2015年5月31日 主日朝礼拝説教 「神はあなたを用いる」

説教者 山本 裕司 牧師

ルカによる福音書 9:10~17


 しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」(ルカによる福音書 9:13)



 ルカ福音書9:10に「使徒たち」という、原始キリスト教会の職制における最重要の身分が現れています。しかし学者たちは、主イエスが地上で伝道されていた時代に、この12人が「使徒」と呼ばれることはなかったと指摘します。使徒になるためには、主の復活の「証人」である必要があったためです。そうであれば、ルカは、主の復活と昇天後の教会が、12弟子に与えた「称号」を先取りして、ここで弟子たちを「使徒」と呼んでいるのです。どうしてルカはそんなことをしたのでしょうか。
 ルカ福音書は、主の年(西暦)80年前後に書かれたと言われますが、そうであれば、既に主イエスが天に帰られてから半世紀の歳月が過ぎています。多くの教会が各地に生まれていました。使徒、あるいは使徒に準ずる職務の者が、各地の教会に派遣される。そこで、伝道し、説教し、人々の病を癒す、そのような、後の教会で起こっている伝道者派遣とオーバーラップさせながら、ルカはここでの物語を書いたのではないでしょうか。そうであれば、今朝、私たちも、この物語を現在における伝道者派遣の出来事と重ね合わせて読むことが許されると思います。

 春になると、神学校を卒業した伝道者たちが日本各地の教会に派遣されていきます。まさに今の季節は、日本中の教会で、多くの就任式が挙行されている最中です。ルカ9:1以下の「12人を派遣する」物語を読んで、神学校の卒業式を思い出す人は多いのではないでしょうか。先生たちや祝いに駆け付けた関係者たちが、次々に卒業生にはなむけの言葉をかけます。そういう中で、妙なもので、私もそうでしたが、卒業生たちは、根拠のない自信のようなものをもって、意気揚々と地方教会に出て行くものです。「十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」(9:6)、使徒たちの初陣の姿です。
 最初は案外うまくいくかもしれない。ビギナーズラックもあります。牧師の招聘というのは、結婚と似ているようなところがありますから、蜜月の期間もあります。会衆も、青年伝道者の新品の説教に、最初は、魅力を感じてくれるものです。

 日本基督教団には「新任教師オリエンテーション」という集会があります。派遣されて数ヶ月後です。その時、皆もう一度集められて互いの報告をするのです。今朝のルカの物語でも、「使徒たちは帰って来て」(9:10)、伝道報告を喜び勇んでしたのだと思います。オリエンテーションはそれに似た機会、同窓の友人たちが一堂に会する本当に楽しい機会となるものです。しかし、この集会から再び現場に戻った頃から、怪しくなってくる。聖書の中の使徒たちも、この後、難しくなる。そしてその難しくなる理由が既に、この伝道報告に暗示されていると言わねばならないと私は思います。
 「使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。」(9:10)、彼らはここで、9:6に記されている成果を口々に報告し合ったのでしょう。あれもした、これもした、うまくやった、と。しかしこの伝道の勝利の中に、彼らが直ぐ行き詰まる原因があるのです。「自分たちの行ったことをみな…」とあります。この伝道理解に彼らの最大の問題があったのです。

 これと対照的な聖書の報告があると、恩師は教えて下さいました。これは使徒パウロとバルナバがアンティオキアに帰った時の報告です。「教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。」(使徒言行録14:27)、ここでは「神が…行われたすべてのこと」と報告されるのです。またパウロはこうも手紙を書きました。「キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは…、わたしの言葉と行いを通して、また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。」(ローマ15:18~19)、ここでも、「キリストが…働かれた」と繰り返されています。これらの証しに比べると、ルカの記す伝道報告は違います。彼らは「自分たちの行ったこと」だけを主張し、彼らを用いて下さったキリストと、まさに先週私たちが御降臨を子どもたちと祝った、聖霊の風の力を忘れているのです。これがこの後、結局、12人が伝道に躓く原因なのではないでしょうか。

 主はこの問題ある報告を聞いた時、弟子たちを連れてベトサイダに退き、暫く再教育の時を持とうとされたようです。弟子たちも伝道と癒しの重労働から解放され一息つきました。「使徒」という職務から解放されて、もう一度、一人の弟子に、いわば神学生に戻れたような気がしたのではないでしょうか。確かに彼らは「使徒たち」(9:10)と呼ばれたのですが、ベトサイダではいつの間にか、彼らの呼び名は、「十二人」(9:12)、あるいは「弟子たち」(9:14、15)に戻っています。彼らはどんなにほっとしたことでしょうか。

 実際、牧師たちには、もう一度神学校に戻って神学を学び直したいという願望があるものです。ところが群衆がイエスの後を追って来ました。主はこの群衆を見て、今自分がたてた計画を断念されます。人々を迎え入れ、説教し、病を癒し始められたのです。人々の悩む姿を見ると、主はほっておけなかった。充電の必要を忘れてしまわれる。憐れみの故です。これまでも遊んでいたわけではありません。使徒たちは何日も伝道の旅を続けてきたのです。その伝道がやっと終わった、弟子に戻れる、と思った瞬間、群衆が押し寄せてきて、また始まった、弟子たちはどう思ったでしょうか。

 ある友人の牧師の教会も夕礼拝があるそうです。一日緊張の連続で、それがようやく終わったところに電話が鳴る。そう彼は疲れ果てた、暗い顔で言いました。「日が傾きかけた」(9:12)とあります。暗くなってきた。それは弟子たち、伝道者たちの心の内を暗示しているのではないでしょうか。自分の中に蓄えてあった光、神の知恵や癒しの業、そして体力、そして何よりも肝心要は愛です。優しさです。それもまた夕暮れの中で使い果たしてしまう。どんどん貧しくなる。予想したよりも早く、現場では、凄まじい勢いで神学校での蓄えは枯渇していく。教会に仕えるとはそういうことです。説教に休みはありません。やっと説教を終えても、あっという間に次週が来る。悩みを負う人は、後から後から現れる。
 12人は主イエスに求めました。「群衆を解散させてください」(9:12)、後は信徒の自律に任せましょう。(自分たちで)「食べ物を見つけるでしょう。」(9:12)、しかし、主は言われました。「あなたがたの手で食物をやりなさい。」(9:13)、弟子たちは言い返した。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」(9:13b)

 もう私たちは、全てを出し尽くしました。神学も精神力も使い果たしました。いや何よりも憐れみです。それでもやれとおっしゃるなら、買いに行かせて下さい、つまり、北支区が今、導入を計画している「サバティカル」(安息年)を下さい、もう一度神学校で勉強させて下さい、留学させて下さい。この弟子の言葉はそういう意味だと思います。
 朝までは元気だった。「自分が行った」(9:10)と。しかし自分の持ち物というのは、まことに儚い。自信は脆い。それは吹けば飛ぶように使い果たされ、残るのは、パン五つと魚二匹のような、神学と愛の残骸のようなものでしかなかったのです。

 しかし実はそうなってから、伝道の本番が始まると、私は今にしてしみじみ思います。みな使い果たしてから、説教は始まると言って良いと思います。人の力ではない、神の恵みなのだ、人の知識ではない、神の知恵だ、人格高潔によるのではない、神の愛だ、そう語る伝道者は、先ず自分が「何もなくても生きることが出来る、伝道は出来る」、この事実によって、福音の力を「身をもって」証しするのではないでしょうか。その時、御言葉が伝わる。貧しくて良い、格好悪くて良い、ボロボロでいい。それでも、その残骸を主に差し出せば、主は用いて下さるかもしれない。その神の力を、聖霊の力を、信じ切れないところに、弟子たちが真の使徒になりそこなった、原因があるのではないでしょうか。

 ここで弟子たちが犯したもう一つの間違いは、「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません」(9:13)、この言葉にあります。この言葉の原文は、「ない」という否定形から始まるのです。ここには、ギリシャ語文法を超えた弟子たちの気持ちが込められているのではないでしょうか。「ない」ということが、弟子たちの先ず語りたかったことなのです。はたしてそうか、ということです。

 前牧師の山本将信先生の素晴らしい説教を紹介したいと思います。先生が神学生時代、筑豊で奉仕活動をされたことがありました。そこで伝道集会をしようということになります。並の牧師を呼んだって、誰も聞いてはくれない。誰かが吉田敬太郎牧師を呼んできたらいいというアイデアを出しました。中小の炭坑は、大抵やくざの親分が取り仕切っていたが、その中で一番羽振りがよかったのが、その牧師の父親だったと言うのです。それは絶対成功するということになって、その牧師を呼んだ。既に炭鉱が閉山されており、生活保護者ばかりが暮らしている部落での伝道集会です。彼らは何も持っていない。山の男としてのプライドも、金も、生き甲斐も、何もかも失っている。そういう人たちに向かって、吉田牧師はこう話し始めたそうです。

 「牧師のところに一人の人が訪ねてきた。それは事業に失敗した男で、死に場所を探して歩いていたが、ふと見たら教会があったので入ってきた。…自分はもう何もかも駄目になった。もう死ぬ外はない。けれども死にきれずふらふら歩いていたら教会があったので飛び込んで来た。…黙って牧師は聞いていましたが、最後に、あんたを助けてあげたい。あんた事業に失敗して、何もかも駄目になったと今話した。ところであんたの奥さんは元気か、そう尋ねたのです。ええ、妻は健康だけが取り柄で元気です。じゃこの紙に、妻あり健康と書け。きょとんとして、その男は、妻あり健康、と書きました。次に牧師は、子どもはいるか、と聞きますと、ええ息子が3人おります、まあ頭は悪いけど、やんちゃで元気な子たちです。よし、息子3人あり、健康、と書け。ところで、あんた、お金持ってるか。いや、借金しかありません。いや借金の話はもう聞いたけれども、今、ポケットにいくら入っているか。手を突っ込んだら3万円出てきた。いや、あんた私より金持ちじゃないか。それで3万円あり、と書いた。…そうやって一つ一つ書かせていったら、藁半紙一杯に「ある」ものが書かれた。それで牧師は、今あんた何て言った、何もないと言ったじゃないか、あるじゃないか、嘘つかん方がいい、と言った。この話を吉田牧師がした時に、山の男たちの間からやんやの喝采が挙がった。」

 私たちも奉仕を求められた時、「ない」と先ず神様に言い返すような存在です。本当は神様から必要な賜物は頂いていて、「ある」にもかかわらず。主はここで吉田牧師と同じことを言っておられる。「ない」と言い始める弟子たちの声をさえぎって、「いや、ある。5つのパンあり、2匹の魚あり」、それを出せばいい。すると何千人もの人が満腹するような糧になった。「 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。」(9:17)

 弟子たちにとって、サバティカルは台無しになりました。しかし、弟子たちは、もう一度机に向かって勉強するより何よりも、この経験を通して、計り知れない大きなことを学んだと確信します。主は、私たちの拙い捧げ物を「手に取り、天を仰いで」(9:16)祝福して下さる。その時、何かが変わり始める。そこに教会に仕える手応えが生まれ始める。私たちは皆伝道者です、これを信じて、共に、この伝道の道を進みたい、そう願います。

 祈りましょう。  主よ、直ぐ自信喪失に陥る私たちですが、この小さな者に聖霊を注ぎ、御国前進のために、なお用いて下さる、主の無限のお力を信じ、主にある自信、霊的自信を回復する私たちとならせて下さい。





・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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