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2005年 6月 5日 「睡魔に勝つ神の言葉」

2005年6月5日 「睡魔に勝つ神の言葉」

  (使徒言行録20:1~12)

 パウロは2年3ヶ月伝道したエフェソに別れを告げて、マケドニアを経由してギリシア(コリント)にやって来て、そこで三ヶ月を過ごしました。ここで注解者たちが必ず指摘することは、このコリントにおける三ヶ月の間にパウロは「ローマの信徒への手紙」を執筆したということです。

 手紙の終わりにパウロはこう書きました。「エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました」(ローマ15:19)。この意味は、三度に渡る伝道旅行によって、ローマより東側の伝道は終わったということです。そして、聖霊によって示されたパウロの今後の伝道計画は、都ローマの教会を訪問し、そこを拠点に伝道の未開拓地、ローマ以西・イスパニア(スペイン)にまで福音を宣べ伝えたいということであったのです(ローマ15:24)。その彼の宣べ伝える福音とは何かということを、ローマの教会に予め伝えるために、彼はコリントでの三ヶ月を用いたと思われるのです。

 勿論、コリントからローマに行けば最短ですが、パウロはその前に一度エルサレムに帰ろうとしています。それはパウロの建てた異邦人教会から献金を集めて、それをエルサレム教会に献げるためでした(ローマ15:26)。

 パウロの宣べ伝えた福音とは、それこそ、ローマの信徒への手紙の主題であります。「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による」(ローマ3:28)。これがパウロが示された福音であります。しかし本山・エルサレム教会は、ユダヤ主義的伝統(割礼、律法、神殿)がなお色濃く残る教会でした。このエルサレム教会が異邦人教会を、同じ一つなる教会と認めてくれることが、パウロの大きな望みでした。そのために今、パウロは陸路、エフェソから北上してマケドニア州へ行き、それから対岸のコリントまで南下するという、かつての伝道コースをもう一度辿る旅をするのです(使徒言行録20:1~2)。異邦人教会に献金を求めるためでした。またパウロの帰路の同行者リストが記されていますが20:4)、それはマケドニアから3名、ガラテヤから2名、アジア州から2名、計7名とうい構成になっています。7は完全数です。「全異邦人キリスト者の代表」という意味でしょう。この者たちをエルサレム教会が受け入れた時に、初めてキリスト教会とは「割礼、律法、神殿」より福音「十字架、復活、聖霊」を要とする教会であることが確立するからであります。

 さて、パウロはギリシア(コリント)から再び陸路北上しトロアス教会で礼拝をしている時に、事件が起きたのです。ここは初代教会の礼拝を知るための貴重な資料が残されているといわれる箇所です。「週の初めの日」(20:7)とあります。今、私たちは日曜日に礼拝するのは当たり前だと思います。しかしユダヤにおいては、安息日は土曜日でした。教会も最初は土曜の安息日礼拝を遵守したと思われます。しかしこのトロアスの異邦人教会では、はっきりと週の初めの日・主の復活を祝う日曜日に、礼拝が行われていたことが記録されているのです。これは日曜礼拝の最古の記録だとすら指摘されます。またその時間ですが「その話が夜中まで続いた」(20:7)と言われていますので、これは夜の礼拝、夕礼拝であったということが分かります。当時の一日の数え方は、太陽が沈みますと次の日になりました。私たちの感覚ではまだ土曜日ですが、しかしパウロたちの感覚では、もう日が沈んだので土曜日が終わり日曜日になった。その新品の日曜日に、直ぐ復活記念礼拝を毎週守ったのでしょう。またこの集会の目的は、先ず何よりも「パンを裂くため」(20:7)であったと書かれています。「パン裂き」とは、御受難の時の主の晩餐(マタイ26:26)、御復活の時、エマオの弟子たちと共に食卓を囲まれた時(ルカ24:30)などに行われました。つまり日曜礼拝とは、この「パン裂き」において、十字架と復活を想起することを目的としているのです。しかしそれはかつてのカトリック教会のように聖餐だけが行われるのではなく、パウロが「長々と」(20:9)話したとありまして、説教も聖餐と並ぶ重要な要素でした。現在の私たちの礼拝に連なる原型はこの最初期に全て出来上がっていたのです。しかし、ここは私たちとは違いまして説教時間は自由であったようです。私たちの場合は年々歳々、説教時間が短くなる傾向がありますが、パウロの場合、実に夜明けまで(20:11)続いたのです。

 当時の人々は日曜日は休みません。朝になったら仕事に出かけなければならないのです。パウロも朝になったら船に乗って出発する予定です。忙しい日曜の朝が始まる。少しでも寝ておくべきだったのではないでしょうか。しかしこのトロアス教会は、徹夜で礼拝したのです。徹夜で説教を聴き、徹夜で祈ることを何にもまさる喜びとしたのです。 ある時期を境に、日本の教会において、夜の集会が低調になっていったと言われています。昔は、夕礼拝にも祈祷会にも沢山の人たちが集まりました。また伝道集会というと大概、仕事が終わった夜に行われたのです。ところがそこに人が集まらなくなった。どうしてか。テレビが誕生してからだ、そう言った人がありました。それは本当か嘘か分かりません。もしそうであるならば、日本の教会は霊的に眠り始めているのです。

 ゲツセマネの園で、主イエスが徹夜で祈られた時、弟子たちは眠ってしまった、主に何度起こされても眠ってしまった、そういう御受難の物語があります。それに似て、トロアス教会の礼拝でもエウティコ青年が「眠りこけ」(20:9)ました。パウロは夜の更けるのも忘れて説教した。未熟な説教ではありません。パウロはこの時、長い聖書研究と伝道経験の末、ついに「ローマの信徒への手紙」を完成した直後でした。このトロアスでもなおこの手紙に記した素晴らしい福音が、頭の中で鳴り響いていたに違いない。説教が長くなるのは当たり前です。パウロがそこで発見した福音とは、語っても語っても終えることが出来ない、永遠に涸れることなき泉のようであったに違いありません。しかしそのような説教でも眠ってしまう者がいたのです。説教と居眠りとは永遠の課題ということでしょうか。勿論、時に居眠りをしても仕方がないような分からない説教もあります。牧師が反省しなければなりません。ようやく礼拝に来たけれども、その日、体調が悪くて耐えられない時もあるでしょう。眠ることがいつも悪いわけではありません。しかしこのトロアスの場合、使徒パウロの説教であります。この上なく魅力的な説教です。しかし一人の若者が「深い眠りの霊」(イザヤ29:10)の虜となって、どうしても眠ってしまう。それは青年がついに御言葉を聴かせまいとする睡魔(悪霊)に負けたことを表しているのです。

 神の言葉とは、テレビのようなものに心奪われ、神を忘れている罪人にとって、実に退屈なのものに感じられるのです。アテネ伝道の時、主の復活についてパウロが説教したところ、アテネ市民はあざ笑い「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」(17:32)という反応をしただけです。人は神の言葉そのものであられたイエス・キリストを「この男の言うことは退屈だ!」と言って、殺したのであります。説教を前にして眠るということは、そのような拒絶の罪でもあるのです。

 「エウティコという青年が…ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた」(使徒言行録20:9)。ここに、この青年が御言葉を前に眠りこけることが、転落と死に繋がってしまうことがはっきり記されているのです。ペンテコステの出来事も「家の上の部屋」(1:13・アパルーム)で起こりましたが、トロアスの礼拝も3階が式場でした(20:9)。初代教会の家の教会においては、なるべく高い部屋や屋上で集会や祈りがなされていたようです。それは少しでも「天の近くに」という思いだったのです。そうであるならば、3階からの転落とは、天の神からの墜落ということが暗示されているのではないでしょうか。しかしその時「パウロは降りて行き」(20:10)と書いてあります。パウロは3階の窓から見下ろして、ああ哀れな者よ、と言っただけではない。自ら階段を駆け下りて来て、地に投げ出されて死んだ若者の上に「かがみ込」(20:10)んだのです。それは、クリスマスの夜、天から身を投げ捨てるようにして地に降られ、罪のどん底で呻吟する私たちを顧みて下さった御子イエスの姿と重なり合うのです。パウロは人間の罪を覆い包むために十字架の低きにまで降られた主と一つになるようにして言いました。「騒ぐな。まだ生きている」(20:10)。パウロはどんな罪をも贖う十字架の力と、死人をもう一度生かす復活の力を確信しました。私たちが睡魔に敗北しても、キリストは睡魔に勝利して下さる。だから騒ぐ必要はない。これこそ彼が「ローマの信徒への手紙」で語った福音なのであります。

 罪を犯した者は転落して死ぬ他はない。それが律法であります。しかしパウロは「律法ではない福音だ」と徹夜で語り続けました。ゲツセマネの園で弟子たちは眠りました。しかし主イエスはその弟子たちの分まで、血のような汗を流しながら、徹夜の祈りをして下さった。先ほど歌った讃美歌に「主はつねに まどろまず 眠らず、民を守る」(156-2)とありました。もうここに弟子たちの罪を代わりに負って十字架につかれる主のお姿が現れているのです。神の言葉を退屈としか感じない霊的に死んでいる私たちが、そこで復活させて頂ける。ただ主を信じる信仰のみによってであります。

 エウティコ青年は、生き返った後、もう一度アパルームに上がったと思います。再度のパン裂きと、また朝まで続く長い説教がありました。しかし、今度は彼は眠らなかったと思う。パウロの説教に聴き入ったに違いありません。自分自身が身をもってその福音の素晴らしさを味わったからであります。律法主義であったなら、自分はもうとうに死んでいたに違いない。しかし今や福音なのだ。私のような罪人を生かすために、主は十字架の低きに降られ、日曜日に復活して下さったのだ、その説教の謎がついに解けた喜びに歓喜し、目は爛々と輝き、その十字架と復活を表すパンの味わい深さに、もう眠るどころではなかったと確信します。私たちも等しくそうなるのです。


 祈りましょう。  主よ、この礼拝の中で、私たちは何度居眠りをしたことか、もはや数えることも出来ません。そのために、主が、私たちに代わって「眠らず」祈って下さった恵みを覚え感謝します。今、その事実に目醒める思いをもって、この食卓の前に馳せ参じる者とならせて下さい。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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