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2012年11月4日 聖徒の日・永眠者記念日説教 「我ら記憶によって生きる」

2012年11月4日 聖徒の日・永眠者記念日説教 「我ら記憶によって生きる」

説教者 山本 裕司 牧師

エゼキエル書 3:2~3・ペトロの手紙二 3:1~13


愛する人たち、わたしはあなたがたに二度目の手紙を書いていますが、それは、これらの手紙によってあなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたいからです。(ペトロの手紙二 3:1)


 ペトロを名乗る著者がこの手紙をある教会に書き送りました理由は「あなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたい」(3:1)からでした。ここで著者が弁えていることは、教会は「記憶」によって「奮い立つ」存在である、キリスト者は「記憶」によって「純真な心を回復する」存在であると言うことです。

 その教会は、この手紙が来た時、礼拝説教としてこれを朗読したに違いありません。そしてそれが司式者によって読み進められていった時に、うな垂れていた兄弟の首がだんだん上がってくる。青白い顔していた姉妹の顔が徐々に紅潮してくる。最初の讃美歌の時は、力無き歌声だったけれども、説教後の讃美歌は皆奮い立って歌うことが出来たに違いない。そう想像しました。どうして元気が出たのでしょうか。それは「記憶」が戻ってきたからです。何故私たちは毎週礼拝に列席して神の言葉を聴き、月に一度は主の食卓に与るのでしょうか。それは、記憶を呼び起こすためです。それ以外にないのです。神を「思い出す」ことこそ、信仰の命なのです。

 注解書によれば、これは使徒ペトロが書いたのではなく、後の時代の教師が書いたと言われます。おそらく紀元120~140年頃、つまりイエス様が昇天されて一世紀の歳月が過ぎている、そういう時代でした。既に使徒たちは歴史上の人物になっていました。この教会が創立100周年を丁度迎えた頃のことかもしれません。そしてこの手紙の内容から判断すると、その教会は既に疲れている。元気を失っている。創立当初は大変熱心だったに違いありません。しかし、百年たって、その頃の純真さは既に消えていた。教会の中に次々に辛いことが起こった。挫折、失望、悲しみ、孤独を経験したのです。この人たちの最大の悩みは「再臨遅延」の問題だったそうです。主イエスは、天に昇られましたが、暫くすれば、この地上に帰って来て下さると約束して下さった。それをずっと待っていました。この世界にはなお悪が溢れている。なお悲しみが次々に襲ってくるけれども、必ず全てを解決して下さる再臨の主が来て下さると、首を長くして待っていた。ところが来て下さらない。待っていた曾祖父、祖父も死に、父も死に、ついに自分が教会を守る番になったのです。何もない所から時間と富と命を捧げて教会を建てた、初代の純真で奮い立つ心は最早ない。生まれた時から教会があることが当たり前、礼拝があることが当たり前。飢えたことがない者が、お米のありがたさを知らないように、教会があることの素晴らしさに対する無感覚の3世4世の時代であります。

 「終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、こう言います。『主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。』」(3:3~4)これは、よその人ではなくて、教会の内部の声だったと理解ことすることも出来るのです。そういうやる気喪失の事態を憂える教師は、年老いた教会を癒すための若返りの薬を、ここで与えようとしている。それが「記憶」です。


 自分が自分であるという認識は、人生の経験を記憶することが出来るからです。脳に損傷を受け過去の記憶を失う時、人は自分らしく生きることが出来なくなります。ある女性は事故で6歳から後の記憶を全て失いました。すると婚約者のことも、彼との旅行の体験も、以前2人で住んだ家のことも全て忘れてしまった。記憶が失われると婚約者も赤の他人になる。住み慣れた家も見知らぬ所になってしまう。そして愛も失われてしまう。それは恐ろしいことです。そういう「記憶喪失」が教会でも起こるのです。

 認知症の治療に「回想法」というものがあるそうです。老人たちは、日付を思い出すことも出来ない重度の痴呆です。臨床医は先ず花を見せる、そしてこの花の咲く季節を思い出させる。それから古びた婚礼写真を見せる。そこに写っているのは、参加している老人の一人、「○○さん、この時のこと覚えてる」、さっきまで今日の日付さえ分からなかったお婆さんが目を輝かせて思い出を語り始める。すると回りのお年寄りも、昔の思い出を語り始める。これで認知症が治るわけではありません。しかし、美しい思い出が引き出される時、枯渇していた生命力が回復してくる。無表情だったのが、生き生きとした顔になっていく。それが「回想法」だそうです。記憶は自分を取り戻させる。記憶は、病に犯されている人にすら、豊かな心を回復させる特効薬なのです。

 ペトロの手紙の「記憶」(3:1)、あるいは「思い出して」(3:2)という元の言葉のギリシャ語は、少し変化させると「アナムネーシス」という言葉になります。この言葉は「記憶」とか「想起」と訳すことが出来ますが、古くから「聖餐」を表す言葉となりました。聖餐式文にもあります最後の晩餐の主お言葉はこうです。「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」(コリント一11:24)、この「記念」という言葉が「アナムネーシス」です。主は何故聖餐を制定されたかと言いますと、それは私たちが忘れないためです。主の御言葉、つまり主の戒めを、恵みを、愛を思い出すためです。旧約聖書・エゼキエル書3:3の言葉で言えば、御言葉に込められる神の愛の蜜の如き甘さを思い出すためであります。

 私たちの今生きている時代は、罪深く病んでいます。苦しみは溢れ、悲しみは余りに多いのです。そして主イエスを肉眼で見ることは許されません。そこで虚無の海に飲み込まれるような経験をする中で、なお私たちが信仰を失わず、生きる勇気と純真な心を回復するためには、私たちがどんなに神に愛されてきたか、この記憶を「回想」する他はない。


 私は最近、作家・角田光代さんの『八日目の蝉』を読み、さらに映画化された作品も観て、ああ、と声を上げたくなるほど感動しました。主人公の野々宮希和子は不倫相手の子どもを中絶し、その影響で子どもが生めない身体になっていた。それに対して、同じ頃、不倫相手の秋山の家庭には女の子が生まれたのです。希和子はお腹の子どもをおろしたことに深い罪悪感を持ち、一目でも、秋山の子を見てみたいと願い、夫妻が不在の時家に侵入する。そして赤ちゃんを抱きしめた時、薫と既に名付けていた自分の子が帰ってきたような錯覚に捕えられ、思わず誘拐をしてしまう。土砂降りの雨の中、赤ちゃんを抱えた逃避行が始まります。転々と逃れ、最後に行き着いた所は小豆島であった。そこで4歳まで薫は誘拐犯に育てられ、希和子の逮捕と同時に保護され、本名は恵理菜だと教えられ、東京の両親のもとに戻ります。しかし、壊れかけていたその家で、実の母から虐待に近い扱いを受け、クリスマスではケーキを食べることも、誕生祝いを毎年することも知らずに育つ。やがて大学生になった頃、自分自身も父に似た男と不倫に走り、誘拐犯に似て妊娠するのです。恵理菜は、そのように、自分と自分の家をめちゃくちゃにしたと教えられた誘拐犯を強く憎み、その女と過ごした4歳までの自分の経験を心の中に封印し全て忘れています。ところが、映画では、いつも冷え切った暗い顔をしている恵理菜が自転車で下り坂を行く時、何故か例外的に楽しげに足を広げて降っていくシーンをおいています。それは後に種明かしがされるのですが、小豆島にいた時、その集落の坂道を、ママ(誘拐犯希和子)と一緒に自転車に乗って、足を広げて気持ちよく降っていく、その記憶なのです。心では忘れている、しかし身体はその喜びを覚えているのです。母に守られ、この上なく愛されていた本当に楽しかった時の幼い頃の記憶が、今もそうさせていることが分かります。

 やがて、恵理菜も子を堕胎するつもりで病院へ行きます。ところが、老医師の「緑のきれいな頃に生まれるね」との何気ない言葉を聞いた瞬間、どうしてか、おろそうと思っていた気持ちが吹き飛んでしまい、子を産む決心をする。その時「この子は目を開けて、生い茂った新緑を真っ先に見なくちゃいけない」そう思った。何故か分からないけれども、目の前に緑の景色が広がったのです。「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて大きい景色が見えた。」(それは、彼女が最も幸せだった時の島の景色です)、そして恵理菜は思いました。「…私はこれをおなかにいる誰かに見せる義務がある」と。まさに記憶が少しずつ甦ることによって、彼女は変わり始めるのです。

 しかし特に映画の方の描き方では、彼女は最後まで迷います。自分に子育てなんて出来るはずがない、と。だって知らないのだ、母親というものがどんなふうなのか、自分の子どもをどんなふうにかわいがって、どんなふうに叱って、どんなふうにあやして、どんなふうに仲良くなって、どんなふうに誕生日を祝ってやるのか、私は何も知らないの、と。

 ところが、岡山からフェリーに乗り、緑の島・小豆島に上がる。そして、かつて暮らした集落に入った時、いつの間にか、頭の中で声が聞こえ始める、素麺屋のおばちゃんの声、「薫ちゃん、ご飯やで」、それから友だちの声「薫ちゃん、ぶらんこしよ」、しし垣のくずれかけた塀の所に来ると、競争して走り回った時の歓声、近所の伯父さんの注意する声「薫、気つけて遊べや」、心の底に押し込んできた光景と音の記憶が、土砂降りのように、彼女を浸します。それから、どこからともなく、聞こえてくる。薫、と呼ぶ女の人の声が。柔らかなささやく声です。薫、だいじょうぶだよ。蜜のように甘い声です。薫、こわくないよ。優しい声です。世界一好きだよ。ママの声です。その声がママの肌の温もりの感触と一緒に聞こえた瞬間、薫、つまり恵理菜は、走り出す、涙が流れてくる、そして言います。「私、何でだろう、もうおなかの中の子が好きになっているよ。顔も見てないのに。…私、教えるよ、この子に、何も心配いらないよって、教えるよ、何度も、何度だって、世界で一番好きだよって、何度も言うよ…」、そういう物語です。


 ところで「八日目の蝉」という題の意味、それは、7日で仲間がみな死んでしまった後、8日目も生き残ってしまった一匹の蝉のことです。この題名は物語にとって多重的意味があると思いますが、一つは、小豆島の港で、最愛の母と覚えた女が逮捕され、自分の前からふと死んだように消えてしまった。その後も一人で八日目を生きていかねばならない薫・恵理菜の深い孤独を表現していると思います。

 本日は、聖徒の日・永眠者記念日です。既に、神に召された先達の信仰を思い出し、それを受け継ごうとする日です。自分の大切な家族や教会の親友が既に神に召され、地上を去った後も、寂しさと孤独に耐えながらなお生き残ってしまっているのが、八日目の蝉、私たちのことと言ってもよいかもしれません。しかし物語では、八日目の蝉は、ただ寂しいだけじゃない、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだからと、ラスト、愛の記憶が甦った恵理菜(薫)の気持ちと重なって八日目が肯定されていきます。

 この永眠者記念日に、私たちも「八日目の蝉」の孤独を噛みしめていますが、しかし私たちは、この礼拝で、忘れていた記憶を呼び起こすのです。父が母が、妻が夫が、兄弟が姉妹が、私たちにしてくれたこと、かけてくれた愛の言葉、その温もりです。心の深い地層の下に埋もれてしまった記憶、愛の言葉、愛の仕草、それが記憶の底から浮かび上がる時、私たちは、暗かった独りで生きる八日目の世界にも明るい色彩が広がるのを感じ始めるのではないでしょうか。それは、その先達を突き抜けて、死者たちをそのように明るく生かしてきた、神の愛、神の言葉を思い出すことに繋がるのです。主イエスが、私たちの名を呼んで下さる。今、八日目の虚無と孤独を生きる私たちに、主イエスが、大丈夫だよ、と言って下さる、柔らかく。恐くないよ、と優しく。世界一好きだよ、と蜜のように言って下さる。主イエスと先達の思い出とが重なり合うようにして、私たちに今朝、愛の言葉が聞こえてくる。そこで私たちも奮い立つ経験をするのです。斜に構えた心に純真が戻る。八日目も独りじゃなかった、ということが分かる。この世界を包む新緑が見えてくる。世界はなお美しいということが見えてくる。この世界は生きるに値する世界だ、と。そうであれば、私たちも、後から来る子どもたちの記憶の中に、神の愛の言葉を、その蜜の如き甘い言葉を残すために、教会の八日目を生きる使命があることに気付くのではないか。だいじょうぶだよ、こわくないよ、何も心配いらないよ、神様があなたのことを、世界一好きだと、言って下さっているから。そう先立つ者から受け継いだ言葉を、私たちも、子どもたちに何度でも教える義務がある。その教会の伝道の歩み、信仰継承の歩みを、純真に、奮い立って続けて行こうではありませんか。



 祈りましょう。  主なる神様。この聖徒の日、信仰の先達の人生を通して、あなたの愛を思い出すことが許され、また主の記憶そのものである食卓にあずかる恵みに心より感謝を致します。これにあずかれない求道の友にも、ネット配信によってこの礼拝を今、独り、じっと聞いている友にも、聖霊によって、魂の奥深くに隠されているあなたの愛の記憶を今、呼び覚して下さいますように。





・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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