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2009年 8月16日 平和聖日礼拝説教「み国を来らせたまえ」

2009年8月16日 平和聖日礼拝説教 「み国を来らせたまえ」

  説教者 山本 裕司
  列王記下8:17~19
  マタイによる福音書 6:10 

 インターネットの利点の一つにリンク(連結)があります。これは一つ情報をさらに調べたいとき、マウスボタンを押す、つまりクリックするだけで、新たな、情報空間に飛ぶことが出来るという機能です。そうやって、たった一つの言葉から、その言葉にまつわる広大な情報の海の中に飛び出していくことが出来るのです。今朝、64年前の敗戦を思いつつ、私たちが学ぼうとしていることは「御国が来ますように」との主の祈りの第二の祈願です。私は、この「御国」という言葉をネットで検索したわけではありません。しかし、この言葉を調べている内に、様々な書物にリンク・連結せざるを得なくなりました。次々に書斎にある本を手に取って読んでいかなければならなくなる。そこで、この一言「御国」という言葉に結びつく、広大な世界をかいま見ざるを得ない。そういう、ネット体験に類似した思いをこの説教の準備において経験致しました。

 その「御国」という言葉から、私が導かれていったのは、ナチスによる強制収容所での話です。「御国」という言葉をクリック、つまり叩いてみますと、先ずどこにも「御国」はないという嘆きの言葉が表れてくるのです。「国」とは、元のギリシャ語では「支配する」という意味です。御国とは神が支配する国のことです。ところが、神様の御支配はどこにもないと思われる恐ろしい世界に、私たちは先ず連れて行かれる。

 東京大空襲を経験した作家の早乙女勝元さんの『わが子と訪ねた死者の森収容所』を手に取りました。それをぱらぱらと捲ってみただけで、直ぐ「悪魔的」という言葉が目に飛び込んでくる。次には「狼」です。「人は人に対して狼である」という言葉です。早乙女さんが子どもたちと訪ねた最初の収容所は「死者の森収容所」でした。何故森かと言うと、鬱蒼たるブナの森が広がっているからです。この神のお造りになられたはずのブナの森を、支配したのは、何と悪魔であり、狼であったと言われる。その隔離独房を支配する死刑執行人の一人にゾンメルという男がいた。彼は、半年の間に百人以上の囚人を拷問によって死に至らしめた。食べ物に多量の塩を入れて水分は与えず、囚人をからからに干上がらせる。ボイラーやストーブにくくりつけて焼き殺すということもしました。人間こそ狼であることの証拠の数々が次々に、指摘されるのです。

 そのような現実の中で「御国を来たらせたまえ」との祈りはいかなる意味があるのかということです。神の国は来ない、神の支配はない。来るのは悪魔の国、存在するのは狼の支配であると、その現実の中で誰もが叫ばずにおれなくなるのではないでしょうか。そこでは、もはや、希望をもって、主の祈りを祈る力は失われるのではないでしょうか。そこでは「御国→狼→絶望」という言葉にリンクされていくのではないでしょうか。

 しかしさらに「絶望」という言葉を叩いて見ますと、次にリンクされたのは、宮田光雄先生のお書きになりました、『アウシュヴィッツで考えたこと』です。早乙女さんと同じように、強制収容所を巡ってのフィールドワークとして語られる書物です。そこで言われていることは、やはり先ず強い問いです。この残虐性の極致を見たとき、ある者は「アウシュビッツ以後、なお人間は詩を作ることが出来るか」と問う。そして、さらに或る者は「アウシュビッツ以後、なお人間は祈ることが出来るのか」という問いが発せられるのです。この恐るべき殺戮が現実に起こったということは、その悪を防止すべき神は死んだと言われてもしかたがない。従って祈ることは不可能であるという結論に至るかと思われる。しかしその問いが出された瞬間に宮田先生はあるカトリック神学者の答えを引用されるのです。「我々はアウシュビッツ以後も祈ることが出来る。なぜなら、アウシュビッツにおいても祈られていたからである」、そう断固として言うのです。実際、神に祈りつつガスかまどに入って行った人がいた。神は死んだと思われる状況の中「それにもかかわらず」祈りは残った。「それにもかかわらず」主の祈りは消えなかったと言うのです。

 宮田先生の本の表紙には、鉄格子越しに見た、木の絵が印刷されています。それは先の早乙女さんが、ここは悪魔の世界だと言った「ぶなの森」収容所における、反ナチ抵抗者パウル・シュナイダー牧師の話に係わるのです。収容所入口の監視塔の上に、初めて《かぎ十字》の旗が掲揚された時、囚人たちはそれに向かって脱帽し、敬礼するように命じられました。その時、シュナイダーは、帽子を取らなかったのです。たちまち彼は地下牢に投ぜられ、それ以後13ヶ月間、残虐を究めた拷問を受けることになる。地下牢の前には、朝夕、囚人たちが集められ点呼を受ける集合場所でした。その一瞬を捕らえて、独房の小さな明かり窓から、シュナイダーの力強い声が響きわたった。例えば復活祭の朝には「かく主イエスは語り給う。私は甦りであり、命である!」と。囚人たちは、この一瞬の説教によって、生きる力を回復したと言われます。事実、収容所の苦しさに耐えかねていた囚人は、シュナイダーの語る言葉によって、自殺を思い止まったと伝えられている。では、彼の不屈の精神はどこからきたのでありましょう。シュナイダー牧師は、ある時、獄中から子どもたちに絵の便りを送りました。その一つには、幅わずか1.15メートル、長さ4.5メートルの狭い独房の中で、シュナイダーが読書している姿が描かれています。そこにはこう記されている。

 「独房の中は狭い。しかし、聖書は広い。値高き御言葉の中に、神は永遠の世界を封じ込めたもう。」シュナイダーは、現代人がパソコン上の小さなウインドウズの中に、全世界を見ようとするように、独房の中で小さな聖書を開くことによって、飛翔し、広大な神の国を見ることが出来ていたのです。もう一枚の絵葉書は「お父さんのベランダからの眺め」、そういう題です。独房の窓から見たカスターニエンの裸の木が描かれている。それに添えて夫人への手紙にはこうありました。「再びカスターニエンの木が私に語りかけます。黒々とした裸の枝が私の方に伸びていますが、それは、とび色をした小さな芽をつけ、やがて訪れる春に向かって、希望に満ちているようです。」そして、宮田先生は言うのです。「獄中にあって、孤独な囚人の魂は、未来の生命を秘めた木と、生きた対話を交わす。それは苦難のただ中にあって、未来に開かれた信仰と教会との希望をシンボライズしているのである」と。

 小さな芽の存在から牧師が聞いたものこそ、主イエスの「神の国は近い」という言葉であったに違いありません。その希望の故に、彼は祈りの世界に失望しない。

 「天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。」(6:9~10a)

 最後にリンクされたのは、梶原寿先生が翻訳されたキング牧師の説教です。キングは暗殺される一月前、1968年3月3日、ジョージア州アトランタのエベネザー・バプテスト教会で「実現せざる夢」という説教をしました。その時の聖書テキストこそ、先ほどもう一箇所朗読して頂いた列王記上8章です。主はダビデにこう仰せになりました。「主は父ダビデにこう仰せになった。『あなたはわたしの名のために家を建てようと心掛けてきた。その心掛けは立派である。しかし、神殿を建てるのはあなたではなく、あなたの腰から出る息子がわたしの名のために神殿を建てる』と。」(8:18~19)

 キングは言います。王ダビデの心の中にあった最大の願いは、偉大な神殿を建設することであった。このように、われわれも、人生において色々な神殿を、例えば、正義の神殿を、平和の神殿を、建てようと出発する。だがあまりにもしばしば、われわれはそれを実現することが出来ない。その時、われわれは孤独に打ち捨てられ、途方に暮れてしまう。だがその時、私を喜ばせてくれるは、一つの声を聞くことが出来るからだ。「それは今日実現しないかもしれない、明日も実現しないかもしれない、しかし、そのことがあなたの心の中にあることは立派なことだ。あなたがそう試みていることは立派なことだ。今はそのことが見えないかもしれない。その夢は実現しないかもしれない。しかしあなたがそれを実現しようと願っていることは、よいことだ。」と、キングは自分自身を励ますように説教を続けるのです。

 キングは1963年8月28日、リンカーン記念堂前で「わたしは夢を持つ」と歴史的なスピーチを行いました。しかし、彼はその後、その夢がことごとく粉砕される絶望的な悪夢の中に叩き込まれていくのです。キングは言う。「その夢を語った2週間後、アラバマ州バーミングハムの教会で、美しい、誰も傷つけたことのない4人の黒人少女が殺されて、私の夢は悪夢に代わった」と。

 スピーチの約1年半後、1965年3月7日、アラバマ州において、黒人の投票権確立のためのデモ行進が静かに行われた。しかし、警察官は、警棒や鞭、催涙ガスを用いて非武装のデモ隊を押し返した。デモ隊は咳き込み、泣き叫び、嘔吐した。自警団が、さらに殴打を加え流血の惨事を増し加えた。各新聞が「血の日曜日」と報道した事件です。やがてアメリカはベトナム戦争の泥沼に足を踏み入れていった。キングは、彼の生涯を貫く非暴力への信念から、その当然の帰結として、人類最大の暴力である戦争に反対しました。そしてベトナムからの撤兵を強く政府に求めました。「私は人々が剣を変えて鋤となし、槍を変えて鎌となす日のために活動し続けたいと思う。…私は誰をも殺さないつもりである。私は決心する。私は誰も殺さない。何故なら十戒に『殺すな』と書かれているからだ。」しかしそれは、それまでキングの働きに同情的だった愛国心に燃えるアメリカ国民をも、敵に回すことを意味したのです。彼は新聞で叩かれ、革命勢力の手先、と呼ばれました。キングの公民権運動と平和運動を融合しようとする試みは「深刻な戦術的誤り」と糾弾されました。あからさまな脅迫の他に、FBIの監視、盗聴にもさらされたキングは、絶望的な疲労状態に陥ります。慢性的な精神的苦悶の中で、睡眠は極めて困難になりました。側近者はこう明かします。「彼はより多くの煙草を吸い、より多くの酒を飲むようになった。睡眠と、一人でいられる感覚、およびそれに伴う休息とは、特に困難になった。」

 キングは、暗殺される直前、戦闘的なブラック・パワーのメンバーに心底困惑させられていました。余りにも長い間ホワイト・パワーによって踏みにじられててきた人々は、もはやキングの非暴力主義にはついていけないと公然と異議を唱えるようななりました。公民権運動の聖歌であった「我らは勝たん」(We shall overcome)を歌う時、ある若者たちは「黒人も白人の一緒に」という歌詞の部分を歌うことを拒否しました。そして、キングにこの歌を「われらは踏みにじらん」(We shall overrun)と変えるべきだと主張しました。つまり、この時初めてキングは自分の仲間の中から、非暴力の効果を疑い、非暴力を嘲笑する者が現れたことを知るのです。キングは鬱状態に陥りました。ブラック・パワーの運動の中では、平和運動を支持してきた白人穏健派は完全に無視されたのです。キングはこの分裂を嘆きました。ブラック・パワー信奉者は、黒人の優越性を主張しましたが、キングにとって、それは白人優越性と同様の悪しき考えでしかなかったのです。

 そのような未来への展望が全て閉ざされようとする中で、なお彼は、死の数ヶ月前に語りました。「私は私の語った夢が悪夢に変わるのを見た。然り、私は個人的には遅延した夢、破砕された希望の犠牲者である。だが、にもかかわらず、私は今日、なお夢を持つと申し上げて、この説教を閉じたいと思う。」ここでも「にもかかわらず」であります。合同修養会準備会を兼ねた、先般のアジア問題研究会で、日置祥隆兄弟がキング牧師の生涯を発表して下さいました。そこでも兄弟が特に強調したのは、やはりキングの暗殺10日前のこの言葉です。
「にもかかわらずの質を育てよう。」

 昨日の8・15の集会においても、私たちの国は、戦争可能な国家への道を模索しており、その布石は歴代首相によって、次々に打たれてきたと報告されました。世界中では戦火の絶える日はありません。差別は続き、人権の抑圧、貧困と環境破壊は続きます。この「実現せざる神殿」の現実に耐えて「御国を来たらせたたまえ」との祈りとそれにリンクする行動を止めてしまわないとしたら、それはどうしてでしょうか。それは、ただ一つの言葉に、ついに私たちはリンクするからではないでしょうか。

 これから十字架につかれようとする主イエスが、〈にもかかわらず〉「わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)と宣言をされた、この言葉に至る。「御国」という言葉から始まった、リンクの旅は、闇をくぐり抜けて、勝利、という言葉でゴールを迎える。主は既に悪に勝利しておられる。だから御国は来る。どのような狭い窓からも、信仰の眼差しを大きく開き、祈りの世界に赴けば、神の国の、この世への接近を目の当たりにすることが出来る。この世界は悪魔のものではない!既に神のものである!暫くすれば、それは誰の目にも明らかになるであろう。今は隠されている。しかし祈りをもって「にもかかわらず」という言葉をクリックする時、絶望という言葉の下に隠される「希望」という光輝く大文字を我々は見出すことが出来る。どのような闇の中でも。これは本当のことです。


 祈りましょう。  世の終わりまで、御国を祈り求める者とならせて下さい。霊の眼差しを開いて、世界を支配しているのは、実は、あなたであることを、見ることが出来ますように。それが故に、勝利を望む者とならせて下さい。
    (この後、讃美歌21-471「勝利をのぞみ」を皆で力強く歌った。)




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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