2017年6月25日 主日朝礼拝説教 「使徒的教会建設を求め」

説教者 山本裕司 牧師

使徒言行録2:14~36

「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。」(使徒言行録2:14)

 私は基本的に主日礼拝の説教を「連続講解」で行ってきました。確かに理解の助けとして譬えを多用することは認めますが、気持ちとしてはその日に巡ってきた「聖書」の言葉だけを語ろうと努めてきました。どうしてでしょうか。それは今朝私たちに与えられた、使徒言行録2:14以下に記される使徒ペトロの説教を受け継ぎ真似ようとしてきたからです。世界で最初の教会で始まった説教とは、それはひたすらなる(旧約)「聖書」の解き明かしでした。

 二千年前の初夏、エルサレムの「上の部屋」(使徒言行録1:13)に聖霊が降った時、世界初の教会が誕生しました。その直後になされたことこそ使徒ペトロの説教でした。「炎のような舌」(2:3)である聖霊は、熱き神の言葉である「説教」を生み出しました。教会と説教が同時に生まれたと言う以上に、説教が生まれたからこそ教会が誕生したと言うことが出来る程です。

 「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。」(2:14a)、先程、このペトロの説教を真似ると言いました。このペトロの立ち姿を、そもそも説教者は真似ています。しかしペトロは一人で立ったのではありません。他の11人の使徒と共に立ったとのです。世界で最初の説教とは、12人の使徒全員が立ってするものでした。ペトロはその代表に過ぎない。ペトロといえども個人的な知恵を語るのが説教ではありません。私は今一人で立って説教をしていますが、しかし私の両側に、霊的意味ではペトロ先生を始め12人の使徒がこの講壇に共に立っていて下さる。そう言える説教をしなければならないと思います。

 それは説教とは常に、この使徒たちが「聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」(ヨハネ一1:1)その使徒の信仰を、いつの代もいずこでも、説教者は伝える、それが牧師の使命です。
 今、使徒の信仰と言いました。この主イエスの直弟子・12使徒はどのような信仰を持ったのでしょうか。私たちは、この説教の直前に、まさにその「使徒」という名を冠とする信仰告白「使徒信条」を告白しました。それは礼拝順序において説教に先んじる「使徒信条」に従い捕らえられて、西片町教会の説教は語られる、そう表しているのではないでしょうか。

 今夏、説教者としてお招きをした森本あんり牧師は名著『使徒信条、エキュメニカルなシンボルをめぐる神学黙想』の中でこう書きます。紀元400年頃最初の「使徒信条解説書」が北イタリア出身の修道士ルフィヌスによって書かれた。彼はその中で「使徒信条」という名の由来について書きました。復活の主の使徒派遣のお言葉「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:8)、この御言葉に従って、聖霊を受けた使徒たちは伝道のために世界中に散らされていく。しかし「一つなる教会建設」のためには福音理解がそれぞれ異なっていてはならない。旅に出る前に彼らは集まり宣教内容を定めようとしました。それが「使徒信条」である。その伝説はさらに拡大される。使徒たちはその時それぞれ一箇条ずつ自らの信じるところを持ち寄った。先ずペトロが「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と口火を切り、次々に他の使徒たちが続けていく。そして12人の告白が終わってみると、それはまるで縫い目のない一枚の布のようにぴったりと繋がっていた。それが今私たちが告白する「使徒信条」であったというのです。

 使徒たちが伝道旅行に散って行く前に、一つの信条を決定したという魅力的な出来事は、使徒言行録には記録されていません。しかしこの使徒信条の主旨は確かに今朝のペトロの説教の中に表れています。使徒信条で告白される「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」という言葉は、「…律法を知らない者たち(ピラトなどローマ人のこと)の手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。」(2:23b)との御言葉と重なります。「陰府にくだり」は、旧約の詩編16:10を引用している、「あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず」(2:27a)との言葉に暗示される。また「三日目に死人のうちよりよみがえり」は、「しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。」(2:24a)、さらに「キリストの復活について前もって知り…」(2:31)と前置きして、やはり同詩編を引用します。「彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない」(2:31)と。 また使徒信条の「全能の父なる神の右に座し」は、詩編110:1が引用され「わたしの右の座に着け」(2:34b)、そして「我は聖霊を信ず」、その信仰がやはり旧約・ヨエル書3:1以下の引用として明瞭に語られます。「神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。」(2:17)、このように、まさに使徒信条の源流となったと思われる説教がここに表れているのです。
 このように使徒は旧約聖書を引用しつつ、その御言葉をキリストの光に照らす中で、新しく説き明かしていきます。使徒は一途に聖書を語るのです。使徒のその志を受け継ぐ現在の説教者もそのあり方を真似て、聖書引用とその説き明かしに集中するのです。
 また今朝のペトロの説教の結論ですが、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシア(キリスト)となさったのです。」(2:36b)、これは、「我らの主、イエス・キリストを信ず」という使徒信条、最重要の告白と重なる。
 おそらくもっと詳細に分析すれば、使徒信条はこのペトロの最初の説教とさらに深く結び付いていることが判明すると思います。これこそ、12使徒が全人類に先んじて知った信仰です。その「使徒的説教」を世の終わりまで語り続けるのが西片町教会であります。

 その説教の初めに、「ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。『ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。…』」(2:14)、そう呼び掛けました。
 代々の説教者の願いは、まさにこれに尽きると思う。どうして声を張り上げたのか。それは既に聖霊降臨の奇跡によって、いろいろな国語で福音が語られ始めているのに、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた(2:13)からです。だからペトロは続けた。「今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。」(2:15)、どうして酔っぱらいの戯言と、使徒の言葉が嘲られたのでしょうか。その理由は、まさに説教で語られる「使徒的信仰」にあったと言わねばなりません。それは、十字架につけられて死なれたイエスが、陰府に下り、しかし甦り、天に昇り、神の右に座しておられる、この「使徒信条」が嘲られたのです。普通十字架につくとは敗北です。しかし使徒たちはこの五旬祭の時知った。それは敗北でなく勝利であったと。その証拠として神はこのイエスを復活させ、ご自身の右の座にお迎えになったのだと。今、イエスは、神の右の座におられる、ということの意味は、もう一度引用します。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」(2:36b)、そうペトロは説教しました。イエスは主となられた。イエスがキリストだったと。ペトロはまた王ダビデの名を旧約聖書からあげながら、イエスこそが王となられた(2:25,34)、と断じます。十字架につけられた男が葬られた後、今、我らの主、キリスト、王として勝利し君臨しておられる、そう「使徒的宣教」に対する嘲りに、徹底して抵抗しました。

 それから二千年が過ぎて、今朝もまたこの主日の朝、全世界の教会で、文字通り「岩」という名・ペトロの信仰告白という土台石の上に建つ教会で(マタイ16:18)、説教者たちが声を張り上げている。しかし未だ多くの人たちがこれを受け入れません。いえよその人のことなど言ってられない。私たち教会に来ている者が、本当にイエスこそ私たちの主、メシア、王だとの「使徒的告白」を受け入れているか、という問題です。

 ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の中で語った「大審問官」(宗教裁判所最高判事)の物語は余りにも有名です。舞台は16世紀のスペインのセヴィリアです。キリストがそこに現れる。その時大審問官はイエスを捕らえ尋問します。大審問官はこの男がイエスであることを知っていた。しかしこのイエスが来て下さったことを少しも喜ばない。「明日、お前を裁判にかけて異教徒として焼いてしまう」と言う。何故かというと、カトリック教会の世界支配の野望、それを「邪魔しに来たから」と言うのです。カトリックはそこで最高権威を失ってしまうことが予見される。しかしそれでも良いと思って、再臨のキリストの前に教会を上げて跪き御支配を受け入れる、その当たり前のことが出来ない。
 当時のローマ・カトリックの権勢は太陽のように輝いていた。カトリックを弱らせるいかなるものも大審問官は許すことは出来ない。それがたとえ神であってもです。主イエスであってもです。何故なら、カトリックが支配者でなければならないからだと言うのです。中世カトリックが、「ラテン語訳聖書」を正典として、それが読める聖職者だけで「聖書」を独占し、「使徒信条」とは相容れないどれ程多くの間違った説教や教理を語ったのか、その末に霊感商法・贖宥状販売がなされ、500年前教会を真っ二つに割る宗教改革を招きました。

 藤原藤男という神学者が『ドストエフスキー』という書物の中で、この大審問官について論じています。そこで彼は大審問官がイエスに言った「お前は私の邪魔をしに来たのだ」という言葉を我々は記憶せねばならないと書いています。彼は大審問官が、キリストに夜を徹してなす詰問は、この「邪魔問題に始まり、邪魔問題に尽きる」と書く。中世カトリックでなくても私たち小さなキリスト者、小さな教会にとっても、思い当たることがあると思います。使徒的教会を建てるためには、どうしたら良いのでしょうか。本当に主イエスの支配を受け入れることです。牧師は自分の言いたいことを、説教の名を借りてしてはなりません。役員一人一人も自分の願望を教会で実現することを求めるのではなく、主の御心のみが実現されるように献身する。そのためには「聖書」を読まなければなりません。教会で何かを語る時、ペトロの説教のように一々聖書を引用しない場合もあるでしょう。しかしその時こそ、自分の発言は「聖書」のこの御言葉に、「使徒信条」のこの信仰に、典拠を持つと、人に一々言わなくても良いのです。自らがその「岩」に立ち帰る、それを怠ることは危険です。

 ある牧師は、教会に生きる時一番難しいのは、自分の我が儘と戦うことだと言いました。私たちの根深い我が儘が吹き飛ばされ、神の御支配(聖書、信条)に従うことが大切です。しかしそれが罪人である私たちには出来ません。いつの間にか私たちも、私の言いたいことを言い、やりたいことをする、私が決める、という、「大」ではなくても「小審問官」になる。そこで私たちは首うな垂れる他はない。しかしそこでです。使徒ペトロは聖書を引用する。「『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。…」(2:17)、この聖霊を受ける時、私たちは審問官の座から降り、神の僕に変えられるのではないか。
 使徒パウロも言いました。「神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」(コリント一12:3)、私たちの力では出来ないことも、私たちの支配者である主イエスの霊、聖霊様のお力によって可能となる。典礼色・緑の期節、聖霊を日毎、週毎に受け、使徒的教会をこの堅き本郷台地・西片の地に共に建てていきましょう。

祈りましょう。 主なる神、私たちのために僕となられた御子を、私たちの主、王と賛美する使徒的信仰を受け継ぐ者とならせて下さい。そのために聖霊を豊かに注いで下さい。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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