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2008年 3月30日「無報酬で福音を告げ」

2008年3月30日 主日礼拝説教 「無報酬で福音を告げ」

  説教者 山本 裕司
  コリントの信徒への手紙一 9:1~19


 先週の復活日、私たちは以下の使徒パウロの言葉をによって、礼拝を献げました。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。…次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。…神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」 (コリント一 15:3~10)

 復活の主とお会い出来たことは、それは本当に「恵み」です。何故なら、人間の方が、復活の主を探し求めてやっとお会い出来た、という記録は聖書には殆どないからです。それはみな思いがけない出会いです。マタイ福音書では、婦人たちは、墓の前で天使から「あの方は、ここにはおられない」と告げられました。それで弟子たちに知らせようと走り始めたところ、目の前に、もう、主イエスが立っておられる。そして「おはよう」と挨拶して下さったのです。ルカでは、エマオという村へ向かう二人の弟子たちに、いつの間にか一人の旅人が同伴し、聖書を説き明かしてくれる。何故かそれを聴いていると心が燃える。夕暮れとなって宿屋に入り、旅人はパンを裂いて祝福された。その時、二人はこの旅人が復活の主だと分かった。都にとって返したこの二人が、11人の弟子たちに報告していた(マルコでは、この二人の言うことを弟子たちは少しも信じなかったとある。にもかかわらず)その瞬間、もう主がその真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と挨拶して下さった。ヨハネでは、絶望しもう弟子を辞めていたのでしょうか、湖畔で漁をしていたペトロたちに、復活の主は近づいて来られる。そして、夜明けの岸辺で「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と招いて下さった。みな予想外のことです。弟子たちが待っていたのではない。復活の主の方が弟子たちの所に来て下さった、だから人は復活の主に会えたのです。全ては恵みなのです。パウロも同じです。使徒言行録によれば、教会を迫害するために、サウルは、ダマスコ途上を旅している時、突然、天からの光によって打ち倒される。そして復活の主との劇的な出会いを経験する。こうして、復活の主と出会い使徒資格を得ることが出来た、伝道者にさせて頂いた、それは、努力精進したからではない。遙か遠くまで主を探し回ったからではない。沢山献金したからでもない。「ただ」です。無償で受けたものなのです。

 「福音」(9:16)とは、主の十字架の赦しと復活の命の恵みによって、無償で救われるということです。主は、お弟子たちを派遣される時「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ 10:8)と命じられました。パウロはこう言いました。「福音伝道を無報酬で伝えることこそ、私の報酬である」(9:18)と。中世カトリックは、免償符販売をなし、それを買うことによって、人は死後、速やかに天国へ昇ることが出来ると教えました。その時、改革者ルターは、それは違う、と言って「福音主義」教会を建てました。福音には、金はいらない、無償で与えられるのだ、と言ったのです。 使徒言行録8章には、興味深い記事があります。サマリアに魔術師シモンがいた。そこに御言葉が宣べ伝えられた時、このシモンも洗礼を受けましたが、まだ聖霊は降っていませんでした。そこに使徒たちが問安しまして、人々に按手すると、聖霊が注がれた。それをシモンは見て、金を持ってきて、私にもその使徒の力を授けて下さい、とペトロに願ったところ、ペトロは、「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。」(8:20)と叱りました。このシモンの罪とは、聖霊売買、福音売買の罪です。福音を金で売り買い出来る道をシモンは教会で初めて開こうとした者なのではないでしょうか。それ以来、教会は、常に、この金の問題で迷い続けることになったと言ってもよいと思います。中世カトリックの過ちもその一つに過ぎません。福音を売り物にする誘惑は、いつの時代いずれの教会にも付きまといます。何故なら、牧師招聘も伝道も教会建築も金がどうしても必要だからです。それは私たちが霞を食って生きていけない、肉体を持つということと関係があります。ただで受けた福音を、ただで人々に与えるべき教会が、しかし金がどうしても必要であるという、現実の前に立たされる。しかしそこで、魔術師シモンの罪に陥らない「狭い門」を私たちは求めなければならいのです。そこにはどれ程の信仰が必要でしょうか。どれ程の知恵が必要か、と思う。教会はその金銭に関わる信仰と知恵をも追い求めてきたといってよいのです。勿論、完成してはいません。今なお模索中であると思います。使徒パウロもこのコリント一9章で、その解決の「細い道」を必死で探し求めているのです。

 彼が、先ずここで強調したことは、使徒、伝道者が、福音宣教をすることによって生活出来る権利です。それは神殿宗教でもそうだし(9:13)、主も同様に「 福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示され」(9:14)たのです。それは当然、と言って、「しかし」とパウロも翻るのです。その正当性を言えば言うほど、パウロ先生は、もっと金を得ようとしているのだ、と反パウロ派に言われるかもしれません。だからパウロは力み返って「しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだ方がましです…。」(9:15)とまで言いました。ギリシア語は、動詞の語尾変化で人称を示すのが普通ですが、この15節では、パウロは、あえて人称代名詞を使い「私」を強調しました。「この私!」は、この権利を何一つ利用しませんでした、と。「この私!」がもし権利を用いるくらいなら、死んだほうがましです、と。ここで翻訳では「死んだほうがましです」の後が「…」とになっていますが、それは、文章が完成されていないからです。「死んだほうがましだ!」と叫んだ後、彼は絶句したのではないでしょうか。ほんの僅かでもこの金銭のことで誤解を受けたのなら、福音伝道者の沽券に関わると彼は突き詰めて考えます。彼は教会における金銭の誘惑がどんなに大きいか知っていたのです。それは報酬にまつわる誘惑です。やれ多過ぎるとか、少な過ぎるとか、そこに異常な関心が注がれるようになったら、それは無償の福音を伝えるに相応しくない病んだ教会の姿です。パウロが何故、報酬によって生活をする権利を断念するのかというと、その理由は「自由」(9:1、19)ということです。教会が病むと、金銭によって、使徒、伝道者の自由が犯される。

 アメリカの宗教学者ホックの書きました『天幕づくりパウロ』を読みました。パウロの当時、哲学者や文学の教師たちが、どのように生活のための金を得ていたのか、ということが丁寧に研究されています。第一は当然、授業料を請求することです。第二は、王侯貴族や金持ちの家に寄宿することです。パウロ後、コリント教会に入って分派を作った伝道者は、このやり方、つまりコリント教会の有力者の家に寄宿して生活している者であったようです。それは教師にとって、最も安心安全な生活手段でした。そのような権利を伝道者は持っていることをパウロは認めていますが、しかし、パウロは、そのやり方が、まだ金銭問題を信仰によって克服していない未熟なコリント教会にとって、どれ程危険なことであるか承知していました。そのやり方では、伝道者が自由を失ってしまう可能性があるからです。それは「教会が牧師を雇う」という堕落を生みがちであり、いわば、先ほどの魔術師シモンの罪・聖職売買、福音売買に繋がる危険性があるからです。

 辻宣道牧師の『教会生活の処方箋』を読みますと、先生が赴任した頃、教会は献金にまつわるおかしな話に充ちていた。貧しい財政で、牧師謝儀を出すことに苦しんでいた。「礼拝にろくに出もしない有力者の献金があてにされていた。有力者がひょっときて一声だすとはっとひれ伏してしまう体質があった。それは教会ではない。」とはっきり辻先生は書いています。ある会計役員は、牧師謝儀をしわくちゃなお札で、小学生の子どもに持たせる、ともどこかにありました。それで「謝儀」になるでしょうか。それでは「給料」なのではないでしょうか。『天幕づくりパウロ』にも、有力者の家に寄宿する哲学者が最も屈辱的なのは「月の最初の日、奴隷たちと一緒に一列に並んで、俸給に手を伸ばす」時であったとあります。パウロが言いたいのは先ずそこです。伝道者が御言葉に忠実に説教しようとした時、これを聞いたらおそらく気分を害するであろうパトロンが座っていた。その時、説教者は恐れず語ることが出来るであろうか、という問いです。だから、パウロは哲学者たちが一番嫌ったと言われる、自活自足の道を選び、福音宣教の「妨げ」(9:12)なき自由を確保しようとしたのではないでしょうか。

 その生活はしかし非常に困難な生活でした。「苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」(コリント二11:27)とあります。これはこれまでは、彼の過酷な伝道旅行や、迫害によって投獄された時の苦しみだと解釈されてきました。しかし、ホックは、これは天幕づくりの生活の労苦をも描いていると指摘しています。

 パウロが権利を放棄し「すべてを耐え忍んで」「福音を少しでも妨げ」(9:12)ないために選んだ道は、まさに大変過酷な「細い道」でした。天幕作りに必要な皮細工は、当時、奴隷のように卑しい職業と見なされていました。あるいは、その作業が、身を屈めるため、その姿勢そのものが奴隷的であると嫌悪され、肉体を酷使することで体に有害だと見られていました。夜明け前から日が沈むまで(テサロニケ一2:9)彼は、分厚い皮にナイフをあて、錐を突き刺し、疲労困憊する骨折りの多い仕事をしました。作業台の上に身を屈め、奴隷たちと並んで作業する生活でした。逆説的ですが、そうやって奴隷のようになることで、福音の自由を確保した。夕方、普通ならそのままぶっ倒れて寝てしまいたいところで、彼は腰痛に耐えながら立ち上がり、聖書研究会を主宰するために、猫背で工房を後にしたのではないでしょうか。

 しかしその身を屈める姿勢こそ、パウロにとって、十字架につけられたキリストを思う時「苦難の僕」と自分が一体化する時でもあったと、ホックは言う。さらに彼は洞察します。パウロの「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」(コリント一 2:3)という、パウロの弱さの強調は「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」(2:2)との言葉と切り結んでいる、と。この両節は、パウロにとって切っても切り離せない表裏の事態である、という意味のことが言われるのです。

 まさに身を屈める姿勢で、主は十字架について下さり「ただで」迫害者パウロの罪を赦す福音を与えて下さいました。パウロはこのキリストから大きな恩義を受けました。彼にとって、この自足自給の伝道者の道は、自由確保の外に、何よりも、深い感謝の思いから生まれていました。言ってみれば、福音伝道の報酬はもう先払いで、イエス様のお命によって、もうみな支払われている、後のパウロの献身はそれを僅かでも返していくだけの営みである。大きな愛を受けた。もう先払いでみなもらっている。その激しい感謝の故に、自分はキリストのために何かをせずにはおれない。福音を告げ知らせても、私には誇りにはならない(9:16)、手柄にもなりはしない。借りがあるのは私の方だ。それをどうしても返さねばならないのだ。全額は無理だと分かっている。しかし主イエスのために人生を献げてしまいたい。

 「わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。」(9:16) この思いが、無報酬で働くことの痛み苦しみを耐えさせた。私たちが今、教会に仕える心、献げる心も、ここからしか出てきません。そこで教会の金銭にまつわる病も癒されると思う。



 祈りましょう。  御子イエスの十字架と復活に特に思いを集めるこの春の季節、御子がどれ程、私たちのために大きなことを、無償で、して下さったかを思います。どうかその恩に少しでも報いる教会とならせて下さい。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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