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2018年6月10日 主日夕礼拝説教 「ガラスの城」

2018年6月10日 主日夕礼拝説教 「ガラスの城」

説教者 山本裕司 牧師

創世記37・1~11

「兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。」(創世記37・4)

 左近淑先生はヨセフ物語講解冒頭をこう印象深く書き始めました。「ガラスの城、家族が壊れる、一軒の家庭の平和が突然崩れる。それは些細なことからも崩れます。神を信じる家庭にもそれは起こります。」

 このヨセフ物語を読んでいた先週、目黒区のアパートで3月、船戸結愛ちゃんが義理の父親からの虐待を受け死亡したという事件が報道されました。香川県善通寺市から1月に目黒に転居後、結愛ちゃんは軟禁状態の中ひどい扱いを受けてきました。4人家族ですが、両親の実子である一歳の長男を連れての3人の外出は度々目撃されていた。結愛ちゃんだけが電灯も暖房もない別室で寝起きしていました。真冬でも毎朝4時に起き勉強を強要されていた。ベランダに放置されることもあり、充分な食事も与えられずに衰弱死しました。そして結愛ちゃんが書いた日記が公表されたのです。
 「もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりも もっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください…」、ただ両親に愛されたいと願い、ついに報いられることがなかった女の子の言葉です。報道でノートを朗読する人も視聴者も皆涙なしにはおれませんでした。新聞によると警視庁の捜査一課の緊急記者会見の途中、課長はいつものように淡々とこの事件の経緯を説明し始めたそうです。結愛ちゃんの体重が12㎏しかなかったことに触れノートを読み始めた。「もうパパとママに…」、課長の目はいつの間にか真っ赤だった。ハンカチを取り出し溢れそうな涙を隠すように両目を拭った。捜査一課といえば殺人など凶悪犯罪と戦う組織です。歴戦の刑事たちを束ねるトップが涙を見せるとは…。そう記者は驚きを隠しません。つまり先週日本中が泣いたのではないでしょうか。これこそ国民的悲劇です。しかしこれすら氷山の一角であって、一年間20万件の虐待が起こり30~50人もの子どもが虐待死していると言われるのです。家庭だけでなく日本社会全体が今急速に崩壊過程にある、そう思えます。偶然先週公開された「万引き家族」(是枝裕和監督)は結愛ちゃんの事件を預言しているとしか思えませんでした。

 聖書の中にも不幸な家は多く登場します。「イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。」(創世記37・3)、依怙贔屓です。ヨセフは美しい母ラケルと瓜二つの美少年でした。ヤコブにとって文字通り亡き妻の忘れ形見でした。実はラケルにはもう一人の子ベニヤミンがいます。しかしラケルはその子を難産の末産んだ時死にました。そのためヤコブがベニヤミンを見る時その目はどこか悲しげであった。その他の息子たち、つまり無理矢理ラバンに押し付けられた姉レアや側女が産んだ子たちはヤコブにとって、はっきり言えばどうでも良かった。それはいけないとさすがにヤコブも思ったかもしれません。しかしヤコブが神と並ぶほどの情熱を注いだラケル、その最愛の妻がヤコブに残してくれたヨセフこそヤコブの全てだったのです。

 ヤコブはヨセフに「裾の長い晴れ着を作ってやった」(37・3)、これは礼服です。聖書では他に、ダビデ王の娘タマルが着る「飾り付きの上着」(サムエル下13・18)と訳されて出て来るだけです。それは兄たちの日常の服、今で言えばジーンズのような労働着ではありません。兄たちはそれを着て肉体労働に明け暮れていた。その中でヨセフだけは父の寵愛を一身に身にまとっていた。注解者は「裾の長い晴れ着」を着ることは、明らかに身分差を示していると指摘しています。

 それでトーマス・マン『ヨセフとその兄弟』がこう物語ることもあながち間違っていないと思いました。マンに言わせると、ヤコブはヨセフが11番目の息子であるにもかわらず、彼に長子権と祝福を授けようとしていた、そう言われます。ヤコブ自身の反復がそこにある。彼もまた母リベカの偏愛を受け、その入れ知恵で兄を出し抜き長子権と祝福を奪った人間でした。兄弟の順番が逆転することはもう自分で経験済みでした。世代を超えて同じ事をしようとするのです。本当の長男はレアの産んだルベンです。しかし彼は「父の側女ビルハのところへ入って寝た。このことはイスラエルの耳にも入った。」(創世記35・22)という恥知らずのことをした。それを口実にラケルの子・ヨセフに自分の全てを受け継がせようとした、そうやってヨセフを育てた。その偏愛がどれほど恐ろしい結果を招くか。ヤコブのラケルへの愛、その情熱が「ガラスの城」を破壊しようとしているのです。人は愛という名のもとに最も大きな罪を犯す、そう思います。

 しかもヨセフは父ヤコブの思惑をも超えます。37・2b「ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した。」(37・2b)、注解によると原文では微妙で、その告げ口は事実だけに止まらず、あることないことを父に告げたというニュアンスがあるそうです。そのようなヨセフの行動は兄たちの憎しみを増幅させていきました。「兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。」(37・4)、「穏やかに」この原文は「シャーローム」です。挨拶の言葉にもなりました。そうであればこの家には互いに「シャーローム」(平和)と交わし合う挨拶がない、平和なき家庭・ガラスの城がここに建ったと暗示されているのです。

 それだけでも済まない、ヨセフは夢を見る。「畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」(37・7)、ラケルの子こそ跡取りとしたい、そのヤコブの願望はそのままヨセフの野心でもあった。

 「年寄り子」(37・3)であるヨセフにとって、兄たちは皆遙かに年長で背高き筋骨隆々の労働者でした。ヨセフは兄たちを見上げて育ったのです。しかし彼は家庭で自分は特別だとのメッセージを受け取り続けた。兄たちの上に立ってひれ伏させたい、尊敬を得たい、その深層心理が夢として表れてきたのです。もう一つの夢はこうでした。
 「太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」(37・9)、「日」は父、「月」は母、またヨセフを入れて12の「星」は「黄道帯」(こうどうたい)を形成します。黄道とは空の太陽の通り道のことです。一年かけて太陽が12組の星座の間を移動していく、その道を黄道と呼びます。太陽の通り道を12の星座が守っている、そうやって宇宙全体の平和・シャーロームが保たれているという理解が昔からありました。それをヤコブ家に当てはめれば、この一家、太陽と月である両親と星座である12人の息子(黄道12星座と数がぴったりです)、この者たちが天球の14の天体のように、それぞれが自分の分をわきまえてその位置を守っていれば、家はシャーロームの円満を得る。ところがヨセフの夢はその調和した宇宙を崩す、つまり夢の中でヨセフの星がこの「円」から離れて一人拝礼を受ける高みに上る。そのため本来統合されるべきヤコブ家の円満に亀裂が生じるのです。

 自分がそのような家庭崩壊をもたらす存在とは、未だ無邪気なヨセフは気付いていません。しかしその夢を打ち明けられたヤコブは、さすがにその危険を敏感に感じ取ります。「一体どういうことだ、お前が見たその夢は。わたしもお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか。」(37・10b)と強く叱りました。既にひびが入っているヤコブ家のシャーロームが、さらにこの2つの夢の打撃で粉々に砕け散ろうとしているのです。

 当時ヤコブ一家はアブラハムの墓があるヘブロンに住んでいました。しかし家計の中心を担うレアの息子たち、つまりヨセフの兄たちはかつて自分たちが大虐殺事件を犯したシケムの草原で父の羊を飼っています(37・12b)。それは歩いて5~6日もの距離です。草原での労働の末何日もかけて労働着を汗みどろにしてヘブロンに帰った兄たちの前に、涼しい顔の晴れ着の美少年が出迎え、自分の見た夢の話を得意になってする。父の手前殴りつけることも出来ない。溜まりに溜まった怒りのマグマは噴出寸前です。

 ヤコブもその危険を直感して叱ったと先に指摘しましたが、それでいてヤコブは何故か息子たちとは違う思いをも抱いたと記されています。「兄たちはヨセフをねたんだが、父はこのことを心に留めた。」(37・11)、確かにこのヨセフの夢は、ただ人間的レベルではとんでもない傲慢というだけです。しかし夢は単にヨセフが王になりたいという深層心理からだけ表れるものではありません。そこには神の将来のご計画が暗示されているのです。この危険な夢の意味は御心においては、どのような意味があるのか、それをヤコブは思い巡らすことになるのです。

 それはヤコブ自身が経験したことでもあったからです。彼もまた若い時ヨセフ同様に家の主人になりたくて、兄の長子の特権と祝福を奪いました。そのため秩序が壊れたイサク家も家庭崩壊が起きました。しかしそこからヤコブの神を求める巡礼が始まります。そこに神の人間の罪をも用いる奇しき恵みのご計画があった。それを経験してきたヤコブはヨセフが夢を打ち明けた時、はっと何かを感じたのではないでしょうか。やがてヨセフは兄たちから虐待を受け、エジプトに奴隷として売られてしまいます。そうやってヨセフは約束の地カナンから消える。父ヤコブの嘆きは余りにも深かった。「ガラスの城」は脆くも崩れた。しかしこれもまた神の遠大なご計画の一部だったのです。神の不思議な導きによってヨセフはエジプトで王ファラオに仕える高官となる。やがてカナン地方が飢饉となった時、エジプトに頼って来たヤコブ家をエジプトの備蓄穀物をもってヨセフは救う。その時兄たちはヨセフと知らずにエジプトの高官の前に跪いて拝礼をしました。それはまさに「…いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」(37・7)、この夢の実現でした。

 しかしその夢とはヨセフ自身も兄たちも全く予想していなかった意味があったのです。あの夢はヨセフがイスラエル家の主(あるじ)になって、益々我が儘放題に支配するという意味ではない。数十年後に来るカナン地方の飢餓地獄からイスラエルを救うための神の深謀遠慮であった。いえそれ以上にもっと大切なことは、そのことによってヨセフも家族も等しく唯一の神ヤハウエの御旨の前に跪くことです。その礼拝によって家庭崩壊の傷口が癒やされ一つとなる。そうやってヤコブ家に付きまとってきた魂の飢饉から救われるためであった。
 私たちの罪深い人生もまた家庭も、神様の導きによって同じように再生への道へと進んでいるのではないではないか、そう信じます。

 祈りましょう。 主なる神様、結愛ちゃんの余りにも過酷な短い人生と死にも意味があったと、私たちは今は何も言えません。しかしヤコブ家の崩壊物語がそうであったように、結愛ちゃんの恐るべき受難を通しても、あなたが何か分かりませんが、私たち日本の家の救いを計画しておられる、それを信じることが出来ますように。御子の虐待死によって、私たち罪人が贖われたように、結愛ちゃんの痛みと犠牲が、余りにも病んでいるこの日本の家庭の再生となりますように、どうかあなたが、彼女の健気な一生が無駄でなかったと、結愛ちゃんの頑張りに心を留めて下さり、この悲惨この上なき「ガラスの城」日本を崩壊から守って下さい。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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