日本基督教団 西片町(にしかたまち)教会へようこそ!バリアフリーの教会です。 どなたでもいらしてください。

2016年5月22日 主日朝礼拝説教 「ある村で」

2016年5月22日 主日朝礼拝説教 「ある村で」

説教者 山本裕司 牧師

ルカによる福音書17:11~19

「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。」(ルカ17:11)

 上記の御言葉に記される「サマリア」、ここは元々イスラエルに属していました。しかし歴史的に異国の支配を受けることが多く、混血が進んでしまった地域です。それは血の問題に止まらず、宗教的にもイスラエルが奉ずる純粋な信仰が守られませんでした。そのことで「サマリアは滅ぼされ/王は水に浮かぶ泡のようになる。」(ホセア10:7)、そう預言者から非難される程になった。神の民ユダヤに属するガリラヤからも蔑視され、隣接地でありながら、異邦人以上に嫌悪されたのがサマリアでした。その「サマリアとガリラヤの間」(17:11)、その境界の道を主イエスは通って行かれました。そこに「ある村」(17:12a)があったのです。「ある村」としか言いようがなかったと思います。ガリラヤでもサマリアでもない狭間の村、名も無き番外地でした。そこは「重い皮膚病」を患っている10人の病人が住んでいたのです。

 四国・大洲を流れる肱川とその支流が合流する辺りに、中州がありました。教会の人と近くを通りかかった時、「以前、あの中州で「らい」の人たちが暮らしていたのだ」と教えられた。思わず緑の小山のような中州を凝視した。小舟でもない限り渡ることも出来ません。誰も訪ねては来ない。増水すればどれ程恐ろしかっただろうかと、そこに追いやられた病人たちの孤独が痛い程感じられました。福音書の「重い皮膚病」(17:12)は、かつて「らい病」と訳されていました。しかし聖書の中に出てくるこの病気は「ハンセン病」とは異なることが明らかとなり、今は包括的な「重い皮膚病」と訳すことになりました。しかし当時は、体の表面を侵す病気は区別なく「らい」とされて、特別に嫌われてきました。間違った考えですが、この病気になる人は、大きな罪を犯したために神の裁きに合っていると判断された。その偏見と差別の故に、追われ追われて、北のガリラヤから一人また一人と、南のサマリアの丘から一人と、狭間の谷に吹き寄せられたのだと思う。そこには9人のガリラヤ人と1人のサマリア人が肩を寄せ合っていた。彼らはその「境」で「共に」生きた。彼らはもはや争わない。「ある村」(17:12a)の天涯孤独の前に、ガリラヤもサマリアもないと覚え、手を取り合うことが出来た。両町が決して出来なかった、共生と平和を、この狭間の村だけは実現する。そうであれば、病や弱さは、私たちに思いがけず、御心に叶った平和をもたらす力であります。

 神殿宗教が率先して疎外した病人たち、しかし彼らは、今、近付いてくる神の子を見る。彼らは「遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。」(17:12b~13)、私たちも地という「遠くの方」から天の神に祈ります。しかし遠近を問わず「声を張り上げて、イエスさま!」と祈る時、御来臨の主は聞いて下さる。主は「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」(17:14)と言われた。10人は主の御言葉に従って村を出ます。未だ病気のままです。祭司のいる都まで遠い道のりです。その間、普通の村々も通過しなければはならなかったと思います。人々からまた石を投げられるかもしれない。それは彼らにとって大冒険だったのではないか。病気でも良い、そっとしておいておくれと、だいたいイエスの言葉を簡単に信じて良いのか。そういう誘惑の声もあったと思う。しかし、その病気の苦しみは、主の言葉に服従し、信仰の冒険に出て行く力を人に与えたのです。そうであれば、試練や悲しみは、私たちに思いがけず、御言葉に服従させる力を与えるのです。ここにも健康な者には困難なことが、病者には可能となる、という逆説が現れる。そう思うと病や弱さ、試練や悲しみは、ただ否定的なことではない。何かそこから、人の魂の最も健やかな部分、信仰と倫理、そして行動力が引き出されてくる、そう思います。

 そうやって歩き始めた時、「…彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。」(17:14b~15)

 ある牧師は指摘します。ここでこの10人が、始めて分かれたと。1人と9人に分かれた。肉体が健康になったとたん分裂が始まった、とさえ言う。福音書はそう書いて、私たちに、真の健康とは何でしょうかと、問いかけているのではないでしょうか。
 どうしてここで分裂が起こったのか。理由は一つです。健康を回復した10人の内、9人のユダヤ人の心が、不健康に陥ったからです。祭司より治癒証明を得ると、一目散に故郷に帰って行ったのかもしれない。昔のように神殿には詣でたかもしれない。その神殿と祭司こそが、「天刑病」と自分たちを見棄てたにもかかわらず。つまり彼らはもう、強者、健常者の側に立った。「あの村」での日々は、なかったことにしたのかもしれない。「あの村」に戻るわけにはいかない。暫くすれば、また「あの村」に、「重い皮膚病」の者たちが集まるだろう。しかしもう健康な我々とは、何の関わりもないのだ、と。
 牧師は続ける。「社会に復帰することを許されたユダヤ人は、二度とイエスのもとには戻って来なかった。主(ぬし)のいなくなった断層の村にイエスが一人立ち尽くしていた」と。そしてこの人はその随想の中で、憐れみの人イエスは一人残されたと、無人になった村で、元の住民、病人たちの寂しさを、今度は主が代わりに負っておられる、耐えておられる、棄てられる悲しみに…。そう何度も何度も繰り返すのです。

 肱川の中州だけでなく、四国そのものが辺境でした。小さな教会が沢山ある。その一つの教会にH牧師がいました。先生はこうお語りになります。「ある日曜、私は奏楽者以外に聞く者の誰も居ない会堂で、一人説教壇に立っていた。着任以来始めてのことだった。会堂の外に響く人の足音に、どれ程心乱れたことであろう。説教壇から語られる説教は、きれいに掃き清められた会堂に、空しく跡形もなく消え去ってゆくかに思われた。整然と並べられた無人の椅子は、朝日に照らし出され、どれ程私の目と心にしみたことでしょう。」
 H牧師の渾身の伝道と牧会、いえ、H牧師を通してなされた、主イエスの御来臨とその憐れみに、町の人々は応えなかった。その朝、教会に「神を賛美するために戻って来た者は」(17:18)、だだの一人もいなかった。
 9人のユダヤ人は「ある村」に来て下さったお方を忘れる。いえ、そのお方を、村に置き去りにしたことを思い出した時、胸に微かな痛みを覚えたかもしれない。しかし、もうあの方の生き方、差別を共生に、分裂を一致へ、孤独を交わりに変えるために、境界線を破る、あの方に服従して、自分たちも境を越える、その信仰の冒険に出る勇気は、もはやない。その中で、サマリア人だけは「自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た」(17:15)のであります。

 この物語には、いつも一緒に旅している弟子たちが、一度も登場しない、という特徴があります。どうしてか。そもそもこの旅は、「イエスはエルサレムへ上る途中…」(17:11a)と始まります。それは「ある村」に一人立ち尽くす主のお姿に、エルサレム、そのゴルゴタの先取りがあると、ルカは暗示しているのではないでしょうか。そこで主は弟子たちからも見棄てられる。恩になったのに、誰一人、十字架の主のもとに、戻って来はしなかった。それにもかかわらず、主イエスだけは人を見棄てない。憐れみは、主イエスのお身体から血潮のように一方的に流れて行く。そして一滴も主のもとには戻らない。そう思われた瞬間、繰り返し申します、しかし一人だけは戻って来た。そして「イエスの足下にひれ伏し感謝した」(17:16)、分断を作り出す神殿や祭司、そこには神はいない、あの村に神はおられる、そう覚えたからです。

 私たちが、日曜日になれば礼拝に戻る理由は一つです。主イエスをお一人にしないためです。その時主は言われる。「ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」(17:17b~18)、このように、10人の内9人がいなくなってしまう主日の朝や夕であっても、他人はどうあれ、私一人だけは戻って来て、主の「足下にひれ伏す」(17:16)、礼拝者でありたい、終わりまで、そういう西片町教会会員でありたい。

 では、どうしてユダヤ人は戻って来なかったのでしょうか。ある注解者は、選民である自分たちイスラエルが、特権的に恩恵を受けるのは、当たり前だと思っていたからである、と指摘します。それに対してサマリア人は違った。たとえキリストが来臨しても、自分には関係がないように言われてきた。しかし主イエスは差別されない。サマリア人はそこで真の福音、ただ一方的な恵みをもって、価なき者に臨む救済に遭遇する。その福音を知った時「感謝」が生まれた、そう言うのです。

 私たちは、恵みに慣れる、そういうところがあります。長く教会に来て奉仕している内に、だんだん自分が特別に扱われるのが当たり前のような気分になってくる。これだけ仕えたのだから、自分に目を掛けてくれるのは当然だと、口には出しません、しかし腹の中では思っている。
 そういう傲慢の中で、私たちはふと現在のサマリア人を教会に見いだすことがあるのではないでしょうか。その人は最近教会に来始めたばかりの求道者かもしれない。あるいは、最近、重い試練によく耐えた人かもしれない。その人の新鮮、謙遜な姿を見て、私たちははっとする。既に聞き飽きたと、眠くなってしまう説教を、まるで美しい音楽であるかのように聞き、古いと思っていた聖書物語に興奮する人の存在に気付く。私たちが省エネモードで讃美歌を歌う時、「大声で神を賛美」(17:15b)する初心者を見る。何よりも、私たちがもう慣れてしまった、十字架による罪の赦しの福音を聞いて、涙を流す者を傍らに見る時、「ああこれが本当なのだ」と、私たちの信仰もまたリフレッシュされるに違いありません。

 「感謝した」(17:16)とある。ある教師が留岡幸助のことを書いています。留岡はキリスト教の牧師でありながら、思想家二宮尊徳が日本古来の思想と宗教を統合した「報徳思想」(徳に報い、恩を返すこと)を奉じた。私たちは天と地と人の、有り余る恵みを受けている。私たちは全力を尽くして、その万分の一でも報いなければならない。それが報徳主義の教えである。現代日本における人間観はこれと全く異質だ。自分はこれほど働いたと、しかし自分はそれに対してほんの僅かしか報いられていない、それを取り返せねばならない。それが出来なければ、不満の塊、もう止めたと言う。
 そして先生は言うのです。「報いることが少ないと思っていることと、報われることが少ないと思っていることとは、全く正反対である。考えとは恐ろしいものだ。考えていることが違うと、行動もまったく違ってくる。感謝する人生と、感謝しない人生、その行動は全く違ってしまう。家庭も教会も世界すらも、全く違ってしまう。天と地ほどに。ただ「感謝するか、しないか」、たったそれだけのことで」、そう言うのです。

 「それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」」(17:19)、感謝の中で戻った者は、礼拝が終わると立ち上がる、神に仕え隣人を愛するために。御子に倣って、境界を越え、「ある村」を訪ね、孤独な友に福音を伝え、交わり回復するために、信仰の冒険に出て行くのであります。
 
祈りましょう。 主なる神様、病み衰える時、むしろ御子御来臨に感謝する、健やかな心を得、健康を謳歌する時、むしろ信仰が病んでしまう、恐ろしさをわきまえる、私たちとならせて下さい。

〈この礼拝の終わりに、派遣の讃美歌(92番2節)を、皆で「大声で」(ルカ17:15)歌った。「…わきあがる感謝にあふれ、いま、出かけます。あなたのみむねに従うために。」〉


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



a:310 t:1 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional