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2004年 6月24日 「難有 -ありがたし-」

2004年6月24日 「難有 -ありがたし-」

  (ヘブライ人への手紙12:5~11)

 今、NHKで「地球大進化」という連続番組が放映中です。この前は、40億年前、巨大隕石の衝突によって、地球は灼熱地獄と化しましたが、私たちの共通祖先・生命は、アブラハムのように「行き先も知らない旅」に出ることによって、生き延びたという話をここでしました。

 今夕は、その第二話の話をしましょう。今度は逆に、「全地球凍結」、つまり地球は海も陸もすべて凍り付いたという学説です。それは二度ありました。22億年前と、6億年前です。その時、地球は真っ白のスノーボール状態となりました。南極の気温はマイナス90℃、赤道でもマイナス50℃。地表を覆う氷河の厚さは3000㍍、海は深さ1000㍍まで凍りました。これが生命を絶滅寸前にまで追い詰めたのです。

 原因はよく分かっていませんが、生命自身の関与の可能性が指摘されています。微生物による光合成によって大気中の温室効果ガスが失われたため地球が凍結したという説があります。そうであれば、全地球凍結とは、最初の最大の生物による環境破壊だったとも言えるでしょう。この時、生命は自分で自分の首を絞めるようなことをしたのです。
 
 私たちは、この生命、微生物の試練について、身につまされるのではいでしょうか。私たちも、自分がもっと良く生きようとして、もっと貪欲に生きようとして、そのために、自分で自分の首を絞めてしまうことがあるのではいでしょうか。自分の罪のために、墓穴を掘り、罪の裁きを受け、それでもうお仕舞いだと思うこともあるかもしれません。しかし聖書はそうではないと言うのです。

 「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。(〈口語訳〉苦しみにあったことは、わたしに良い事です。)わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」(詩編119:71)罪の迷いの中で、その裁きに合うようにして、卑しめられ、苦しめられたことは、決してただのマイナスではない。いや、それは自分にとってプラスだった。その苦しみを通して、自分は神様のことを学ぶことが出来た。それまでは自分はちっぽけな人間だった。肝っ玉が小さな人間だった。この試練があったから今、自分はもっと大きな人間に成長することが出来たのだ、そうこの詩人は、喜びの声を挙げているのです。

 生命、40億年の歴史のなかで、80%以上の時間、つまり、およそ6億年前まで、私たちの祖先は微生物のままだったと言われています。生命にとって「大きくなる」というのは、想像を絶するほどに難しかったそうです。では現在のように生物が大きくなったきっかけは何だったのでしょうか。その理由こそ「全球凍結」だったのだと、その番組は語り始めるのです。

 科学的な説明は全部省いてしまいますと、この全地球凍結が終わり、地球が再び温暖化した時、海水中にたまりにたまった栄養分によって光合成細菌が大繁殖した。そのため地球上に酸素が爆発的に増えました。生物にとって、酸素はとても重要なのだそうです。生物は、酸素を使うと、使わない場合に比べて20倍ものエネルギーを得るのだそうです。生命はその誕生以来、20億年間、単細胞のバクテリアに過ぎませんでした。しかし、22億年前の一回目の全球凍結後に地球に充満した酸素エネルギーを利用して、生命は初めて、革命的な進化を遂げたのです。「真核生物」という細胞の中に核をもつ生物です。真核生物の大きさは、それまでの単細胞バクテリアの一千倍の大きさになりました。さらに6億年前の二回目の全球凍結後には、史上初めての大型多細胞生物群が誕生したのです。その大きさは、1㍍もある巨大なざぶとんのような生物でした。この時、爆発的な酸素増加によって、彼らはコラーゲンという物質を作り出しました。コラーゲンは大量の酸素が存在して初めて生物内で合成することが出来るタンパク質です。そしてこれは細胞の接着剤のような役割を果たすものです。1㍍ものざぶとんのような生物、その巨大な体がバラバラになってしまわないのは、コラーゲンが詰まっているからです。

 今、私たち人間の体を構成する細胞は全て真核細胞です。私たちは、22億年前の全地球凍結の後に誕生した真核細胞の集合体です。そして、この無数の真核細胞を結びつけてさまざまな形の組織を作っているものこそ、コラーゲンであります。それは6億年前の二度目の全地球凍結の後に生物が大量生産を始めた物質でした。コラーゲンは、私たちの皮膚の70%、骨の有機物の90%、血管の20%を構成している。私たちの体は、コラーゲンで出来ているといっても過言ではありません。ということは、全地球凍結という、二度に渡る厳しい試練は、私たちを大きく育てるためには、どうしても必要なものだったと言われているのです。

 話は全く変わるようですが、罪を犯した少年たちの教育施設・北海道家庭学校は遠軽の地にあります。その創立者・留岡幸助牧師は東京にその施設を造りませんでした。また暖かい南国にその学校を造りませんでした。留岡先生は北へ行くのです。南の土地は駄目だと言うのです。冬、オホーツク海はぎっしりと流氷でとじ込められる。朝はマイナス30度よりもっと寒くなる時もある。地面の下は、約1㍍凍る。極北の厳寒積雪の地こそ、教育の場に最も相応しい。試練が人を育てるから、と言われるのです。

 北海道家庭学校の礼拝堂正面に「難有」という二文字の額が掲げられています。難がある。難儀がある、と書いて「ありがたし」と読ませるのです。ありがたいこと、感謝すべきことの本当の意味は、難儀があることなのではないかと言われているのです。人は難儀を経験して、強くなり、賢くなります。一回り二回り成長します。難儀のなにもない、安易な甘えた人生は、決していいことはありません。それでは、ちっぽけな人間のまま終わるのです。

 聖書は言います。「 また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、/力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、/子として受け入れる者を皆、/鞭打たれるからである。」(ヘブライ12:5~6)

 「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」(12:11) 何億年も前の生命の最初から神様はこのように生命を扱いました。寒さの鍛錬を通して、鍛えあげるためにです。そうであれば、私たちの人生の襲ってくる苦しみ、時に自業自得によって起こる試練の嵐、しかしそれらを通しても、神様は私たちを立派な大きな強い生命体に鍛え上げようとされているのであります。


 祈りましょう。  主イエスキリストの父なる神様。父の厳しさをもって、あなたは私たちを子として鍛えて下さいますことを感謝します。今ここに苦しんでいる者がいましたら、それは父の愛の訓練であることを覚え、耐えることが出来ますように。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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