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2006年 8月 6日 「神の光を見る」

2006年8月6日(平和聖日) 「神の光を見る」

(ヨハネによる福音書 9:13~41)

 イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」 (ヨハネによる福音書 9:39)

 ヨハネ福音書は、キリストが盲人の目を開く奇跡物語を通して、肉体の目と言うより、むしろ信仰開眼の物語を記そうとしていると確信します。

 主は言われました。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(8:12)。魂の眼差しを大きく開いて、この神の光(主イエス)を見ることが出来ることこそ「奇跡」として描かれているのです。

 だから、肉体の目が開いて、めでたし、めでたし、これで終わり、そんなふうにこの物語は描かれていません。その後にむしろ男の求道の激しい戦いが始まるのです。

 見え始めた光を求めて歩き出した時、直ぐ、ファリサイ派の尋問が始まります。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」(9:17)先ほどは「知りません」(9:12)と「霧」の中にいた彼ですが、もうここでは「あの方は預言者です」と応え、視界が開けてきているのが分かる。ファリサイ派は、この癒しが安息日に行われことを糾弾し、律法違反者イエスは神のもとから来た者ではないと裁いた(9:16)。しかし、この男は確かに自分の暗かった人生に、はっきりと望みの光が射し込んできていることを感じている。だから権威者・ファリサイ派に逆らってでも、どうしても、目を開いてくれた人は、神のもとから来た、神と深い関わりのある預言者だと思う、そう言いました。イエス様のご身分が霧が晴れるように、だんだん見えてきたのです。

 やがて、この人は問答が進んだ時、ファリサイ派に「お前はあの者(イエス)の弟子だ」(9:28)と判断される。そして、最後にイエス様と再会した時「あなたは、もうその人を見ている。」(9:37)と言われる。「あなたはキリストを見ている。神を見ている、私は、そのためにあなたの目を開けたのだ。」その瞬間、この人は「主よ、信じます」(9:38)と信仰告白し跪いた。イエスを神として礼拝した。この瞬間、彼の魂の闇の一切を払拭する神の光が照らした。一人のキリスト者の誕生です。彼は信仰の戦いに勝ったのです。

 この福音書を生み出したヨハネ教会の教会員となる人々は、元々ユダヤ人であり、当然ユダヤ教徒として、会堂(シナゴグ)に属していました。しかし人々に先んじてイエスに開眼し、イエスこそメシアである、世の光であることを信じた者たちでした。ところが紀元80年代にユダヤ教徒の(ヤムニア)会議によって、こういう決定がなされた。「イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放する」(9:22b)。そして彼らはこの通り会堂から追われ、ヨハネ教会を創立しました。そして自分たちが見た新しい光を証しするために、この福音書を編纂したのです。ですから、この福音書はイエス様が地上でお働き下さっていた紀元30年頃の時代の事件に、それから半世紀以上が経つヨハネ教会の時代の信仰の戦いを重なり合わせて描写している。それが学者たちの理解です。このかつて盲人であった男も、イエスの弟子となった時、彼の身に何が起こったのか。ユダヤ人たちは「彼を外に追い出した」(9:34)、ユダヤ共同体から追放されたのです。しかしその男に主は直ぐお会い下さり、迎えて下さった(9:35)。この追い出された男に、ヨハネ教会の人々は自分たちの姿を重ねているのです。我々もまたイエスこそメシアである、と告白し続けたが故に、村八分とされた。家族を失った者の多かったと思います。しかしその時、新たに教会が迎えてくれるのだ。この教会を自分たちの新しい世界と覚え、ここで光を仰ぎながら明るく生きていこう。そういう思いがこの福音書には込められています。

 このヨハネ教会の時代、このような信仰の勝利の一方、主イエスを一度は信じながら、会堂から追放されることを恐れたために、教会を棄てた者も多く現れたと推測出来ます。その代表として登場しますのが、この目を開いて頂いた男の両親として登場する者たちです。ヨハネ教会の時代として、ここを読むなら、この両親の息子は闇の中に長く打ち沈んでいた。そのためにずっと両親は悩んでいたと思う。ところが息子はある時、主と出会って、どんどん変わっていった。暗い顔をしていたのに明るくなった。目には青年らしい輝きが漲ってきた。本当に嬉しかったと思う。そして両親も息子を救ってくれたヨハネ教会に通うようになったのではないでしょうか。その時、ユダヤ人権威者から問われる。注解者は実はこのファリサイ派の問いとは、ヨハネの時代の宗教裁判のことだと指摘しています。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」(9:19)と尋問された時に「わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう」(9:21)、そう答える。両親は、主イエスが息子を救った。光を与えたのはキリストです。そう事実を証言すべきところで、会堂追放の恐怖から、結局信仰告白を避けました。そうやって、実はこの両親こそが光を見失ってしまうのです。村八分になることを恐れた求道者たちは、このように問いを巧みにはぐらかして、自己保身をしたのです。

 私は梶原寿先生から「M・L・キング研究会会報」を送って頂きました。そこに記される梶原先生の言葉に、大変心動かされました。この前、小泉首相がアメリカのテネシー州メンフィスをブッシュ大統領と訪ねた。それはキング・オブ・ロックンロール・エルビス・プレスリーの大邸宅「グレースランド」を訪れるためです。そこで小泉首相は「夢がかなった、夢のようだ」と感動を表現し、興奮の余りプレスリーの真似をしました。私は梶原先生の指摘で初めてこのテネシー州メンフィス縁の人に、もう一人のキングがいることに気付きました。メンフィスはマーティン・ルーサー・キング牧師・終焉の地なのです。彼はこの地のローレイン・モーテルで銃殺されました。この暗殺は、キング牧師がベトナム戦争に反対の姿勢を公然化したからでした。このローレイン・モーテルは後に「国立公民権博物館」と改称され、キング牧師の働きと公民権運動を記念する建物となりました。一方、ロックンロールのキングは、ベトナム戦争を支持するタカ派であった。そして今回、メンフィスを訪れた二人に、その地から意識されるのは、ひたすらグレースランドのみであった。公民権博物館の存在は全く意識の外であったと言われるのです。戦争政策で一致するこの両国権力者には「汝の敵を愛せ」と非暴力、非戦を訴え続けた、もう一人のキングを見る力はいささかもなかったようです。

 そして梶原先生が最後に言われたのは、このメンフィスの国立公民権博物館の前には、旧約聖書の言葉を刻んだ銘板がひっそり立っているということです。「(兄たちは)相談した。

 「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」(創世記37:19~20)

 キング牧師は1963年8月28日、リンカーン記念公園に参集した20万人の人々の前で、余りにも有名なスピーチをしました。

 「私には夢がある!いつの日にかすべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。荒地は平らになり、曲がった地もまっすぐになる日が来ると。そして神の栄光が現れ、すべての人々が共にその栄光を見るであろう。」

 しかしヨセフの兄たちは言った。「あれの夢がどうなるか、見てやろう」と。そうやって、神の栄光を「夢見るお方」は殺されました。

 殺されることを恐れると、人は夢を見なくなるのです。最も大事な神の国の望みの光、平和の光を見ることが出来なくなるのです。

 本日は8月第一の主日・日本基督教団の定める平和聖日です。戦争中、ホーリネス教会は国家から激しい弾圧を受けました。その最大の理由は、キリスト再臨時の天皇の地位の問題でした。キリストは「目に見える現実」として地上に再臨する。その時日本を含む一切の国家の統治権は失われ天皇制も廃止される。その神の国は近い。夢見るようにホーリネスの人々は語りました。このホーリネス裁判に証人として召喚された高名な神学者は、全教派の「長子の教会」と自負した日本基督教会に属しました。彼はそこでキリストの再臨は霊的なもの、精神的なものだと語り、ホーリネスの被告人を狼狽させました。この神学者は、キリストの再臨を精神的な領域に止めることによって、国家権力と教会の衝突を未然に防ぎました。それはお手柄だったのでしょうか。「長子の教会」と自負するのなら、弟たちを身体を張って守るべきだったのではないでしょうか。

 あるいは、私たちが今、カルトの一つと判断して戦っている「ものみの塔」という団体は当時、灯台社と呼ばれていました。灯台社は、神・エホバ以外のものを崇拝することは許されないと信じ、神社参拝を拒否したため弾圧されました。一方、やはり日本基督教会の指導者で、後に日本基督教団統理となる富田牧師は、率先して伊勢神宮に参拝しました。また富田牧師は、同派の朝鮮イエス教長老会を説得するために、1938年6月、平壌に行き、神社は宗教に非ずと説得し、神社参拝を認めさせました。教会が天皇制国家から「追放」(9:22)されないためでした。

 あるいは、セブンスデー・アドベンチストという教派があります。その横江清兵衛という一人の信仰者がいました。彼は大正期に、朝鮮で巡査をしていたのですが、同派の信仰を得て、巡査をしていたら安息日を守れないために辞任し、郷里に帰り、琵琶湖で再臨丸という船を自分で運転し伝道していた人でした。この人についての克明な特高資料が残っています。彼は徹底的に、天皇制批判、戦争批判を行いました。そんな折り、1923(T12)年12月、難波大助不敬事件が起こりました。難波は、虎ノ門で、後の昭和天皇、当時の皇太子・摂政に向けて発砲して逮捕されました。そして死刑となるのですが、その死刑執行の日、横江は日記にこう書いています。「イエス様と皇族を比較せよ。イエスは罪なく汚れなくして自ら人の罪のために死んだ。皇族は自分たちの罪を隠し、他の者がこれを責めれば、責める者を死刑に処す。聖者とはイエスのみである。皇族は一般人より罪深い。今日、可哀想な難波大介は死刑になるが、皇族どもはこれを何と見るか。自分たちにもこの責任があると考えるだろうか。神よ大助を憐れみ給え。イエスよ、皇族を赦し給え。彼ら未だイエスの有り難さを知らないのだから。」

 こう書いた横江は捕らえられ獄中生活後、病死します。人々から異常な人とされ、家族も彼の信仰を認めませんでした。そして死後、葬式は仏教で行なわれました。

 日本のプロテスタントの三大教派は、先ほども申しました「長子の教会」日本基督教会、それから組合教会、そして私たちのメソジスト教会です。この日本三大教派は、神学、伝統、会員数、信徒の社会的地位を誇り、その優越を競い合いました。この三派が生み出した学校・ミッションはみな有名学校ばかりです。しかしこれら日本プロテスタントの指導的立場にあった教会が、大戦中、どれほど妥協的であったのか。確かにそのお陰で教会は追放から免れ生き残りました。一方、灯台社は、誰も相手にしない異端です。また当時、ホーリネスは神学なき感情的集団との評価でした。そしてセブンスデー・アドベンチストもまた、正統派から無視されていた小教派でした。

 当時のユダヤ教の最高権威・最も知的な名門ファリサイ派は最後に生まれつきの盲人と呼ばれてきた人にこう言いました。「お前は全く罪の中に
生まれたのに、我々に教えようというのか。」(9:34))

 主イエスも最後に言われました。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」(9:39) 真に夢を見た人は誰なのですか。真に神の光を見た人は誰なのですか。

 私は大先輩の牧師を裁くことは少しも出来ません。もし自分があの時代で生きていたら、もっとひどい裏切りをしたかもしれません。しかしあの元盲人のように、尋問に耐えた人はいた。夢を見続けたために、非国民として四方八方から虐められる。もしその暴力に耐えさせるものがあるとしたらそれは何でしょうか。英雄的な強靱な精神力でしょうか。そうではない。そうであれば、私には何の望みもありません。それは、あのセブンスデー・アドベンチストの横江さんが知っていたことです。

 「イエス様と皇族を比較せよ。イエスは罪なく汚れなくして自ら人の罪のために死んだ。皇族は自分たちの罪を隠し、他の者がこれを責めれば、
責める者を死刑に処す。聖者とはイエスのみである。…イエスこそ有り難い。」

 直ぐ罪を犯し、主を裏切り見捨てようとする自分を救ってくれた者は誰かということです。この闇そのものである自分を御光で照らしてくれたのは誰か。繰り返し何度も二千年前の一人の男は答えます。「イエスという方が」(9:11)、「あの方が…見えるようにして下さったのだ」(9:15、25、30、33)、そう何度も何度も同じことを飽かずにこの人は繰り返す。主イエスに対する恩義からであります。主イエスによって光を見せて頂いた感謝からであります。このお方以外の誰も、私たちの暗い
眼差しを希望に向けて開くことは出来ないのです。この救いの経験をした者は、例え社会から追放されても、教会を選ぶ。天皇よりも、光の主・イエスを選ぶ。

 私たちが今この礼拝において見せて頂いた輝ける光のためには、少々痛い目にあっても、我慢出来る。もしかしたら殺されることにも我慢出来るかもしれない。私たちのために命を棄てて下さり、それが故に光を見せて下さった、主イエスに対する私たちの愛と恩はそれほどに強い。



 祈りましょう。  平和の主よ、一時の恐怖のために、光を闇と交換してしまうような愚かな歩みから私たちを守って下さい。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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