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2005年 5月 1日 「もっと正確な神の道」

2005年5月1日 「もっと正確な神の道」

  (使徒言行録18:24~19:10)

 パウロの第三回伝道旅行において、彼は実に2年3ヶ月の長きに渡りエフェソに止まって伝道をしたのです。そのことによって本当に素晴らしいことです。「 アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」(19:10)という大きな成果がありました。このアジア州とは、エフェソを含んだ現在のトルコ西部の広い地域を表します。やがて預言者ヨハネがこの地域諸教会の司牧者となりました。しかし彼が迫害によって捕らえられ、エーゲ海に浮かぶ小島パトモスに流刑となった時、自分が責任を負うアジア州の7つの教会に迫害に耐えるように励ましの手紙を送る。それがヨハネ黙示録の冒頭に納められて
おります。エフェソ宛から始まって、あの一度聞いたら忘れない「あなたは、冷たくもなく熱くもない。…なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そう」(3:15~16) 、そう呼ばれてしまったラオディキア教会宛の手紙で終わっています。

 これらアジア州の教会の誕生もその源流を求めれば、パウロのこの時の伝道によると推測することが出来るのです。パウロ自身がそこで一つ一つ教会を建てて回ったのではなくて、パウロの伝道の情熱を受け継いだ弟子たちが、アジア州に散っていって教会を建てたのだと思います。そういう開拓伝道がなされる時に、その核となって、伝道援助をする拠点教会が必要となります。まさにここにパウロがエフェソに戻る理由、「神の御心」(18:21)があった。ですからパウロは御心に従い文字通り一所懸命、動かないでエフェソで伝道しました。

 使徒言行録19:8以下ですが、パウロは最初、いつもの通り、ユダヤ人の会堂で「神のことについて大胆に論じました」。しかし、この時も会衆たちは賛否二分された。一方からひどく非難された。それでパウロは会堂から離れて、ティラノという人の講堂(に場所を移して(19:9)、それからはもう毎日福音を宣べ伝えたのです。このティラノとはこの講堂の持ち主か、あるいはここの専属講師の名前だと思います。そしてどの注解書に書いてありますが、この箇所には別の写本があって、そこにはパウロが「毎日、第5時時から第10時まで論じた」ともあります。「第5時から第10時」とは、今の午前11時から午後4時までのことです。この頃のギリシャの人たちの一日の生活は、涼しい早朝、日の出とともに働き出して、午前11時なったら仕事は終わる。それから長い昼休みとなる。午後4時までです。暑いからでしょう。ゆっくり昼食を食べ、おしゃべりをして、昼寝して、涼しくなった夕方にもう一度少しだけ仕事をするのかもしれません。哲学の教師だったのでしょうか、学生を集めてティラノが講義をするのも、やはり朝から午前11時までだったに違いありません。その後講堂が空くのです。その時間にパウロは来まして聖書講義をしたのです。それならパウロは午前中は休んでいたかというとそうではなくて、使徒言行録19:12には、パウロの着けていた「手ぬぐいや前掛け」という言葉がありますが、これはパウロがコリントにいた時、アキラとプリスキラ共にテント造りをしていたのですがエフェソでもそれを再開した。そのための手ぬぐいと前掛けだったと推測することが出来るのです。他の文献にも、パウロは「朝から午前11時まで手ずから働いて生活費を得ていたのである」という古い言葉が残されているのです。それであれば、彼は早朝からテント職人として働き、それが終わった午前11時、皆がゆっくり食べ昼寝をする時間に伝道に励んだのです。人数はどのくらい集まったのでしょうか。もしかしたら、ティラノ先生の講義を何時間も聞いた後も講堂に残って、急いでパンをかじり、今度はパウロ先生の聖書講義を聞く、そういう学生が何人も現れたのではないでしょうか。やはり昼寝を止めたのです。エアコンもない暑い講堂の中で、汗をしたたらせながら、パウロの説教に耳を澄ませたエフェソの人々の真剣な姿が目に浮かんでくる。語る者の熱心と、聞く者の熱心が相まって、教会は立ち上がったのであります。牧師植村正久は「昼寝して、うまい物食って、どうして伝道が出来るか」と言ったそうですが、まさに、それはこの「エフェソでのパウロの熱心に見習え」と言うことだと思います。

 しかし、今、いささかパウロの伝道熱心ということを強調し過ぎたかもしれません。そうすると、熱心ではないとは言わないけど、暑い日は疲れやすい、寒いとやはり風邪をひいてしまい昼寝なしでいられいような体の弱い我々は、この使徒言行録を読んだ時に、劣等感を感じるだけで終わるのかということです。とんでもないことです。そうであれば、何故、パウロがこんなにも情熱を傾けて教会を建てなければならなかったのか、何故それが「神の御心」(18:21)だったのか、もう一度考えてみなければなりません。

 18:24に「アポロ」という伝道者の登場が書かれてあります。これはまだパウロが腰を据えてエフェソで伝道する前のことです。アレクサンドリアというエジプトの文教都市出身のアポロがやって来た。旧約聖書の有名なギリシャ語訳・70人訳もこの地で完成しているのです。そういう環境で育った雄弁家のアポロが、主イエスのことをやはり「熱心に語り、正確に教えていた」(18:25)のです。パウロではなくて、これをもってエフェソのキリスト教伝道の最初と考えるべきかもしれない、そうとも取れる記事です。しかし、このアポロには伝道者として、一つの大きな欠点があったのです。「ヨハネの洗礼しか知らなかった」(18:25)ということであります。「ヨハネの洗礼」とありますが、これは先ほど申しました、ヨハネ黙示録の著者でも、イエス様のお弟子ヨハネ、丁度このエフェソに旅しますと、そこに立派なお墓がある使徒ヨハネのことでもありません。また別のヨハネであって、ヨルダン川で悔い改めの洗礼を授けていたイエス様の先駆者です。イエス様の先に来て、救い主の通る道を整える使命に生きた洗礼者ヨハネと呼ばれた人のことです。このヨハネ教団にアポロは入信していたようで、ヨハネが指し示したイエス様について知識を得て伝道していた。

 その時、パウロの第二回伝道旅行の帰路、コリントから同行してエフェソに住んでいた信仰者プリスキラとアキラがいて、アポロの説教を会堂で聞きました。確かに良く分かっているけれどもパウロ先生の言っていることと比べると、どこか弱いところがある。そう思ってアポロをこの夫妻は自分の家に招きまして何をしたのか。アポロは確かに「正確に教えていた」(18:25)けど、プリスキラとアキラは「もっと正確に神の道を説明した」(18:26)と言われているのです。何が「もっと」だったのでしょうか。

 それが使徒言行録19章で分かります。パウロがエフェソに到着した時、このアポロの伝道によってでしょうか、既にキリスト教を信じている「弟子たち」と出会いました。その時、パウロは、プリスキラとアキラが、アポロの話を聞いて何か足りないと感じた、同じ感じを受けたのです。そしてこれだと思ったのでしょう。質問しました。19:2「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」。すると彼らは「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答える。それでパウロがでは「どんな洗礼を受けたのですか」と尋ねると、やはり思った通りだ。「ヨハネの洗礼です」と言った。やはりアポロと同じだったのです。

 確かに聖書の知識はある。しかし信仰というものは知識だけではありません。もっと大切なことがある。それが、主イエスの名による洗礼を受けることなのです(19:5)。彼らは主イエスの名による洗礼を受けました。そしてパウロが彼らの上に手を置きましたその瞬間、彼らの上に聖霊が降ったのです。つまりヨハネの洗礼だけでは聖霊は降らない。それはそうでしょう。主イエスの御名による洗礼でなければ、イエスの霊と言ってもよい聖霊は降らない。当然のことです。主イエスの恵みを頂戴するということと、聖霊が降ることは一つのことです。

 そして、先ほどの教会を建てるという話に戻りますと、この聖霊を受ける時こそ、教会が生まれる時なのです。他の時ではない。もう直ぐ私たちはペンテコステ・聖霊降臨日を迎えます。それは教会の誕生日だとも教えられます。イエス様と一緒に伝道している時、お弟子たちは確かに熱心だった。でもアポロと同じです。その時はまだ何か決定的なものが足りなかったのです。アポロの「熱心」(18:25)、これはまだ聖霊を受けていない時の熱心に過ぎない。聖霊なしの熱心なのです。イエス様のことを伝える中でさえ、聖霊の力によってでなく、自分の力に頼り、自分の雄弁に酔って伝道するってことはいくらでもある。しかしそれは間違っている。弟子ペトロも受難週の夜「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と語った。しかし結局逃げてしまいます。そういう脆い自分の熱心に生きた。しかしそういう弱い弟子ペトロが、ペンテコステの日、聖霊が降った時に立ち直ったのです。聖霊に燃やされて説教したところ、多くの者が信じて、教会が誕生した。そうやって伝道とは、人の熱意によって進むものではなくて、聖霊による熱心によってだけ進むものであると教えられているのです。

 パウロが後にローマの獄中で書いたのではないかと言われる、エフェソの教会に宛てられた手紙の中にこういう言葉があります。「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」(4:2~5)。
 
 パウロはここで、高ぶってはいけないと言っているのです。どうしてか。「体は一つ、霊は一つ」と言いました。それは、教会は一つなるキリストの御体ということです。私たちはその部分なのです。自分一人の熱心と頑張り、それで教会が立つ、それで伝道が進むなどと思ったら大間違いです。そうではない。聖霊の賜物が一人一人の教会員に分け与えられ、それはみな一つとして同じものはない。人の目から見て、強い者がいる。人の目から見て弱い者がいる。しかし強い者も弱い者も、その賜物に応じて精一杯の献げものをする。そこに優劣はない。それが聖霊による熱心ということだと思う。聖霊によって、その一つ一つの賜物が組み合わされ、結び着く時、そこに一つなる主の御体である教会が誕生するのです。あの人と同じように出来ないと言って、それで悩む必要もない。聖霊のお働きに身を委ねていくことが大切なのです。それが御心に従って生きるということです。

 ヨハネの洗礼の限界はそこにあった。人間の力になお頼っているのです。イエス様が何をして人をお救いになるか目撃する前に、ヨハネは殺害されてしまったからです。だから十字架を知らない。復活を知らない。聖霊降臨を知らない。そうすると、やはり自分の力に頼って伝道するしかないのです。その人間の熱心の問題を、主イエスもパウロも問い続けました。熱心になると人を見下し、挫折すると卑下してもう立ち上がれない。「アポロ先生、そういう生き方はもう終わったのです。」プリスキラは教えたに違いない。むしろ自分の罪と弱さを認めて、御名による洗礼を受けた時に、大きな恵みが与えられる。誰もが、消えることなき炎・聖霊によって伝道する力が与えられる。みなそれぞれの仕方で、教会建築の一つの部分として用いられる。パウロの伝道熱心もまたその一つに過ぎない。初代教会における有名無名の信徒伝道者たちの努力もその一つに過ぎない。そこに優劣はない。互いに補いあって一つの御体を作るのです。そのことが分かるということが「もっと正確な神の道」(18:26)だったのであります。


 祈りましょう。  主よ、御名による、一つなる洗礼を与えられた私たちの幸いを心から感謝します。どうか高ぶることなく、卑下することもなく、それぞれが霊の賜物を精一杯出し合って、共に教会を建てていく喜びに生きることが出来ますように。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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