2014年4月18日・金 テネブラエ・受苦日消火讃美礼拝 「社会構造悪に抗し」

説教者 山本 裕司 牧師

マタイによる福音書 16:21



 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。 (マタイによる福音書 16:21)



 私たちキリスト者は悪を避け善を行う生き方こそ信仰の道と覚えてきました。教会は伝統的に個々人の魂で起こる罪・不信仰や欲望を炙り出しその悔い改めを迫ってきました。時に「聖人」に求められる程の高度な信仰心、倫理観を、教会は理想として教えました。それはとても大切なことです。しかし、罪の理解をそのように魂の領域にのみ止めることは出来ません。たとい悪意がなくても社会の中で生きているだけで、私たちは「構造悪」に荷担している場合があるからです。構造悪のただ中で苦しんでいる隣人に対して、私たちは小さな親切には生きても、社会を根源的に支配している「巨悪」には無関心な場合があるのではないでしょうか。そのようなあり方が、結局20世紀、ドイツ教会がナチスによるユダヤ人大虐殺を黙認し、アメリカのクリスチャンが広島長崎への原爆投下の最中、穏やかに礼拝を守ることが出来た理由なのではないでしょうか。大日本帝国による朝鮮、中国に対する差別と収奪、拷問と殺戮が行われた時、私たち日本基督教団はその支配に荷担したのです。教会に集う一人一人は善意の人であるにもかかわらず、結局自分でも知らない内に悪魔に取り込まれ協力する側に立っている。そうであれば、教会は魂の問題だけでなく、社会の奥底に隠されている「構造悪」を洞察し、自らの沈黙の罪を悔い改めることも、このレントの期節求められていると思います。


 先般の支区総会(2014年3月30日)において殆ど満場一致で可決された、北支区「核問題に対するキリスト教信仰に基づく宣言」は「原発をめぐる罪責の告白」から始まります。

 「私たちは、環境破壊をはじめとする多くの犠牲の下に手に入れた経済的に豊かな生活を維持するために、危険性を指摘する多くの声があることを知りながら日本国政府がすすめる原子力政策と全ての原発に対して明確な意思表示をすることなく黙してきました。…」


 3・11であれ程の経験をなし事故は収束していないにもかかわらず、今、何事もなかったかのように原発再稼働、原発輸出、核燃料サイクル推進を目指す国政に驚き、不思議にさえ思えます。しかし私は、現役キャリア官僚が書いたと言われるベストセラー『原発ホワイトアウト』を読み、その理由の一端が分かったような気がしました。そこで描かれるのは「原発マネー」という甘い蜜に群がる経産省、電力業界、政界、産業界、マスコミの赤裸々な内情です。それは小説というよりは、小説の体裁をとった社会構造悪の暴露本と言ってよいと思いました。

 物語は、関東電力(モデルは東電)総務課長であった小島が、政治献金システムを考案したことに始まります。電力会社は消費者からの電力料金を「総括原価方式」で決めることが出来ます。この方式は、事業にかかった費用が幾らであれ、消費者から回収出来る仕組みでした。経費を浪費したら浪費しただけ電力料金を上げて、報酬を増やすことが出来るため電力会社には経費節減意識は生まれません。結果として電力会社の様々な業界に発注する費用は、相場と比較して2割高となっている。取引先企業にとってこれ程ありがたい「お得意様」はありません。小島はこの電力会社から業者が得ることの出来る「超過利潤」(暗示的ですが「レント」と言う)、そのレントの2割のうち1割5分を引き続き発注先企業の取り分とする。残りの5分を電力会社の繁栄を維持するための金として、名を「東栄会」という任意団体にプールするシステムを作り上げました。それによって普通なら犯罪となる裏金による利益供与を「東栄会」を通すことによって合法化出来るのです。その方法は瞬く間に全電力会社に広まり電力業界は国の政策に関して拒否権を持つに至りました。

 例えば小説で描かれるのですが、日本電力連盟常務理事に出世した小島は、国政選挙で落選した議員を訪ね回り、次の選挙まで収入が得られるポストを与えるのです。それは女子大客員教授や企業顧問などですが、その実態に合わない高額給与は、実は「東栄会」の預託金から供出されるのです。しかし「総括原価方式」によってその資金は電気代を払っている消費者以外誰の懐も痛みません。そうやって数年後彼らが議員に返り咲いた時、電力の意向に逆らうことの出来ない国会での確実な票を業界は獲得したのです。金曜夕の脱原発デモに何万人集まろうとも、議員数票の力をも持ち得ないのは余りにも明瞭でした。

 二千年前、ユダヤ最高法院・サンヒドリン議員の一人にアリマタヤ出身のヨセフがいました。十字架後彼は勇気を出して知事ピラトの所へ行き主の御遺体を引き取る許しを得ました。しかしその彼が昨晩の最高法院において死刑判決に反対したようには見えません。「祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。」(マタイ26:59)、「法院の全員」とあるのです。モンスターシステムの中で一個人の良心は吹けば飛ぶようなものだったのではないでしょうか。ユダもまた祭司長から銀貨30枚で誘惑されました。直ぐ誤りに気づき金を返そうとしましたが、正義回復を求める個人の熱意だけでは、一度システムの中で動き出した冤罪事件を止めることは誰にも出来ません。それは袴田事件、狭山事件にも見られたことです。


 原発は金と権力を生み出す「打ち出の小槌」です。小島は、銀座の接待専用秘密クラブ(関東電力が「東栄会」所属企業を挟んで100パーセント所有)に資源エネルギー庁次長・日村を招いて進言します。「早く再稼働させて態勢を立て直さなければ、世の中がめちゃくちゃになります」と。著者は「めちゃくちゃになる」との意味をこう説明します。「電力会社のレントという甘い蜜に群がることができなくなり、政治家はパーティー券が捌けず、官僚は天下りや付け回しができず、電力会社は地域独占という大名扱いがなくなる」と同義と。(しかし天文学的な事故処理費、廃炉費、放射性廃棄物処分コストは、全て将来への付け回し)。

 これら「原発マネー」に群がる者たちに待ったをかけたのが新崎県知事・伊豆田清彦(モデルは新潟県知事・泉田裕彦)でした。福島と同じ関東電力の原発を抱える知事は、住民の安全のため再稼働反対を表明します。そこで保守党商工族ドンと資源エネルギー庁次長日村は知事の失脚を画策します。彼らは総理と検事総長の宴席を設定して、(日本核武装を睨む)総理に「エネルギーの安定供給は国の根本ですから」と言わせ検事総長を誘導する。宴席の直後検察は動き知事は汚職事件を捏造され逮捕される。これは事故前に福島原発のプルサーマル計画に反対した前福島県知事・佐藤栄佐久の逮捕劇と重なります。

 ユダヤ知事ポンテオ・ピラトの方は、主イエスが無罪であることを承知していながら、自らの政治生命を守るために死刑判決の冤罪事件に荷担しました。


 小説には、個人的に再稼働を阻止しようとする者も現れます。福島出身で事故後酪農家の父が自殺したため原発に復讐を誓い、再生可能エネルギー財団主任研究員として献身する玉川、それから良心的キャリア官僚・原子力規制庁課長補佐の西岡は結託し、原子力規制庁審議官と日本原発常務との利益供与、その密約を突き止めマスコミに流す。しかし官房長官の恫喝によって警視庁が動き、仕掛け人はスピード逮捕される。違法盗聴と男女間のスキャンダルばかりをマスコミは面白おかしく宣伝し、2人は社会から葬り去られるのです。社会的に遙かに重大事件のはずの原子力規制庁審議官への贈収賄事件・天下り斡旋の密約の方はうやむやにされる。作品は、あの沖縄返還時日米密約問題で起こったことを、そのままモデルとしているのです。

 小島の属する日本電力連盟は広報部を持っています。独占企業の電力会社に競争はありません。だから本来新聞やテレビで宣伝する必要はないのです。ところが事実は、トヨタ自動車並みの多額の広告宣伝費が使われている。そして不適切なTV番組があればスポンサーとして関係者から反省文や謝罪を求める。そのため大抵のマスコミは電力に対する批判的言論を自粛していきました。逆に原発に好意的な学者など、いわゆる「原発文化人」には、桁違いの講演料など報酬を与えて手懐ける。問題報道がなされた時は、元検針員などの余剰人員が一斉に電話やネットで「視聴者の声」に反論を寄せる。暇人は少ないので「視聴者の声」は電力寄りの声に埋め尽くされる、それが世論となっていき、結局小説では、密約問題に対するマスコミの追究も尻すぼみになったのです。TVのワイドショーでのコメンテーターの発言は、新聞や本を読まない視聴者の翌日の意見となる。放射能安全神話がその口を通して流布され、なお放射能を恐れる母親へ、他の保護者は白い目を向けるようになり、母を黙らせる。隣組的相互監視システムの中で、二千年前、ペトロも、鶏が鳴く前に3度「そんな人は知らない」(26:72)と否認したのです。

 やがて、祭司長たちの扇動によって、民衆は、犯罪者バラバを釈放せよと求め、無罪の主イエスを「十字架につけろ」(27:22)と叫び続けました。黒を白に、白を黒にすることは、モンスターシステムにとって何でもないことです。金曜デモや座り込みは警察の嫌がらせのため霧散していきました。3・11以後反原発の嵐が吹き荒れましたが、ついに潮目は変わったのです。その流れの中で2013年歳末、原子力規制委員会は「規制基準は全て適合」と発表し日本全国15基の原発再稼働が決まった。それは福島での3度のメルトダウンを乗り越えた原子力村の見事な復元だったと著者は書く。

 しかし大晦日から2014年元旦にかけて、知事不在の中で再稼働に踏み切った新崎原発は、テロリストによって送電塔が倒されただけで全電源喪失となる。猛吹雪のホワイトアウトの中、再び関東電力はその無能無策振りを現し、メルトダウンの破局に至る。そのような物語です。


 二千年前、神の子を十字架につけ、21世紀にレベル7×4の原発事故を起こしたモンスターシステムの前に、私たち一個人は余りにも無力です。しかし、今、夕礼拝で読み続けている、神と悪魔、善と悪の最終決戦を宇宙的規模で描くヨハネ黙示録にはこうありました。

 「天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。」(12:7~9)

 神のモンスターに対する勝利宣言がここにある。十字架の主は、私たち小さな魂の中で起こる罪と戦って下さると同時に、世界を崩壊させようとする巨悪とも戦って下さいます。私たちも、そのサタンの力を凌駕する勝利者イエスの計り知れない御力に励まされ、社会構造悪との神の戦いにも参与していきたいと願います。また聖書を読むことによって預言者的洞察を少しでも増し、巨悪に荷担しない生き方を祈り求めていきましょう。



 父なる神様、構造的悪の中で御子が十字架につけられ、弱い人たちが虐げられていることを覚え、この悪に対して無関心になりがちな私たちの弱さを今宵、悔い改めへと導いて下さい。





・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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