日本基督教団 西片町(にしかたまち)教会へようこそ!バリアフリーの教会です。 どなたでもいらしてください。

2009年 3月22日「神と交叉する人生」

2009年3月22日 創立120周年記念礼拝説教「神と交叉する人生」

  説教者 山本 裕司
  申命記 31:1~6
  マタイによる福音書 27:15~23


 私たちの愛する教会が、旧地名・本郷駒込の地に創立され120年を記念し、ここまで私たちを導いて下さいました、神に感謝を捧げる春の朝を迎えました。私はこの日を覚え、神学校の図書館に行き、初期キリスト教諸雑誌の調査に当たりました。また既に私たちの教会が出版した『五十年記念誌』、『百年史』、母教会の『下谷教會六拾年史』を読みました。その結果知り得たことを、今朝、レポートとして皆様にお渡し致しました。

 そこに記されていることを申しますと、下谷教会の伝道者・加藤新太郞は、本鄕駒込東片町の知人芦田方を度々訪ねていました。その家に心の病にかかっている人がいて、励まさんと御言葉を宣べ伝えていたのです。その病人が死んだ時、宣教師の費用を得てその家を借り受け、帝大生・加藤萬治が住み、駒込講義所を開き、伝道を開始しました。それが1887(M20)年7月のことでした。場所は、史料によると、東片町(今は向丘)52番地です。

 その後、1888(M21)年12月、下谷教会においてリバイバルが起こり、3週間連日の祈祷会がなされ、出席者が次々に献身・献金を誓い、教会はミッションより自給独立します。同時に、上記のように民家を用いていた駒込講義所を移転し、独立させようとの意欲が漲りました。帰国したばかりの伊藤爲吉が、アメリカで学んだ「教会バザー」を企画し、多額の収益を上げ、設計工事も彼が請け負い、さっさと教会堂を建ててしまった。その捧堂式が、今回新たに発見された史料によると、1889(M22)年3月23日午後2時20分より挙行されました。そのプログラムに記されている名には、メソジスト教会史上の有名人、外山孝平牧師、平岩愃保牧師、宣教師イビーやマクドナルドが散見されます。場所は、東片町中通の十字路の一画、東片町152番地です。

 この初春、私は、古い地図を持って、何度も上記周辺を歩き回りました。120年前にここに教会が生まれた。ここで福音が始めて語られた、そう思って見渡すと、どこにでもある町並みでありながら、夕日が路地にも差し込んでいたせいか、景色が輝いてくるような気がしました。

 この最初の会堂建築時、名も駒込講義所から駒込教会と改称されました。やがてここに、初代牧師橋本睦之を迎えます。これら、私たちの教会にとって画期的な発展がなされた時を記憶するために、西片町教会創立日を1889(M22)年3月31日と定めたと推測されます。こうして、私たちの教会は、今、120歳を迎えました。

 申命記31章にも「120歳」という言葉が記されています。「わたし(モーセ)は今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。」(31:2)これはまさに多くの先達が、今朝、私たちに語りかけている言葉そのものではないでしょうか。イスラエルは今、このモーセのいない中で、ヨルダンを渡り聖戦に打って出なければならない一番厳しい時代を迎えるのです。先ほど来の教会史料の中に表れ、この教会を厚き心をもって建設した先達は、今、全て天に召され、ここにはいません。また昨今、私たちの教会は、会員の高齢化を迎え、生涯を貫いて教会を物心両面に渡り支えて下さった兄姉の相次ぐ退場を経験しています。今回の創立120周年事業において、私たちは会館牧師館の改修を成すことが出来ました。しかし、それは、モーセに似た兄姉がなお残っている、今が大事業の最後のチャンスではなかろうか、との意見すらあったのです。これは私たちの教会の問題だけではありません。教勢の落ち込み、教会財政の衰退、特に青年の伝道献身の減少は、宣教150年を迎える日本のプロテスタント教会の存亡の危機であると言われています。そのような中で、私たちは、魂の激しく枯渇している砂漠状態の東京に、伝道の宣戦布告をなしていかねばならない、と求められているのです。その使命の大きさと、自らの小ささのギャップを前にし、不安と恐れの中にいる私たちに対して、モーセは(先達)は、今朝、訴えます。「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。」(31:6)「主御自身があなたに先立って」(31:8)行く、と。つまり神は後方でただ号令だけをかけておられるのではない。神が先陣を切って下さる。最も危険極まりない最前線を進んで下さる、と言うのです。

 今朝は復活前第3主日、レントの季節でもあります。主が棕櫚の主日、都エルサレムに「先に立って進」(ルカ19:28)まれたと書かれています。それは、神があの申命記の約束を果たすためであります。罪との戦の最前線を進む神の姿がここにある。そして最前線を行くが故に、主はその攻撃を一身に受けられ十字架につけられ戦死される。しかし、その一見、敗北に見える神の死の出来事の中で、まことの命の勝利が始まったという福音の逆説こそ、私たちの勇気の源泉であります。 主の死が、私たちの命となる。その理由がもう一箇所、今朝朗読頂きました、主の御受難の記事、マタイ福音書27章に現れています。その裁判において、ローマの総督ピラトはイエスが無罪であることに気づきました。この過越祭の時、恩赦の制度が適応されます。その時、恩赦の候補に挙がったのが、バラバとキリストでした。しかし恩赦に選ばれたのは「バラバ・イエス」(27:16)でした。当時「イエス」とは、平凡な名だったのです。だから、ピラトは「どちらのイエスを釈放したいのか」と問うのです。そして、その結果は、真の死刑囚バラバ・イエスではなく、キリスト・イエスが断罪された。つまりここに「イエス」の「交換」が起こった。罪人イエスと義人イエスがこの裁判の座で、交叉し、イエスの入れ替えが起こってしまった、という驚くべきことが言われるのです。そして私は思う。この交叉・クロス、つまり贖罪があるからこそ、私たちは、120年以後も「強く、また雄々しく」前進出来る、と。

 バッハ研究者・磯山雅先生は「マタイ受難曲」を解説して、この音楽の中にさまざまな形で隠されている暗号を明らかにしていきます。バッハにおける数象徴というものがあって、例えば、このピラトの裁判においては「どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。」(27:14)という主イエスの沈黙の指摘があります。この御言葉が歌われた直後のテノールが、沈黙の意味を思い巡らしながら歌いますが、ここで器楽が奏でる和音の数は、全部で39あります。この数は「わたしは黙し、口を開きません」と謳う、沈黙を主題とする詩編39編に対応していると言うのです。このような数の暗示は至る所に現れているのですが、私も今朝、それを真似て、この礼拝順序の中に、120という数字を幾つか入れておきました。その一つが、先ほどご一緒に歌いました「主はわが飼い主、我は羊…」と歌われる讃美歌21-120番です。

 また、バッハがその音楽の中に密かに刻み込んでいった最重要象徴とは「十字架音型」であります。例えば受難の始まりのところで、主が弟子たちに「人の子(主イエス)は、十字架につけられるために引き渡される」(マタイ26:2)と預言します。この「受難曲」で始めて登場する「十字架」(クロイツ)という言葉とその周辺に、幾重にもシャープが記入されるのです。バッハはクロイツと同型であるシャープを十字架の暗示に多用しました。さらに、そのシャープの付記は、その記号を線で結び合わせることによって、譜面上に、図形的な意味で、十字架の形が幾つも出現していくように作曲されていると言うのです。

 また、磯山先生が引用するスメントという音楽学者によると「受難曲」のような長大な音楽をバッハが作曲した時、一点を中心とした対象構造を思い描いたはずだと言われます。それは、キアスムス(交叉配列法)を構造としたかったからだと書いてあります。キアスムスとは「キリスト」の頭文字のギリシャ語のΧ(キー)にその名が由来します。言うまでもなく、Χは、十字架の形です。それを聞いて、思い出さざるを得ないのは、西片町教会会堂の壁に、椅子に、恵みの座に、梁に、ここに座す私たちを覆うように刻まれている所謂「アンデレ十字架」であります。この度の改修事業によって、大ホールに耐震構造上、偶然生じた巨大な十字架であります。

 スメントが「マタイ受難曲」の中心と考えたのは、26:66~27:40です。ここには明確な文学的、音楽的な左右対称構造がある。特に、今朝与えられているマタイ福音書27:22と23の両節に表れる人間の挙げる最悪の二度の叫び声「十字架につけろ」、この間に挿入されるバッハの音楽にこそ「受難曲」の心臓部中の心臓部であり、ここがΧの焦点である、と言われます。その中心にバッハが刻みつけるように置いたコラールこそ、説教後の讃美歌21-313「愛するイエス」です。この歌はやはり、問いから始まります。「愛するイエス、何をされて こんなさばき 受けられたのか」、やはり主の十字架の意味を問う。特に、バッハが採用したのは、このコラールの4節です。この歌は、両側に挟み込まれる「十字架につけよ」との渇ききった叫び声のただ中にあって、それに負けないオアシスのような潤いを聴く者に与えます。「主は羊飼い、我は羊」、その良い羊飼いが、羊に代わって苦しみを受けて下さった。王の王であられる方が、僕のために命を捨てて下さった。そう美しく歌う。

 このキリスト・イエスの死の瞬間、死ぬべきバラバ・イエス(私たち)が甦る。それをある神学者は「交換」と呼びました。神が死に、私たちが生きる、神の道と人の道が、交叉し、交換される。天におられる神が陰府に降られ、陰府にいる私たちが天に昇る、凄まじき交換が起こる。その神と人間が交叉し、出会う、その中心から、巨大な宇宙的規模の「アンデレ十字架」(X)が出現するのであります。その交叉の焦点こそ、この礼拝であります。

 この十字架の恵みによって、私たち弱い者も、120年を越えて、ヨルダンを渡る勇気を得る。なおここに教会を建て続ける、厳しいが、しかし勝利が約束されている戦いを続けることが出来る。本当に感謝なことだと思います。


 祈りましょう。  あなたは、120年前、神の子イエスが十字架につかれた意味をこの地にお示しになるために、私たちの教会を建てて下さいました。どうかこの使命を、これからも全身全霊をもって、果たしていくことが出来ますように、十字架そのものによって支えて下さい。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




a:1125 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional