2002年4月 「どんなさらし職人にも及ばぬ純白」
(マルコによる福音書 9:2~3)
六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 (マルコによる福音書 9:2~3)
主イエスが身にまとっておられた衣は、もしかしたら母マリアが紡ぎ織ったものかもしれません。あるいは主を愛する女性のお弟子が心を込めて作ったものかもしれません。もとは生地は白だったかもしれませんが、貧しいマリアにしても女弟子にしても漂白剤を使う習慣もなかったと思います。ですからその服は、織り上がった時既に、白と言っても、純白にはほど遠い、地の素材の色をしていたことでしょう。それどころか、家を出られた主イエスはもう長く「枕する所」なき、伝道の旅を続けてこられました。それは服を洗う暇も、新しい衣を買う余裕もない旅でした。服は、雨にうたれ、土埃にまみれ、日に焼け、固く毛羽立ち、とうとううす茶色に変色してしまったのではないでしょうか。純白の柔らかい衣を労働着にする人はいません。純白の衣は高価な王の祭服であり、手を汚さない儀式を行う高位聖職者が身にまとう式服でした。しかし、主イエスの色あせた服は、主御自身が言われたように、「仕えられるためではなく仕えるために」(10:45)、働き続けられた証しなのです。また、主は同時にこう言われました。「また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために」私は来たのだ、と。そうであれば、主の服は、ただ、土埃で汚れるだけで終わったのではない。その衣は、主の御受難の時、鞭打たれた背中から流れる血潮と、茨の冠を被された額から流れ落ちる血の色で染まったのではないでしょうか。そして、十字架を担がれ、曲がりくねったエルサレムの道を登る時、十字架の丸太の重圧によって、衣の肩の部分はすり切れてしまったのではないでしょうか。主が重荷に耐えかねて膝をつく度に、その部分の穴は広がったと思う。ゴルゴタの丘に主が登られた頃は、もはや、それはぼろ切れのようになっていたのではいでしょうか。主が裸にされて、十字架につけられた後、衣は切り裂かれて、兵士たちが分け合ったと福音書には記されています。その裂かれた衣の運命自体が主の御受難の象徴と思われるほどであります。
最も王や祭司の衣にふさわしくない貧しい衣、いえ、どんな人もそれを着るほど落ちぶれてはいないと思う、ぼろ切れのようになった衣、それがイエス様の衣でありました。だから、主イエスのお姿を肉眼で見ても、誰も、このお方が人類の全歴史を通して、最も純白の浄さを生きておられる神の子、キリストであると、思いませんでした。
今朝、私たちに与えられている神の言葉は、その主イエスと、ペトロを初めとする3人のお弟子たちの登山の出来事が記されてありました。ただの登山ではない。彼等の目前でイエスのお姿が変わりました。これは昔から「イエスの変貌」と呼ばれている物語です。何が具体的に変貌したのか。マルコ福音書は主の服のことに集中して語ります。「服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕にも及ばぬほど白くなった」と。うす茶色く硬くなった衣服を白くする、さらし職人というクリーニング屋のような商売が当時もあったのでしょう。自然にあるさらし粉か何かを使って、漂白をしたのでしょう。現在のように蛍光染料等、人工的は化学物質があったわけではありませんので、漂白技術はさらし職人によって、著しく違っていたのではないでしょうか。当時、超一流のほんの数人のさらし職人だけが、純白の王の衣、大祭司の祭儀服の漂白を任せられていたと思います。その職人によって漂白された、衣の白さの美しさに人々は皆感嘆の声を挙げ、その値段を聞いてため息をついたのではないでしょうか。
しかし、この山の上で、お弟子たちが見た主の服は、この世のどんなさらし職人の腕にも不可能なほど、真っ白になったと書かれています。この世の白さではなかったということです。それは天の輝き、神だけがお持ちの白さであります。それは地上のイエスが初めて、神の子としての真実のお姿を見せられた時でした。しかし、それはつかの間の出来事であります。そののち十字架で死なれ復活されるまで、(主の墓の前で、マリアに復活を告げる天使の衣が、雪のように白かった、とある)、その復活の天使の衣を目にするまで、地上では再び誰も見ることのない「純白」でありました。
どうして、父なる神は、その純白を見せて下さったのか。それは、身を汚しながら弱い者に「仕えるお方」、血を流されつつ罪人に「命を献げるお方」、この人こそ世の評価に対して、真の王の王、神の子であられることを、弟子たちに予め知らせようとされたからです。そして命じました。「これはわたしの愛する子。これに聞け」(9:7)と。
福音書記者が生きていた初代教会の時代は、教会には目に見える華やかさは一つもなかったと思う。それこそ、当時の牧師たちは、普段着で伝道し礼拝を司っていたのです。白馬に跨る皇帝こそ神の子として崇められていた時代であります。イエスこそ真の神の子であられることは、ほんの一握りのキリスト者にしか知られていませんでした。まさに、山に登ることが出来たのが全人類の中で、たった3人だけだったように。教会堂一つ持たない信仰生活が続きます。迫害に怯える生活です。そのような中で、牧師も教会員たちも迷い始める。本当にイエスは神なのか、と。
この福音書の物語でも、彼らはいつまでも山の上に止まっていた訳ではありません。主と弟子達は山を降ります。その時には、もう主イエスは、前と同じ、どこにでもいる埃にまみれた、巡回伝道者の一人の姿に戻っておられました。山の上で幻覚を見たのではないかと思っても不思議ではありません。私たちも、神がおられると一度は思っても、悲しみ苦しみが続くと、やっぱり神などいないのだと思い始めることがある。そして、あの時、教会で感じた、神の臨在は幻だったと思うようになるのです。
そういう神の見えない世界の中で、私たちがなお、神の子を見ることができる時はいつかってことであります。「六日の後」(9:2)、この何げなく記録されています期間についてですが、これはこういう解釈が可能です。この前に、弟子ペトロが「イエスこそメシア・キリスト」(8:29)と信仰告白をする物語があります。このことがあってから6日後、つまり一週間後です。この二つの信仰告白の物語とは、二つとも日曜日・主日での話ではないかと、想像することが出来るのです。つまり私たちが、イエスが神の子だと、明瞭に分かる日は、日曜日なのです。私たちは七日毎に西片町教会に来ます。特に春日や根津から来る人は、急な坂を登ってまいります。西片町教会は、向丘に隣接していて、高台に建っています。教会を丘の上に建て、その尖塔を高く突き出す習慣は、昔からありました。それは天からの近さを表現していると思われます。天の秘密が、地上で一番早く明かされる場所、それは天に少しでも近い高台と考えられたのです。高い山に登ると、平地がなお雲に覆われていても、雨雲を突き抜けて青空を仰ぐことができます。高い山に登ると、誰よりも早く、日の出の光を浴びることができる。教会とは、そういう「高い山」です。低地では、光が見えないのです。でも、高い山、教会では、光を仰ぐことができる。光の白さにあずかる。
この七日目毎におとずれる、主日礼拝の日、私たちはこの丘の上で、心から大声で、「私はその純白の光の輝きを見ました」と、「イエスは神の子なり」と、告白することが出来るのであります。
しかし繰り返し申します。私たちは、山を降ります。すると、この世は暗いのです。光が見えないのです。主は、その暗さの中で、お前は断じて神の子じゃないと言われて、十字架への道を歩み始めるのであります。弟子達が降りてきますと、その地上には何が起こっていたかと言うと、悪霊に取り憑かれ苦しんでいる子供が待っています。私たちの生活の中でも病はあります。苦しみがあります。悪が支配しています。下界とはそういう世界です。そういう中で、私たちも疑うのです。本当にイエスは神の子なのだろうか。あれは、幻想だったのではないか。そういう疑いの声に対して、しかし使徒ペトロはこういう言葉を残しました。
「わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。」(二ペトロ1:16~19)
夜明けが起こるまで、明けの明星が昇るまでは、まだ間がある。これは主が再臨される時と考えていいでしょう。それまでは地上の不信仰の闇は続く。けれども、その闇の中で一週間生きる私たちにペトロは強く臨む。闇に負けるな、と。負けないために、私は既に、あなたに、神の子の純白の輝きを見せたではないか。一週間に一度、明らかに、イエスは神の子だという礼拝をここで用意しているではないか。その預言の言葉によって、闇に灯の光をかざして生きていける。夜明けはまだだが、しかしその夜明けを先取りする、どんなさらし職人の腕にも及ばぬ白き光は、もうあなたに見せたのだ。だからあなたは耐えられる、とペトロは語るのであります。
カメラのフラッシュのような強い光を受けた後、その残像がいつまでも目に残ることがあります。それに似て、この主日毎の礼拝で、私たちは魂に、御子の光を焼き付けて頂く。その残像を心に残して、ここを出ていく。魂のスクリーンに焼き付けられた純白を見ながら、私たちは一週間、不信仰の闇に耐えていくいくことが出来る。週に一度、礼拝に出席することがどんなに大事なことか分かる。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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