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2011年6月号 月報掲載 「現代の悪霊・カルト」

2011年6月号 月報掲載 「現代の悪霊・カルト」

  説教者 山本 裕司 牧師
  テサロニケの信徒への手紙 一  5:23



「また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り…」            (テサロニケの信徒への手紙 一  5:23)


 使徒パウロは私たち人間を構成している部分を3つに分けて「霊と魂(心)と体」〈プニューマ、プシュケー、ソーマ〉と記しました。普通、3つではなく2つの部分、つまり「心と体」だけで私たちは出来ていると思いがちです。しかしそれだけでなく、パウロは「霊」(プニューマ)の存在を忘れませんでした。この「霊」の部分を言い換えて「霊性」(宗教性)と言っても良いと思います。神を感じるセンサーのような箇所です。神と人間が触れ合う場です。あるいは、この人間の霊の部分に、神の霊、聖霊(同じ言葉・プニューマ)を迎入れることが出来るのです。しかもその3つの部分の内、その存在を一番忘れがちになる「霊」が、パウロの手紙ではトップに出てきます。それは人生の決め手を握るものこそ、実は、この「霊」の部分である、との確信です。確かに、心に知識を蓄えることも、体を運動で鍛えることも大切ですが、それだけでは何か決定的なことが欠けている。プニューマには、プニューマが入らねばならない、それが成って初めて人は「何一つ欠けたところのないもの」となると、パウロは言っているのです。

 私たちは今年も聖霊降臨日を迎えました。この日に相応しい旧約の御言葉は、以下の人間創造の物語だと思います。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:7)。神様がアダムに吹き入れて下さった「命の息」とは、まさにこの期節降って来て私たちに吹き入れられた聖霊であったと思います。そうであれば、その吹き入れられた息(聖霊)はどこに入ったのでしょうか。人間の第3の部分「霊的器」を充たしたのではないでしょうか。つまり、創世記によれば、神の霊(息)を納める「霊的器」が、人間には最初から神様によって創造されているということです。

 そうであれば、その霊の器に入るべきもの、聖霊が入らず、そこが空洞のままであったら、どうなるのでしょうか。創世記では、それは泥人形に過ぎない、生ける屍でしかないと、と言われるのです。そうすると、具体的には、私たちは、寂しくて寂しくて仕方なくなるのです。そのために人は何かそこを埋めるものを死に物狂いで探し始めるのです。自分を霊的に安堵させてくれるものをです。そして、その空虚な部分に、隙があれば「はまり込もう」とする「悪霊」がこの世には余りにも多く跋扈しているのです。

 原発事故によって、私たちが繰り返し聞くことになったのは「放射性ヨウ素」という言葉です。子どもたちがその成長のために必要としてる、健全なヨウ素は甲状腺に集まります。しかし、核分裂によって放出される放射性ヨウ素と健全なヨウ素を、甲状腺は区別することが出来ません。それも栄養と勘違いし吸収してしまうため、被曝による甲状腺癌を引き起こす原因になります。この放射性ヨウ素のメカニズムに似て、私たちの霊的器に、真の聖霊がはまらねばならない時に、形が類似しているために入り込んでしまう悪霊が存在するのです。それこそカルトです。キリスト教系カルトは、私たちと同じ聖書を用います。メシア(キリスト)の実在を教えます。メシアへの献身を誓い、祈り、賛美し、礼拝します。教会とそっくりです。しかしそれは「放射性教会」です。生まれて始めて出会う「霊的」世界が、このようなカルトであったという不幸な日本の若者が後を絶ちません。そこで、初めて、信心の壮大なる世界を知った若者たちはその喜びで魂が充たされます。しかし言うまでもありません。カルトは、一時、人に宗教的、霊的救済を劇的に与え、深い安堵を与えるようにみえて、しかし、やがて全てを滅ぼしてしまう、悪霊に他なりません。

 (悪)霊的喜びを初めて知って、その感動に浸るカルトの信者に、その間違いを悟らせることは、極めて困難です。そのために家族は大変苦しみます。そうであれば、一番大事なのは予防です。その予防の中でも最も効果的なのは、幼い頃から教会学校に通うことだと私は思います。神様が私たちに与えられた霊的器に、真の霊・聖霊を満たすために備えられた場こそ、教会だからです。今回の原発事故の時、周辺の子どもたちに、ヨウ素剤が配られたそうです。それは、甲状腺を健全なヨウ素で満杯にしておけば、原発から放出した放射性ヨウ素が、甲状腺に入ることを阻止出来るからです。私たちの霊の器も同じではないでしょうか。主イエス・キリストの霊・聖霊によって私たちの空虚な魂が全て充たされてしまえば、もう何か他に、自分の魂を充たす別のものを求めて探し回らなくてよくなるのです。聖霊でいっぱいの魂には、カルト(悪霊)が入り込む余地はもはやありません。この素晴らしい聖霊降臨を心から喜び祝いましょう。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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