日本基督教団 西片町(にしかたまち)教会へようこそ!バリアフリーの教会です。 どなたでもいらしてください。

2009年10月18日 日韓合同修養会閉会礼拝説教「平和の王イエスへの服従」

2009年10月18日 日韓合同修養会閉会礼拝説教 「平和の王イエスへの服従」

  説教者 山本 裕司
  イザヤ書 11:6~10
  マタイによる福音書 5:43~48


 今夕、日韓合同修養会閉会礼拝を兼ねるこの夕礼拝・カナの礼拝において、私たちに与えられましたのは、この修養会において繰り返し、私たちの魂の内に響き渡った御言葉であります。「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:43~44) この御言葉に代表される主イエスの御心とは、明確な暴力否定であります。しかしこれは、先ほどもう一箇所朗読致しました、預言者イザヤが見た幻。「狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。」(11:6)その平和満つるユートピアのただ中で語られた言葉では決してありません。

 それどころか、2000年前のイスラエルは、ローマ帝国からの解放を求める反乱戦争と、それに対するローマ軍隊による鎮圧が繰り返されていました。特にイエス様の故郷ガリラヤでは、血なまぐさい事件が度々起きました。梶原先生が奉職されておられた中部学院大学の志村真先生から教えられたのですが、その一つは「カビニウスの大虐殺」(前57年)です。当時のシリア総督ガビニウスが、ガリラヤに起こった反乱を鎮圧した際、捕虜としたガリラヤ人一万人をイエス様の故郷ナザレ近くのタボル山で大虐殺を行った事件でした。ガリラヤの人口の1/5が殺されたのです。当然、ナザレからも多くの犠牲者が出たことでしょう。また前4年に起きた「セフォリスの破壊」もありました。セフォリスもナザレの北約6㎞の山の上の町です。ここで起きた反ローマの反乱も大軍によって鎮圧され、拠点であったセフォリスは焼き払われました。そして、エルサレム近郊でも反乱分子と見なされた二千人が十字架刑で殺害されました。この時もナザレから多くの義勇兵が参戦し生命を落としたと考えられます。

 まさにこの頃、御子イエスはお生まれになりました。やがて成長したイエス様は、大工であった父ヨセフと共に、破壊されたセフォリスに出向き、町の再建に従事したのではないでしょうか。ですから、イエス様は、ガリラヤの人々が、自分たちを酷い目に合わせたローマを、どれ程憎悪しているか、熟知していたのです。そのような環境の中で、ダビデ王の再来・軍事的メシアとなれとの民衆の強い期待が、イエス様に及んだことは、容易に想像されます。それが、荒野の誘惑の物語に反映されているのではないでしょうか。しかし主は「退け、サタン」と言われ、敵に対抗する時、暴力でなく、愛をもって、と訴えられました。

 この平和の主の御命令に従い、古代教会において、兵役拒否は主イエスに服従する者として当然のことであったと、宮田光雄先生は書いています。洗礼を受けた者は、王の王の兵士となるのだから、その命令に絶対服従する者こそキリスト者である、と判断されたのです。従って、古代教会教父オリゲネスは言いました。「我々は、もはや民に向かって剣をあげず、重ねて戦いの業を習わない。我々を導くイエスによって平和の子となったからには。」また彼は言いました。キリスト者は、戦争を引き起こす悪の霊に、祈りによって、打ち勝つが故に、戦場の兵士たちよりも大きな奉仕をするのである。「確かに、我々は、王とともに戦いの野に赴かない。たとえ彼がそれを要求するとしても。しかし、我々は、神への祈りによって独自の軍隊、信仰の軍隊を作り、それによって王のために戦うのである」と。また、古代教会教父テルトゥリアヌス(150-220)は、軍人の子として生まれながら、軍国主義を徹底的に拒否しました。「主が剣をさやに納めよと命じられた、そこで、どうしてキリスト者が兵士であることが許されるだろうか。兵士が洗礼を受けてキリスト者となるなら、直ちに軍籍を離れなければならない。」その弟子キプリアヌス(200-258)も同様でした。「殺人は個人が行うときは犯罪となるのに、国家が命じる時には勇敢とされる。キリスト者は人を殺すことは許されない。むしろ、自ら殺されねばならない。」このように、古代教会が兵役拒否を明確に打ち出した時、既に軍籍にありながらキリスト者となった者は、兵役拒否の故に殉教者となった者が少なくなかったと指摘されるのです。軍人の兵役拒否とは、彼らにとって「殺してはならない」と命じる万軍の主への回心と献身を表す信仰告白でありました。

 ところが、御承知のように、この古代教会の在り方は、キリスト教を国教化するローマのコンスタンティヌス体制下で、根本的な変革を迫れました。312年、コンスタンティヌスは、十字架を軍旗に掲げて戦いました。それ以来、キリストの神がいまやローマの軍神となったのです。コンスタンティヌスの与える保護と特権に感謝した教会は、古代教会の兵役拒否を逆に非難さえするようになりました。そして、314年のアルル教会会議の決議は「武器を捨てる者は、聖体拝領から除外する」と定めました。帝国軍隊と融和した教会は、軍籍を離脱する者に恐るべき破門の刑罰を科しました。やがて、教会は、古代教会においては模範とされた、兵役拒否の殉教兵士の名前を、教会暦から抹殺したのです。

 しかし、2009年10月18日の今夕、私たち日韓両教会は、再び、2000年前の信仰に立ち帰ろうではありませんか。私たちの真の王の王の御命令に虚心に服従し、その兵士として、共に両国に対して、軍事力の放棄を訴えようではありませんか。

 その先駆となる、内村鑑三が1905年に訴えた非戦論を最後に紹介します。日清、日露両戦争による日本の画期的な勝利を目の当たりにした時、
日本人はこぞって、戦争を義戦と唱えました。しかし内村は、預言者的洞察をもって、このまま行けば、日本は滅びると預言しました。「戦争は戦争を止めるためであると言います。…
しかし戦争は実際戦争を止めません。否、戦争は戦争を作ります。…
戦争によって兵備は少しも減ぜられません。否、戦争が終わるごとに軍備はますます拡張されます。…
日清戦争はその名は東洋平和のためでありました。しかるにこの戦争はさらに大なる日露戦争を生みました。日露戦争もまたその名は東洋平和のためでありました。しかし、これまたさらに大なる東洋平和のための戦争を生むのであろうと思います。戦争は飽きたらざる野獣であります。彼は人間の血を飲めば飲むほど、さらに多く飲まんと欲するのであります。そうして国家はかかる野獣を養うて、その生き血を飲まされるのです。」このように語りながら、内村は、最も賢明な国民とは、最も早く戦争を止める国民であり、最も愚劣な国民とは、最後まで戦争とその準備とを継続する国民であると言っているのです。

 平和は、軍馬に跨るダビデ的・軍事的王によってもたらせられるのでない。驢馬の子に乗って入城する十字架の主によってもたらされるのだということを、ひたすら、宣べ伝える私たち日韓教会でありたいと願います。


 祈りましょう。  平和の主・イエス・キリストの父なる御神。十字架の主こそ、栄光の主となられた事実を覚え、私たちもまた、権力と憎悪による軍事的勝利でなく、愛と赦しをもって、霊的勝利を目指す、日韓両教会とならせて下さい。





・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




a:739 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional