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2003年 6月29日 「返すということ」

2003年6月29日 「返すということ」

  (マルコによる福音書 12:17)

 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マルコによる福音書 12:17)

 この御言葉の前に「ぶとう園と農夫の譬」(マルコ12:1~9)が記されています。主人がぶどう園を造った。それを農夫たちに任せました。収穫の季節になりましたので、主人は、収穫を「返して」もらおうとして僕を遣わします。ところが暴力を奮われる。侮辱される。そういうことが続きまして、ついに主人は最後に、自分の愛する息子をぶどう園に送るのです。その息子を見た瞬間、農夫たちは、奴を殺すのだと、そして主人の財産の全てを我々のものにしようと言いまして、息子をぶどう園の外に引っ張り出して殺したのであります。この「主人」とは、神様のこと。ぶどう園に遣わされた息子とは、神の子イエス御自身のこと。そしてその息子を殺害した農夫たちは、私たち人間のことであります。これは御子イエスが御自身でお作りになられた物語ですけれども、こういう悲劇を語らねばならなかった御子のお心とはどんなものであったのか。悲しみが胸から溢れてくるようであったに違いありません。

 この譬が終わった直後、12:13以下で直ぐ、ファリサイ派とヘロデ派の人が現れる。この者たちこそ主の譬から、飛び出してきたような農夫たちの具体的な姿です。「イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして」(12:13)とあります。陥れてどうするか。譬の通り都から追い払い殺害しようとした。税金の罠によって。彼らは問う。「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」(12:14b)。当時のユダヤは、ローマ帝国に支配されていました。ローマはユダヤ人たちに自分たちのために税金を課したのです。ですから、多くのユダヤ人は、それを納める度に、ああ自分達は支配されている。支配者に無理矢理金を貢いでいる。いやだ、いやだと思っている。そういうユダヤ人の気持ちの代表者がファリサイ派の人々でした。

 一方「ヘロデ派」と出てまいりますが、この者たちはむしろローマの支配を受け入れているユダヤ人たちです。他の国がよその国を支配する時に、その国に傀儡を立てる。ローマはユダヤの傀儡の王として、ヘロデを立てていました。そのヘロデの宮廷に仕えていた人々や、ヘロデと結びつくことによって利益を得ていた人々のことが、ヘロデ派と呼ばれていました。この人たちは、ローマの権力によって、今の地位身分が保証されてるわけですから、ローマに税金を納めることをむしろ奨励していました。

 ファリサイ派の人々は、支配者に税金を納めるのが我慢ならない。ヘロデ派はローマ帝国の権力の下にあることを喜んでいた。そんな水と油のような両者が、ここでは手を結ぶ。どうしてか。共通の敵が現れたからです。本当に不思議なことですけれども、仲間意識とは愛情でだけ結ばれるのではありません。むしろ憎しみです、むしろ敵意です。そういうことで一つとなる。しかしそれは空しい交わりです。どんなに表面結びついていても、愛なき交わりは、やがて壊れる。これは悪魔が造る友情なのです。おそらくは、あの譬の農夫たちも、強い連帯感によって結ばれて、どんなに互いに知恵を出し合って、息子暗殺を成功させたことでしょうか。それが成った時、手を取り合い肩を抱き合って快感を分かち合ったかもしれない。ついにぶどう園は、俺達のものになったと。しかし、主は言われる。「さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し…」(12:9)と。しかし、本当言うと、主の御心の内では、農夫たちを主人が殺すまでもなかったと思う。いずれ、この農夫たちは、自分たちが息子にしたことと同じ事を互いにし始めるからであります。互いにぶどう園からの追い出しを始める。そして殺し合い、その結果、ぶどう園は荒廃し砂漠に戻っていくのです。

 そういう彼らの陥れる罠とはこうです。「ローマ帝国に税金を納めてよいでしょうか」という問いに対して、もし主が、「納めてよい」と言えば、ファリサイ派が進み出て、「この者はローマからユダヤを解放する救い主でない!」と叫ぶことになっていた。イエスは民衆の人気を失い窮地に陥るでありましょう。逆にイエスが「税金を納めてはならない」と言ったとしたら、今度はヘロデ派が「こいつは帝国ローマに対して反逆罪を犯した!」と叫ぶ手はずになっていました。イエスはこの場で、ローマの兵隊に捕らえられる。そういう作戦です。

 その時、主イエスが言われたことは、まず税に納める銀貨を見せなさい。そのローマの銀貨には、ローマ皇帝の肖像が刻み込まれいます。その銀貨を手に取られて、 主は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」とおっしゃいました。そして主は見事にこの罠から逃れたのです。どうしてそんなことができたのか。その理由は、これはヘロデ派の立場も、ファリサイ派の立場も一応認めているからです。「皇帝のものは皇帝に返す」これはヘロデ派の立場です。それに対して「神のものは神に返す」というのが、ファリサイ派の宗教的信念でした。だからここで、主イエスはローマのものであれば、ローマに返そう。神のものであれば神にお返ししよう。あなたたちが本当に愛している所があるなら、そこに返そう。しかし主はそこで暗に言っておられる。ここが大切です。

 「ヘロデ派よ、本当にあなたたちはローマ皇帝を愛しているか。実は利用しているだけではないか。今、仲間になっておけば得だからじゃないのか。そのためなら敵国の皇帝とも仲良くするのだ。そうやって、自分の富(ぶどう園)を守るのだ。」ファリサイ派に対しても同じです。「神のものは神に、とあなたたちは言っている。しかし、あなたたちの心の中で、神を本当に愛するということがあるのか。神と今のところは上手にお付き合いしていると、自分の地位(ぶどう園)が守られるから、そう言っているだけじゃないのか。神が本当に、わたしの分のぶどう園を返して欲しい、と言われたら、あなたたちは、神をぶどう園から追い出すだろう。そうやって、最後には、あの譬の農夫たちのように、結局全部自分のものにしようとしているのではないか。」
 
 農夫たちは一見力を合わせてぶどう園を作っているように見えますが、しかし「下心」(12:15)とあります。主の見抜かれた下心では、いつか、全てを自分のものにしてやろう、そのために、いつか、息子同様に、ぶどう園の仲間も全部追い払ってやろうと思っているのではないか。同じだ。ヘロデ派よ、ファリサイ派よ、お前たちは、悪魔の作る友情で、ヘロデ派は皇帝と、ファリサイ派は神と、偽りの愛で結びついているに過ぎないのだ。そう言って主は悲しんでおられる。主が悲しんでおられるのは、ただご自分がご自分のものであるぶどう園から追い出されたからだけではありません。農夫たちがかわいそうなのです。本当に、真実の愛の交わりを知らない。悪魔の作る友情、共通の敵を殺すためだけに結託する友情、そして、その敵がいなくなった時は、自分たちの中で、新たに敵を見出し、互いに殺し合いを始める。そして神の作られたぶどう園は荒れ果てる。人間の邪な心によって。それを悲しんでおられる。主イエスは、その時、そのようなぶどう園を荒廃から守るために、十字架につかれるのであります。そしてぶどう園を罪の荒廃から、憐れみの十字架をもって、支えようとなさるのであります。

 ところである注解者は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」との主の言葉は、誤って受け取られたことが多かったと書いています。二元論的に解釈された。つまり、皇帝が受け持つ政治のことと、教会の受け持つ信仰のことは、別々のことであって、それを使い分けてよろしい、そういう理解です。例えば「互いに愛し合いなさい」という御言葉によって、日曜日は教会の中で兄弟姉妹たちとの愛に生き、これをちゃんと守る。しかし、月曜から土曜日のまでの生活の中では国家に敵対する者への報復政治に邁進する。そのような「二重倫理」で良いのだ、という理解です。

 近代日本を生きた、日本のキリスト教指導者内村鑑三は、1903(M36)年以来、二つのJ、私の愛する二つのJと唱え始めました。二つのJとは、ジーザスとジャパンであります。イエスに対する愛と、愛国心であります。彼のジャパンに対する愛国心な並々ならぬものがあった。例えば彼はこう言う。「日本国は大いなる天職を帯びている。日本国はアジアの門である。日本国によらずしては、シナも朝鮮もインドもペルシャもトルコも救われない。人類の半数以上の運命は日本国の肩にかかっている。日本人はいかなる民であるか。宗教の民である。日本人は英国人のような商売人にあらず、また米国人のような、肉と物とに憧れる民にあらず。日本人は英米人と全く質の異なった民である。そこに日本の天職がある。」このような排他的、独善的、愛国主義は発露として、彼は日清戦争を肯定して、それは義戦、正義なる戦争と捕らえました。このように言っていた時、内村の二つのJとは、それが並列的に並べられたものであって、それはまるで二つの主人に兼ね仕えるような有様であったと思います。ところが、彼はこの義戦の結果を知るところとなりました。義戦は実は略奪戦であった。清国が朝鮮の独立を脅かすからと始めた日清戦争であったが、日本の戦勝の結果、朝鮮独立は逆に阻害されるに至った。日本人は勝利を誇り、虚栄と私欲と貪欲にふけるばかりとなった。そして彼は非戦論、反戦論に転向したのです。にもかかわらず、彼の「私の愛する二つのJ」という信念は最後まで変わりませんでした。しかしそれは、初期の内村のように両者の値打ちが殆ど同じということではなくなる。その思いが彼の墓碑銘に現れているのです。

 「われは日本のため 日本は世界のため 世界は基督のため しかして万物は神のため」。

 これは二つのJの矛盾を超えるものです。つまり二つのJの上下関係が明らかに示されたのです。そしてナショナリズム・愛国心が、そこではキリストと神への大いなる愛の前に、相対化され限界付けられることが示されているのであります。

 私たちも、日本に税金を納めます。そして、時にいつも日本を批判し憤慨していながら、ある瞬間、自分がどんなに、この自分を育んできた日本という国を愛しているか知って、自分ながら驚く時もあります。この日本から受けたことは余りにも大きい。私たちが用いる美しい日本語、日本文学の素晴らしさ、日本の美しい自然、そして、先人から受け継いできた伝統、文化。私たちが日本から受けたことが沢山ある。その日本から与えられた物を日本にお返しをする。日本のために働き、日本に献げ、日本に奉仕して生きる、それは当然のことです。私たちは心から日本を愛することが大切です。自分の欲得のためではなくて、自分に都合が良い時だけ、日本と上手にお付き合いするのではなくて、この日本という国を真実、愛することを内村は求めたのです。愛するとは、「返す」ことであります。受けたことを「返す」ことであります。愛とは「返す」ことが出来る心であります。しかし、この日本が、私たちにキリストより天皇を愛することを求めるようになったら、教会より日本を愛することを強要するようになったら、聖書より日本文学や日本教の方が上であるかのようなことを言い始めたら、つまりキリストを日本国というぶどう園から追放しようとするなら、その誤った愛を問わないわけにはいかない。キリストのものをキリストに返すために、であります。キリストから私たち受けたことは、計り知れない恵みであって、それは、日本から受けたこととは全く次元が異なる。それは限りなき天的愛であって、罪の赦しの救済であって、私たちは、その受けたものを、キリストに少しでもお返しするのです。献げるのです。感謝の故に。

 私のことを言うのは恐縮ですが、私が教会学校の一教師として奉仕初めて30年近くになりました。教会学校で奉仕しているのは、私が幼児期から思春期に至るまで、ずっと松沢教会の教会学校で育てて頂いたからです。そこで、先生たちが毎日曜早朝に通われ、ろくに説教を聞きもしい私のために礼拝をして下さり分級をして下さった。真夏にいつも遠い富士見高原教会まで連れて行ってくださり夏期学校を開催して下さった。クリスマス祝会がどんなに楽しかったことか。その時間を作ることは、学生だった先生たち、職をもった先生たちにとって、どんなに大変なことだったでしょうか。自分が遊びたかった時間を、休養のための時間を献げたに違いありません。私はそんなこと少しも知らないで、感謝することもなく、ある時、松沢教会から離れて、違う教会で受洗しました。今の自分の信仰の基礎は全てそこで得たのに。今の聖書の読み方は、全部そこで学んだのに。イエス様とそこで出会わせて頂いたのに。だから、今、松沢教会ではないけれども、私は受けたことを「返す」歩みをしています。私が預かった余りにも恵み深い「ぶどう園」の収穫を、真の持ち主に「返す」ことだけが私の人生と覚え。

 主は言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」。日本のものは日本に、神のものは神に返しなさい。そして内村鑑三は、最期に、日本より、キリストが上だ、神が上だ、と墓碑銘に刻んだのです。そのこと抜きに、どんなに日本に仕えても空しい。主人の息子を殺したぶどう園はやがて荒れ果てると申しました。御子イエスを追放した日本もまた、しばらくすると、日本に住む者同士が利害関係で、少しでも多く奪おうとして、互いに憎み合い追放し合い、破局に向かうでありましょう。もうその破滅は始まっているのではないでしょうか。奪うよりも「返すこと」を学ばない者は滅びる。何よりも神に返すことを。神を真実に愛し、自分にとって都合が良い時だけお付き合いし、自分にとって得する時だけ仲良くしたりするのではなくて、損をしても、社会から白眼視されても、富が減っても、神にお返しをする。自らの受けた恵みをお返しする。そこに私たちのぶどう園が今年も豊かな収穫の時を迎えられる唯一の理由があるのです。




・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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