西片町教会/ソウルチェイル教会合同修養会開会説教(基調講演)
2012年9月8日(土)「東アジアの平和に向けての脱原発 ~神は大空(多重バリア)を造り~」
創世記 1:1~10 讃美歌21 17 141
西片町教会牧師 山本 裕司
1. 神は大空(多重バリア)を造り
日韓合同修養会開会礼拝として私たちに与えられました御言葉・創世記1:2にはこう記されてありました。「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」「闇」、「深淵」、「水」(海)とは、元々、創造以前の「混沌」の言い換えです。特にこの「水」ですが、創世記記者は、宇宙は水(海)で充たされていると考えていました。彼らにとってこの海とは、人も他の命も生きることの出来ない虚無と死の世界でした。沖には、ヨブ記に出てくる陰府の怪獣レビヤタンが暴れ回っている。人が制御不能な混沌世界がどこまでも広がっている。それは、イスラエルが当時経験していた「バビロン捕囚」という国家崩壊の歴史的破局、その窒息状態が、この虚無の海と重ね合わされているのです。そこは、もはや子孫に民族的生命を継承し、伝統を保持し、歴史を刻む可能性の一切を喪失した不毛世界でした。
しかし創造主なる神はその絶望をほっておかれません。その救済の御心が、創世記1:6~10に記される、水(大海)の処理という神話に現れるのです。1:6、神は言われます。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」「大空」とは、プラネタリュウム状の半円形の巨大ドームです。それによって、混沌の水は上下に分けられました。ここに息つくことが出来る空間が生まれます。次に、1:9、神は大空の下の水を一箇所に集めるという作業をされる。それによって乾いた大地が生まれました。その直後、1:11、初めて「生命」が地上に誕生すると描かれるのです。大地とは、四方八方、混沌の海に取り囲まれていながら、神よって奇跡的に造られた「生命」の場なのだと言われているのです。
勿論、宇宙が海で覆われているという古代人の世界観は間違っていました。しかしその信仰的洞察は余りにも正確でした。私たちは、今回の主題に即して、この海を「放射能の海」と理解しても良いのではないでしょうか。宇宙からは有害な放射線が絶えず地球に降り注ぎ、命あるものの生存を脅かしています。古代ユダヤ人が洞察したように、虚無的怪獣レビヤタンの口からは放射線が発せられているのではないでしょうか。
NCCKなどが中心となって韓国で発表された「核のない世界のための韓国キリスト者信仰宣言」(2012年3月)に以下の言葉があります。「(核は)神がお造りになられ(創世記1:1)愛された(ヨハネ3:16)すべての地球の生命体を絶滅させうる「死の権勢」(詩篇49:15)である。核兵器はヨブ記41章に出てくる「レビヤタン」を連想させる」と。
しかし、恒星爆発の原子核反応に由来する凄まじいエネルギーを持った「銀河宇宙線」は「太陽風」*1によって地球への直撃を妨害されるのです。この第1のバリア・太陽風の名も暗示的で、創世記1:2「神の霊が水の面を動いていた」とありますが「霊」とは「風」とも訳すことが出来るので、ここを「強風」と訳すことも可能です。それであれば、ここから太陽風を連想することも許されるのではないでしょうか。風が放射能の死の海の面を吹き渡っている。そうやって、既に、神は、死の放射能を吹き飛ばすことをもって、天地創造の御業を始めようとされるのです。
*1 太陽から放出されるプラズマ。この太陽風が持つ磁気の力(磁場)は、電気を帯びた粒子の進行方向を曲げる作用がある。銀河宇宙線の大半は電気を帯びているため、太陽風の磁場の力によって進入が妨げられる。しかし、この太陽風自体が放射線を発し生物に有害だが、現在は、地球には別に「磁場」形成されたため弾かれ、直接当ることはない。
私はかつて、チェルノブイリで被曝し、甲状腺癌の手術を受けた少女が描いた絵を見ました。そこには、母鳥が放射能の雨の中、血を流しながら、なお大きく翼を広げて、その下の小鳥たちを守っている姿が描かれるのです。これもまた暗示的です。1:2「霊が…動いていた」とは、注解によると「鳥が巣に舞い降りようと翼を大きく広げているイメージ」なのだそうです。少女は母鳥に十字架の御子を重ねているのではないでしょうか。御子なる神は、御自身を盾として、私たちを放射能の剣から守って下さるという、少女の信仰告白がここにあるのではないでしょうか。詩人の祈りを思い出さざるを得ません。「(神よ)瞳のようにわたしを守り/あなたの翼の陰に隠してください。」(詩編17:8)
「太陽風」の他に、地球の「磁気」、「大気」、「オゾン層」などが御翼の如く広げられ、私たちの世界は荒涼たる宇宙の中の唯一のオアシスとなり得ました。3・11以前、原発は「5重の壁」(「燃料ペレット」、「燃料被覆管」、「原子炉圧力容器」、「原子炉格納容器」、「原子炉建屋」)という多重バリアによって、放射能は絶対に漏れないとする安全神話が宣伝されてきました。しかし福島原発事故においては、その5重の壁の全てが脆くも破壊されたのです。神こそが「大空」(1:7)という放射線や紫外線に対する真の多重バリアを創造して下さり、エデンの園という真の安全を全ての生命体に与えて下さいました。*2
*2 46億年前に誕生した灼熱の地球は、徐々に冷え、海が出来たのが43億年前。同時期に深海で最初の生命が誕生したと言われる(NHK『地球大進化』1)。原始の生命が生まれた場所は深海の底だったと考えられる。何故浅い海に生命が生まれなかったかというと、最大の理由は宇宙線である。生命を守る地球の多重バリアが未完成だった時代、浅い海で生命が生まれたとしても、強力な宇宙線によって壊されてしまう。生命が浅い海でも生育可能になったのは、地球磁場が形成され、宇宙からの放射線を防ぐことが出来るようになった27億年前である。そして、生物が陸上に進出可能となったのは紫外線を防ぐオゾン層が形成された5億年前のことであった。原発事故当初、一部学者たちが、自然放射能の存在を強調し、新たなる放射能安全神話とも取れる解説を繰り返したが、事実は「地球上に降り注ぐ放射線が、多重バリアの形成によって、生命に危険がなくなる程少なくなった。だから生物が生きていられる」と言うべきである。(原子力教育を考える会「よくわかる原子力」参照)
2. 地の下の原始の海(ウラン鉱)
創世記記者の理解では、地の下も原始の海で満たされています。大地はその大海に浮かぶ円盤状のものと考えられました。これまでの連想を踏襲すれば、この意味するところは、地の下も危険な放射性物質で満たされていると言えます。地球の歴史は46億年ですが、それが生まれた当時、地球上の物質は放射性物質にまみれていたことでしょう。しかし、半減期という言葉に表れるように、寿命の短い順に、放射性物質は地球上から減っていきました。しかし、大変寿命が長いために、46億年たっても生き残ったのが、天然ウラン238です(小出裕章『原発はいらない』165頁)。天然にあるもので核分裂を起こせるのは、ウラン235(ウラン中0.7%、半減期7億年)だけです。99.3%が238である天然ウランを濃縮して、235の濃度を高めたものが、広島で使われたウラン型原爆です。
自然界のウランの大部分を占めるウラン238の半減期が45億年ということですから、やっと現在、その放射線が半分になったところです。その地中深くに封じ込められ隔離されていた鉱物・ウランが、核兵器を作るために、わざわざ人の手によって掘り出されたのです。そのために先ず採掘者を被曝させ、放置されたぼた山などで周辺を著しく汚染しました(映画「イエロー・ケーキ クリーンなエネルギーという嘘」参照)。さらに原爆や原発核燃料作成時、核爆発や発電、使用済核燃料の処分や再処理によって、放射能を環境に放出し、多くの被爆者を新たに生み出しています。元々、宇宙的規模の放射能に覆われていた地球が、何十億年の歳月の中で獲得した多重バリアと放射性物質の減少によって、命溢れる星・地球が生まれした。ところがその46億年の末期に誕生した人類によって、放射能無害化のための神の創造の業・46億年が空しくされようとしているのではないでしょうか。*3
*3 地球の歴史46億年を1年にとたえてみると、「1日」は126万年、「1秒」は150年となる。この尺度で考えると、生命誕生は、1月後半から2月半ばの出来事になる。一方、人間(ホモ・サピエンス)の出現は、実に、12月31日、大晦日、午後11時37分(20万年前)である。紅白歌合戦で紅白の勝負の決着がつき、蛍の光が歌われ始める頃だ。さらに、私たちの直接の祖先クロマニョン人は4万年前に登場したということなので、それは、「地球カレンダー」12月31日午後11時58分である(NHK「地球大進化」1)。その新参者が12月31日午後11時59分59.5秒くらいから始めたのが、核分裂反応を自ら作り出すということである。そのたった0.5秒(1秒はおよそ150年)の中で、私たちは、神が1年(46億年)かけた大仕事を、だいなしにしているのだ。
創世記 7:11の洪水物語に似て、私たち自らが「深淵の源をことごとく裂き」さらに「天の窓を開く」という愚行によって、せっかく神様が封じ込めて下さった放射能の大洪水を今地球に招いているのです。チェルノブイリの場合、核爆発によって、死の灰520万テラベクレル・セシウム137換算で広島原爆の800発分相当(小出裕章『原発のウソ』65頁)が、環境に出ました。福島原発事故での放射性物質総漏出量は、これまで常に事故を軽く見せようとしてきた東京電力が、大気への漏出90万テラベクレル+海洋への漏出15.5万テラベクレル、総量105.5万テラベクレルと公表しています。広島原爆に当てはめれば170発分です。つまり福島はチェルノブイリの1/5と言われるのです。*4 しかし良心的学者によれば、今回の福島では、どれだけ出たか、今、出続けているのか、事故が収束もせず、事故の核心部に人が決して入れない状況下では、誰にも分からないと言われています(藤田祐幸「奥羽教区社会問題セミナー」講演、2010年10月)。
*4 東電の値を信じたとしても、今回の事故によって、国民平均にすれば1人当たり100億ベクレル、国土面積平均にすれば300万ベクレル/㎡の核汚染を生じたことになる。西片町教会の雨樋下の0.3㎡程度のホットスポットもこの時放出された内の12,000ベクレル/㎏を引き受けている(別紙「月報」参照)。
3. 「核」は禁断の木の実であるか 創世記3:1~6
神の創造世界を人間が崩壊させていく姿は、創世記の堕落の物語の主題です。最初の人間が蛇の誘惑に負けて、知識の木から食べたことこそ「原罪」です。「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる」(創世記3:5)とありますが、彼等にとってこの「自己神格化」ほど魅力あるものはありませんでした(3:6)。その欲望を受け継いだ私たちも同様です。核を手に入れた現代ほど、この禁断の果実を欲し、神(偶像)に成り上がろうとする時代はなかったかもしれません。*5
*5 「核のない世界のための韓国キリスト者信仰宣言」は信仰者の立場から明瞭に訴える。「核兵器と原子力発電は権力と暴力の象徴である。それは大国になろうとする国々の欲望の出発点であり終点である。それは「おいしそう」でもあり、「見栄えもよい」禁断の果実のである。絶対的力の禁断の誘惑である。このような核で人間は征服と貪欲の体制を作り、その体制は地球生命共同体全体を絶滅させうる戦争と被爆と汚染の問題を生んだ。このような体制は、キリスト教の信仰と両立できない。」
反原発の指導者故高木仁三郎はこう言います。「核技術とは、いわば天上の技術を地上において手にしたに等しい。私はなんら比喩的な意味でこのことをいっているわけではない。核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は、比喩が示唆する以上に深刻である。あらゆる生命にとって、放射線は、それに対してまったく防御の備えのない脅威であり、放射能は地上の生命の営みの原理を攪乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質によって構成される世界である。生物が生きるということは、物を食べ酸素を呼吸し、物質やエネルギーを合成し、また排泄によって環境に戻すという循環の流れの中に身を置くことで、生きるというのは基本的に『(自然と)共に生きる』ということ以外ではあり得ない。…これまで、核以前の技術はこの原理を超えたことはなかった(どんなに先端的な技術も、したがって、すべて地上の自然界に先例を見出すことができた)。ところが、核というのは、化学結合よりも100万倍も強力な力、これまでの自然界にはまったく異質な物質と原理を、まったくそれに対して備えのなかった地上に導入したのである。」(『チェルノブイリ 最後の警告』179~180頁)
それでは、神は、未知の科学研究の一切を禁止しておられるのでしょうか。そうではありません。神はむしろ「園のすべての木から取って食べなさい。」(創世記2:16)と、禁止より、先ず私たち人間に、大いなる自由を与えておられます。あるいは、確かに神は、知識の木からは「決して食べてはならない」(2:17)とは言われましたが、エバが蛇の誘導の罠にはまり答えたように「触れてもいけない」(3:3)とは命じておられません。確かに、人間は、天の知識の深淵に土足で侵入することは禁じられていますが、その神的知の表面に触れることは許されているのです。しかし、そうであるなら、私たちは深い畏敬と礼節(つまり信仰)を尽くして、神的知に触れなければなりません。
この神の御寛容によって、かつては神の領域と覚えられてきた、天体の秘密や生命操作などの医療技術をも、私たちは「福音」として受け入れることが許されています。しかし、そこで、私たちキリスト者は、それが、知識の実に触れただけなのか、それとも、禁断の木の実を食べてしまった原罪なのかを、信仰的に熟慮することが求められています。神の厳格なる禁止と、神の大いなる許可との狭間に隠れる「命に通じる狭き門」(マタイ7:14)を祈りつつ模索していくことが必要です。核などの先端技術の選択は、ただ科学者と経済界、国家戦略の専門家だけによって決定出来るような安易な問題ではありません。宗教者、哲学者、教育者、そして直感に優れる市民(特に母親)を交えて判断をしなければならない、高度な倫理問題なのです。
4. 禁断の木の実を食べるとは -放射性廃棄物(死の灰)の問題-
「食べる」(創世記2:17)と「触れる」(3:3)とでは、決定的な違いがあるというのが創世記の立場です。食べると何が起こるかというと、それがエネルギーになりますが、それで決して終わらず、排泄が付随します。排泄物は悪臭を放ち放置すると伝染病を蔓延させます。つまり核エネルギーを食べれば、同様に、排泄としての、放射性廃棄物を出すということです。原発は「トイレのないマンション」にたとえられます。放射性廃棄物を無害化する技術はありません。減衰を待つだけです。そのため、高レベル放射性廃棄物は、生態系から10万年、あるいは100万年も遠ざけておかなければなりません。*6 しかし日本では最終処分方法も決まらないのです。*7 今夏の電力不足などを口実に、大飯原発の再稼働によって、さらに国土に放射性廃棄物を増やすことを、政府は選択しました。*8 野田首相は消費税増税の理由を「将来の子どもたちにツケを残さないため」と言います。しかし「将来の子どもたち」どころか「10万年先の子孫と全ての生物にツケを残す」放射性廃棄物のことは念頭にないようです。*9
*6 10万年と一口で言っても、私たちが感覚的に用いる時間の単位からは殆ど永遠だ。10万年前とは、ネアンデルタール人やジャワ原人などが存在していた時代であり、アフリカには私たちの祖先である新人が台頭していた(NHK『地球大進化』6)。それから10万年の今、人類は、私たちクロマニョンしか生き残っていない。そうであれば、数万年後に、私たちが滅亡していても何もおかしいことはない。10万、100万年後の世界を神ならぬ私たちは想像することも出来ない。
*7 「100,000年後の安全」というDVDを青年会で観た。フィンランドの高レベル放射性廃棄物最終処分場オンカロの話である。地下500mに100年分の廃棄物を納める巨大処分場が出来る。2012年から稼働し、満杯になったら通路を封鎖し誰も近づけないようにする。高レベル放射性廃棄物の最終処分場が出来るのは世界でここが最初だ。このロケーションを選ぶにあたって、大事なポイントは、過去何万年もの間、地層が安定していた場所、つまり地震や火山活動、活断層のない場所であることであった。しかし日本にはそんな場所は存在しない。
また小出裕章『原発のウソ』は、日本が原発を始めてから、まだ45年しか経っていないことを指摘し、電力会社が、低レベル放射性廃棄物を「300年保管する」と約束することを、以下のように揶揄する。「300年前は、忠臣蔵の討ち入りの時代です。その時代に生きていた人たちは、今日、私たちがこんな生活をしているなんて決して想像できなかった。…300年後には電力会社はなくなっているかもしれません。民主党や自民党もないでしょう。」大飯原発再稼働を「自分が責任をとる」と言って決断した野田首相の政権も300年どころか、風前の灯火であり、それは口約束に過ぎない。無責任だ。
*8 「朝日新聞」(2012年8月21日)によると、猛暑であった今夏、全国的に殆どの原発は不稼働であったが、節電努力によって電力は余った。東電などでは、一部火力発電を止めておくほど足りている。唯一、大飯原発を稼働させなければ電力不足となったと宣伝する関電でも、他の電力会社からの融通によって、停電の危険は全くなかったことが指摘されている。
*9 小出裕章『原発のウソ』は以下のように指摘する。「高レベル放射性廃棄物を管理する100万年という時間は、何をどう考えたいいのか分からないほどです。このような途方もない作業にかかるエネルギーは、原子力発電で得たエネルギーをはるかに上回ってしまうでしょう。二酸化炭素の放出も膨大になるでしょう。なにより、見知らぬ子孫たちが100万年間汚染の危険を背負いながら、また莫大なコストを支払い続けながら、「核ゴミ」を監視しなくてはならいのです。」
5. 何故、原発は必要だったのか
結局、たかが電気のために、何故、これほど常軌を逸した発電をし続けねばならないのでしょうか。どうして、政治家、官僚、財界がここまで原発にこだわり続けるのでしょうか。第39回8・15集会(2012年8月15日)において「平和憲法と脱原発/反核」(講演者・高田健)と題する講演を聞きました。高木氏はその理由を「潜在的核抑止論」のためだと断言します。石破茂・自民党政調会長はこう言っています。「核の潜在的抑止力を維持するために原発をやめるべきとは思いません。…核の基礎研究から始めれば、実際に核を持つまで5年や10年かかる。しかし、原発の技術があることで、数ヶ月から1年といった比較的短期間で核を持ちうる。加えて我が国は世界有数のロケット技術を持っている。この2つを組み合わせれば、かなり短い期間で効果的な核保有を現実化できる」と。あるいは、菅前首相が高速増殖炉「もんじゅ」について「廃炉を含めて検討する」と言った際も、「読売新聞」は核抑止力論の観点から猛反対しました(「社説」2011年8月10日)。高速増殖炉の稼動によって、核分裂を起こしやすい核兵器用の高純度プルトニウム(239)を製造出来るのです。*10 日本の「もんじゅ」が完成すれば、原爆30発分に相当するプルトニウムを1年で生産する能力があります。諸外国がとうの昔に撤退し、商業的にみても採算の合わない高速増殖炉に、日本政府が莫大な費用を投じる本当の理由がここにあると言われるのです。*11 従って、原発に反対する運動は、核兵器保有と、憲法9条を改悪しようとする力に対する戦いなのです。私たちが今回の修養会の主題を「東アジアの平和に向けての脱原発」と呼ぶ最大の理由はここにあります。
*10 長崎原爆はこのプルトニウム型核爆弾が用いられた。
*11 第6回「韓国キリスト教長老会ソウル老会/北支区宣教協議会」(2011年10月22日)において、北支区発題者・秋山眞兄氏はこう語る。「原発は政府・政界、大企業・財界、官僚機構、御用学者、そして司法まで癒着して推進してきました。電力会社、原発メーカー、それらに融資する大銀行、莫大な広告宣伝費が流れるマスコミ、建設工事・維持を行うゼネコンなど、原発関連企業は日本経済の60%を支配しているといわれています。」
また、3・11以後の状況を踏まえて、日本では、原発事故に対する危機対応が出来ずに批判を浴びた、原子力安全委員会や保安院を解体して、新たに「原子力規制委員会」設置が予定されています。そのための関連法案が2012年6月20日に成立しました。その設置法の付則で「原子力の憲法」とも呼ばれる原子力基本法の基本方針が34年ぶりに変更されました。その改訂部分こそ「安全確保」の文言の中に追加された「安全保障に資する」という言葉です。この意味をある議員は「日本を守るため、原子力の技術を安全保障からも理解しないといけない」と述べました。これなど、殆ど3・11「火事場泥棒」と言われても仕方がない政府の態度だと思います。*12 これに対して「世界平和アピール7人委員会」が、直ちに「核の実質的な軍事利用に道を開く可能性を否定できない」と緊急アピールを発表しその懸念を明らかにしました。(「東京新聞」2012年6月21日)
*12 火事場泥棒と言えば、参議院の憲法審査会は、「東日本大震災と憲法」という主題を掲げ「現憲法に国家緊急権が明記されていなかったことが、現在の震災支援や原発事故対応の不備、遅れの原因である。だから憲法を改正し、国家緊急権を明記し有事の際に主権者の人権を制限すべき」と議論されているそうだ。2012年の「8・15集会」において、侵略戦争の反省から現行憲法では戦争に代表される国家緊急権をあえて放棄した歴史が指摘され、憲法改悪に道を開くこの動きに対する危惧が表明された。
1954年に政府による原子炉建造予算2億3500万円*13が提案されたのが、原発政策の事の始まりです。この予算提出は後の首相中曽根康博によってなされましたが、同じ改進党から「(日本は)現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題である」との発言があり、原子力と軍事の問題を露骨に結びつけて議会を通過させています。*14
*13 この金額はウラン元素数字から取られた。
*14 内藤新吾牧師(ルーテル教会)の指摘
あるいはNHKスペシャル「核を求めた日本」(2010年10月3日)においてスクープされた事実があります。それは、1969年、日本政府が西ドイツと行った秘密協議です。そこで、日本外務省幹部が、日本と西ドイツのような中規模クラスの国が超大国になるためには、NPT(核拡散防止条約 1968年)を覆す必要性があると主張したのです。それは両国が連携して核兵器を持つ道を探るという提案でした。さらに「日本は憲法9条の下、戦力を持たないことになっているため、日本の原子力の平和利用に関する研究とロケット技術の開発に誰も異議を唱えられない。その結果、いつか必要になれば原子力とロケットを結びつけられる。比較的早く核兵器をつくることができる」と続けたのです。それに対して「核兵器に頼らない」との信念を持つドイツ側代表者バールは、その晩「大変なことだ」と激しく動揺し、日本が核を持つことのないように願った、と述懐しています。*15一方、時の首相佐藤栄作は、1969年、「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則をかかげ、後にノーベル平和賞を受賞しています。ところが同年、佐藤首相とニクソン大統領は「有事に際しては、沖縄への核兵器の再持ち込みを認める」との「密約」を取り交わしていたことが判明しています。また、核の寄港・通過の黙認など、*16最初から「非核三原則」は骨抜きにされていたのです。あの広島・長崎の悲惨を経験した唯一の被爆国でありながら、日本首脳たちには、元々、核兵器を絶対悪、人類の敵と理解する思想はなかったのです。*17 いえ、むしろ核武装こそ超大国の資格との信念が脈々と受け継がれています。そのために、「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(潜在能力)は常に保持する」(外務省「わが国の外交政策大綱」1969年)*18との政策上の決意に至ります。まさにその「核兵器保有のポテンシャル」のための舞台と想定されたのが、先に言及した中曽根の尽力によって生まれた東海発電所・東海1号炉だったのです。*19
*15 「NHKスペシャル」取材班『核を求めた日本 被爆国の知られざる真実』54~55頁、何故、日本が核武装を模索したかと言うと、「NPTに加入する結果、永久に国際的な二流国として格付けされるのは絶対に耐え難い」(前掲書30頁)との思いがあったのだと言われる。
*16 1965年、佐藤首相は、マクナマラ米国国務長官との会談の中で、その前年の中国の核実験成功に触れ、「戦争になればアメリカが直ちに核による報復を行うことを期待している。洋上のもの(核)ならば直ちに発動できるのではないかと思う」と述べた。これは、日本の安全を確保するための抑止力として、核搭載艦船の日本への寄港を認めたともとれる内容である。(前掲書116~117頁)
*17 「核を求めた日本」は、さらに、佐藤栄作のノーベル賞受賞スピーチ作成過程を辿り、ブレーンによる初期の原案には「世界各国が日本にならって非核三原則を採用すること」を希求する旨の言葉が入っていた。しかし授賞式の2週前に、この言葉は消されたと言う。その理由を、NHKは、佐藤が、アメリカの「核の傘」の下にいる日本が、アメリカの意に反するような演説は出来ないと判断したからだと推測している。(前掲書110頁)
また、番組は、日本が国連での核軍縮決議にどう関わったを取り上げ、1970年度後半以降、日本の賛成率は急激に落ち込み、1980年代には30%台の年もあったと記す。冷戦終結後、賛成率は上昇傾向に転じたが、それでもこの50年の平均は55%と、半数程度の決議にしか賛成していないと伝える。番組は「非核三原則を掲げながら核軍縮会議には賛成しない。これこそ矛盾ではないか」と断ずるのだ。(前掲書149~150頁)
*18 前掲書83頁
*19 東海1号炉は英国から輸入された「黒鉛減速炉」と呼ばれる兵器用プルトニウムを製造するのに使われた原子炉の改良型だった。ウラン238の含有率の高い天然ウランを使う黒鉛減速炉のほうが、核兵器に求められる純度の高いプルトニウムを得られることになる。(前掲書88~89頁)
これらの歴史的事実によって、日本の原発推進政策の底流に流れている真の思惑は、核武装の可能性の保持であると言わねばなりません。もしかしたら、韓国での事情も同様かもしれません。そうであれば、原発が、東アジアのみならず全世界の平和を脅かす禁断の果実であることを確信せざるを得ません。私たち日韓両教会は、信仰的活動として、脱原発に共に取り組んでいきたいと願います。
祈りましょう。 私たちの主なる神様、日韓合同修養会をこのように開催することの出来た恵みを心より感謝致します。どうか、この貴重な機会を通して、あなたの憐れみの大きさと、隠された悪に気付き、あなたの御力をもって、あなたの天地創造の御業に反する不義と戦う決意を、私たちに与えて下さいますように。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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