2002年12月24日 「さあ、ベツレヘムへ行こう」
2002年12月24日 「さあ、ベツレヘムへ行こう」
(ルカによる福音書 2:15)
羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 (ルカによる福音書 2:15)
「アンデレの不思議な夜」という城戸典子さんの書いた物語があります。2000年前の12月24日の真夜中、小さな羊飼いのアンデレが、ふと目をさますところからその物語は始まります。アンデレが夜空に目をやる。何だかいつもと違うのです。空に、燃える星が一つ輝いている。「お父さん どうしたの 何が起こったの」「救い主がお生まれになったのさ。アンデレ、これから私たちはベツレヘムへ行く。お前の足ではちょっと無理だろう。留守番を頼むよ。」そう言うと、父たち羊飼いは丘の向こうへ消えていきました。
明るく燃える星をアンデレは眺めて思いました。「僕も行きたい、ベツレヘムへ」と。するとどこからか透き通った声が響いてきます。「羊は私が見張っていよう。さあ、お前もおゆき ベツレヘムの町はずれの馬小屋へ。」アンデレは飛び上がり、駆け出して行く 不思議な夜の中へ。
アンデレは途中、ひいおばあさんの預言者アンナの住む小屋に寄りました。「ひいおばあちゃん、一緒にベツレヘムへ行こうよ 救い主っていう 赤ちゃんが生まれたんだって」。 アンナは入り口で糸をつむいでいる。「知ってるよ アンデレ でも私には時間がないの。こうしてつむいだ糸で 一枚の布を おりあげるのさ。命の蝋燭が燃え尽きない内に。その布は あの恐ろしい日まで 大事にしまっておかれるのさ。 私には見える。今日生まれたあの方が やがて十字架を背負い、石ころだらけの道を 血を流し、涙を流され、丘を上り 嵐の中で、はりつけにされるのが。そして十字架からおろされたあの方の体を そっと包むための布を 私はおるのさ。」
「ひいおばあちゃん。その人が 何故、十字架につけられなきゃならないの」。アンナは答えるのです。「それは、私たちのため。私たちの罪のためさ。」
アンナは立ち上がり、小さな布を取り出して アンデレに渡す。「このハンカチを持っておゆき。もう私たちのために あの方が涙を流して下さっている。その小さなお目をふくためにね。」
アンデレは走る。 ハンカチを握りしめて。野原や丘を越えて。泉のほとりを過ぎ、燃える星に導かれて。
谷間の岩陰で、少し疲れて アンデレは眠ります。 不思議なまぼろしが 次々に現れます。初めの幻は町の中で、泣き叫ぶ幼い子供たちの姿であった。助けをこう母親たちの間にひずめの音も荒々しく、兵士たちが分け入り、やりで子供たちを殺していく。「ヘロデ王のご命令だ。騒ぐな。」子供たちの血と母親たちの涙が 町の石畳の上を川のように 流れていくのです。辺り一面が真っ赤に染まりました。
次の幻は、様々な人々の群。貧しい人たち、悩みをもっている人たち、病気の人、愛する人を失った人、みんなからさげすまれ 辱められている人…。様々な人々の群。真っ暗な闇の中に埋もれてしまいそうな、苦痛に顔を歪ませている人たちの黒い群。
アンデレははっと目覚めます。 耳を澄ます。 すると何かがもう聞こえてくる。深い闇の底から泣き声が。世界をふるわせて 響いてくる。 生まれたばかりの あの人が 泣いている。
アンデレは再び走り始める。燃える星に導かれて。もうはるか向こうに ベツレヘムの明かりが見えてきました。
息を切らせてアンデレは 町はずれの 馬小屋に 駆け込みます。飼い葉桶の揺りかごの中に眠っている赤ちゃんの頬には、涙が一滴流れています。
「これは ひいおばあちゃんのアンナからのハンカチ 使って下さい。」
「ありがとう 小さな羊飼いさん」 マリアは赤ちゃんの涙を そのハンカチでふいてあげるのです。 そういう物語。アンデレの不思議な夜の物語…。
今宵朗読しました福音書の中でも、天使から示しを受けました羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう」と呼びかけ合っています。それは今夜、ここに座る、私たちへの呼びかけでもあります。「さあ、ベツレヘムへ行こう。」
ベツレヘムに行くと、何を見るのでしょうか。この春、ユダヤ人街で、爆弾テロがありました。テロリストは、生まれて間もない赤ちゃんを抱いているユダヤ人の母親に近づきました。そして、自爆したのです。
それは、2月28日に、シャロン首相が「難民キャンプはテロの巣窟になっている」として、難民キャンプに侵攻し、パレスチナ人を恐怖のどん底へ押し込めたことへの報復でした。犯人はベツレヘムの難民キャンプの青年でした。自爆テロを行ったアルアクサ殉教団は、成功を祝いました。しかしキャンプの住民は恐怖に震え上がりました。イスラエル軍が激しい報復攻撃を加えてくるからです。戦闘機が飛んできて爆弾を落とし始める。毎晩F16戦闘機が飛び交う音が聞こえる。
ニダは14歳でした。3月「難民キャンプはテロリストの巣窟」として踏み込んだイスラエル兵の銃弾に当たり、死にました。難民であるというだけで、14歳の元気な少女は、暴力の連鎖の犠牲になりました。ニダの葬式はベツレヘム聖誕教会の前の広場で行われました。母親はあまりのショックで何が起きたか分からなくなってしまったようです。老女が狂ったように泣き、もう十分だ、もう十分だと手を上げて叫びました。
やがて、イスラエル軍の攻撃を恐れ、パレスチナの人々は、ベツレヘム聖誕教会に立てこもりました。軍隊がそれを取り囲みました。ベツレヘムは占領されたのです。そして、クリスマスがやってきます。この季節、いつもなら、巡礼者と観光客で溢れる日なのに、今なお、外出禁止令が敷かれ、商店は戸を閉め、車も走りません。クリスマスの電飾どころか、人影もありません。
これが、物語の中でアンデレが見た、馬小屋の2000年後の姿。御子イエスは、ベツレヘムの飼い葉桶の中で、今夜も泣いています。私たちの罪のために。どうしても罪を犯してしまう私たちの世界のために。私たちはそれを目撃するために、ベツレヘムに行くのです。2000年前も現在も繰り返される憎しみと暴力の連鎖のために。御子イエスは、このような私たちと共に泣いて下さるために、今宵、お生まれ下さいました。
私が若い頃、サイモンとガーファンクルという、フォークグループが「七時のニュース」というレコードを出しました。この曲は、クリスマスの讃美歌「きよしこの夜」が、美しく歌われているだけの音楽です。しかし、その歌の背後に、この一年あった、暗いニュースがアナウンサーによって、読み続けられる、そういうレコードでした。最初、アナウンサーが、大声で暗いニュースを報道する。最初は、歌声は小さいのです。しかしだんだん「きよしこの夜」の美しい調べが、大きくなっていくそして、最後は、その小さかった主の御降誕を讃美する歌が、その暗い悲しいニュースの声を打ち消すほど大きくなっていく、そういう歌でした。
クリスマスの季節は、年末の時でもあります。この一年、世界も日本もまた暗いニュースで満ちていました。この年末、その十大ニュースが繰り返し放送されるでしょう。戦争の恐怖はさらに増し、ベツレヘムまで行かなくても、直ぐお隣りの北朝鮮で人々が血を流し、虐げられ、寒さと飢えに苦しんでいるという報道が止むことはありませんでした。心の貧しさが引き起こす殺人事件が次々に起こった一年でした。それだけでなく、口には出さなくても、自分の身の回りで起こり、私たちの心のひだに刻み込まれた、この一年の悲しい出来事、本当に苦しかったこと、長いいつ果てるとも知れない戦いを、今、思い出しておられる方も、ここにおられると思う。その暗闇があまりに深くて、もう夜が明けることはないのではないかとすら、思えるほどに。
しかし、そのために、お生まれになられたばかりの幼子イエスがもう涙を流しておられる。私たちに対する限りなき愛と憐れみの故に。私と一緒に泣いて下さるお方がいる。そのお方が生まれた。そのお方が一緒にいて下さる。それを知る時、私たちの暗い心に、初めて光が灯るのではないでしょうか。
そのあなたの苦しみと貧しさを知るために、私は、世界でも最も悲惨な暗い場所に生まれるのだ。闇に飲まれそうな人々と、共に手をとって泣きたいから。そのことによって、あなたの孤独を癒そう。そう御子は今宵約束して下さるのであります。これを私たちの唯一の希望としたい。
祈りましょう。 人間が作り出す暴力と破壊のただ中に、御子が生まれて下さいます。どうか私たちも今宵ベツレヘムに急ぎ、御子の前に跪き、「平和を下さい」と祈る羊飼いの一人にしてください。
・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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