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2018年3月11日 主日朝礼拝説教 「美しい町の美しい物語」

2018年3月11日 主日朝礼拝説教 「美しい町の美しい物語」

説教者 山本裕司 牧師

使徒言行録10:9~28

「翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。」(使徒言行録10:9)

 御言葉に登場した町ヤッファはパレスチナ南部の地中海を望む港町です。ヤッファという名の意味は「美しい」です。昔から風光明媚な美しい港町であったからでしょう。その名は既に美しい町で美しい物語が始まると告げているようです。
 伝道の旅をしていた使徒ペトロが、ヤッファ近くの家の屋上で祈っていました。丁度昼の12時頃です。朝食を抜いたと思われるペトロはひどくお腹が減ってきました。下の階からは何か調理しているのでしょう、いい臭いが漂ってくる、そうしている内に「我を忘れたようになり」(使徒言行録10:10)幻を見る。天が開いて四隅を吊された大きな布が下りてきます。その中には汚れた動物が沢山入っていた。その時声がします。「ペトロ、これを食べよ」と。ペトロが「主よ、とんでもないことです。私は汚れた物を食べたことはありません」とお断りしますと、主イエスは「そんなことは言ってはならない」と言われた。目を覚ましたペトロがこの幻は何だろうと考えていると、彼を呼びに来る者がある。それはローマ百人隊長コルネリウスからの迎えの使者でした。ペトロはそれでヤッファの幻の意味を悟りました。彼はカイサリアに行くと、ユダヤ人がこれまで汚れていると避けてきた異邦人の家に泊まり共に食事をしました。そしてコルネリウスに洗礼を授けたのです。このコルネリウスこそ異邦人最初のキリスト者となりました。
 使徒ペトロは言いました。「ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」(10:28)、だから教会は誰も差別しない、外国人であっても教会の仲間になれる、と。まさに美しい町ヤッファで、美しい出来事が起きたのです。
 
 この古代の物語から千年以上後の中世、同じ港町ヤッファで再び美しい事件が起きます。そのことを私は「文明の道 イスラムと十字軍」というNHK番組から教えられました。西暦1096年、それは十字軍の嵐が都エルサレムで初めて吹き荒れた時代でした。ローマ教皇の命によって聖地エルサレムをイスラム教徒の手から取り戻すための十字軍が組織されたのです。そしてヨーロッパのキリスト教軍隊がエルサレムを襲いました。その時からエルサレムは凄惨な殺戮の舞台となった。十字軍に加わったヨーロッパ人は、イスラム教徒は人類の敵であり野蛮人と見なしていました。また彼らはイスラムに対して完全な勝利を収めれば、清められた聖地エルサレムに、再臨主が到来し最後の審判が下され、キリスト教世界が完成すると信じていました。

 この中世の信心を聞いて思い出すのは、それからさらに900年以上が過ぎた21世紀、エルサレムをイスラエルの首都と認定する米大統領宣言のことです。この政策を強く後押ししたのは米国福音派教会だと言われます。福音派は創世記において神がパレスチナをアブラハムの子孫、つまりユダヤ人に与えたと読みます。従って現在もパレスチナをユダヤ人国家・イスラエルが統治することが神の御旨だと主張し、さらにイスラエルの都エルサレムにこそ再臨主が来臨する、そう中世キリスト教同様の主張をしています。しかし今私たちが夕礼拝で読んでいる創世記から学ぶのは、アブラハムの息子にはイスラエルに直結するイサクの前に、奴隷ハガルが産んだイシュマエルが存在するということです。イサクが産まれたためにこの母子は荒野へ追放された。しかし神はこの疎外された母子を顧みて下さいます。その神の守護の中、イシュマエルは力強く育った。そのイシュマエルの子孫こそアラブ人であると言われ、その多くがイスラム教徒です。そうであればパレスチナに対するアブラ人の権利を創世記から導き出すことも可能なのではないか、そう思います。彼らもアブラハムの子孫なのですから。

 話は中世に戻りますが、最初の十字軍はイスラム教徒が守るエルサレム城壁を40日間攻撃し、ついに城内に踏み入り略奪の限りを尽くしました。7万人のイスラム教徒が虐殺された。この時のエルサレムの惨状をある司教は述べました。「これほど多くの死体を見るのは恐怖以外の何ものでもない。地面はすべて血で覆われていた。頭の上からつま先まで鮮血をしたたらせ、目につくもの全てに暴虐の限りを尽くす勝利者、その振る舞いも恐ろしさを倍加させた。」ヨーロッパ人のイスラム文明に対する無理解、イスラム教徒への差別心、蔑視が、このような人を人とも思わない大量殺戮を躊躇させなかった原因だったのです。現在、それに似た戦乱が「美しい町」と呼ばれるヤッファ近隣のガザでも起こっています。その痛みを預言するように、同じ使徒言行録に「このガザは今は荒れ果てている」(8:26、口語訳)と記されてあります。
 しかし教会はそうであってはなりません。ペトロがヤッファからカイサリアに到着した時、異邦人コルネリウスがペトロの足下にひれ伏して拝みました。その時ペトロは彼を起こして言いました。「お立ちください。わたしもただの人間です。」(10:26)と。主イエスにあってユダヤ人も異邦人もない、異邦人を汚れた者だと蔑視することは出来ない、そう主御自身がヤッファでの幻の中でペトロに教えたのです。教会はそこからユダヤ民族主義を打ち破り、異邦人にも扉を大きく開いて全世界に飛翔する時代を迎えたました。

 しかしこの聖ペトロの後継者と自称する11世紀のローマ教皇は、皮肉にもそのペトロの心と裏腹にイスラムに対する深い差別心から、使徒言行録の御言葉から全く離反する。大勝利した十字軍は聖墳墓教会の大改修工事に着手しました。イスラムの聖地・神殿の丘にはキリスト教の祭壇が持ち込まれ、イスラムの祈りの場がキリスト教会に変貌したのです。しかし十字軍の完璧な勝利はこの第1回だけで、後に再びエルサレムはイスラム軍の手に戻ります。そのため8度、十字軍はエルサレムに派遣され、血生臭い戦争が200年も続きました。

 そのような国際的袋小路の中、1215年、シチリアの王にすぎなかった若きフリードリッヒ2世が神聖ローマ皇帝に抜擢されます。当時のキリスト教世界で、最も偉大な支配者と呼ばれた神聖ローマ皇帝に任職することは、十字軍を率いてエルサレムを奪還する使命を負うことでもありました。その時の敵対者はカイロに都を置くイスラムのアイユーブ朝でした。アイユーブ朝は初代君主がエルサレム奪還以降、繰り返される十字軍の挑戦をことごとく退ける強大国家でした。時の王アル・カーミルは、フリードリッヒ2世の登場で再び激しい戦争が始まることを懸念していました。そこで使節団をシチリアに送り込み、敵の情報を集めることにしたのです。シチリアの王宮礼拝堂に足を踏み入れた使節は目を見張りました。金色に輝く壁面には聖書に描かれる情景が色鮮やかに浮かび上がっていた。ところが天井は蜂の巣穴を思わせるアラブの伝統を引き継ぐ形状で造られ、そこにはアラブ人たちの姿が描かれている。使節はフリードリッヒ2世に拝謁して一層の驚きを覚える。皇帝のマントにはアラブ調の文様が描き出されていた。そして何よりもその人物は完璧なアラビア語を操り、イスラム文明に対する称賛の言葉を口にしたのです。使節よりその報告を聞いたカイロのアル・カーミルは、皇帝に深い関心と親しみを覚え書簡を送りました。二人はその後様々な学問についての書簡を交わし友情を深めていきました。

 一方、ローマ教皇はいつまでも十字軍を組織しない皇帝に出陣を厳しく迫りました。その圧力に負けてフリードリッヒ2世による第5回十字軍遠征が計画されました。ところが彼はその後もなかなか腰を上げない。痺れを切らした教皇に再びせっつかれようやく出陣しましたが熱を出して寝込み、船を直ぐ引き返してしまった。それは教皇の逆鱗に触れました。そのため仕方なくフリードリッヒは再びパレスチナに渡りました。しかし彼は決して武力に訴えることをしませんでした。既に友人であったイスラム君主アル・カーミルとの外交交渉に臨む。つまり、安倍首相が北朝鮮を睨み付けて言う「最大限の圧力」とか、米大統領の「あらゆる選択肢が我々にはある」との威嚇、そのような好戦的姿勢は決して取らない。つまりこの度、ムン・ジェイン(文在寅)韓国大統領が選択したように親密さと対話による融和的姿勢で臨んだのです。
 フリードリッヒは使者を送りこう伝えました。「私にエルサレムを引き渡してくれ。そうでない限り私は国に戻れない。キリスト教徒に対して面目が立たないのだ。」勿論、アル・カーミルはうんとは言わない。しかし皇帝は粘り強い5ヶ月に亘る交渉を続けついに以下の平和条約締結に漕ぎ着けました。「イスラム王は神聖ローマ皇帝がエルサレムを統治することを認める」、「皇帝は神殿の丘を犯してはならない」、「神殿の丘はイスラムの法に基づきイスラム教徒が管理する」、「神殿の丘の威厳と尊厳を敬うキリスト教徒は、神殿の丘に立ち入ることが出来る」、このようにそれぞれの宗教を尊重し合う形で、エルサレムを共同管理することが定められたのです。この平和条約が締結された場所こそ、まさにこの美しい町ヤッファであった。ですからこれは「ヤッファ条約」とも呼ばれるのです。

 十字軍の戦いが始まって130年、エルサレムはこの時無血でキリスト教徒に解放されました。そしてイスラム教徒の宗教的権利も全て守られたのです。エルサレムに久し振りに平和が戻りました。このような武力以外によって外交問題を解決したのは、中世では革命的でした。当時のキリスト教、イスラム教君主が対話のみで、不可能とされた外交問題を解決したのです。聖地をキリスト、イスラム両教徒が共同管理する考え方はそれまでにない新しい発想でした。
 どうしてこんな奇蹟が起こったのでしょうか。それはフリードリッヒ2世が元々、多国籍多民族国家シチリア王国出身であったからだと分析されています。そこはキリスト教徒とイスラム教徒が共存共栄していた世界でした。フリードリッヒ2世はキリスト教徒でしたがその生い立ちからイスラム教徒の友人を多く持っていました。またイスラム文化を学び深く尊敬していました。イスラムに対する偏見のない知識と、友だちがいて相手を良く知っていること、つまり使徒ペトロが言った言葉で言えば、「わたしもただの人間です。」(10:26)、私たちはただの人間同士だということを本当に知っていた。この当たり前のことが分からない時戦争が起こるのです。戦争は常に差別と誤解と無理解から生じる。私は神でもないし、あなたは野蛮人でもない。私が野蛮人でもないし、あなたが神でもない、ただの人間ですと覚える。その信頼関係が粘り強い外交を生み出したのです。私は今、ムン・ジェイン(文在寅)大統領こそが21世紀のフリードリッヒ2世になれる、なりつつある、なって欲しい、そう切に祈っています。

 調査のためフリードリッヒ2世の墓を開いたところ、王はイスラム流の東方の衣装を身にまとって眠っていた。そのシャツの袖にはアラビア文字の刺繍が施されていた。そしてその文字は、ともにエルサレムに和平をもたらした親友アル・カーミルに向けた言葉が記されてあった。「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵ある富める者よ、勝利者よ。」

 ヤッファの幻の中で神は使徒ペトロに言われました。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」(10:15)、もはやヤッファの幻以来、相手を汚れていると蔑視することは許されない。主イエスはユダヤ人だけでない、異邦人をも愛する世界の主である、その事実が他国人との親密さを呼び起こすであろう。相手の文化、言葉を謙虚に学ぶことが出来るようになる。相手に対する深い知識を持てば、もはや野蛮人などと呼ぶことは、たとい地の果ての民族であっても決して出来なくなります。
 現在の国際紛争、特にヤッファ近くのガザの悲惨、さらなるエルサレムの慟哭、朝鮮半島の分断、それを克服するために美しい町ヤッファで起こった2度の美しい物語を思い出すのです。主の年40年のペトロとコルネリウスの出会い、主の年1230年のフリードリッヒ2世とアル・カーミルの友情、そしてこの混乱と分裂の21世紀の現在、ヤッファから学ぶべきことは余りにも多いと言わねばなりません。

祈りましょう。 主よ、あなたの御心に反する暴力の連鎖が、あなたの都・聖なるエルサレムを発火点にしてなお続いています。どうぞあなたが私たちにもう一度、屋上の幻を見せて下さい。そしてガザとエルサレムがヤッファとなることが出来ますように。平壌(ピョンヤン)とソウルがヤッファとなることが出来ますように。東京がヤッファとなることが出来ますように、聖霊を注いで下さい。

 (ムン・ジェイン(文在寅)大統領とキム・ジョンウン(金正恩)委員長が、軍事境界線・パンムンジョム(板門店)で握手を交わした歴史的会談の日・2018年4月27日、感動の中でこの説教の校正をした。)


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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