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2005年 6月12日 「「我ら」としての教会」

2005年6月12日 「「我ら」としての教会」

  (使徒言行録20:13~24)

 「使徒言行録」の学びますと「我ら章句」という言葉を知ることになります。それはこの使徒言行録の中に「私たち」という一人称複数の文体で書かれた箇所が現れてくるからです。既に一度「我ら章句」は登場しています(使徒言行録16:10~17)。これは、第二回伝道旅行においてのことですが、その時パウロが自分が計画した伝道地に行こうとすると二度に渡って聖霊によって禁じられる。それでトロアスにやって来ざるを得ない。その夜、幻の中で一人のマケドニア人が立って、マケドニア州に渡ってきて助けてくれるようにと願う。そこで「我ら章句」が初めて現れて「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」(16:10)と記されています。古来多くの人が推測しますことは、この時パウロとその一行の中に医者「ルカ」が加わったのではないだろうか。このルカこそ「使徒言行録」の著者です。ここからは自分がその伝道旅行に加わったのですから、当然「私たち」という一人称複数で著述するところとなったという理解であります。

 そしてまた推測ですが、そうであれば、この箇所でパウロに懇請したマケドニア人こそルカ自身だったのではないか。快諾を得るとルカはその後パウロの道案内として働いた。そしてフィリピに一行はやって来て、ヨーロッパ最初のキリスト者リディアを得たのです。

 このフィリピ後「我ら章句」は消えますので、パウロたちがさらに歩を進めた後も、ルカだけはフィリピに止まり、リディアと共にフィリピ教会の建設に当たったと考えられます。そして次ぎに「我ら章句」が登場するのが以下です。「この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した」(20:5~6)。ですからこの第三回伝道旅行の帰路にパウロが立ち寄ったフィリピから、再びルカが旅行に加わった。そしてエルサレムに帰還しました時(21:17~18)も、またついにパウロがローマに到着した時(28:16)も同じく「我ら章句」が見られますので、ルカはフィリピからパウロと共にエルサレム、さらにローマまで同行したのではないかと考えられるのです。
 
 パウロはルカを「愛する医者ルカ」(コロサイ4:14)と呼びました。またパウロはローマで殉教の死を前にこう書きました。「デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行ってしまい…。ルカだけがわたしのところにいます」(テモテ二4:10~11)。ずっと同労者であったデマスは最後の所で、この世を愛し、パウロを見捨て去っていった。しかしその時もルカただ一人は、パウロに最後まで付き添ってくれたのです。パウロは「肉体の棘」という言葉を手紙に残したように病気がちでした。第二回伝道旅行が聖霊に禁じられて、思うにまかせなかったのも事実は発病によるのかもしれません。その時医者ルカが、ヨーロッパ伝道のお願いにトロアスに訪ねた時、寝込んでいたパウロを治療した。その時熱で朦朧と
していたパウロには、ルカの姿が「幻」のように見えたのかもしれません。ルカの適切な治療によってパウロは回復し、マケドニア伝道に赴くことが出来たのかもしれません。今朝の御言葉でも、パウロはこれからの自分の歩みがどれほど困難なものであるか「ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(20:23)と語っています。病みがちなパウロの最も苦悩に満ちた晩年の旅に、ルカは同労者、友、医師として奉仕し続けた。伝道者パウロのルカに対する感謝は深かったと思う。

 伝道というのは一人の伝道者によって可能なものではありません。この世を愛して去っていく者たちが多い中で、この世ではなく、あの世(天)を愛して生きたルカの存在はパウロにとってどんなに大きかったか。伝道とはこのような友を得て、まさに「我ら」、「私たち」で呼び掛け合う喜びの中で初めて可能となるのであります。その一人称複数こそ、まさに「教会」のことなのであります。「我ら章句」とはこの「教会伝道共同体」の姿を示しているのであります。

 「さて、わたしたちは先に船に乗り込み、アソスに向けて船出した。パウロをそこから乗船させる予定であった。これは、パウロ自身が徒歩で旅行するつもりで、そう指示しておいたからである」(20:13)。この「我ら章句」は、旅に著者自身が同伴しているということですから、ルカが伝聞や資料に頼っただけの他の旅行記事に比べて実に詳細となっています。

 アソスで一行はパウロと落ち合いエルサレムに向けて船出します(20:14)。エーゲ海東岸に沿って南下して地中海に出る旅です。ここに幾つもの地名が記されていますが「ミティレネ」(14)とは現在のレスヴォス島です。翌日、キオス島の沖を過ぎ、また次の日、サモス島に寄港する(15)。これらの島は全世界の観光客を集める美しいエーゲ海の島々です。この後も非常に詳細にまるでガイドブックがエーゲ海クルーズのコースを述べるように、コス島、ロドス島と、美しい景色を思い浮かべることの出来る地名が記されています(21:1)。しかし彼の旅は、物見遊山の旅ではありません。

 「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません」(20:22)。直訳すれば「御霊に縛られて」です。文語訳聖書は「今われは心搦められてエルサレムに行く」と訳しました。巻き付くのです。聖霊が自分に絡みついてくる。それを剥がそうと思っても出来ない。この表現はものの例えではありません。彼は都エルサレムで実際に捕らえられ鎖に搦められる。そして縛られたままローマに囚人として連れていかれる。

 パウロの旅とは享楽の旅ではない。使命に生きる旅。他の者から遣わされる旅です。パウロにはいつも主人がいるのです。聖霊様です。主イエスであります。そのお方に絡みつかれて行く他はない。それが神に召されるということなのです。

 その心が讃美歌21-529に表れています。「主よ、われをば、捕らえたまえ、さらばわが霊は、解き放たれん」(1節)。この歌を礼拝の中で、心から「アーメン」と歌うことが出来るというところに、キリスト者のキリスト者であることの内実が表れてくるのです。

 私たち一人一人に迫る、聖霊の促し、神の求めがどこにあるのか、神からの使命を果たすべく旅の目的地、それは誰も教えてくれません。一人ひとり神様から直接与えられることだと思います。聖霊様は、私たち一人ひとりが最も「解き放たれる」場所に、私たちを召されるのです。神に召されるとは、神と我の関係です。「一人称単数」の祈りの中で、神から示されるものであります。パウロのこの帰路「我ら章句」の中で、極めて興味深いのは、トロアスからアソスまでだけ「単独行動」をとることです(20:13)。どうしてこの30㎞の距離、パウロは一緒に船に乗らないのか。これも推測ですが、パウロは一人になりたかった、そう理解することが正しいのではないでしょうか。孤独になって、彼は聖霊の促しの声をもう一度聴く必要があったのではないでしょうか。この「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。…ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(20:22~23)とは、この単独の祈りの旅の中で示されたことなのではないでしょうか。私たちはいつも「我ら」であるのではありません。信仰者とは神の前に「一人」で立たねばならない単独者でもあります。自分だけに与えられる特別の使命がある。誰にも変われない私しか負えない神の使命がある。それは「何故よりによってこの自分に」と思われるような人生の試練かもしれません。しかしその神から「一人称単数」の自分だけに与えられた使命から逃れない時に、解き放たれる歩みが始まる。「私」がこの世に生まれた意味が現れてくる。しかしそれは決して孤独になることではありません。その独自の使命が神によって組み合わされて「我ら」となって共なる旅が始まるのであります。そうやって同労者を、つまり教会伝道共同体を神様は与えて下さるのです。

 「一人でいることが出来ない者は、交わりを用心しなさい。交わりの中にいない者は、一人でいることを用心しなさい。一人でいる日がなければ、他者と共なる日は、実りのないものとなる。」(ボンヘッファー著『共に生きる生活』より)

 使徒言行録20:17、パウロは、今のトルコ、ミレトスに着岸しました。約50㎞の所に、あの3年近く伝道したエフェソがあります。聖霊のお示しの内では、エフェソにもう二度と訪れることはないということを知らされていました。そこでエフェソ教会の長老たちをミレトスに呼んで決別の辞を述べました。

 「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」(20:18~19)。

 苦労を分かち合ってきたエフェソの長老たちです。パウロによって信仰を得た者たちが、やがて長老になるまでに成長した。その者たちと一緒に伝道した。伝道が進展し救いがアジア州一帯に広まっていく様を見て、手を取り合って喜んだに違いない。一方それに連れて迫害も激しくなる。ユダヤ人の激しい迫害、アルテミス神殿の銀細工師たちの攻撃、一緒にそれらに立ち向かい、まさに「我ら」となって戦い続けてきた日々であったと思います。教会を建てる戦いはいつの時代でも本当に激しいのです。遊び半分に出来ることではない。「この世を愛する」者には出来ません。パウロは涙を流しながら戦ったと言います(20:19)。決別の終わりに「人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ」(20:37~38)とあります。教会を建てる喜びと悲しみ、躍進と挫折、成功や失敗、出会いと別れ、それを一緒に分かち合ってきた者たち。その中でこの一人の伝道者と長老たちの燃え立つような「深い共感」の思いが生まれているのです。「我ら」という強い絆です。「教会とはこういうものだ!」とルカは熱く訴えて止みません。


 祈りましょう。  主よ、教会を建てる喜びと労苦に生き、そこでのみ生まれる兄弟姉妹の深い絆をもって「我ら」と心から呼び掛け合う者として下さい。



・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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