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2009年 7月19日「キリストにはかえられません」

2009年7月19日 主日礼拝説教 「キリストにはかえられません」

  説教者 山本 裕司
  マタイによる福音書 6:1~4 


 かつて、私たちが、西片町教会にはどのようなオルガンが相応しいのかと考えておりました時、あるビルダーのオルガン設計図の中に「トランペット」というストップが備えられていたことがありました。これがありますと「トランペット・ボランタリー」のような明るい曲を、その華やかさのまま演奏することが出来るのだそうです。普通、パイプは、私たちのオルガンのように、天(神)に向かって垂直に設置されますが、トランペットの朝顔に似たパイプを、真っ正面に、つまり聴衆(人)に向ける楽器も存在します。そこで思い出されるのは今朝の御言葉です。「あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。」(マタイ6:2)しかし言うまでもないことですが、ここで主が言われているのは、楽器の問題ではありません。それは弾くオルガニストの問題であり、讃美する会衆一人一人の問題なのです。

 奉仕と献身に生きるとは、天の神を指さして「このお方を見て下さい」と宣べ伝えることですが、私は、そこで、恩師の説教を思い出すことがあります。洗礼者ヨハネは、イエス様が自分の方に来られるのを見て、喜び勇んで言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1:29)。その時、ある画家が描きましたように彼はイエス様を指さして「見よ」と言ったに違いありません。そこで恩師はその仕草を真似て、しかし「こうなる人もいます」と指を曲げて見せたのです。「見よ!」と言った時に主を指しているように見えて、実は指先は180度曲がって自分自身を指している人がいると言うのです。「…自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。」(6:2)当時の会堂では、献金が高額な時執事がラッパを吹いたらしい。まさに「吹聴」という言葉そのままの行為です。

 主イエスがこの6章で言われていることは、この世のことで、人はラッパを吹聴する言っているのではありません。「施し」(6:2)という、最良の神奉仕においてこそ、人は自分のためにラッパを吹くと、言われるのです。そう考える時、私たちが教会の奉仕や献金をする時に、どうしても御前に跪いて祈らねばならないのは、私が自分の誉れ、自己宣伝のために、このことをしないようにという祈りに尽きると言わねばなりません。

 「見てもらおうとして」(6:1)、この元の言葉は「劇場」という言葉になりました。また2節以下にしばしば出てくる「偽善者」という言葉は「役者」と訳せる言葉です。つまりここで主イエスは、当時の信仰者たちの献身とは、お芝居だ、と言ったのです。神を上手に指さしている、しかし指は曲がっている、と。

 私たちの教会もそうですが、多くの教会が、献金の詳細について、公にすることはありません。しかし話しに聞いただけですが、それを公にしている教会もあるらしいのです。毎月誰が幾ら献金したかを、印刷して配っている教会もあるらしいのです。あるいは、席上献金も、私たちが籠を用いるところを、平たいお盆に献げるというやり方をしている教会もあります。そのやり方だと献金額がよく見えるわけです。

 どちらが良いのでしょうか。皆さんはどう思われるでしょうか。私たちの心の弱さを考えれば、前者が良いと思いながら、しかし信仰的にはどちらでも良いのです。献金額が公表されても、されなくても、変わらず、私たちは神様とお約束をした額の捧げ物をすれば良いのです。これはあり得ませんが、もし、西片町教会の考えが変わって、来月から一人一人の献金額が印刷されるようになったとたん、誰かの献金額が増えたなんてことになったら、会計役員は、そのお金を本人に返した方が良いと私は思う。そこで私たちも献金において、一つの芝居を始めたということになったと判断するからです。誰かが悲しみを込めてこう言いました。「人は、地位も財産も、捨てることが出来る。場合によっては、生命だって捨てられる。だが、誇りだけは捨てられない。自慢の種、それはどんな密やかなものであっても捨てられない」そう言うのです。自己宣伝するほど厚顔ではい人も、左の手には知らせるのです(6:3)。誰も言ってくれなければ、益々、自分で自分に吹聴する。そこで忘れられているのが、信仰です。誰も見ていなくても、神様だけは見ておられる、その信仰を忘れる。しかしそれでは、とても損をしたね、そう主はここで言っておられるのです。「彼らは既に報いを受けている」(6:2)と。もっと原文を生かして訳すと、こうなるそうです。「彼等は全額の支払いを受けてしまった。」この言葉は商売用語だそうです。領収書に記される言葉です。つまり施しが、この世の誉れを受けたのなら、もうそれで勘定は済んだというのです。この世で収支が合ってしまった。そうしたら天における支払いはもう残っていない、「それは何ともったいない!」と、主はここでひどく残念がっておられる。

 ある説教集にこういうことが書かれてありました。それは安田龍門という和歌山出身の画家についてです。この人は、芸大に入ったのですが、家が貧乏で、アルバイトをしながら勉強を続けました。いよいよ卒業制作に取りかかるという時に、モデルを雇う金がない。それで意気消沈して故郷に帰って来ました。それを見た母親がこう言ったそうです。「モデルというのは別嬪でなければいかんかのう。このお婆をモデルに描いてみんさい。」安田先生は、この一言ではっと目が開かれた。それからはもうお母さんをモデルに寝るのも忘れて描いた。お母さんも昼間の労働で疲れ切った身体で、毎晩モデルに立ち、眠くなると火鉢に足を突っ込んで目を覚ましたと伝えられています。こうして出来上がったのが「母の像」という絵で、これは今でも芸大の宝として残されているそうです。彼は才能が認められて、フランスに留学することになります。そしてフランスで母の訃報に接します。その母親の死に接して安田龍門が書いた詩があります。「母上よ、私はあなたの墓標になりたい。私をあなたの墓標にして下さい。」それは、世間の人々が安田画伯を見る時、墓標のように立つ彼は通して、背後の母親の姿が浮かび上がって見えてくるという意味です。そういうことを紹介しながら、その説教者は言うのです。「主イエスよ、どうぞ私をあなたの墓標にして下さい」と。信仰者一人一人が、主イエスを指し示す存在となる。主の墓標そのものになってしまう。安田さんが立派な業績を上げても、それは母を益々褒め称えることでしかない。自分が称えられるのではないのです。これは本当に美しい母子の絆であり、私たち信仰者のモデルでありましょう。

 さらに墓の話です。改革者カルヴァンの墓は今どこにあるか分かりません。いえ、最初からなかったのです。共同墓地のどこかに、彼は埋められました。それは彼の遺言によりました。カルヴァンは墓碑を建てることを許しませんでした。ある人は書いています。「その理由は、彼の厳しいまでの謙遜によってだ。死者の追憶が、しばしば宗教的な感情にまでなって、それが神に対する崇敬を不純にする。また彼は、せめて墓碑だけでも残し、自分の生涯が後の人々に記憶されるようにしようと、あせる人間のはかなさを知っていた。彼は精一杯生きた。そして死ねば、忘れられてよいと思った。自分が忘れられて、神のみが皆に覚えられればよかったのだ。」しかしカルヴァンは忘れられませんでした。それは神の栄光のためだけに生きた人のことを、神は覚えられる。その天の報いの反映が、この地上でも起こっただけのことなのです。

 どうしてそういう生き方をすることが出来たのでしょうか。安田画伯は、母なしに、今の自分の芸術の一片も存在しないと思ったからです。使徒パウロも言いました。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。…働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」(コリント一15:10)これらの言葉の中に溢れているのは、感謝です。神の大いなる恵みに対する感謝が溢れたものが、私たちの奉仕です。高慢になるのが怖いからと、引っ込み思案にすれば良いというのでもありません。パウロは「他のすべての使徒よりずっと多く働きました」(同上)とも付け加えました。奉仕とは、神の深い愛を得た者が、そうせずにはおれない、愛の応答です。罪深い女が、主イエスの足を涙で濡らし、髪で拭った時、主は言われました。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」(ルカ7:47)罪の赦しの救いから生じた無限の感謝は、自分が主イエスのためのラッパとなりたいという衝動を生む。吹聴でなく、主を指し示すラッパを吹き鳴らす伝道の喜びに生きるのです。


 祈りましょう。  誰も見ていない所でも、あなたの眼差しは向けられていることを信じ、天の報いを楽しみにしつつ、奉仕に生きる者とならせて下さい。

(この後、讃美歌21-522を皆で高らかに歌った。「キリストにはかえられません、有名な人になることも、ひとの誉める言葉も、この心を引きません…」と。)




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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