2017年7月16日 主日朝礼拝説教「『美しい門』を建てよう」
説教者 山本裕司 牧師
使徒言行録3:1~10
「ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。」(使徒言行録3:1)
私たちは既に聖霊降臨によって最初の教会が誕生したことを学びました。そうであれば何故その後も、使徒ペトロとヨハネは神殿に上って行ったのでしょうか。それは未だ旧約の世界に心惹かれていたからでしょうか。決してそうではありません。この神殿こそ神の住まいです。そうであれば世界のどこよりも先に、ここに御子の御手が伸ばされ、新約の言葉が伝えられねばならない。聖霊の息吹が吹き込まれて神殿が甦る、つまり神殿こそ教会となることを祈り求めて、使徒たちは神殿に詣でたに違いありません。
御子イエスこそ、神殿に行かれた時、父の家は「祈りの家と呼ばれるべきである」(マタイ21:13)と言われました。その祈りの家に反して、神殿を金銀のための商売道具にした人々を、鞭を振るって追い出される「宮清め」をなさいました。それは神殿がどうでも良いどころか、どんなに御子イエスがここを大切に思っておられるか、その表れです。神殿が金銀ではなく、神の言葉の支配へと変わることを求められたのです。使徒たちもその御心を受け継ぎつつ神殿に詣でたのです。
使徒たちは「美しい門」(使徒言行録3:2)の所に来ました。この「門」が神殿に多くあったどの門なのかは確定出来ません。「美しい門」というのは、正式名称ではなかったそうです。それで学者たちは推測しますが、有力な説は「ニカノルの門」ではないかということです。その門は特別に美しい細工の施されたコリント式青銅門だったからです。
ではそれら多くの門はどのような役割を持っていたのでしょうか。私たちは既に神殿の構造について何度も学んできました。神殿の一番外側には「異邦人の庭」という広場があって、ここまでは誰でも入れる。その次に「婦人の庭」があって、ユダヤ人男女のみがここに入れる。次に階段を上って行くと「男子の庭」がある。ユダヤ人男子はここまで入って良い。ユダヤ人であっても婦人や子どもはもう入れない。そしてまた階段を上ると「祭司の庭」があり、ここは祭司しか入れません。さらに階段を上っていくと、とうとう聖所に至る。ここで祭司たちは祭儀を司るわけですが、未だもう一つ奥がある。そこが至聖所と言われている、いわゆる本殿です。十戒を納めた「契約の箱」が安置される神聖この上なき場です。ここに入れるのは世界でただ一人、大祭司のみでした。
「美しい門」とは、聖所から最も遠く低い場所の東門で、異邦人の庭から婦人の庭に入る通路に当たると言う人もいます。そうであればこれはまさに、神の民と異邦人を分け隔てる門のことであり、それら弱い人を大切にされた主イエスの御心に反し、美しいどころか「醜い門」ではないでしょうか。
「すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。」(3:2)
この足の不自由な人は、門の外に置かれました。そうであれば異邦人だったのでしょうか。そうではなかったようです。ユダヤ人であった、神の民の一員だった。しかし彼は肉体の不自由を理由に、神殿に入ることが許されなかったのです。この神殿の幾重もの隔ての壁の意味は、神は正しい人により近くにおられる、という理解による。神は不義なる人からは遠い。それは神殿を支配した「律法主義」でした。人間は一人一人清さが違う、その清さに応じて細かく場が定まる。大祭司はその「正しさ」と「清さ」の頂点にあるから、幾重もの門を越え、階段を上って至聖所の高みに立つことが出来ると言われた。上があれば下が生じる。その対極の存在として体が不自由な人がいました。旧約聖書(サムエル下5:6~8)にも触れられていますが、ダビデ王以来、彼らは汚れた者と言われ、聖所から最も遠い門の外に置かれたのです。
御子イエスが本当にお嫌いになったのは、人間が勝手に人の善し悪しを判断する律法主義です。主は、人が表面的に律法を守ろうと守れまいと、等しく罪人だと洞察された。御前では大祭司と足の不自由は物乞いとの差はない。ところが物乞いは祭司だけでない、参詣者からも見下げられている。そこは都のどこよりも人通りが多いと言われる「ソロモンの回廊」(使徒言行録3:11)近くの門であるにもかかわらず、彼は神からも人からも遠く低く隔てられた所に置かれています。その40年(4:22)の孤独の中で、彼がこの門に座って願うことはただ一つ、金銀を得ることだけでした。それがなければ、明日金を払って門に自分を運んでくれる者も得られないのです。
つまり彼にとって金銀は死活問題でした。命を守るものを神と呼ぶなら、彼の神とは金銀であった。そこに彼の偶像崇拝の罪がある。しかしそれは彼の罪であって、そうではない。彼に「あなたの死活問題は金銀の有無でなく、神殿の主の有無である」、そう伝道出来なかった神殿宗教の罪がこの一人の男に凝縮したのです。しかしそこに神殿が教会となることを求めて使徒が来るのです。男はペトロとヨハネにいつものように金銀の施しを乞う。ところがペトロは「わたしには金や銀はない」(3:6)と言う。この何気ない言葉は深い。つまりここでペトロとヨハネ、そして物乞いが、同じ水平の地にいることが表明されるのです。使徒も物乞いと同様に金銀はない人間なのです。あるいは、ここでもペトロばかりが活躍してヨハネは何も言いません。ヨハネは何も役にたっていないように感じられます。しかしペトロは、「わたしたちを見なさい」(3:4)と物乞いに呼び掛けます。つまりこの3人は水平の場に立つ、上下はない、見下すことも見上げることもない。神殿のように人間の上下関係が立体的階段構造をとった建築ではなく、水平の世界がここに出現した。バリアフリーの教会がこの「美しい門」の前に生まれようとしているのです。
話は変わるようですが、明治初期、欧米の宣教師が来日した時もたらせたのは、神の言葉だけではありませんでした。西洋の文明を携えてきたのです。長い鎖国が解かれたばかりの明治期、その真新しい西洋文明に惹かれて多くの日本人が教会にやって来ました。それは伝道の助けになったかのようでした。しかし文明を求めて来た者は、それに飽きれば礼拝出席を止めたのです。今私たちの教会はそのような文明を提供出来る力はありません。むしろ巷に金銀が溢れ文明が進む中で、教会は相対的に遅れた場所になりました。元々教会にそれを求めるのはお門違いだったのです。「わたしには金や銀はない」(3:6)、使徒の伝道は「ない!」との宣言から始まるのです。しかしペトロは「わたしには金銀はないが、持っているものをあげよう」と続ける。使徒が持っているものとは、教会しか持っていないもの、神の言葉であります。
ところがバルトは、このペトロが唯一持っている、神の言葉こそがまことに貧しい、そう説教しました。何故なら神の言葉、その名とは「ナザレの人イエス・キリスト」(3:6)であり、ナザレのイエスは一銭も持たず、衣一枚持たず十字架につけられたからです。イザヤが預言したように、「見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。」ここには普通、人を喜ばせる金銀文明の類いは何もありません。御子こそ誰よりも貧しくなられたのです。御子こそが、私には「ない!」と言われた。この答えしかなかったから、受難週の夜ユダは主イエスを裏切ったのです。この答えしか聞けなかったから、ペトロは主を3度も知らないと否認したのです。この答えしかなかったから、他の弟子たちも皆、イエスを見捨てて逃げ去ったのです。
しかし主イエスには「何もない」からこそ、「持つもの」が出現する。それが十字架という神の言葉です。全ての人が金銀とは対極の貧しさをそこに見るしかない、十字架の言葉であります。しかし使徒は、誰もが目を背けるはずの十字架を抱く「わたしたちを見なさい」(3:4)と物乞いに命じる。神殿の中に金銀文明と律法主義という偶像が侵入して久しい。しかし今やその偶像礼拝の罪を贖う十字架の言葉が、神殿に入ろうとしているのです。ペトロもヨハネも等しく春の受難週「そんなものはいらない」と斥けた十字架です。しかし回心したペトロは今、教会のみが持つ十字架の恵みを手に取って「これをあげよう」と伝道を始めた。人間の目には貧しさの極みである十字架こそ、金銀文明に勝る至上の宝であると、罪と悪魔と死に対する勝利であると、それを明らかにされるために父は御子を復活させられた、と。
金銀文明という偶像を拝むことによって、創造主から離反し事実上死んでいる、だから立てない、物理的に足が立つとか、立たないということではありません。3度主を否認したペトロも、肉体的には立つことが出来ましたが、霊的には立っていない、死んでいるのです。それと似た姿をしている物乞いに、ペトロは、これが私の持っているものだと、自らを立たせた力をそのまま、物乞いに分け与えます。「ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』/そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。」(3:6~7a)、この7節aに出て来る「立ち上がらせた」、これは元のギリシャ語では、「復活」を意味する言葉がそのまま用いられています。物乞いは立つ、それは復活したということです。だから彼は何よりも先ず神を賛美したのです(3:8)。念のため繰り返しますと、ここで大切なのは物理的に立ったということではありません。霊的に立った、十字架の神の言葉によって、金銀を拝んで生きた罪が赦され、死から復活した、それが物乞いに起こった奇跡であります。
「躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。」( 3:8)
本当に彼に必要だったのは金銀ではなかった。門をくぐって神と出会うことです。ペトロとヨハネと「一緒に」肩を組むようにして、水平の石畳の上を3人が並んで進み、十字架の御子の父なる神を礼拝することです。
ある牧師が書いています。どうしてこの門を「美しい門」とルカは呼んだのだろうか。それは、この門のところで美しい出来事が起こったからだ、と。神とも隣人とも断絶されていた孤独な物乞いが、今、本当に上も下もない、ペトロ、ヨハネという兄弟を得て、神の所に行くことが出来た。彼にとっても、この奇跡を目撃した参詣者にとっても、それ以来、その門がたとえ「二カノルの門」でなかったとしても、どの門よりも美しく見えたに違いない。つまりそれはもはや神殿の隔ての門でない、全ての人を招く教会の「オープン・ドア」(門戸開放)となったからです。
西片町教会も今、創立130周年記念事業として、エントランス・玄関口を水平とする改築を計画しています。それは元々、西片町教会が持つ霊的意味のバリアフリーを、目に見える仕方でも表す「美しい門」を建てたいと願ってのことです。教会はそこで誰をも水平の世界に招く天国の門となる。その完成の日を皆で待ち望みましょう。
祈りましょう。 主なる父なる神様、西片町教会が「美しい門」を中山道に向かって、益々大きく開くことが出来ますように。そして教会の内外に「御名によって立て」との使徒的宣教の言葉を響き渡らせることが出来ますように、聖霊を注いで下さい。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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