2019年2月3日 主日朝礼拝説教「復活の希望を裁くな」
使徒言行録24:1~27 山本裕司 牧師
「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」(使徒言行録24:21)
使徒パウロがエルサレムでユダヤ人のリンチに遭った時、千人隊長が率いるローマ治安部隊が駆け付け、パウロを救い出し拘束という形で保護したのです。しかし憎悪漲るユダヤ人たちは諦めることなく暗殺の陰謀を巡らす。しかしその陰謀に気付いたパウロの甥が千人隊長に通報した。隊長は都エルサレムでは、パウロを守り通すことは出来ないと感じ、夜の闇をついてカイサリアに護送しました。そしてカイサリアに常駐している総督フェリクスに、パウロを委ねたのです。しかしユダヤ人たちの追撃も急です。パウロ護送の5日後、大祭司アナニアと長老たちはカイサリアに来てパウロを告訴する。そして裁判が始まるのです。
この裁判の結論を先に言いますと、「二年」(24:27)という言葉があります。総督フェリクスは、結局2年、何もしなかった。ユダヤ人にパウロを渡すことも、釈放も、どちらもせず、2年間、パウロを監禁しただけです。そもそも何故千人隊長がパウロをユダヤ人の殺意から守ったのかと言うと、パウロがローマ市民権を持っていたからです。同様に総督もパウロを迂闊には扱えません。また彼はエルサレムで起こったこの騒動が、ユダヤ人の宗教問題に過ぎないと知っていました。これはローマ帝国が恐れている政治的反乱ではない、だからパウロは無罪です。しかし総督は釈放しません。その理由はこうです。「…フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。」(24:27b)、役人の自己保身です。そのために無実の人の自由を奪って平気でした。
フェリクスは元々、ローマ皇帝クラウディウスの母に仕える奴隷だったと伝えられています。この皇帝は特に能力の高い解放奴隷を重んじた。そのチャンスを捕らえフェリクスは出世の階段を上り、ついにユダヤ総督の地位を得た。元奴隷の子がユダヤの最高権力者・大祭司に同伴した弁護士テルティロより、お追従からにしても、こう称えられるほどになった。「フェリクス閣下、閣下のお陰で、私どもは十分に平和を享受しております。…」(24:2)、実際は平和どころではありませんでした。フェリクスが着任してからというもの、熱心党のテロが随所で起こる不穏な時代になったのです。しかし弁護士は続ける。「…私どもは、あらゆる面で、至るところで、このことを認めて称賛申し上げ、また心から感謝しているしだいです。」(24:3b)
どうやったらこの奴隷の子が、ここまでへつらわれるようになったのでしょうか。解放奴隷の息子が、いかにして市会議員となるのか、その涙ぐましい選挙運動について紹介されていました(青柳正規『ローマ帝国Ⅱ』71~73頁)。ポンペイの神殿修復費用として、たった6歳の解放奴隷の男の子が寄進したという例があるそうです。あるいは立候補したある者は、闘技場での競技費用などを市民に提供し、人気獲得に努めた。ある金持ちの解放奴隷は、自分の墓の墓碑銘にこう刻みました。「これでようやく寄付という重荷から解放されて心安らかに眠ることが出来る。」
総督フェリクスは「パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた。」(24:26)ともあります。パウロ自身は無一文の伝道者ですが、彼はこうエルサレム上京の理由を裁判の席で述べています。「さて、私は、同胞に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。」(24:17)、総督は、「ナザレ人の分派」(24:5)の首謀者であると言われるパウロが献金を、外国人から集める力を持っていると知った。そこで総督は、パウロの保釈金として、ナザレ派(教会)から大金が集まるのではないかと期待し、そこから賄賂を得ようとしたのだ、そう推測する人もあります。とにかくこの記事には、奴隷から成り上がった男の、金に対する強い執着心が暗示されている。金こそ彼の高位を維持する力だったからでしょう。
この身分こそ、彼にこの世の喜びを与えました。彼の妻はユダヤ人のドルシラです。彼女は、使徒ヤコブを殺害したユダヤ領主・ヘロデ・アグリッパ(12:2)の娘でした。彼女は最初シリア王の妻となりました。ところがフェリクスはこの絶世の美女の若妻に一目惚れして、ある汚い策を用いて夫を捨てさせ、3人目の妻とした。彼は「あらゆる強欲、殺人、逸楽にふけった」という古代の記録も残されています。そのようなフェリクスと妻ドルシラが、何故か監禁されているパウロを呼び出し、信仰の話を聞こうとした。パウロがそこで宣べ伝えた御言葉こそ、「正義や節制や来るべき裁きについて」(24:25)でした。フェリクスはそれを聞くと恐ろしくなったと書かれてあります。総督はユダヤ人の人気を得るために、パウロ監禁し続けるという不正義を行った。富も女も追い求めた。つまり、正義や節制とはほど遠かった。「来るべき裁き」の教えを聞いた時、自分の来るべき日を思わないわけにいかなかったことでしょう。
パウロは手紙でローマ植民都市のコリント人たちが言った、この言葉を引用しています。「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか。」(コリント一15:32)、これとほぼ同じ言葉がポンペイ遺跡の銀の杯にギリシア語で刻まれていました。「明日は確かならざれば、楽しめよ生ある限り」(『ローマ帝国Ⅱ』168頁)。どうしてこういう生き方になったのか。その原因は、復活の信仰をもたなかったからだ、そうパウロは言った。「もし、死者が復活しないとしたら、/「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。」(コリント一15:32)、彼がこのカイサリアの法廷で訴えたことも、等しく復活でした。「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。…」(使徒言行録24:15)、復活信仰とは、地上のことだけで勝負はつかない、との教えでもあります。人が生き、そして死んで、全て結論が出てしまうのではない。復活の主が、私たちの死後でさえも、私たちを墓から引っ張り出して、地上でしたことに応じて裁きをなさる。そのことを忘れてはならない。その復活の信仰が、現世での生き方を、正しく整えるのだ、そうパウロは総督に説教しました。「しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った。」(24:25)
鈴木正久牧師は、1949(S24)年に、このフェリクスついて説教しています。フェリクスというラテン語名は「多くの実を結ぶ」という意味であると。しかしそこで鈴木先生は似た発音のギリシア語を連想します。それは「フェレスク」と、そしてこの意味は、果実が実っているようで実際には実っていない野生の無花果、つまり「偽り者」のことだ、そう説明します。現世では確かに、人も羨む身分を得て、フェリクスの名の通り「多くの実」を結んでいる。しかし、終わりの日に復活して、神の裁きの座に出た時、神から、いやお前は、「フェレクス」の方だと、見掛け倒しだと、そう裁かれるに違いない、そう思った時、夫妻は伝道者の言葉から顔を背けた。その恐れを振り払うように、この夫妻は、このナザレ派の信仰を笑い飛ばして席を立って、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」と戯れ合いながら食堂に向かった、その時にはもう今聞いた復活の話などすっかり忘れていたかもしれません。このように説教とは飲食の快楽の前に、直ぐ忘れられてしまうものです。
鈴木正久牧師の説教はこう続いています。「ある雨もようの夜だった。11時近く、私は御茶ノ水駅から家まで歩いて帰るところだった。私の心の中に、この使徒言行録の箇所が浮かび上がる…、その夜、私は疲れていた。そして「続けるべきか、止めてしまうべきか…」と呟いた。福音のために、人々の祝福のために、私たちは始める。だが多くの人は、その努力に無関心だ。全身の緊張をもって、その人たちのために、何かをなそうとする私の前を、一顧だに与えず通り過ぎる。さらに悲しいことは、そこに、3、4人の人は集まってくる。その人たちは、私たちに恥をかかせないために、「折角してくれるのだから」と集まって来るに過ぎないように見える。私はそのために眠らずに準備した。私は、この人たちのために、時間をさいてここに来た。この人たちが、私の差し出すものを受け取ってくれるならば良い。だが…」と。さらに先生は続けます。「こんな状態で、続けるべきか、それとも止めてしまおうか。他にしなければならないことは多いのだ、私は、こんな侮辱には耐えられない…」、そう言って、先生は、気を取り直すように、もう一度「だが」と語り始めるのです。
だが、ここに、あの「ローマの信徒への手紙」の筆者がいる。彼が相手にしたのは、フェリクスとドルシラだ。この偉大な使徒が「キリスト・イエスへの信仰についての話」(24:24)を語った。たった2人のために。しかも「度々」(24:26)。しかし出席者の関心は「正義や節制や来るべき裁き」の言葉でない。つまり「ローマの信徒への手紙」連続講解でない。「金をもらおうとする下心」(24:26)であった。一体、どれだけの期間、この偉大な使徒は、このような聴衆の不真面目に耐えたのか。先生は言う。パウロの若い時の2年間ではない。既にこの時、58歳だと。パウロの殉教は67歳、あるいは別の説では59歳ともある。パウロの残された時間は僅かでした。したい仕事は山のようです。こんな「実らない無花果」という名の男とその妻に時間を取られることはやってられない、そう思ったかもしれない。そこで再び先生は「だが」と言われる。だが、そう言ってしまったなら、私たちは、愛を一つも知らないのだ。何か一つのことをやり遂げる、本当の仕事とはどのようなことか、それも分かっていないのだ。ことに福音宣教とはどのようなものか、何も分かっていないのだ。我々は、大神学者や大牧師を呼ぶ時、何千人も入る大講堂を用意しなければと思う。だがあのパウロが、2年間、賄賂目当ての役人と妻の暇つぶしの材料に、聖書の話をさせられている、愛する兄弟姉妹たち、そのことを思え。こんなことがあってはならない。だがこんなことが私たちにはあるのだ。私たちは本当に羨やむと思う。古今東西の人類の中で、フェリクスほど、この偉大な使徒パウロの聖書講解を独占した者はいない。しかしこの夫妻は悔い改めることもなく、やがて転任していっただけだ。…そういう忘れ難い説教です。
フェリクスは、「来るべき裁き」について聞くと、恐ろしくなってパウロを帰しました。私は、これがフェリクスの最大の過ちだったと思いました。伝道者を帰さず、今度こそ「度々」、金のためではない、命のために話を聞くべきであった。正しい者も正しくない者も、復活した時、私たちを裁く神とは、私たちの罪の贖いを成し遂げたキリスト・イエスであるというところまで聞くべきであった。そうすれば、恐れを超えて、復活の命の希望を、彼は知ることが出来た。そして妻ドルシラを本当の意味で愛するためにも、「正義と節制」へと悔い改めることが出来たかもしれない。そうすれば、彼もまた「実のない無花果」でなく、本来の名「多くの果実を実らす」人生へと方向転換をなすことが出来たでありましょう。
パウロが本当に語りたかった「来るべき裁き」の日とは、決して恐怖の日ではない、むしろ希望の日です。パウロが、自分は正しく生きた、だから自分だけは最期の審判において、滅ぼされることのない。そういう自信の中でこの説教をしたのではありません。そうではなくて、彼は十字架の贖いを信じていたのです。パウロは元々教会の迫害者です。しかし十字架の主はそのパウロの罪を赦して下さった。彼にとっての裁きの日とは、罪の赦しの宣告がなされる希望の日であった。この福音の希望の前に、フェリクスとドルシラを何としても招待したいと、パウロは一所懸命2人と膝つき合わせて語り合ったと思う。
そうやって、パウロは諦めない。その力は、主イエスが諦めなかった、そこに源泉を持つ。私たちを救うために、「度々」私たちの名を呼んで下さり、かいなに抱こうとして下さる。終わりの裁きの時、その十字架の贖いの故に復活の希望を得ることが出来るように、御子は私たちに語り続けて下さる。3、4人であろうと、いえ、たった1人しか集まらない日も、雨の夜、御茶ノ水駅からとぼとぼと一人帰る空しさを味わわなくてはならない、夜の11時であっても、それでも次回も行こうと思い直して下さる。皆が「来るべき裁きの日」に耐えることが出来る、その「キリストの日に向かって」前進出来るように。それはローマの享楽とは比べることも出来ない、実のある人生なのだから、そう諦めずに招きの言葉を語って下さる、その主に感謝をしましょう。
主よ、この世の喜びの前に、直ぐ御言葉を忘れる私たちを、度々、御手の内に招こうとして下さる、あなたの憐れみを覚えて感謝します。この愛を知った者として、今、少しでも正義と節制に生きる者とならせて下さい。キリストの日が来たら、畏怖をもって、しかしそれ以上の復活の希望をもって、御前に立つ者とならせて下さい。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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