そうではないだろう。彼が独りで死の闇に立ち向かっていくためには、あの凝視が必要だったのだ。死は独りで逝く以外にはない。彼は病院で、面会時間を終えた後、それを毎晩悟らせられた上で、最期を迎えたのではないではないか。もし最期を自宅で迎えることになり、親に手を握られて死んでいったならば、きっとそのことが曖昧にされて、ごまかされて逝ったことになったかもしれない。本当は死はそんなことでごまかしてはいけないのだ。親の愛でも、この地上のどんな人の愛でも、「死の陰の谷を行く」者にとっては支えにならないはずなのだから。ある人は言っていた。北欧の幼児教育で一番大切な教育は、幼い時に親の限界を知らせ、親を超えた神の存在を知らせることだという。だから夜、子どもが寝る時間が来たら、子どもが泣いても喚いても子どもの寝室に連れて行く。そのようにして、夜の孤独を知らせ、親は夜の守護者にはなりえない。その孤独の闇の中で親を超えた存在者にただ祈りすがりつく以外にないことを教える。それが幼子に親が教えなくてはならない一番大事な教育だと。そうであれば、病院での残酷とも言える面会時間が終わり、そのようにしていやおうなく一人にさせられていくということは、息子にとって幸いだったのだ。そうすることによって、彼は地上を超えたもっと確かな愛の方の存在を信じさせられて逝ったのだから。彼の凝視に堪えきれなくなって、目をそらした親から離れ、もっと確かなお方を探し、見つめようした、それが息子の凝視だったのではないか。」大変長く引用しました。しかし私はこの言葉が、今朝の御言葉の最良の注解に思えたのです。
まさに、病の嵐「エウラキロン」に襲われたこの家族が、そして、次々に自分のこれまでの支えだと思ったものを、海に流してしまう、そういう試練の中で、自分たちの能力で、どうすることも出来なくなった。親も子を支えることなど出来ない。人間には出来ない。しかしその時、私たちは、初めて観念ではなく、リアルに神だけが頼りだという信仰の神髄に至ることが出来るのではないか。
このパウロの船旅のコース「新共同訳聖書」巻末・地図〔9〕を見ると、何もかも失うような、嵐に翻弄される中で、しかし船は、一直線にマルタ島に向かっていることが分かります。いつの間にかローマに近づいているのです。自分ではどこにいるかも分からない闇の中なのに、目的地に近づいているのです。その神に委ねる信仰こそ、パウロが宣べ伝えている福音です。この難破の物語がさすがに「我ら章句」として克明に語ったように、これまで頼りにしていた物を一つ一つ海に流していく。しかしその失うことの中で、神の風、聖霊だけが、人生航海の目的地「神の国」へ導く、私たちはその信仰を得る、観念的でなくリアルに得るのです。その信仰の確かさを私たちに教えるために、神様は私たちの人生に試練の嵐を送られるのではないでしょうか。
難破して打ち上げられたパウロたちに、原住民の人たちは親切でした。マルタ島に降りしきる雨の中で震える遭難者たちの前に、たき火を焚いてくれた。それは本当に素朴な原住民らしいヒューマニズムが表れています。しかしその愛はひょんなことで水がさされたようになりました。やはりヒューマニズム、ここでも人間では間に合わない、それが暗示されている。親の愛でさえも無力化される、と山田牧師は言った。ただイエス・キリストの父なる神の愛だけが、私たちの寒さで震える裸を覆う、炎の衣です。それは、パウロも住民の手伝いをしようとして、枯れ枝を集めて火にくべると、その中に一匹の蝮が隠れていた。熱気で驚いて、パウロの手に噛みつきました。住民はそれを見て、このマルタ島で拝まれる「正義の女神」の裁きがこの男に下ったのだ、彼は人殺しに違いない。そう思って毒が回って倒れるのを待っていた。しかしパウロは、蝮を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。原住民は今度は一転「この人は神様だ」(28:6)と言いました。私たちの信仰の言い方に直せば、この人には、女神以上に強い神がついている、という信仰告白です。そのパウロに臨む真の神の力は、島の長官プブリウスの父親に及んで、その熱病を癒やします。それを聞いて集まってきた病人たちも癒やす。真の神を知らないまま、病のために深い孤独の夜を迎えていた人たちに、パウロは自らの遭難の経験を語ったのかもしれない。失ってもいいではないか。箱舟でいいではないか。女神や人間はあなたの守護者にはなれないけれども、真の神の愛の眼差しは、あなたを凝視していると伝道したと思う。その信仰の平安が実際にも病気を癒やしたかもしれない。「それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し…」(28:10a)、「我ら章句」です。それは「我ら」、つまり教会を暗示します。マルタ島で教会が尊敬されたのです。
マルタ島のパウロたちの上陸地点と思われるサリナ湾近くの村落に「聖パウロ、ようこそ」という名の教会があります。それは紀元1世紀頃の立派な石造りの邸宅基盤の一角に作られました。それが「島の長官プブリウス」の邸宅だったのかもしれません。神の揺るぎない愛を知らされたプブリウスがパウロを記念して自分の家を教会にしたのに違いありません。
かくして冬が過ぎ、「南風が吹いて来た」(28:13)という言葉が記されています。思い起こしてみれば、この船の旅は全て風によって導かれた旅でした。そして私たちは長い間、ここで読み続けてきました、使徒言行録が別名「聖霊言行録」と呼ばれてきたことを思い出すのです。まさにこのパウロの旅は、聖霊の風が吹いてくることによって始まりました。そしてその、風によって背を押され続けたパウロが、約束の地ローマに至る物語なのです。
しかし、聖霊の風は、甘い仮想現実ではなく、厳しくても「真の現実」の信仰に私たちの目を開くために、時に嵐となって迫ってきます。パウロも何度も聖霊によって、行き先を禁じられて、伝道地を変更させられたと、私たちはこの使徒言行録で学んできました。しかし結局、地図〔9〕を見ると、最短距離で、真っ直ぐに目的地・ローマにまで伸びていることに気付かせられる。
風がいつも吹いている。試練の嵐を受けた時も、それに耐える時、委ねる時、やがて私たちにも春の南風が吹いてくる。そして神が最初から用意しておられた良き所へ導かれるであろう、それを信じて、人生の旅を、希望を以て共に続けていきましょう。そこにこの世のものでない平安が充たされるのです。
祈りましょう。 主なる父なる神様、目先の人生の浮き沈みに囚われて一喜一憂する者です。しかし私たちは、いつも聖霊の風によって、究極の目的地・神の国に向かっていることを知らされ感謝をします。あなたの風に逆らおうとする時、私たちは返って滅びを迎えることを覚え、神様の風に素直に押されて旅を続ける者とならせて下さい。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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