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2018年12月9日 礼拝説教「受けるよりは与える方が幸いである」

2018年12月9日 説教「受けるよりは与える方が幸いである」

使徒言行録20:25~38 山本裕司 牧師

「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。」(使徒言行録20:32)

 使徒パウロは第3次伝道旅行の帰路ミレトスで、エフェソ教会の長老たちを集めて長い決別説教を語る中で奨励しました。
 「だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。」(使徒言行録20:31)、パウロはエフェソでの3年間、心血を注いで伝道しました。それは具体的にはどういう様子だったのかを、私たちも使徒言行録の頁を遡れば、思い起こすことが出来るでしょう。

 彼はユダヤ会堂での伝道が妨げられた後、「西方写本」によると「毎日、ティラノという人の講堂で、第5時から第10時まで論じた」(19:9)のです。「第5時から第10時」とは、今の午前11時から午後4時までのことだそうです。この頃ギリシア人の一日の生活は、涼しい早朝に働き出して、午前11時なったら仕事は終えて長い昼休みを取る。午後4時まで休みをとるのです。暑いからでしょう、ゆっくり昼食と昼寝をして涼しくなった夕方に、もう一度少しだけ仕事をしました。哲学の教師だったのでしょうか、ティラノが講義をするのも、やはり朝から午前11時までだったに違いありません。その後教室が空く時間帯にパウロは聖書講義をしました。それならパウロは午前中は休んでいたかというとそうではない。彼が着けていた「手ぬぐいや前掛け」(19:12)という言葉があります。これはパウロがコリントにいた時、アキラとプリスキラと一緒に天幕造りをしていました。それと同じことをこのエフェソでもした。この手ぬぐいと前掛けとは作業着のことです。ある手紙でパウロ自身が書いています。「兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。」(テサロニケ一2:9)
 この「夜も昼も働きながら」とありますが、これは信濃町教会の笠原義久牧師が訳したホックの『天幕づくりパウロ』ではこう解説されました。これは「パウロが日の出前から働き始め日中ほとんど働き続けた」という意味だと。ホックは、当時の職人は「日の出から」働き始めるのであって、パウロが「日の出前から」働いたというのは尋常でない、それは並々ならぬ勤勉さのしるし、と解説する。そうであれば、パウロはこのエフェソでも未明から天幕職人として働き始め、しかしこの時は、ティラノの教室が空く午前11時に労働を終え、皆が昼寝をしている休みの時間に聖書講義をしたということになります。 

 パウロは長老たちに言います。「…わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。…イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」(20:34~35)

 自分は与えることの幸いに生きる、だから金銀を貪ったことはない(20:33)。そのために働いた。無償で聖書講義をした。それが2~3年続いたということは、やはり午後、昼食昼寝を捨て、パウロ先生の語る神の言葉に集中した聴講生が存在したということです。またこれはトロアスでの出来事ですが、パウロの説教が夜中まで続いた。そのため説教中眠りこけて窓から落ちた青年がいたほどです(20:9)。朝になったら皆働きに出なければなりません。パウロもそのまま旅を続けねばならい。しかし神の言葉を語ることと、聞くことの喜びが、飲食の喜びにも睡眠不足にも勝った、そう書かれてあるのです。

 そうやって御言葉を宣べ伝えた。そしてパウロは断じました「だから…だれの血についても、わたしには責任がありません。/わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。」(20:26b~27)、神の言葉を受け入れないのであれば、滅びても仕方がない、私は語るべきことを語ってきたからだ。内容的にも時間的にも徹底的に聖書を語った。だから伝道者が神の計画について教えてくれなかったから、自分は福音を知らないまま死んでしまった、だから天国へ行けなかったのだ、そんな言い訳を許しはしない。私はやるべきことはやった、誰かが救いを得ることなく死んでしまっても、その責任を私は負わない、そう言ってのけたのです。普通こうはなかなか言えない。これは本当に「この命すら決して惜しいとは思いません」(20:24b)、そう文字通り命懸けで御言葉を宣べ伝え、その責任を果たした者だけが言える言葉、まさに「夜も昼も涙を流して教えてきた」(20:31)教師の言葉です。今、私たちの教会も、主日に「夜も朝も」礼拝をしています。それは未だ足りないことはよく承知していますが、このパウロの努力に一歩でも近づこうとする西片町教会の志なのです。

 「わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。」(20:25b)

 かつて私が仕えていた大洲教会にとって、忘れることが出来ない宣教師の一人はアーサー・ブライアンです。彼は、1882(M15)年、米国長老教会外国伝道局より日本に派遣され、爾来、34年間伝道しました。多くの宣教師たちが大都会で活躍することを好む中で、彼は1885(M18)年4月にはもう四国・土佐に来て伝道したことが分かっています。彼は宣教最初期から地の果てと思われるような四国辺境に目を向けていました。
 1902(M35)年頃からは集中的に大洲教会、またその近接地を、記録によると毎日「巡回して御国を宣べ伝え」ました。また彼は地方弱小教会を財政的に支え援助を惜しみませんでした。それで会堂を得た教会もあります。

 「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」(20:35)

 このパウロに見倣ったに違いありません。いえそれ以上に、「神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」(20:28b)とあります。御子に倣ったのです。やはり血を流すようにしてその生涯を日本の救いのために与え尽くした。このような多くの宣教師たちによって、今の日本の教会が建ったことを忘れてはなりません。もし忘れるなら、やはり私たちも「だれの血についても、わたしには責任がありません」(20:26b)、そう宣教師から言われても仕方がないと思う。
 やがてブライアンは、1907(M40)年10月、中国旅順に旅立つこととなりました。大洲教会は深い感謝を込めて記念品を贈りました。その時ブライアンが引用して短い説教をした聖句こそ、このパウロの言葉なのです。

 「今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。」(20:32a)

 これをもって大洲を去り、会員は宣教師と二度と会うことはありませんでした。かくしてこの聖書の物語と同じシーンが、次の日瀬戸内海の港で見られたかもしれない、私はそう想像するのです。

 「人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。」(20:37~38)

 この使徒パウロとエフェソ教会の長老たちの別れの情景は胸を打つ。伝道者と長老とは、これほどの強い絆を持つと、改めて教えれられます。しかしそれは決して、パウロと教会員が一緒に観光旅行をしたり、飲食を楽しんだからではありません。パウロがしたことはただ一つ、福音を宣べ伝えることでした。そのただ一つに賭けた。他は禁欲した。それについてきたエフェソの長老たちがいたのです。神の言葉への集中です。そうでなければ、パウロもまたブライアンも、こうは言うことが出来なかったと思います。「今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。」(20:32a)
 何故、委ねることが出来るのか。それはこの御言葉だけが、「あなたがたを造り上げ、…恵みを受け継がせることができるのです」(20:32b)、そうある通りです。この「できるのです」という言葉は強い確信です。あなた方を造り上げる、つまり教会建設のことです。それが出来る。そして皆に恵みを受け継がせる、それが出来る、神の言葉だけが、そうパウロは約束しました。

 長老たちはパウロと決別して、今度はパウロ抜きで教会建設をしなければなりません。残される彼らはどんなに不安だったでしょうか。「わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。」(20:29)とも説教されました。そのような外患が教会を襲う。どうしたら良いのか。エフェソの役員たちがしっかりしている、だから安心だ、そうパウロは言ったのでもありません。「また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。」(20:30.)、そうパウロは「中からも」とはっきり言った。そんな内憂外患の中でどうやってパウロなしで教会を建て、「神の教会の世話を」(20:28)することが出来るのかと訝る。これだけ悪い予想がつくのであれば、パウロの使命は、このエフェソ教会から一歩も離れないことなのではないかとすら思います。
 しかしパウロは決然とエフェソを去る。何故なら、繰り返せば、神の言葉を余すところなく語ったからです。御言葉がエフェソ教会に存在する限り、どのような試練にも教会は耐える。その神の言葉を思い出して「目を覚ましていなさい」(20:31b)、そう奨めます。あのトロアスの若者のように神の言葉を前にして眠りこけ墜落しないように、目を覚ましていなさい。そうすれば必ず教会は建つ、あなたたちは出来る!だから私は安心して、あながたを御言葉に委ねる、そうパウロは別れることを恐れません。いつまでもベタベタすることを拒絶したとも言える。
 
 もう一度引用します。決別説教はこう締め括られました。「主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」(20:35)

 そうであれば、あの内憂「邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者」(20:30b)、この者の性格を注解者は「自己拡張の執念」と言いました。これは自分を与えることと逆のあり方です。奪う生き方です。しかしこの者は「邪説を唱える」狼の類と責められた時、そうは思わなかったかもしれない。自分だって一所懸命伝道してきたと言い返したかもしれない。しかし問題は与えることに生きたのか、受けることに生きたのか、どちらなのか、ということです。つまり奉仕をしているようであって、実は、与えているのではない。受けることを求めるのです。やった分を全部取り返そうとする。いえ、やった以上の見返りを求める。自分が重んじられることを求める。「弟子たちを従わせようとする」(20:30b)、ベタベタする。だから別れることも出来ない。自分のファンを作り、それ以外の伝道者を受け入れることの出来ない信者を作ってしまう。それこそが邪説の信心です。神の言葉より伝道者の言葉(邪説)が重んじられる教会が生まれる。私たちの内にもそのような、邪(よこしま)な心があるのではないでしょうか。だから教会はいつもいいところまで行って、頓挫する。内に覇権争いが起こり、分裂したり倒れたりしてきました。

 だからこそ、主イエスは「受けるよりは与える方が幸いである」(20:35)と教えられ、自らが手本を示して下さいました。邪な罪人の集まりである教会のために、ご自身の「血」(20:28)をただ一方的に注ぎ出して、私たちの邪な罪を赦して下さったのです。これこそがパウロが宣べ伝えた「恵みの言葉」(20:32)です。何が失われても、教会にこの「神の恵みの福音」(20:24)が残れば、立ち直ることが出来る。だから伝道者は安心してそこを去ることが出来る。このことを本当に知った時、邪な私たちも変わる。主に倣いパウロに倣いたいと思う。「神の言葉」に信頼するのです。この言葉こそ教会を「造り上げ」(20:32)る。自分が去っても、神の言葉は残る、だから委ねることが出来る。別れることが出来る。いつまでもベタベタと関係を持とうとはしない。「二度と…顔を見ることがない」(20:25)、それで良いのです。私たちの教会もこの思いの上に建つ。

 祈りましょう。 主よ、御言葉ではなく、もっと教会の絆を確かにするものがあるかのように誘う、この世の力から私たちを守って下さい。夜も昼も朝も、「恵みの言葉」から離れず、繰り返し私たちが陥る邪な罪から解き放って下さい。そうやって愛する西片町教会を建て続ける私たちとならせて下さい。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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