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2011年 3月13日 主日礼拝説教 「剣の歌を讃美の歌へ」

2011年3月13日 主日礼拝説教 「剣の歌を讃美の歌へ」

  説教者 山本 裕司 牧師
  創世記4:19~24
  マタイによる福音書 18:21~35


 週報の色が紫に変わり、先週、教会暦における灰の水曜日を迎え、私たちは、今、主の御受難を覚えるレントの季節に入りました。その金曜、私たちは未曾有の大地震に遭遇しました。東北を中心とした目を覆わんばかりの惨状によって、私たちは今、恐怖と不安のただ中にあります。特に私は奥羽教区との交流のために、先般北支区の仲間たちと旅をした、気仙沼、釜石、大船渡、宮古などの地名が報道され、映像ではその集落に巨大津波が押し寄せ呑み込んでいく有様を見ました。多くの人が死に傷ついています。このような恐るべき受難のただ中にある被災者の方々、また教会、伝道所、そこに仕える教師、兄弟姉妹のことを思い、胸が激しく痛みます。現代文明によって、地震・津波の予知が可能となってきたと言われ、それら災害に対する備えもあったと思いますが、今回の巨大地震の前に、私たち人間は何もなすすべがなかったと言った方が正しいと思います。また何よりも、今私たちの不安は福島第一原発事故が今後どう推移するかということです。ダブル、トリプルで置かれている安全装置が全く作動せず、自分では考えることも出来ないような事態に至ったと、つまり、炉心溶融が出現したのではないかとうろたえる学者の姿がテレビに映し出され、私たち人間が原子力を制御しようとする、その限界をまざまざと見せつけられました。つまり人間の科学、技術に代表される文明に対する驕りが、ただでさえ大きな天災を、さらに何倍にも、何十倍にも、拡大させてしまったのではないでしょうか。

 このレントの最初の主日に与えられた二つの礼拝の言葉、旧約聖書・創世記と新約聖書・マタイ福音書の中には、7にまつわる似た数字が出てきます。

 「アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。わたしは傷の報いに男を殺し/打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」(創世記4:23~24)

 この詩を歌ったのは、レメクですが、彼の先祖はカインです。カインとは弟アベルを殺して、人類最初の殺人事件を起こした男でした。その血の流れの中で、六代目のレメクが生まれたのです。このレメクの息子たちが、人類の文明の先祖となりました。ヤバルは牧畜の始祖となる(4:20)。ユバルは音楽家の先祖となり(4:21)、トバルカインは鍜治師の祖となる(4:22)。これはそれぞれ食文化、芸術、工業技術の起こりと考えることが出来ます。これによって、人間は高度な文明を手に入れることが出来ました。しかしその文明の先祖が、カインの血統から生まれてきたと聖書が描く時、私たちは、聖書が、この文明を手放しで肯定していないということに気付くのではないでしょうか。父レメクの詩「剣の歌」に、その問題性が現れてくるのです。彼は、おそらく3番目の息子トバル・カインの鍛えた剣を用いて、若者を殺しました。そしてこの歌の伴奏をかって出たのは、兄の音楽家の祖ユバルであったに違いありません。そのような技術、芸術をもってレメクは人殺しを謳歌する歌を歌うことが出来たのです。その時、彼は、少しでも自分を傷つける者があったら、七倍でも足りない。七十七倍にしてお返しする。そういう破壊的力を持つのが私だと誇りました。

 エデンの東・さすらいの地に追放されたカインの場合は、未だ文明を持っていません。しかし、主は、罪人であるカインの命を守って下さると、恵みの約束をして下さったのです。しかしカインは、やがて神にのみ寄り頼むことを忘れ「町を建て」(4:17)ました。ここに文明が芽吹く。その不信仰はレメクに至って増幅する。しかし聖書は、そのようなカイン的な神なしの文明は、人間に幸いを与えるものではない。それをもって、七十七倍の罪が立ち現れる。文明を持たなかった時には考えられないような、七十七倍の破壊が起こる、と暗示するのです。

 鍜治師トバルカインの血の流れの中で戦争のための破壊的武器が生まれるのです。音楽の祖ユバルの流れもそれに手を貸します。日本基督教団讃美歌委員会が、戦後50年を迎えた時、謝罪と懺悔を明らかにしたことを思い出します。1941(S16)年出版の『青年讃美歌』、1943(S18)年の『興亜少年讃美歌』などに戦争讃美の歌が多く含まれていたのです。「地獄の黙示録」(コッポラ監督)のヘリコプター攻撃シーンに、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』が用いられました。ナチスもワーグナーの音楽をプロパガンダとして積極的に利用しました。私たちの心の内の罪、貪欲や、憎しみ、破壊衝動、それに技術や芸術という文明が加えられた時、七十七倍の破滅への大爆発が起こる、と言われているのではないでしょうか。

 そのような流れに逆らって、主イエスは言われました。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」(マタイ18:22)破壊と復讐の「剣の歌」を凌駕する、四百九十倍の建設と赦しの歌がここから歌い始められる。そこで語り出されるのが、負債を赦された僕の話です。1万タラントンとは莫大な金額です。何百億、何千億円とも換算されます。王にそれだけの負債が出来てしまったということは、彼は、何らかの不正をしていたからでしょう。おそらく王の金を託されていた者に違いありません。それを自分のために流用したのです。タラントンとは、後に才能、タレントという言葉になりました。神は人にタラントンを預けます(マタイ25:15)。技術も芸術も神様から託されたタラントンです。しかしそれを用いて、人は貪欲を追い求め破壊の歌を歌ったのです。神のタラントンを悪用したのです。公金横領です。そういうところに起こる負債です。その悪に報いて王(神)は復讐してよかった。何もかも、終わりにしてよかった。ところが、憐れに思った王は家来を赦したのです。

 報道で福島第一原発一号機が爆発しことを知った時、私は、もう何もかも終わったと、天を仰ぎました。チェルノブイリの再来を確信し、まさに日本は終末に突入したと直感しました。しかしそれから数時間後の政府発表は、それは建屋だけが吹き飛んだのであって、格納容器と炉心は無傷だと言うのです。私はその瞬間、旧ソ連の映画監督タルコフスキーの『サクリファイス』のイメージに支配された。テレビの緊急放送で大統領が、全面核戦争の勃発を告げる。ミサイルの衝撃波が家をかすめ、やがて電気が消え電話が不通となる。主人公の老教授アレクサンデルはその夜、これまで無神論者であったのに、生まれて初めて神に祈りました。「この恐怖を取り除き給え。息子も家も全て捨てますから。」やがて郵便配達より神的啓示を受け、迷いつつも白夜の中、サクラメンタルな儀式を果たす。目を覚ますと、時は戻り、平和な朝、電気も電話も通じ、テレビをつければ娯楽番組をやっている。しかし彼は神との約束「奉献」を果たさねばならない。家を燃やし始める。家族は驚愕して救急車がやってくる。…そういう物語です。

 マタイに戻りますと、いかに王と言えども数百、数千億円です。その金が返済されなかったら、王家が傾くような金額であったと思います。それは王が王としての豊かさを放棄することを意味していたのではないでしょうか。王子は、王宮のベッドでなく、ベツレヘムの飼い葉桶で眠ることになったのではないでしょうか。成長すると、貧しき憂い生くる悩みつぶさになめつつ、労働者として生きられた。その末に十字架につけられたのです。犠牲・サクリファイスです。何故そんなことまで。理由は、私たちを憐れに思った(18:27)からです。この「憐れに思う」という言葉は「腸痛む」と言う意味だそうです。赦すということは、自分が痛みを負わねば、不可能なことであったのです。

 ところが、そういう憐れみを受けた家来は、何と思ったのでしょうか。王宮を出た所で、仲間にばったりと出会う。家来は100デナリオン(約50万円)を貸していたことを思い出す。彼はその仲間の首を締め上げて、返せと言う、返せないと言った時、牢屋に仲間を叩き込んだ。そんなことはあってはならない、そう主イエスはおっしゃいました。

 どうして、こんなことが起こったのでしょうか。私はその理由は、家来は、この王がどんなに大きな痛みをもって、1万タラントンを赦したかという事実に、気付いていなかったことにあると想像します。それは逆に言えば、自分の負債の重さを知らなかったということです。神を軽んじ人の力に頼る生き方、破壊をもたらす生き方、そのことによって、神がどれほど傷ついているか、真に鈍感なのです。罪の重さを軽んじているから、赦しの重さをも軽んじたのです。

 私たちはこの神の犠牲・サクリファイスの痛みを知った者として、今こそ新しい文明に舵を切らねばならいと思う。七十七倍の大爆破の死の破局へと至る文明ではなく、主の御名を呼びつつ命育む文明を築く人となるのです。レメクの物語の直後、創世記は、カインの血統を断ち切る新しい人の血の流れが生まれたことを記します。「カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」(4:25~26)

 レメクの「剣の歌」の伴奏となったであろう、音楽家の始祖ユバルの用いた楽器、その一つは「笛」と記されています。この原文を調べてみて、私はあっと思った経験があります。その翻訳の一つに「オルガン」と記されているのです。パイプオルガンのことです。オルガンについているパイプは、それぞれが一本の笛なのです。それが集まってオルガンになりました。ということは、このユバルの用いた笛とは、オルガンの起源となる楽器なのです。そしてその楽器は、何に用いられたか、殺人を讃美する時に用いられたのです。それがオルガンの発端なのです。ところが、今このユバルの笛は、この西片町教会のように礼拝堂に置かれるようになりました。そして神を讃美する歌に用いられるようになりました。これは何と不思議なことでしようか。ここに神の深い恩寵があると私は確信します。私たちもこのオルガンのように、変えられる。神なしに生きる破壊型の人間から、主にあって、赦しに生きる建設する人間に変えられる。このオルガンを作ったように。

 主イエスが、私は七十七倍でも足りない七の七十倍まで赦す、と言って下さった時に、人類の歴史が変わる。音楽の意味が変わる。戦意高揚や自己讃美のための楽器が、神をひたすら讃美する謙遜な楽器に変わる。文明が変わる。そうやって、これからは、私たちのタラントン・音楽、科学、技術力を、恐怖を呼び起こすために使うのではなく、無限のエネルギーを得るなどという貪欲を捨て、御心のままに、御名の栄光と隣人の喜びのために用いていきたい。

 破局すら予感させたレントの夜を越えて、この朝、目覚めると、いつものように、何も変わらず光が差し込み、鳥がさえずる春の朝が与えられました。神は深い憐れみの中で、私たちの根深い罪を赦して下さり、もう一度チャンスを与えよう、御名を呼ぶ文明建設を期待し、新しい朝をもう一度お前たちに与えよう、この主日、そう言って下さったのではないでしょうか。それがなお今、私たちの生存が赦されている理由なのではないでしょうか。今こそ、悔い改めという、真の奉献を始めざるを得ない!

 「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。」(詩編51:19)

 祈りましょう。  主よ、今朝、あなたが、私たちに、なお生存のチャンスをお与えて下さったのなら、今、私たちは、貪欲の文明を捨て、御名を呼ぶ文明を求め、それを、あなたに全て奉献することを誓います。

この後、皆で讃美歌21・424番を声の限り歌った。
「美しい大地は私たちの神が与えられた恵み、貴い贈り物…」と。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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