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2008年10月14日 「解放への巡礼」

2008年10月14日 「解放への巡礼」 於 ソウルチェイル教会

ソウルチェイル教会・西片町教会姉妹関係締結30周年記念誌『カナンをめざして共に、30年-和解の継続と東アジアの平和のための祈り-』奉献礼拝説教
  説教者 山本 裕司
  創世記12:1~3 
  ヨハネ福音書16:1~4


 第15回日韓合同修養会の主題聖句は、ルカ福音書19:42において、主イエスが言われた言葉です。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…。しかし今は、それがお前には見えない。」子驢馬に乗って入城される平和の主と、その主の言われた「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)との御言葉を、受け入れようとしない、都エルサレムの滅亡を預言して、泣きながら言われた言葉です。

 それから40年後、紀元70年、まさに主が預言された通りのことが起こりました。「…時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。」(ルカ19:43~44)剣を取ったユダヤ反乱軍とローマ軍との戦争は、エルサレムの徹底した破壊と神殿炎上によって終わりました。ローマ皇帝は、エルサレムからユダヤ的建造物の全ての形跡を除去するために、あらゆる方策を講じました。爾来、ユダヤ人は市中に住むことは許されず、代わってその存在自体が「剣そのもの」と言って良い「ローマ10軍団」が駐留しエルサレムを支配したのです。

 今朝、記念すべき『カナンをめざして共に、30年』奉献礼拝のために与えられましたヨハネ福音書の起源は、これまで長く濃い霧に包まれていました。しかしあるアメリカの聖書学者(J.L.Martyn)の学説が発表されて、それを多くの研究者たちが認めるに至りました。それによると、敗戦によってエルサレムを追われ、エルサレムの西方、地中海沿岸の小さな村ヤムニアに逃れたユダヤ人たちは、そこを新たに民族的宗教的拠点と覚え、ユダヤ最高会議を開きました。そこで彼らは自らの正統性を確立するために、キリスト教の異端宣言をする。そしてイエスを神と告白するユダヤ人を、会堂から追放することを決定したのです。そして会堂礼拝の最も大切な成文祈祷「18の祈願」の中に、キリスト教徒に対する呪いの言葉を加えました。その第12番目の祈願はこうでした。「ナザレ人たち(キリスト教徒たち)は瞬時に滅ぼされるように。そして、彼らは生命の書から抹殺されるように。」その時、キリスト者たちは会堂を去って、自分たちの教会を建てた。それがヨハネ福音書を生み出したヨハネ教会であったという学者の指摘です。

 会堂追放、それはユダヤ共同体から村八分になることを意味しました。非合法組織ヨハネ教会に属することは、帝国からの迫害も受け、明日の生命も定かではありません。それはアブラハムのように「行き先も知らずに」(ヘブル11:8)前人未踏の旅に出ることを意味しました。そのヨハネ教会員にとって、先ほど朗読頂いた主の言葉は、まさに自分たちへの預言と聴こえたに違いありません。「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。」(ヨハネ16:2)

 しかし「ナザレ人」(キリスト者)全員が、勇気をもって会堂を出てヨハネ教会に加わったわけでもなかったようです。イエスを信じているにもかかわらず、迫害を恐れ、会堂に留まり、真実の信仰から脱落した者も多かったようです。それもまたヨハネ福音書に暗示されています。「議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。」(12:42~43)そのような中で、一つのユダヤ人家族の中で、会堂に留まるか、そこを出て教会に属するかで、真っ二つとなり、引き裂かれるような経験をする一家も現れたのではないでしょうか。これは今から2000年前の教会の戦いだけではないと思います。私は、この度、主イエス・キリストの父なる神に奉献されるこの「30周年記念誌」を読んだ時に、まさに現在のヨハネ教会がここに存在したのか、という感慨を覚えずにはおれませんでした。ソウルチェイル教会こそ20世紀に生まれたヨハネ教会であったと思います。

 御教会の試練に関して、本誌6章などに収められた記録と、また紙面の都合で掲載されなかった山本将信牧師などの臨場感溢れる訪韓報告を合わせて申します。1983年夏、WCC第6回総会の主題講演の任を終えて帰国された朴炯圭牧師は、長老会において鄭長老から暴行を受けました。かねてより3人の長老と1/3近くの教会員が韓国民主化運動に参与する朴牧師に辞任を迫っていました。ソウル老会裁判局が暴行長老を停職処分にした頃から反対派の礼拝妨害が始まる。しかし朴牧師を初め良識派教会員は、いかなる暴力の前にも、非暴力を貫きました。しかもこの暴力は警察の黙認、奨励によって行われていたのです。一年後、1984年9月9日の主日、妨害グループの中に何人もの見知らぬ者たちも加わり4階の牧師室に押しかけてきて牧師の辞任を要求した。暴力派と良識派の学生などによって牧師室で攻防戦が繰り広げられ、牧師室から暴力派を押し返しバリケードを築きました。結果的に、牧師室に、女性2名を含む14名が監禁状態となり、電話、電線は切断され、水道は止められ、消火器二本が吹き込まれた。教会員たちは中庭に座り込んだ。警察は何もしない。このような状態が60時間、9月9日~12日まで続いた。また、9月23日の主日礼拝後、再び暴力派が朴牧師を殴打し、守る青年たちも負傷した。その中で最も怪我がひどかったのは、当時の鄭光瑞伝道師の弟でしたが、逆に最も過激な妨害派こそ、この鄭兄弟の兄と長老の父であったと伝えられるのです。

 将信牧師はこう報告の最後に記しました。「鄭長老一家は韓国の縮図かも知れぬ。4人の息子の内長男と三男が父母と共に激しく礼拝妨害し、次男・鄭光瑞伝道師と四男が牧師と行動を共にする。信仰のゆえに親子兄弟が敵対するという聖書の言葉のようであり、かつまた国家の悪意が親子兄弟を引き裂いたのである。心痛む。」と。朴炯圭牧師はこの直後、入院先からこう西片町教会に書き送られました。「私は今生命に対する危険を強く感じている。私を抹殺しようとするのは軍のさしがねによるものである。教会の内紛を助長し、その紛糾の中で私が殺されたかのように見せかけようとする彼らの工作は余りにも明白だ。」 

 翌1985年、春、山田貞夫兄が教会を訪ねると、牧師室、事務室、礼拝堂は無茶苦茶に壊され廃墟と化していた。しかし4月7日、韓国神学大学で行われたソウルチェイル教会のイースターの礼拝において、二人の受洗者がありました。今、ソウルチェイル教会で受洗するということは、この苦しい教会の戦いに自らが進んで入って行く決意、行き先を知らない旅に出る勇気の表明でした。ソウルチェイル教会は、既に、1984年12月9日以来、危険極まりない礼拝堂を去り、中部警察署前で「行き先も知ら」ぬ旅路「基督教史上例のない警察署前」(記念誌147頁)の路上礼拝を始めていました。それは2000年前のヨハネ教会の命懸けの巡礼と重なるのではないでしょうか。やがて、1986年、厳冬のソウル路上で迎える3度目の冬に至る。この2年間教会員が暴力によって負わされた傷の治療代は1千万ウォンに達した。しかし、教会は、主に従う覚悟、キリストの十字架の苦難の道に従う覚悟が出来たと言われる。不当なこの世の権力に屈するのではなく、それと戦うことがキリストの十字架の道に従うことであるという確信を得るのです。

 朴炯圭牧師は1985年1月6日、新年礼拝で説教されました。「イエス・キリストの体なる教会は決してこの世の暴力によって破壊されることはない。暴力は人の肉体を殺すことは出来ても、魂を殺すことは出来ない。イエスの十字架は暴力の醜悪さと無力さの象徴である。イエスの十字架を見つめ、主の復活の生命で充たされた信仰の共同体は暴力の誘惑を拒否する…。我々は決して孤独ではない。我々よりもはるかに多くの苦難に勝利した歴代の証人が天から激励してくれており、地上の多くの兄弟、教会が、特に西片町教会の兄弟姉妹が覚えて祈ってくれている。我々は暴力の前に屈服せず、敗北もしない。キリストは勝利者であるからである。十字架によって勝利されたイエスを見つめ行進を続ける限り勝利は我々にある。」

 これは、各個教会へのメッセージを超えて、今、私たちが直面している戦争放棄を謳った「日本国憲法第九条改悪」を阻止し、非暴力によって東アジアの平和を築こうとする戦いにまで射程を持つ言葉であります。ヨハネ教会の中にも、もしかしたら当時のソウルチェイル教会の兄弟の中にも、この迫害の嵐の中で、暴力には暴力を、武力には武力をもって戦おうではないかと、あのゲツセマネのペトロのように思わず剣を取った者もいたかもしれません。あるいは権力に妥協しようと、そうしなければ我々は滅びてしまうと、教会の中で議論があったかもしれません。しかしその中で、教会は、そうではない。私たちは「剣をさやに納めなさい」(ヨハネ18:11)と命じられた平和の主の僕として世の憎しみを受け止めよう、非暴力をもって、それを受け止めよう、それをもって、十字架の愛の主をこの世に「証し」(ヨハネ15:27)ていこう。〈この「証し」が「殉教」という意味になったことは余りにも有名です。〉この証しを、殉教を、自分たちがこの世に残す最後の奉仕としよう、そう語り合ったと思う。十字架のみを掲げて「解放への巡礼」をなす時必ず勝利する。何故なら、主イエスが十字架によって既に世に勝利して下さり(ヨハネ16:33)、その十字架行進に従う私たちをもその勝利に与らせて下さると約束をして下さったからです。

 この信仰に生きたソウルチェイル教会の巡礼は、私たち西片町教会にも、そして私たち個々人の生き方にも、どう道を歩けば良いのか、何が勝利への道か、深く証ししています。ところがこの真実を私たちは忘れがちになります。このような見知らぬ厳冬の道を旅して行って、本当にカナンに到着出来るのであろうかと、試練の中で、私たちは繰り返し迷い始めます。しかしその度に、私たち西片町教会員は、ソウルチェイル教会の試練と勝利の物語を思い出すのです。そして私たちも後に続こうと、十字架行進を続けていく勇気を回復するのです。

 先ほどもう一箇所朗読頂きました、創世記12:2~3で、神はカナンに向かって旅立つアブラハムにこう言われました。「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福する…地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」私たち西片町教会は、この30年間、おそらく御教会に対して大きな協力、援助をすることは出来なかったと思います。しかし今朝、皆様の前で、自信を持って言えることが一つだけあります。それは、私たち西片町教会は30年間、本当に、姉妹教会ソウルチェイル教会を祝福してきました。自分たちに無い強さを持つ御教会を尊敬し愛してきました。だからこそ、父なる神は、私たち西片町教会の30年間も祝福して下さったのです。「あなたを祝福する人をわたしは祝福する」と約束された通りに。本当にこの姉妹関係は、感謝なことであります。



 祈りましょう。  主イエスキリストの父なる神さま。記念誌『カナンをめざして共に、30年』を、私たち両教会の「平和への巡礼」を導き続けて下さった、あなたに心からの感謝をもって、奉献致します。どうか繰り返しこの書に立ち帰ることによって、憎しみに憎しみを、怒りに怒りをもってしか対処出来ない、私たちを変えて下さい。どうか平和を求めて「苦難と試練の険しい道も十字架を負いつつ」〈讃美歌21-511「光と闇とが」より〉進む決意をなした私たちを、これからも支えて下さい。その道の先に自分たちだけが救われるのではなく、この世もまた救われることを信じ、希望をもって旅を続ける、私たち両教会とならせて下さい。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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