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2018年7月1日 主日夕礼拝説教 「タマル物語」

2018年7月1日 主日夕礼拝説教 「タマル物語」

創世記38:1~30  山本裕司 牧師

「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」(創世記38:26)

 ヤコブの最愛の子ヨセフが兄たちのリンチに遭い、エジプトへ売られてしまった「そのころ」(創世記38:1)のことです。兄たちの弟に対する蛮行は父ヤコブには隠蔽されました。ヨセフの血染めの長袖の断片が父のもとに届けられ、表向きはヨセフは野獣に食われたことになっていたのです。ヤコブはその報告を疑いながらも、ヨセフが失われた事実を長い煩悶の後、認めざるを得ませんでした。ヤコブはこの11番目の息子ヨセフに家督権と祝福を継承したいと願っていましたが、それは不可能となった。そこで浮上してきた息子こそ四男ユダでした。ドタンでヨセフの死を願わず古井戸の穴から引き上げ、イシュマエル人に売ろうと提案したのはこのユダでした。トーマス・マンに言わせれば、ユダは確かに愚かな罪を犯す男でしたが良心を持っていました。他の兄弟たちがあの惨劇の記憶に苦しめられることもない中で、ユダは父の悲しそうな顔を見る度に目を反らさずにおれませんでした。ヤコブは密かにヨセフなき今、かろうじて良心的なユダに祝福を継承しようと考えていたのです。
 そのためにユダは、父から宗教教育を徹底的に受け、半ば強制されたとはいえ唯一の神ヤハウエ礼拝を欠かすことなき男となりました。しかし彼は父の家を離れ「アドラム人」(38:1)の地に移ることによってカナンの誘惑を受けたのです。そこは農業神バアルと女神アシタロテとの交わりによって肥沃がもたらされるという信心が支配している地でした。その神々の振る舞いを真似て、祭りの度に神殿娼婦が参詣者と交わるのです。
 父の目の届かないアドラムのユダは、娼婦の誘惑にさらされる度に、自分自身の官能とせめぎ合わずにおれませんでした。彼はそれを恥じ、自分が祝福を受ける後継者に選ばれる資格が、本当にあるのだろうかと疑わざるをえませんでした。このように罪の誘惑に弱いにもかかわらず、良心の呵責が強い者こそがユダだったのです。他の兄弟たちは、父と唯一の神を裏切ることに何の痛痒も感じませんでした。つまり「地獄」とは純潔を願う人間にのみ存在し、獣には存在しない、そうマンは断じます。
 そのユダの生み出すユダ族こそ、後のイスラエルの歴史の中で卓越した地位を占めることになるのです。「南ユダ王国」や「ユダヤ人」の名もこの一人の男に端緒を持つ。やはりこの悩むユダこそが祝福(信仰)の継承者となったのです。後の時代、このように罪に苦しむユダヤ人パウロこそが「信仰のみ」という祝福を知ったように。

 「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。/…「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、/わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。/ わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。」(ローマ7:15~24)
 
 物語にはそのユダの結婚が記されています。「ユダはそこで、カナン人のシュアという人の娘を見初めて結婚し、彼女のところに入った。」(創世記38:2)、このカナン人の妻は3人の息子を産みました。エル、オナン、シェラです。やがて長男エルはタマルという嫁を迎えます(38:6)。この女性についてトーマス・マンは大きな想像の翼を広げて物語を紡ぎ出していますので、それを紹介したいと思います。

 タマルはヘブロン郊外の土地の子であり、バアルを信仰する小農の娘でした。母は焼麦やチーズを小娘に持たせてヤコブの天幕に売りに行かせていた。老ヤコブはタマルが売りにくると必ず買ってあげた。タマルの目は驚くほど美しく、その褐色の肌は黒光りし男心をそそる何か魔性的なものを感じさせ、ヤコブはすっかり彼女に惹きつけられていた。一方タマルも訪問する度にヤコブの語る「天地創造物語」に魅了され、彼を深く尊敬するようになっていた。ヤコブは彼女に大木や巨石を拝む自然宗教や、豊饒の神々が約束する御利益では、実は人は生きることが出来ないのだと教えた。我々が井戸のような陰府に落ち、その上を巨石の蓋が塞いでも、それをお一人で脇に転がして下さるお方こそが真の神であり、そのお方こそ砂漠の神ヤハウエなのだと教えた。同時にこのヤハウエこそ天地の創造者であり、無から言葉のみで万物と人間を創造されたのだ。ところが最初の人間は禁断の木の実を食べ、偶像崇拝に転落し楽園を追放された。その原罪は遺伝し、やがて生まれた兄弟は例外なく憎み合い、兄は弟を殺すのだ。そうやって唯一神・天地の創造主に人間は謀反を企て、それぞれ勝手な偶像を拝むようになった。しかしカナンから遙か東方の彼方、メソポタミアのウルで神は一人の男に自らを顕し、偶像から決別させるために行き先を知らせず旅立たせた。そのウルの男こそ私の祖父アブラハムなのだ。神は全人類の中から唯一選ばれたアブラハムに自らの祝福を与えられた。そしてその祝福を子から孫へ、そのまた孫へと永遠に受け継ぐことを命じられた。「この私こそヤハウエの祝福を受け継いだヤコブなのだ!」そうタマルの前で胸を張った。彼女が好きだったヤコブは、それを兄から騙し取ったことは言わなかった…。

 タマルは全能者の祝福を相続した大長老の言葉に圧倒された。このお方は神の祝福継承者として、ヨセフが減じてなお11人もいる息子の中から、どうも四男を選ばれたようだ、そう直感した時、ヤコブはタマルに重々しく預言してみせた。そのユダの血の流れの中から、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」と呻かずにおれない原罪を贖う、真の王が生まれるであろう。その王こそが上から全人類を押し潰そうとしてきた罪と死の石蓋を、ついに脇へ転がしてしまうであろう、その英雄の名こそ「シロ」(49:10b)であると。そう天上の秘密を女に打ち明けると、天を見上げて恍惚としてこう祈ったのだ。

 「主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む。」(49:18)

 タマルはそう聞いた時、電撃に打たれたようになった。自分は確かに異邦人・カナンの女に過ぎないけれども、私もまたこの神の宇宙的救済史の一齣になりたい、そう宗教的野心に捕らえられてしまったのです。それが彼女の信仰開眼でした。神の国という大海に流れ込む祝福の大河の一滴でも良い、自分がそれになりたい。ヤコブ先生が預言した、やがて到来する王の王、主の主「シロ」の大母にもしかしたら自分がなれるかもしれない、その予感で体がブルブル震えるほどであった。しかしタマルは既に後れをとっていて、ユダにはカナン人の妻がいて、それは聖書に名が載らなかったほど影が薄かったが、既に3人の息子がいたので割り込むことは許されなかった。そこでタマルは祝福の後継者であるユダから、次の後継者に選ばれるはずのユダの息子たちに目をつけました。彼女は老ヤコブが自分のことを好きなのを知っていたので、それを利用して、ユダの長男エルとの縁談をどうか進めて欲しいとお願いをした。ヤコブは自分が説教した天地創造物語や深い井戸の話に、身も心も夢中になってくれた初めての女タマルが、自分の親族になってくれるのが嬉しくないわけがなかった。それで一も二もなくユダに長男エルとタマルの縁談を進めるように求めた。ところがその結婚は祝福されなかったのです。「ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。」(38:7)、エルが何をしたかは書いてありません。マンの小説ではこの3人の息子ともろくな男ではなく、とうてい目に見えない霊的世界に思いを馳せることなど出来ない男たちであったと描かれてあります。とにかくエルは死んだ。そうするとどうなるかと言うと、古代世界の定めに「レビラト婚」(申命記25:5~6)があります。それは死んだ長男の代わりに弟がその長男の妻との間に子どもを作り、長男の名を残すという婚姻法でした。しかしユダは長男が呪われたように死んだことから、何かタマルに不吉なものを感じて、次男オナンを与えるのを躊躇していました。しかし何故か嫁の肩ばかり持つ父が頑固に命令するし、婚姻法にも逆らえず、結局ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」(38:8)、しかし次男のオナンは20歳になったばかりの遊びたい盛りで、子どもなど作りたくなかったし、子どもが出来たとしても、子は兄エルの名を受け継ぎ長子の家督権がそちらに相続されると知り、夜の寝室で子種を流して子どもが生まれないようにした。そこから「オナニー」という言葉が生まれました。やはりオナンも主の御心に反したために息絶えた。末っ子シェラは未だ16歳であり、いよいよ魔性の嫁タマルが恐ろしくなったユダは、何とかレビラト婚を免れようと嫁に命じた。「わたしの息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい。それは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった。」(38:11)、そう聖書に書かれています。

 それから3年が過ぎました。やがてユダの妻も死に、その喪が明けた頃、羊の毛を刈る祭りの日が巡ってきました。ヨセフのことや家族の死が続き鬱的であったユダですが、カナンの祭りに友人のアドラム人ヒラに誘われて、久し振りに愉快になり、ほろ酔い気分で道を歩いていると、お祭りにつきものの神殿娼婦が路傍に立っていた。これまでの禁欲もあって、そのはけ口を求めた欲望をむらむらと感じたユダは「路傍にいる彼女に近寄って、『さあ、あなたの所に入らせてくれ』と言った。」(38:16a)、この娼婦に変装している女こそタマルでした。彼女はオナンが死んで3年待っても三男シェラとの結婚が許されなかったことで、ユダの本心を知りました。しかし彼女の野心は消えず、自分がヤコブの壮大な救済史の一端に加えられることを願い続けてきた。そこでもはやその息子ではない、祝福の継承者と確実視されている義父ユダと直接関係を持とうと計画したのです。

 そのアシタロテ祭儀の報酬は子山羊一匹としましたが、当然ユダは持ち合わせていないので娼婦は担保を求める。その一つが「ひもの付いた印章」(38:18)であった。これはユダ家、さらには後のユダ族を象徴します。またもう一つの担保「杖」は「部族」とも訳される言葉です。つまりタマルは自分こそが、神の祝福を継承するはずの「ユダ族」の大母となる、その保証を求めている、それがこの担保の意味でした。

 その後ユダは子山羊を娼婦に与えて保証の印章と杖を取り戻そうとしますが、神殿娼婦はどこにも見当たりませんでした。それから3ヶ月が過ぎた頃、寡婦のタマルが妊娠していることが明らかになった。これはこの地方で久しくなかったスキャンダルでした。喪中の後家が浅ましいことをしたことが明るみに出たのです。舅ユダが激怒したのは言うまでもない。タマルはユダの二人の息子を次々に食い殺した上、この仕打ちかと血が逆流する思いであった。ところが結末はこうです。

 「三か月ほどたって、『あなたの嫁タマルは姦淫をし、しかも、姦淫によって身ごもりました』とユダに告げる者があったので、ユダは言った。『あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。』/ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやって言った。『わたしは、この品々の持ち主によって身ごもったのです。』彼女は続けて言った。『どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。』」(38:24~25)、ユダはタマルの相手が自分自身であったことを悟った。そしてユダは言いました。「わたしよりも彼女の方が正しい。」(38:26)と。

 マンはこれから半年後のことをこう描く。タマルは月が満ちて双子の男の子を産んだ。その子たちは健やかに育って立派な男になった。ユダは確かに二人の息子をタマルによって失ったが、それと比較にならないほど、ずっとましな二人の息子をタマルから受けた。最初に産まれたペレツはわけても逞しく育ち、やがてイスラエル・ユダ族の子孫たちを本格的に歴史の中に送ることになる、祝福の継承者となったのだ、と。

 新約聖書の冒頭は系図です。「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツは…エッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。」そして終わりに王の王、主の主イエス・キリストがダビデの子として、このユダ族からお生まれになるのです。

 ヤコブがタマルに教えた壮大な神の救いの歴史、私たちの人生と歴史に覆い被さる原罪、その死の闇の巨石の蓋、それをユダの末裔「シロ」は脇に転がしてしまい、私たちに生命と光を与えるであろう。その救済史の中に、勇敢にも自分の存在を組み入れようとしたタマルの血は、私たちキリスト者の中にも流れています。私たちの存在もまた、神の壮大な救いの歴史、全人類を祝福するまで続く神の物語、その一齣として、その流れの中に位置づけられているのです。それは何と名誉なことでしょう。

祈りましょう。 主なる神様、あなたは人類の歴史の曙から、私たち罪人を死から救う計画をたてられ、多くの人を用いられたことを覚えて感謝します。私たちの名もまた、その祝福を後世に伝える器として、御子の系図の一人に書き加えて下さい。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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