2013年8月11日 ソウルチェイル教会主日礼拝説教 「イザヤの預言の通り-福島と沖縄を覚えて-」
説教者 山本 裕司 牧師
イザヤ書 39:1~8
敗戦後最大の日本の危機と叫ばれる東日本大震災が勃発した、2011年3月11日以後、私は、西片町教会の聖書研究会で兄弟姉妹たちと共に読み続けているイザヤ書から大きな示唆を受けつつ歩んできました。私はその学びの中で、21世紀のこの日本の状況が2700年以上前の「イザヤの預言の通り」に事態が進んでいくことに、深い驚きと戦慄を覚えずにおれませんでした。イザヤは、紀元前8世紀、南ユダ王国が、複雑な国際情勢の中での生き残りを懸けて、繰り返し軍事同盟に頼ろうとする空しさを訴え続けた預言者です。ただ、万軍の主にのみ寄り頼み「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。」(7:4)と忠告し、日本の「平和憲法」にその精神が受け継がれたと言ってもよい「非武装中立」を政策の要とするように王に進言してきました。しかし、時の南ユダ王ヒゼキヤは聞き入れず、東の帝国アッシリアへの反乱を決断します。その折り王は、西の大国エジプトと「密約」を交わし、軍事同盟の締結を図りました。しかしイザヤは、それを「死との契約」、「陰府との協定」(28:15)と喝破し、それが国を救うどころか、むしろ破滅をもたらすと預言しました。これはまさに、私に、1969年、首相佐藤栄作と米大統領ニクソンが交わした、有事の際の沖縄核持ち込み許容、朝鮮半島有事共同作戦などの「密約」を思い出させたのです。
ヒゼキヤは、結局、神に立ち帰ろうとはせず、人間の力に頼る「多重防御システム」を構築して戦争に突入していきます。先ず、後に見事な土木工事と賞賛される地下水道掘削によって、都エルサレムの水源を確保しました(列王記下20:20)。また都周辺に46の軍事要塞都市を築きます。これは一見、絶対安全と思われた「多重防御」です。ところが、イザヤ36:1~2に記されている通り、想定外にも、それらが全て破られ、最後の砦ラキシュも破壊されました。ラキシュに旅すると、そこは井戸のみが残る荒涼たる無人地帯です。それは放射能のため長く警戒区域とされて、人の立入りが許されなくなった福島原発周辺町村の姿と重なるのではないでしょうか。
イザヤは、その数十年前の初期預言も残しましたが、当時は、南ユダ王・ウジヤ(B.C.787~759年)と北イスラエル王・ヤロブアム二世(787~747年)の治世でした。両国は、ダビデ・ソロモン時代の領土と同一の広さを支配下におき、数十年間に渡る経済的繁栄を謳歌しました。しかしその高度経済成長は貧富の著しき格差を生み出し、その道徳的頽廃は目を覆うような状態に陥ったのです。やがてアッシリアが台頭し、時代の大転換が始まったにもかかわらず、なお支配階級は成長神話の前に、バブル崩壊の預言を信じず、飽食と美酒に酔っていました。「災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに/この地を独り占めにしている。」(5:8)、この預言は、まさに、現在、福島や沖縄を、国内植民地と化した日本の姿そのものです。この御言葉の直前にイザヤは「葡萄畑の愛の歌」(5:1)を印象深く記しています。「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ぶどう畑を持っていた。」そう美しく歌い始めますが、しかし、その美しい畑は結局、収奪され、犯されてしまったのでしょう、そこは、酸っぱい葡萄しか実らなかったと続くのです。それはまさに、福島の肥沃な大地が、放射能汚染され、そこから生じたセシウム入り作物のことを連想させます。また、現在、日米両政府によって、沖縄における米軍普天間基地の移設先が名護市辺野古へと決定されています。辺野古とは大変美しい珊瑚礁が広がる干潟ですが、「葡萄畑の愛の歌」は私にはイザヤの辺野古への挽歌として聞こえてくいるのです。沖縄の漁師たちが基地の辺野古移設に反対する漁民大会を開きました。彼らは「基地が建設されれば漁場は崩壊する。我々漁民は生きていけない。」と涙ながらに訴えました。辺野古に基地が建設されれば、漁業被害と同時に、そこに生きるジュゴンを始めとする多くの絶滅危惧種にとっても、そこは、酸っぱい葡萄しか産み出さない、死の海に変わるのです。
そうやって、福島と沖縄の生態系が死んだ後、それはイザヤにとって、当然のこととして、次ぎに滅びるのは都なのです。「万軍の主はわたしの耳に言われた。この多くの家、大きな美しい家は/必ず荒れ果てて住む者がなくなる。」(5:9)
ヒゼキヤによる「多重防衛システム」の捨て石・ラキシュを壊滅させたアッシリア軍は、怒濤の如く、都・エルサレムに押し寄せます。それは、福島第一において、海水による炉心冷却システムの破綻と、放射能封じ込めの、所謂、多重防衛「5重の壁」の崩壊によって、まさに都・東京にまで大量放射能が降り注いだ災厄と重なるのではないでしょうか。王は大軍に都を包囲された時「もう全ては終わった…」と王国滅亡を覚悟したと思います。それに似て、菅直人前首相は、当時、首都圏が、放射線という目に見えない敵に占領されたと感じ、日本沈没の予感に戦慄していたと、述懐しました。ところが、イザヤ書を読み進むと、すんでの所で、万軍の主の「わたしはこの都を守り抜いて救う」(37:35)との恵みの御介入があり、アッシリア軍は敗走しエルサレムは救われました。同様に、日本も、福島の一部を事実上喪失しながらも、現時点では、かろうじて生き延びました。それは、まさに、イザヤの預言の通り、神のぎりぎりの御恩寵、奇跡だったのではないでしょうか。
3・11以前は安全神話が流布され、事故後も、一部からは「今回の事故が、あの程度で済んだのも、日本の原子力技術の高度さががあったからだ」とまことしやかに言われています。安倍晋三首相は、アベノミクスの成長戦略として原発輸出を掲げ、海外で「日本は世界一安全な原発の技術を提供できる」とセールスに邁進しています。しかし、このような「偽りの子」(30:9)らの出現をもイザヤは預言しています。事実は、菅前首相が自著『東電福島原発事故/総理大臣として考えたこと』の中で、まるで信仰告白のように語った通りだったのです。「日本壊滅の事態にならずにすんだのは、いくつかの幸運の偶然が重なった結果だ。それはまさに神のご加護あったのだ。」爆発寸前の各原子炉や、核燃料プールにおいて、次々にまさに「想定外」の奇跡的偶然が出現して、砂上の楼閣ですが、福島第一は徐々に安定していきました。もしこれらの幸運が無かったら、まさに、政府が想定した通り、原発250キロ圏内、約5000万人の終末的避難が現実となったはずです。
恵みの主はこう言われました。「わたしはこの都を守り抜いて救う/わたし自らのために、わが僕ダビデのために。」(37:35)そして、「主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた」(37:36)のです。ヒゼキヤ王の不信仰にもかかわらず、主は奇跡によって、都エルサレムを救われました。しかし、これはハッピーエンドではなく「神の最後警告」であったと確信します。ヒゼキヤは喉元過ぎると、この期に及んでなお真の悔い改めに至らず、もう一度、人間の力に頼ろうとするのです。
そして、今朝、朗読頂きました、イザヤ39章に歴史は至るわけですが、バビロン王は使者を遣わし、病み上がりのヒゼキヤ王を見舞い、そこで両者は、反アッシリア軍事同盟を結びます。トモダチが出来て有頂天となったヒゼキヤは、バビロンの使者たちを自国の宝物庫や倉庫、武器庫までわざわざ案内する(39:2)。しかしそれは、自国の機密を異国にオープンにしてしまったことを意味しました。それを知ったイザヤは「王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる」(39:6)と預言をしたのです。しかし、ヒゼキヤは、自分の外交の成功を誇り、この預言を意に返しません。「彼は、自分の在世中は平和と安定が続く」(39:8)と確信しました。しかしそれは目先の平和に過ぎませんでした。
イザヤによれば、南ユダは実はアッシリアによって滅びるのではなく、むしろ、このお見舞いに来てくれたトモダチ・バビロンによって滅亡するのです。昨日の友は今日の敵です。南ユダは、それ以来、経済状況、軍事機密を知られたバビロンに弱みを握られ、やがて脅迫されるような立場に陥っていったのではいでしょうか。
大震災発生直後、米軍はお見舞いでもするかのように、「トモダチ作戦」と名付けられた、大作戦を展開し、日本復興のために献身しました。そのトモダチ作戦が好感を得て、2011年末の内閣府調査によると、日本人の「米国に親しみ」を感じると答えたのは、過去最高8割超となったのです。しかし、救援部隊は普天間基地から飛び立ったヘリ部隊・沖縄海兵隊が中心であったのです。これなど、沖縄米軍基地や日米安保体制のメリットを、暗に宣伝しているようなものではないでしょうか。あるいはこれは、福島原発が最悪事態ともなれば、米国の原子力利権に多大な損害を及ぼすからに過ぎなかったのではないでしょうか。
先にも言いましたように、イザヤは、バビロンとの軍事同盟締結を喜ぶヒゼキヤ王に、あなたがトモダチと思ったそのバビロンによって、南ユダは滅亡すると、この39章で預言しました。そして、これまで恐いほどイザヤの預言の通りに、私の国・日本が推移してきたことからするならば、本日、2013年夏は、まさに、このイザヤ書39章にさしかかったと思います。安倍首相は今年の初春、オバマ大統領との首脳会談を終えてこう胸を張りました。「この3年間で著しく損なわれた日米の絆と信頼を取り戻した」と。しかしこの末に待っているのは、イザヤの預言通りであるのなら、日本を滅ぼすのは、中国でも北朝鮮でもありません。いつの日か、沖縄・東村高江のヘリパッドから米軍最新鋭輸送機オスプレーが、辺野古から米軍戦闘機F-22ラプターが飛び立ち、東京都民の頭上に、今度は「核高速増殖炉もんじゅ」が産み出す最高純度プルトニウムによる高性能原爆を落とす時が来る。では、この39章の最後のイザヤの預言を覆すために、日本人は、今、何をするべきなのでしょうか。それは、イザヤの初期預言、イザヤ2:4~5を、平和の主が必ず実現して下さることを信じつつ、戦争と武器の放棄を誓った「日本国憲法9条」を死守する他はないと思います。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」アーメン!
祈りましょう。 主よ、今、私たちは、安倍政権の復権という時代の反動の中で、深い憂慮の中にあります。どうかこの時こそ、今、平和をつくり出すために、私たち日韓両教会が祈りを合わせ、神の子の幸いなる道を、歩み出すことが出来ますように。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
a:2224 t:1 y:0