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2016年3月13日 主日朝礼拝説教 「弟子の条件」

2016年3月13日 主日朝礼拝説教 「弟子の条件」

説教者 山本 裕司 牧師

ルカによる福音書 14:25~35

「大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。」(ルカ14:25)



 今朝、私たちに与えられたルカ福音書には、大変厳しい御言葉が記されてありました。大勢の群衆が主イエスについて来たのです。主イエスの人気はとても高かった。そういう時指導者は、後に続く大衆が躓かないように、細心の注意を払うのではないでしょうか。振り向いてはスマイルを絶やさず、甘い言葉をかけ続けるのではないでしょうか。ところが主は振り向かれた時、厳しい言葉を発せられました。ついて来なかった人に言われたのではありません。ついて来た人に言われたのです。そうであれば、これは、今朝の主日、さしたる事情もないまま教会に来なかった人に向かって、注意されたのではありません。私も含めて、今朝、とにもかくにも礼拝に集まった者に向けて、主が言われた言葉だと、読み始めなければならないのです。
 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」(ルカ14:26~27)
 主は、大衆扇動家や芸能人からあざけられるようなことを言われる。せっかくついて来る支持者、ファンを突き放すようなことをなさる。そのことで主は側近たちをどれ程はらはらさせたことでしょうか。つまり、主イエスは自分が人気者になることに関心はなかった。あられたのは、父なる神の御心に、御自身が先ずついて行くことだけでした。そのために、十字架を背負われ、自分の命を憎まれるのです。
 「憎む」(14:26)とあります。「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」これは強い言葉です。そうすると、私たちは何とかこの言葉を飲み込み易くしたいという思いにかられます。マタイ福音書にはよく似た言葉があります。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。」(マタイ10:37)、マタイの方は表現が穏やかになっているのが分かります。それを参考にしながら、この「憎む」という用語は、キリストを一番にして、家族を愛するのはその次にしなさいという、マタイと同じ意味だと、言い訳のように書いてある注解もあります。さらに言えばこの言葉が説教された時、ここに存在する躓きの石をせっせと取り去り、歩き易い平らな道にすることに汲々とした説教者もあったのではないでしょうか。そうやって御言葉を骨抜きしながら…、いえ主の言葉で表現するならば、「塩気」(14:34)なき説教をしながら、兄弟姉妹との甘い関係を何よりも重んじた大衆伝道者もあったかもしれない。そうであるならば、そこで牧師がどんなに人気者になっても、その者は「弟子の条件」(新共同訳聖書小見出し)を失っている、そう思います。
 裕司牧師が「弟子の条件」に適うなどと言っているのではありません。私もまた十字架を背負って主について行く、そのためには家族も命も憎む、そのことが出来ますと断言することが出来ません。大変弱い者です。しかし今朝も、とにもかくにも主について来て、ここに立つ私に、主がわざわざ振り向いて言って下さった言葉が、どれ程厳しくても、その御言葉から塩気を抜くことだけはすまい、その覚悟でここに立っているだけです。

 続いて主は、少々思い掛けない譬を持ち出されます。「あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。」(14:28)、ここに「塔」とありますが、これは注解書によると、ぶどう園の塔のことではないか、ということです。盗賊や獣が収穫をかすめることがないように、見張りをするための塔であった。あるいは戦争の時、敵の来襲をいち早く発見するための砦の見張り台を、主は思い浮かべておられたかもしれません。そうであれば直ぐ気づくことは、これが完成しなかったら、ぶどう園は荒らされ、城塞都市は陥落するかもしれないということです。塔が建たなければ守るべきものが守られません。その時、造り上げるための総費用を計算しなければ駄目だ。計算なしに何とかなるだろうと建て始めてしまったら、土台だけ作った段階で資金が切れて、人々にあざけられることになる。だから先ず「腰をすえて」(祈りの姿勢)計算することを主は求められるのです。そうすれば、大切なものは守られるのだ、そう主は言っておられます。
 この譬の前の主のなさりようは、大衆伝道者や芸能人から見たら、あざけりを買うようなことだと先に言いました。人気商売に生きる者は、大衆の心をくすぐる計算尽くで生きるものです。そのように皆が、これこそ計算高さと思うところで、主はそれと正反対の計算の話をしておられるのです。私たちも小なりといえども、同質の知恵を賢さと覚え、この世を上手に渡って行こうとしたこと幾度であったかと思います。人脈を大切にする、その末に結局、派閥の論理に取り込まれ身動きならず、あちらを立てればこちらが立たず、ということで、結局矛盾した発言しか出来なくなる。家族のしがらみに捕らえられ日和見主義となる。結局、実はそのような人生設計こそ、自分がこの世に生まれてきた「命」の価値を、「土台を築いただけで完成」(14:29)することが出来なかった、文字通り「台無し」にした人生だった。 それこそが真にあざけられる人生設計であった。「見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。」(14:29b~30)、あなたの一生はそれで良いのかと、主は私たちに問われているのです。

 次に主は戦争の譬を言われます。「また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。」(14:31)、かつて日本は、それこそ軍備が劣っていたのに、はるかに強力な大国に戦争を挑みました。ここでも「腰をすえて」(祈りの姿勢)考えてみれば、その愚かさは分かる。そして「敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。」(14:32)、その主の言われる、「腰をすえる」賢さを、最後まで大日本帝国は得ることはなかった。そして71年前の3月10日、東京大空襲によって、本郷周辺もまた灰燼に帰した。それは隣組、家父長制、そして天皇制の和を以て貴しとなす、その知恵に生きた結果でした。そしてここまで主に「ついて来た」(14:25)はずの者たちで作った日本基督教団、その諸教会の牧師たちが、鈴木正久牧師など心ある例外を抜かせば、こぞって塩気をなくした、そう歴史は証言します。私もその時代を生きたなら、その大多数の牧師の一人になったに違いありません。赤子(せきし)の父は天皇です。侵略によって拡大された領土は母なる大地。その父母とうまくやろうと思って、後に「天皇教キリスト派」などとあざけられる教会を建てた。そうやって父母、兄弟姉妹(日本基督教団)、自分の命を憎まず、愛した。つまり十字架を背負わなかった。それがどれ程間違った計算であったか、1945年3月10日の頃から皆だんだん気付く。その間違いに通底する、3月11日の原発事故から5年を私たちは先週迎えました。

 主が振り向いてまで言って下さった神の言葉、その塩気をなくせば、「役立たず、外に投げ捨てられる」(14:35b)、これを注解者は神の国から投げ捨てられる意味だと指摘します。神の国より「神国日本」を愛した時、いったい何が起こったのか、破滅であります。自分の家族の命も、日本本来の母なる大地も守れなかったのです。見張りの「塔」(14:28)はついに完成しなかったのです。だから「戦争戦責告白」で懺悔されるように、日本基督教団は、神が教会に託された「『見張り』の使命をないがしろにし」、「…『地の塩』である(はずの)教会」が、「あの戦争に同調」してしまったのです。それでは本当には家族を愛したことには少しもならなかったのではないかと言われるのです。今、「愛国心」と盛んに言われる時代に逆戻りしました。かつての愛国心が国を破滅させたのです。愛によって愛している相手を滅ぼすことは幾らでもある。そのような愚かな私たちに対して、主があえて「憎む」ことを命じられた、その真意を私たちは決して誤解してはなりません。

 牧師・留岡幸助は、1864年岡山県の高梁市に生まれました。その土地は身分差別の厳しい城下町でした。1872(M5)年、彼が8歳の時のことです。ある時、寺子屋で一緒に学んでいる士族の子と喧嘩になりました。士族の子は腰に木刀をつけている。しかし町人の子は丸腰です。幸助少年は士族の子に、散々木刀で殴られました。ついに我慢出来なくなって、殴った子の手首に噛み付いた。その翌日、士族屋敷から留岡の父親に出てくるように呼び出しがかかる。お前の息子がわしの子を傷付けたのだ、この日限りお前の出入りは差し止めると言われる。それは米と雑貨商を営んでいた父親にとって打撃でした。父親は帰ってくると幸助を殴りつけた。その時のことが留岡は一生忘れることが出来なかったと言います。木刀で叩かれ、やむを得ず反撃したのだ。そうしたら侍の父親が出て来て親父が叱られ、もう来るなと言われる。一体世の中どうなっているのだ。自分は好きで町人に生まれのではない。あの喧嘩相手も努力したから士族の子に生まれたのではない。それなのにどうしてこんな差別があるのか。いったい血って何だ、家って何だ、と問いました。
 幼い時の留岡の問いが応えられる日がやってくる。1880(M13)年、キリスト教伝道集会がその町で開かれました。説教者はこう言った。「士族の魂も、町人の魂も、神様の前では同じ値打ちです。」そして幸助は洗礼を受けました。しかし当時洗礼を受けた者には、村八分や投石などの迫害がありました。高梁教会は1882(M15)年に設立しましたが、住民は石を教会に投げつけました。その石の中で最も大きかったものに「迫害石」の文字が刻まれ、今でも教会に保存されています。そればかりか信者は町の冠婚葬祭に参加出来ない、官吏にもなれない。父親は我慢がならない。そこで警察署長に幸助を説得するよう依頼する。「親の命令に従うのは、これ権道(けんどう・臨機応変の知恵)だよ。この際は、黙って首を縦に振っておけば、家の中が丸く収まるではないか」、家の絆を第一として、賢く振る舞いなさいと諭します。しかし、その家や血の絆からの解放こそ、幸助が教会に引かれた理由でした。幸助だけではない。町人であった父親自身が士農工商の身分差別において、どれ程苦しめられてきたか。悪魔的な絆を憎み、「士族も、町人も、同じ値打ち」と呼んで下さるキリストを愛すること、それこそが命を守る「塔」完成の「権道」である、そう幸助は教会で学ぶ。その時、父もまた血の呪縛から解放されるであろう。だからこそ、子は、今は、大胆に父を憎む、家を憎む、しかし、そのことを通して、子は本当の意味で父を愛する、国を愛することが出来るのです。主イエスが本当に語りたかった計算高さとはこのことです。
 言い換えればそこで、子は父にとって、家にとって、さらに城下町や国にとっても、味を取り戻した「塩」(14:34)となることが出来る。甘い食べ物に塩を入れる時、そこに真の甘みが生じると言われます。甘いだけでは人は実は本当の意味で、甘く生きることも出来ないのです。

 最初に、この御言葉は厳しいと言いました。しかし実は、最後に言わなくてはならない。この御言葉を聞かないことこそ、実は私たちにとって、本当に厳しい、と。再び、3・10と3・11を迎えてしまうからに他なりません。「聞く耳のある者は聞きなさい。」(14:35b)

 祈りましょう。 主なる神様、この厳しい御言葉を取り次ぐ「弟子の条件」に最もふさわしくない者を、しかし御子は罪の贖いの故に弟子としてお用い下さる恵みを、恐れおののきつつ受け入れる者とならせて下さい。自分が人気者になることを求めるのではなく、「地の塩」、「見張りの塔」である西片町教会を、ここに建てる私たちとならせて下さい。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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