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2018年12月2日 主日朝礼拝説教 「「我ら」としての教会」

2018年12月2日 主日朝礼拝説教 「「我ら」としての教会」

使徒言行録20・13~24 山本裕司 牧師

「さて、わたしたちは先に船に乗り込み、アソスに向けて船出した。パウロをそこから乗船させる予定であった。」(使徒言行録20・13)

 「使徒言行録」を学ぶと「我ら章句」という言葉を知ることになります。それはこの使徒言行録の中に「わたしたちは~した」という一人称複数で書かれた箇所が表れてくるからです。既に一度「我ら章句」は登場しています。それは使徒言行録16・10~17です。これはパウロの第2次伝道旅行でのことですが、自分が計画した伝道地、アジア州やビティニア州に入ろうとしました。しかし2度に亘って聖霊によって禁じられる、そういう経験をします。それで現在のトルコ最西端、トロアスに行かざるを得ませんでした。
 そうやって仕方なく来たトロアスですが、その夜、幻の内に一人のマケドニア人が立って、マケドニア州、現在のヨーロッパですが、そこに来て助けてくれるようにパウロに願います。その時「我ら章句」が初めて表れるのです。「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。」(16・10a)
 それで古来多くの人が推測するのは、この時パウロとその一行の中に「ルカ」が加わったのではないだろうかということです。このルカこそ「ルカによる福音書」そして続編「使徒言行録」を書いたと言われる人です。執筆者ルカがここからパウロの伝道旅行に加わったのですから、当然「わたしたち」という一人称複数で使徒言行録を著述することとなったという理解です。
 そしてまた推測ですが、そうであれば、この箇所でパウロに来て欲しいと懇請したマケドニア人こそルカ自身だったのではないだろうかとも言われます。快諾を得るとルカはその後パウロの道案内として働いた。そして現在のギリシア領ですがフィリピに来て、川岸で紫布商人・リディアと出会います。彼女を導いたところ、直ぐ彼女も家族も洗礼を受けヨーロッパ最初のクリスチャンホームが生まれました(16・15a)。このフィリピ伝道の後「我ら章句」は消えます。そうであればパウロがさらにテサロニケへと旅を進めた後も、ルカはフィリピに止まり、リディアと共にフィリピ教会の建設に邁進したのではないだろうかと想像出来ます。
 そして次に「我ら章句」が登場するのが以下です。パウロとその一行は「先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。」(20・5~6)
 そうであれば、この第3次伝道旅行の帰路にパウロが立ち寄った、マケドニア州フィリピから、再びルカたちがこの旅行に加わったと考えられます。そして彼らがエルサレムに帰還した時(21・17~18)や、またついにパウロが都ローマに到着した時(28・16)も同様に「我ら章句」が表れますので、ルカはフィリピからパウロと共にエルサレム、さらにローマまで同行したと考えられるのです。

 最近、映画『パウロ 愛と赦しの物語』が上映されましたが、それを観ますと、医者ルカがパウロと並ぶ主役として位置付けられていました。ドラマでは既にパウロは迫害下のローマで捕らえられており、今や殉教の死を待つばかりの境遇でした。そのパウロを助けるために連日危険を恐れずに牢獄に通うのがルカです。そのルカの励ましの中、パウロは獄中で「テモテへの第二の手紙」を執筆する。この迫害下の教会にとって大きな励ましとなる手紙を、ルカやプリスキラ、アキラ夫妻が、手分けして羊皮紙に写本して、広く教会に流布しようと努力しているシーンがありました。またルカはパウロと共に今私たちが読んでいる「使徒言行録」の構想を練る、そういう情景が映し出されて感動しました。

 パウロは手紙の中で彼を「愛する医者ルカ」(コロサイ4・14)と呼びました。またパウロはローマでの殉教の直前(先の映画でも獄中での執筆シーンが登場しましたが)、「テモテへの第二の手紙」の終わりにこう書きました。「デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行ってしまい…。ルカだけがわたしのところにいます。」(4・10~11a)と。ずっと同労者であったデマスは最後の所で、この世を愛し、パウロを見捨てて去っていった。しかしその時もルカはパウロから決して離れず、その固い絆を「我ら章句」をもって表現しているのです。

 今朝の使徒言行録の言葉でも、パウロはこれからの自分の歩みがどれほど困難なものとなるか、「ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げて」(使徒言行録20・23)いる、そうエフェソ教会長老たちに語っています。「肉体の棘」(コリント二12・7)を持ち病みがちなパウロの最も苦悩に満ちた晩年の旅に、ルカは同労者、友人、医師として奉仕し続けた。伝道者パウロのルカに対する感謝は深かったと思います。
 伝道というのはどれほど優れた伝道者であっても、一人で出来るものではありません。デマスのように、この世を愛して去っていく者たちが多い中で、この世ではなく、あの世(天)を愛して生きたルカの存在がパウロをどれほど支えたか、計り知れません。伝道とはこのような友を得て、まさに「我ら」と呼び掛け合う喜びの中で初めて可能となる。この一人称複数で生きる所こそ「教会」です。まさに「讃美歌21」5番の歌詞にあるように「わたしたちは神の民」なのです。「我ら章句」とはこの「教会伝道共同体」の姿を指し示しているのです。

 「さて、わたしたちは先に船に乗り込み、アソスに向けて船出した。パウロをそこから乗船させる予定であった。」(20・13)、これら「我ら章句」は、旅に著者自身が同伴しているということですから、実に詳細となっています。
 アソスで一行はパウロと落ち合いエルサレムに向けて船出します(20・14)。エーゲ海東岸、現在のトルコ沿岸に沿って南下して地中海に出る旅です。ここに幾つもの地名が記されていますが「ミティレネ」(20・14)とは現在のレスヴォス島です。翌日、キオス島の沖を過ぎ、また次の日、サモス島に寄港する(20・15)。これらの島は観光客を集める美しいエーゲ海の島々です。この後も詳細で、まるでガイドブックがエーゲ海クルーズのコースを紹介するように、コス島、ロドス島(21・1)と、美しい景色を思い浮かべることの出来る地名が続きます。しかし言うまでもなくパウロの航海は物見遊山の旅ではありません。

 「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。」(20・22)、「“霊”に促され」とは、直訳すれば「御霊に縛られて」です。文語訳は「視よ、今われは心搦(から)められて、エルサレムに往く」と訳しました。巻き付くのです。「御霊」*1が自分に搦みついてくる。それを剥がそうと思っても出来ない。この表現はものの例えではありません。彼は都エルサレムで実際に捕らえられ鎖に搦められる。そして縛られたままローマに囚人として連れて行かれるのです。


*1「心」(文語訳)を、「御霊」(口語訳)と理解。  



 パウロの旅とは享楽の旅ではない。使命に生きる旅、他者から遣わされる旅です。パウロにはいつも主人がいる。聖霊です。主イエスであります。そのお方に搦みつかれて遙か遠くに行く他はない。それが神に召されるということです。
 その心が「讃美歌21」529に表れています。「主よ、わが身を、とらえたまえ、さらばわがこころ、解き放たれん」(1節)。この歌を礼拝の中で、心から「アーメン!」と応えることが出来るというところに、キリスト者のキリスト者であることの内実が表れてくるのです。
 私たち一人一人に迫る、聖霊の促し、神の求めがどこにあるのか、それは誰も教えてくれません。人に強制されるものでもない。一人ひとり神から直接示される。強いられると言って良い、そういうことだと思います。しかしそれは困ったことではない。聖霊は、一人ひとりが最も「解き放たれる」場所に召される、我を「とらえる」ことをもって、そう讃美歌は歌います。神に召されるとは、神と我の関係です。「一人称単数」の祈りの中で、神から示されるのです。

 パウロのこの第3次旅行帰路における「我ら章句」の中で、極めて興味深いのは、トロアスからアソスまでだけは「単独行動」を取ることです。「…これは、パウロ自身が徒歩で旅行するつもりで、そう指示しておいたからである。」(20・13b)、どうして、70~80㎞の陸路をパウロだけは選んだのでしょうか。どうしてルカたちと、それこそ「我ら」として船に乗らなかったのでしょうか。これは謎です。この季節の航路は特に北東の風が強くなるので、パウロは船酔いを恐れたのだという推測もあります。また別の研究者はトロアスから30㎞ほど過ぎ、海岸から内陸に入った辺りに、トゥズラという町がある。ここには古代から温泉があった。パウロは肉体の棘の痛みを温泉で癒やしたかったからだと、いかにも温泉好きの日本人研究者の憶測ですが、全く当てになりません。そうではなくて、パウロは一人になりたかった、そう理解することが一番正しいのではないでしょうか。
 
 再び「讃美歌21」の話ですが、有名な497番があります。「この世のつとめいとせわしく ひとのこえのみ しげきときに、祈りにしばし のがれゆきて、われはきくなり 主のみこえを。」(1節)、「我ら章句」のただ中だからこそパウロは、「われはきくなり」と、「一人称単数」となって「ひとのこえ」から離れたかったのではないでしょうか。実際、一行がいよいよエルサレムを目の前にしたカイサリアに到着した時、預言者アガボの警告*2を受けます。その時「わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。」(21・12)という「我ら章句」が表れます。そういう「ひとのこえのみ しげきときに」、パウロは主イエスに倣って*3、人を離れ御声に集中したかったに違いないのです。



*2 「ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。/そして、わたしたちのところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」(使徒言行録21:10b~11)

*3 「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1・35)



 その末にパウロは決断する。「今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。…」(20・22a)、激しい迫害が待っている、それを知っていながら、エルサレムに行く。何とか避けたかったかもしれない。しかしアソスまでの単独の祈りの旅、その終わりに、パウロは「御心のままに」とついに祈ることが出来たのではないでしょうか。それをルカたちも断腸の思いで受け入れました。「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ。」(21・14)、主の「ゲツセマネ」に匹敵する祈りの戦いがこの旅にはあったのです。

 私たちはいつも「我ら」であるわけではない。信仰者とは神の前に「一人」で立たねばならない単独者でもあります。預言者イザヤが御前に立ち「わたしが(一人称単数)ここにおります。」(イザヤ6・8)と応えたように、他の誰でもない自分だけに与えられる使命がある。それは誰にも代わってもらえません。それは「何故よりによってこの自分に」と思われるような人生の試練となるかもしれません。しかし聖霊から「一人称単数」の自分に搦みついてくるような使命に「捕らえられる」時、逆説的に「解き放たれる」歩みが始まる。そこで初めて私たちを縛ろうとする自分の罪、世間の罪から自由になれるのです。「私」がこの世に生まれた意味がそこに現れてくる。しかしそれは決して孤独になることではありません。その独自の使命が神によって組み合わされて「我ら」となる時、教会共同体の旅が始まるのです。

 「一人でいることが出来ない者は、交わりを用心しなさい。交わりの中にいない者は、一人でいることを用心しなさい。一人でいる日がなければ、他者と共なる日は、実りのないものとなる。」(ボンヘッファー『共に生きる生活』より)

 パウロは、今のトルコ、ミレトスに着岸しました(20・17)。エフェソとの距離は50㎞です。聖霊のお示しの内で、エフェソにもう二度と訪れることはないと知らされていました。そこでエフェソ教会の長老たちをミレトスに呼んで決別の辞を述べました。

 「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」(20・18~19)。

 2年以上苦労を分かち合ってきた長老たちです。パウロによって信仰を得た者たちが、やがて長老になるまでに成長した。その者たちと一緒に伝道した。伝道が進み救いがアジア州一帯に広まっていく様を見て、手を取り合って喜んだに違いない。一方それに連れて迫害も激しくなる。ユダヤ人の迫害、アルテミス神殿の銀細工師たちの攻撃、一緒にそれらに立ち向かい、まさに「我ら」となって戦い続けた日々であった。教会を建てる戦いは、いつの時代でも本当に厳しいものです。今もそうです。デマスのように「この世を愛する」者には出来ません。パウロは涙を流しながら戦ったと言います(20・19)。決別の終わりに「人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。」(20・37~38a)、教会を建てる喜びと苦闘、躍進と挫折、成功や失敗、出会いと別れ、それを一緒に分かち合ってきた者たち。その中でこの一人の伝道者と長老たちの燃えるような深い共感、友情と愛が生まれているのです。「我ら」という決して切れない強い主にある交わりです。「教会とはこういうものだ!」とルカは熱く訴えて止みません。

 祈りましょう。  主よ、どうか「一人」となって御前に立ち、私だけに与えられる使命をお示し下さい。その使命を集めて、この地に教会を建てる喜びと労苦を分かち合う私たちが、そこでのみ生まれる交わりの中で「我ら」と呼び掛け合う兄弟姉妹となることが出来ますように。聖霊を与えてください。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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