2012年5月13日 主日朝礼拝 「教会をして教会たらしめよ!」

説教者 山本裕司 牧師

ローマの信徒への手紙 1:18



「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」(ローマの信徒への手紙 1:18)

 大変厳しい言葉です。神は私たち人間の不信心と不義に対して激しく怒っておられる、と断じられるのです。私たちもこの人生の中で、怒られた経験を持っています。しかしその時、私たちの心の中に起こる多くは「弁解」です。それを見越してでしょう、使徒パウロは言うのです。「弁解の余地はない」(1:20)と。直ぐその理由を書きます。「なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」(1:21)神を知らないのなら、仕方がないということかもしれません。しかし、あなたたちは、神を知っている、ところが、実際にやっていることは、神などいないことにして、人間だけの世界を作ろうとしているではないか、と言うのです。

  昨日、西片町教会で、山田貞夫兄訳による朴炯圭(パク・ヒョンギュ)牧師回顧録『路上の信仰』の出版記念会が行われました。私はその記念会に出席しながら、今朝、私たちに与えられた御言葉が耳元で鳴り響くのを感じないわけにはいきませんでした。「なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」(1:21)、1960年4月19日まで、朴牧師は、平凡な牧会生活を楽しんでいたと書いておられます。しかし先生の人生の進路を根本から変える、4・19が起こりました。先生はその日、景武台(キョンムデ)近くの食堂で、結婚式の司式をしておられた。司式を終えてから外に出ると、銃声が鳴り響いた。景武台に向かった学生たちが銃撃を受けて倒れ、血を流している。朴先生は、大きな衝撃を受けまして、学生たちを助けようと彼らの所へ走って行こうとしましたが、教会員が、危険だからと、先生を捕まえて放さない。学生たちが血を流しているのを見た時、頭を強く叩きつけられるように感じた。血を流す学生たちに、十字架の上で血を流しているイエスの姿が見えた。神の怒りが降り注ぐような強烈な感じだった。先生は言われます。若者たちがあのように死んでいくが、私の責任はないのか。これまで私は結婚式の司式などをして、社会や政治問題にそっぽを向いた無関心な牧師ではなかったか、と言われるのです。(90頁)

 不正選挙をしておきながら、抗議する学生に発砲する権力、その銃口を向けて脅す政権が自称キリスト教政権であるということに対する、怒りがわき起こりました。李承晩(イ・スンマン)大統領と不正選挙元凶の長官が教会の「長老」であると言うなら、どうして「キリスト教政権」を作ることが出来ないのか。我が国の教会が現実逃避的な信仰の中に眠っていたのは、昨日今日のことではなない。確かに少数のキリスト教指導者は3・1独立運動に参加し、また神社参拝を拒否して苦難の道を歩んだ。しかし大多数の教会指導者と信徒は、日帝支配の中で、御利益信仰の中に安住し、現実逃避的な信仰の中に眠っていた。そう言って先生は続けられるのです。「私は4・19革命で受けた衝撃の中で、真の牧師になろうと決心した。『安価な福音』を売る牧会を清算し、カール・バルトの言葉のように『教会を教会たらしめる』務めに自分を捧げようと誓った」(92頁)、そう言われるのです。今朝のローマの信徒への手紙には、教会という言葉はありません。しかしそれは同じです。「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず…」(1:21)神を知りながら、神を真の意味で礼拝しないのです。どうしてそうなるかと言うと、その創世記の始めから、人は、禁断の木の実、知恵の実を食べたがる存在であった。禁断の木の実とは何か、それは自己神格化の誘惑です。人は、自分自身が神になろうとする、そういう存在なのだ、最初からそうなのだ、と聖書は言う。「自分では知恵があると吹聴する」(1:22)のです。その高慢の中で、神の知恵を求めなくなる。その堕落のために、真の神を必要としないどころか、いてもらっては困ると覚え、ついに御子を殺すところまで行く。それでいて、その宗教的営みだけは続く。神を知っていると主張する。しかし、それでは、神を神としていないし、教会を教会ともしていない。神を神とする、教会を教会とする、その当たり前のことが、原罪を持つ私たちには出来ないのです。だから神の怒りを招かざるを得ないとパウロは言うのです。「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」(1:18)

 では、朴炯圭先生は、真の教会とは何とお考えでしょうか。「第1に、神の贖罪の恵みを宣べ伝えること。第2に、貧しい者、抑圧された者、病める者のために仕えること。第3に、キリストにあって新しい人間関係の模範となる愛の共同体を作ること」(123頁)そう言われるのです。その実現のために、先生は、1972年より20年間奉職することとなる、ソウルチェイル教会の招聘を受けました。それは、朴正熙(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドファン)大統領と軍部独裁政権が続く時代と重なりました。その時、韓国民主化闘争に献身した朴牧師もソウルチェイル教会も、激しい逆風の中を進む他はなかったのです。何度も逮捕される朴炯圭牧師の代わりに教会を守ったのが、朴聖慈(パク・ソンジャ)副牧師です。やがて、韓国キリスト教長老会総会長に選出された朴炯圭牧師を全斗煥は利用しようとしました。しかし先生を、懐柔させることも屈服させることも出来ないと判断した政権は、ソウルチェイル教会を破壊し、朴牧師を追放すべく方針を改めた。公安機関である保安司令部は、教会員の中の保守的な人たちを選んで、教会分裂を起こすように仕向けました。1983年頃から見たこともない強面の男たちが教会に現れ、本格的な礼拝妨害が始まり、暴力が歯止め無く奮われるようになった。1984年9月には、礼拝妨害者たちが、牧師室に押し入り牧師に辞表を出せと迫り、そうでなければ殺すと言う。先生が断ると、暴力を奮い、鄭光瑞(チョン・グァンソ)伝道師らが朴牧師を体を張って守り、後にソウルチェイル教会の牧師となる丘昌完(ク・チャンワン)執事など13名の若い教会員たちが、牧師室に流れ込んでくる。青年たちは暴漢たちを追い出し牧師室にバリケードを築いた。60時間以上に及ぶ監禁状態の始まりです。4日目にようやく動いた警察によって、暴漢たちは連行されますが直ぐ釈放され、その後も、礼拝妨害は苛烈を極めるばかりであった。ついに教会堂で礼拝を捧げることが出来なくなったために、この本の表題となりました「路上の信仰」、満6年に及ぶ中部警察署前の路上礼拝が始まるのです。

 その警察署に向かう行進は「正義と平和のための十字架行進」と呼ばれました。モーセの40年に渡る荒野の行進と、イエス・キリストの十字架への行進を身をもって教会は経験しました。1年目の冬は特に寒かった。教会員は寒さに震えながら、強い敗北感に襲われました。何故、こんな苦痛を味わわなければならないのかと。しかし、やがて、教会員は、この試練の中で自分の信仰を再確認し、より高い信仰の世界に到達する。多くの教会員にパウロの言葉が、この時ほど心に響いたことはなかった(393頁)。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。…しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:35~39)

 会員は、そこで、キリストの受難と復活を新しく理解し始める。この苦難が、実は、勝利に向かう「十字架行進」であるということを認識する。路上礼拝は当初、出席者は100名に満たなかった。老人や体の弱い人は、寒い冬や暑い夏に参加することは出来なかった。若い人たちへの捜査機関の嫌がらせもあり、一時、出席者は60名に減った(395頁)。しかし、やがて、この十字架行進は、一つの教会の戦いの枠を超え、時代の痛みを分かち合おうとする世界中のキリスト者の行進に発展していく。世界中の聖職者が訪ねてくるようになった。イギリスBBCは、現場を映しながら、「韓国にはこのような教会もあり、別な教会もある。どちらが真の教会か」と問いました。参加者は増え最大400名となり、路上に礼拝者が溢れたのです。

 このBBCの問いこそ、今、私たちの教会に突きつけられているのではないでしょうか。日本基督教団は、今、大きな教勢低落の波にさらされています。そのような中で、教会員の数を何としても増やさねばならないと、伝道が強調される時代です。しかし、一方、教団は、社会や政治への関わりを減退させ、鈴木正久牧師が出された「戦責告白」が軽視され、何かと言えば、人数と財政のことが心配されています。しかし、人数とは、結果であって、むしろ大切なのは、この地にあって、真の教会に成ることこそ、教会の唯一の目標です。そのあり方が、時代によっては、返って無視されることもあるでしょうし、また逆に、自ずから、人々の共感を呼び起こす時代もあるでしょう。どちらにしても、大切なことは「教会をして教会たらしめる」ことであり、神を神たらしめることです。どんなにこの世的な成功を収め、メガチャーチが出現したとしても「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなった」(1:21)のなら、それは虚無であります。朴先生は、かつて(1966年)ある講師から聞いた言葉を紹介します。「キリスト教が我が民族と国家の現実問題に関与しないで、個人の救いと教勢の拡張にのみ専念するならば、やがて教会は民族と神から見捨てられるであろう。」(128頁)。

 あるいはこうも言われます。「疎外された階層を権力を持つ者が抑圧し、自分たちの権力と富を伸張するのが当たり前となっています。しかし教会は、いつも、疎外された階層に関心を持つだけでなく、彼らの味方でなければならいのです。それは、新・旧訳聖書を貫いて、教会はいつも貧しい者、抑圧された者、疎外された者の側にあり、神ご自身、偏愛とでも言えるほど、いつも彼らに味方されるのが明らかだからです。それゆえ、教会がもし正しく聖書を読み、正しい信仰生活をしようとするなら、当然、彼らの側に立つしかないのです。」(279頁)〉

 1980年、光州(クァンジュ)虐殺事件が起こり、国民からの支持を失った全斗煥政権は、それを埋めるために、名望ある政治家、知識人、宗教人を選んで手なずけるべく接触を試みてきた。彼らの計略にかかり、再び帰ってくることの出来ない河を渡ってしまった人もいたのです。教界で、名声を享受していたキリスト教長老会に所属していた、2人の牧師が、全斗煥政権の国政諮問委員と国家保衛立法会議委員になるという事件も起きました。これまで民主化と人権のために熱心に戦ってきた教団・キリスト教長老会の危機に際して、まさに、バルト言う「教会をして教会たらしめる」ために朴牧師が総会長に選出されたことは既に申しました。

 先生は、またバルトの受肉論も感銘深いとこの書で紹介しておられます。バルトは、イエス・キリストが神の受肉であり降臨であると主張する。受肉し降臨したところはどこか。人類の歴史であり教会である。すなわち、神は人間の苦痛に参与するために受肉され、歴史と教会を通して降臨されるのです。イエスは、ベツレヘムの馬小屋で生まれ、生涯、抑圧された者、貧しい者と共に過ごし、十字架につけられて死んだ。それがまさに受肉である。そうであれば、イエスを信じ従う教会がどうして現実問題、政治社会問題に、我関せずでおられるだろうか(81頁)、そう問います。あるいは、「キリスト者の現存(プレゼンス「ここにいる」の意)」とは「キリストの現存」に対応する言葉である。「キリストの現存」とは、キリストの受肉、すなわち、神が私たちと同じ人間となられて、私たちの中で生きておられることを意味する。「キリスト者の現存」とは、弱い人々と共におられた「キリストの現存」に倣い、私たちもまたキリストの「いる」その所に、私たちも「いる」ことである。」(130頁)そう言われるのです。

 私たちは「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」(1:18)そして「なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」(1:21)との言葉、そして今「路上の信仰」を読むことによって、悔い改め、ここに神を神たらしめるための真の教会を建て続けていく新たなる決意を得たいと思いす。罪と悪の呪縛によって計り知れない苦悩の中にあるこの世に向かって、私はいる、私はいる、本当に、あなたたちと共にいるのです、と言って下さる受肉の神の愛に応えたいと思います。この受肉の神、イエス・キリストのいる所に、私たちも現存、「いる」ことを願います。真の神のみを崇め、その神に感謝を捧げる、私たち西片町教会の十字架行進を、さらに続けることが出来るように、祈り求めましょう。



 主なる神様、あなたは、いつの時代も、御子イエスと共にいようとした、多くの先達を私たちに与えて下さいましたことを心より感謝を致します。本日は特にそのお一人、朴炯圭牧師をこの礼拝堂に迎えて、あなたに栄光を帰する礼拝を捧げることが許されました。ここに私はいる、では、あなたはどこにいるか、と問われる、あなたの問いに、誠実に応答する教会とならせて下さい。

 (この後私たちは、『讃美歌21』563「ここに私はいます」を、朴炯圭牧師、朴聖慈牧師と共に感動の中で歌った。)




・( 頁)引用出典は、新教出版社 『路上の信仰』 -韓国民主化闘争を闘った一牧師の回想-
 朴炯圭(パク・ヒョンギュ) 著  山田貞夫 訳より。

・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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