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2000年10月15日 秋の一日修養会講演「より良い礼拝のために -聖餐を考える-」

2000年10月15日 秋の一日修養会講演「より良い礼拝のために -聖餐を考える-」(マルコによる福音書 1:41~42) 山本裕司

1.礼拝順序に関して
「礼拝が大切である」、真のキリスト者であれば、誰もがそう申します。そのために、私たちは主日の礼拝を守るために全力を尽くしてまいりました。礼拝に生きた有名無名の多くの会衆たちの礼拝に対する信仰と熱意が、西片町教会の今日を作り上げてきたのです。
 しかし、そうであれば、教会の営みの中で、最も大切な礼拝の内容、その意味について、私たちはこれまでどれだけ、学び、思索し、研究してきたのでしょうか。
 例えば、礼拝順序が何故こうなっているのか、何故この位置に「主の祈り」が入っているのか、それは他の位置ではいけないのか、と問われた時、私たちはどれだけ確信をもって答えることができるでしょうか。
  私たちの教会の礼拝順序に関する史料の内、最古と思われるは、1922(T11)年の記録です(第12代牧師中村忠蔵の時代、週報第一号による)。その順序は次の通りです。
 讃美歌、詩編交読、祈祷、新約聖書、讃美歌、説教、祈祷、献金並びに感謝、報告、讃頌、祝祷、(聖餐がある場合は、現在と余り変わらない位置に聖餐式が置かれている)。 特徴的なのは、主の祈りと使徒信条がないということです。しかし、1946(S21)年、鈴木正久牧師が赴任した時には、すでに両者とも順序に存在していました。但し、使徒信条が、説教後、献金前に置かれていると特徴があり、これは1955(S30)年に変更され、使徒信条が現在と同じ位置、説教直前に置かれることになっています(『西片町教会百年史』77~79頁)。但し、この順序には、交読文が消えてしまっていたため、後に交読文が再度採用されて、現在の礼拝順序の形が、1962(S37)年に作られ、それ以来同じ順序が約38年間私たちの教会では用いられてきています。
 一つ指摘しておかなければなりませんのは、実はこの礼拝順序は、1949(S24)年に出版された『日本基督教団式文』の中にモデルケースとしておさめられている礼拝順序と、ほとんど違わないということです。そして、この50年以上前、敗戦直後に教団で公にされた礼拝順序、つまり現在の西片町教会礼拝順序は、「礼拝招詞と信仰告白がとりいれられている点でやや新しいだけで、他の点では在来行われてきた礼拝順序とあまり変わりがない」(由木康)と言われているものなのです。つまり、この礼拝順序の歴史は長く、明治初期、日本に来たアメリカ・カナダ人宣教師による形にその原型をもっていたと思われます。
 長く保存されてきたものですから、当然、良さがあったのだと思います。当時のアメリカ・カナダ人宣教師たちは、ノン・リタージカル(典礼、式文を持たない)な伝統で育った人たちであったため、毎週、伝道集会のような日本の礼拝には、そのやり方が適合してたのではないかと思います。礼拝奉仕者や会衆の積極的参加が要求される典礼、式文、複雑な賛美などをもったリタージカルな礼拝は、礼拝が身に付いた信徒がある種の訓練を経て行われるものであったからです。
 しかし、その後、私たちの教会が半世紀以上前に作られた礼拝順序を固く守っている間に、私たちの源流であったはずのアメリカ・カナダでは、大きな礼拝改革が起こり、そうとうな変革を遂げたと報告されています。そして、この礼拝改革、典礼刷新の流れは、むしろ第二ヴァチカン公会議(1962)以後のローマカトリック教会において顕著であり、彼らは著しい変革を遂げることに成功しました。そのような世界的は礼拝改革、礼拝復興の流れの中で、『讃美歌21』も生まれたことを私たちは忘れてはなりません。世界の教会は動いているのです。その理由は何なのか。そうであれば、今、この時期に私たちも、もう一度、礼拝全体に関して学び直し、変えるべきところは変える必要があるのではないでしょうか。
 私たちはいつの時代でも、礼拝全体(礼拝堂なども含む)を神学的に筋道の通ったものとしていく努力をなし続けなければなりませんし、また、神と人(現代人)とのより良い、また限りなく喜ばしい「交わり」がそこで成り立つような形を模索していかねばなりません。そのような試みの末に、今この時代に最もふさわしい礼拝をついに見出し、それに触れた瞬間、私たちは深い充足感を覚えるでありましょう。神と真の出会いを経験することができるからです。しかしそのためには、その礼拝に全身全霊をもって奉仕する者たちが出現し、それに呼応するよく訓練された会衆が生まれなければならないと思います。例え、学習の末、その礼拝の形を変えないという結論に達しても、繰り返しその意味を学び直さなければ、いつのまにか、礼拝全体が形骸化してしまうことも起こります。そうであれば、21世紀を迎えようとするこの現代日本への伝道、宣教の使命も教会は正しく果たすことができなくなってしまうのではないでしょうか。
 そのような、礼拝全体のことを視野に入れながら、今回は、秋の修養会に備えて、聖餐について考えていきたいと思います。

2.「聖餐」か「聖餐式」か
 カトリック教会では礼拝をミサと呼びますが、これは私たちの言う、聖餐式のことです。つまり礼拝とは聖餐式のことなのです。礼拝とは、この地上にあって、目に見えない神様の臨在に触れることですが、それは何よりも聖餐において経験されうると教会は最初期から考えてきました。従って、その伝統的理解からすると、礼拝全体が本来聖餐式であると理解されねばなりません。ということは、礼拝順序の中に、もう一回、聖餐式という項目を入れる必要はなく、その部分は「式」ではなく、「聖餐」と呼ぶことがふさわしいと思われます。洗礼式の場合は、礼拝式の中で、洗礼式(これが礼拝と分離していた歴史もあるらしい)が組み込まれて改めて行われますので、礼拝順序の中に、洗礼式という第二の式が入っていることは問題ないと思われます。

3.礼拝堂の構造と聖餐卓
 『鈴木正久著作集』第二巻414頁に「無考えのクリスマス」と題する、鈴木牧師の随想がありますので先ずそれを引用しましょう。
 「西片町教会の礼拝堂は、神学的にははなはだ奇妙でる。講壇の前に柵があるところは聖公会風である(おそらく元来のメソジスト教会に英国国教会の会堂をそのまま使ったものがあったので、その影響だろう)。だがそれならば講壇の正面に祭壇があり、その左右に司会者と説教者の壇があるのがふつうだが、その点はカルヴィン派の改革派教会的で、正面に説教者壇があり、その前に祭壇(あの献金をおく壇)がある。あの祭壇は本来聖餐を置く壇であって、カルヴィン派は主の聖餐テーブルを牧師と会衆とが共にかこんでいるという理解から祭壇を説教者と会衆の間に置いたのであって、これは正しいが、その場合はあの柵はないのである。元来あの柵は、ルターが宗教改革で万民祭司説をとなえると共に取り外してしまったもので、ローマ・カトリックや聖公会、ギリシャ正教会等の、牧師と会衆との間の差異を認める教会でだけ用いられているものである。…私は、この礼拝堂をいつも「面白い」設計だと思っているが、しかし「これでいい」と思っている。形にこだわることはない。だが無考えであってはならない。私は、この礼拝堂での礼拝式の行いかた、聖餐式の行い方、諸集会の行いかたなどに、いつもひそかにずいぶんいろいろ考えている。」
 ここには、聖餐のプログラムに関しては一切言及がなく、また不明なことも多いのですが、他に鈴木牧師が聖餐について言及している文書を見出すことができません。従って西片町教会の聖餐の儀式がどうして、あのようなやり方になったのか歴史的研究が不備ですが、今言えることは、メソジスト特有の講壇を囲む「柵」についてです。これはメソジストが聖公会の礼拝堂を用いた名残であると言われていますが、元教会員T氏によると、聖公会からいわば破門状態にあった、メソジストが、自分たちもまた聖公会と同様の、恵み(聖餐)に与ることができるとの思いを込めて、聖公会同様の、柵を設けたということです。あるいは、この「柵」は、不信仰な者に主の晩餐をけがされぬようにする意味や、実際的に跪いて陪餐する場合は、寄りかかりに都合がよいためであったという理解もあります。また、メソジストでは、これを「恵みの座」と呼ぶことがありますが、確かに「大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ4:16)という御言葉がありますが、しかし、これは本来、柵の設けられている座のことではなく、主の食卓に着けという意味でしょうから、柵にこだわる必要はないと、長久清氏は書いています(『教会と教会堂』)。鈴木牧師も柵は「牧師と会衆との間に差異を認める教会だけが用いている」と言われます。その意味は、中世の会堂によく見られる形ですが、礼拝堂を二分して、境界を設けて、壇が設けられている部分より内側を聖なる場として(ここをチャンセルと呼ぶ)、聖職者だけが入る場としたということです。それは神の神聖、権威、高さ、遠さを表現していますが、私たちの信仰では、そのように人から遠く隔たった聖なる神が、あえて愛の故に受肉され「人間と同じ者になられ」(フィリピ2:7)、「わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1:14)のです。そして、主イエスは、ファリサイ派の人々から「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」(マタイ9:11)とどがめられながら、罪人たちを招いて食事会を開かれたのです。現在の神学では、この神の近さの中に、むしろ神の神聖、権威、高さを見ると言われるのですから、私たちは礼拝堂の中にあえて柵で内陣を作る必要はないのではないでしょうか。あえて聖なる場と言うならば、会衆席も含んだ、礼拝堂全体が聖域なのです。そこで神と人が交わり、同時に、人と人の交わりが回復され、私たちは孤独から解放されるのです。そして、この共同体を再構築する交わりの回復こそ、礼拝そのものなのです。
 十数年前より、日本においても「会堂建築の神学」が強く主張されるようになり、目で見える姿に信仰を現すことの重要性が指摘されています。現在、新しい会堂を建てる時、その教会の信仰・神学をそこに織り込むことは常識になっています。一体、西片町教会はどういう神学をもっているのでしょうか。その神学に合わせて、礼拝堂の形もまた変えていく可能性があるのではないでしょうか。

4.聖餐卓の形と位置
 聖餐台を「テーブル」の形にするのか、「祭壇」にするのかということは、昔から教会において議論されてきたことです。祭壇とは四角い箱型をしています。テーブルの方は四本の足で人がそこに座れるようなかっこうをしているものです。もともと使徒言行録2:42にあるような「相互の交わり、パンを裂くこと、祈ること」をなした礼拝は、当然木製の大きなテーブルを囲んでなされたものに違いありません。しかし後にキリストの死の犠牲ということを誤って教会が強調した時に、聖餐卓は石造りの冷たい祭壇にとって代えられたと言われます。それが何で箱型かと言うと、それはお棺を表したという説があります。そして殉教者の遺物が祭壇の下に納められるようになります。殉教者の墓の上で聖餐が行われることもありました。だから石造りなのです。お墓というのは、みな石でできているものです。ローマの聖ペトロ大聖堂は、ペトロの墓の上に建てられ、祭壇はその真上に位置しているのです。
 そして、祭壇は礼拝堂の奥の壁に接して置かれました。すると司式者は祭壇に向かって立ち、信徒席に背を向けることになります。祭壇は、そこに臨在する主を象徴するものとして、位置も数段高い所に上げられます。しかしそのようなあり方に対して、祭壇を木製のテーブルに戻すことが主張されたのは、宗教改革以後であります。キリストの犠牲の一回性、完全性を訴えるプロテスタントは、犠牲に集中したミサとは異なり、復活の主との交わりとしての食卓という意味を聖餐の中に取り戻したが故に、喜び、歓喜を強調するようになりました。確かに過越の小羊としての主の犠牲を覚えるということは、聖餐において忘れてはならない大切なことです。しかし何のための主の犠牲かと言いますと、それはいつまでも私たちが、主の墓の前をうろうろするためではないと思います。命と喜びを私たちに与えるために主は犠牲になって下さったのです。甦りの朝に、女性たちが主の墓に行ってみますと、もうその墓の石が転がされてありました。そして天使が現れ「もうイエスはここにはおられない」と言うのです。そして弟子たちの前に復活の主が現れ、そこに歓喜の食事会がお甦りの主によって次々に開かれていく、その喜びの記録が福音書には多く記されているのです。
 従って特に厳しく礼拝改革をなしたカルヴァン派の教会だけでなく、イギリス聖公会でも、初期の改革の指導者には、カルヴィニストが多かったこともあり、祭壇を排し木製のテーブルに改めました。揺り戻しもありましたが、現在は、聖公会においても、もう一度祭壇を信徒席に近く移し、会衆に対面して司式ができるよう、礼拝堂内の改造が進んでいるそうです。
 また、先に書いたように、今日、ローマカトリックは典礼刷新が起こり、祭壇は食卓でもあることが明らかにされました。従って、祭壇の上にあったものは、食卓にふさわしく取り除き、平らなテーブルとすることが求められるようになりました。そして、祭壇の位置は壁から離して、司式者はその背後から会衆に対面して司式するようにせよとの指示が出されたのです。また祭壇の台もなるべく低くし、同時に箱形の祭壇ではなく、食卓であることがよく分かるような形に改めることが進められています。
 最近、改築された四谷のイグナチオ教会の礼拝堂には、すでに柵もなく内陣もく、聖壇はむしろすり鉢状の底に置かれ、会衆席の位置の方が高いくらいに見えます。存在感に満ちた立派な聖餐卓は会衆席の近くに置かれ、まるで改革派教会の礼拝堂を見ているかのようです。私は思います。神学が徹底的に進歩した時、教派間の礼拝や礼拝堂の差異は埋まり、結局みな似てくる、と。それが今の時代なのです。礼拝改革運動と、エキュメニカル(教会一致)運動とは、互いに支え合いながら、いつの日か全人類を覆い包む巨大な礼拝共同体という交わりを形成する目標に向かって、共に進んでいるのではないでしょうか。
 長久清氏はこうも書いています。「このように保守的と思われがちな教会が積極的に改革しているのに反して、プロテスタント教会の一部では、依然として祭壇が昔のままの状態で残されているものが少なくないことに驚かされる。すなわち祭壇が壁に接したままに置かれ、その上に十字架や燭台や聖書が置かれている。おそらく神学的に確信を持ってそうしているのではなくて、全く無関心であるためと思う。」
 そこで私たち西片町教会においてですが、何故、聖餐卓を、第一主日だけ講壇の上の壁に接して置くようになったのか、そのいわれを教えて欲しいと思っています。これは現在では、とても珍しいと思います。今回、私は、同じメソジストである、銀座教会、南部坂教会、本郷中央教会に電話して、聖餐のやり方を教えてもらったが、聖餐卓が講壇の上に置く教会は一つもありませんでした。みな会衆席に近い「恵みの座」の前に聖餐卓を置いているとのことであり、それを上に上げた記憶もないとのことです。そして、この三つの教会とも、恵みの座の前で信徒は跪く、このメソジストの伝統は等しく厳守しているそうです。

5.奉献の回復
 それでは、主の食卓において、祭壇の意味(ユダヤ教においては、ここに犠牲が献げられた)は全くなくなってしまったのでしょうか。ただ一方的に主イエスの犠牲にあずかり、主の御体を「受ける」だけが聖餐なのでしょうか。そもそも礼拝とは、受けるだけでは成立しません。礼拝順序は、全て神(神を代表する司式者、説教者)と会衆(人間)との間のコミュニオン(交わり)を現しています。礼拝とは、「受けること」と「献げる」ことが同時に起こり、そのことによって、神と人が愛の交流をなすところに本質があります。従って、人間の側の犠牲、奉献が必要となるのではないでしょうか。
 スコットランド教会では、聖餐に当たり、長老がパンとぶどう酒と献げて入堂し、それを牧師が受け取り、主のテーブルに備えます。これは、神の恵みとしてのキリストの血と体が、神から与えられたということと、人間の生活の一切を代表してパンとぶどう酒とを主のテーブルに奉献する、つまり神の献げ物と、人の献げ物が同時的に起こっていることを現しているのだそうです。従って、主の食卓に着くとは、主の十字架の恵みを受けることと、自らを主に献げることとの二つを含むこととなるのです。また、長老が携えて入堂しない場合は、白い布を取ることによって、この奉献を表現することが可能かもしれません。これが「主がパンをとり」という第一の行為に対応する「奉献」です(『新しい式文』78頁)。そうであれば、この聖餐卓は祭壇でもあることになります。従って、現在、カトリック教会では、これを祭壇と呼びつつも、その形は箱形ではなく、食卓であることを現すようになっているのです。
 パンと杯以外の奉献と言えば、それは献金ですが、それは当然、犠牲を献げる場、聖餐卓に献げるのがふさわしいと思われます。主の食卓には、パンと杯以外のものは何物をもおいてはならないとの考えから、聖餐卓に献金を献げず、隣の小さな台にそれを献げるというやり方をしている教会もありますが、それが最も正しいとは言えないと思います。勿論、掃除の時、聖餐卓に掃除道具や洗剤を置いたり、まして、これを何か高い物を取る時の台にするなどということは、考えられないことです。神と人の犠牲が表現される霊的な場である聖餐卓を、普通のテーブルと同じように扱ってはなりません。どうして特別に扱わなければならないのか、それが感覚的に分かるということが「宗教性」というものなのです。献金は奉献なのですから、パンと杯と共に、聖餐卓に備えることも良いと思われます。また献金祈祷はこの祭壇の前でなされることが最もふさわしい位置だと思います。
 また礼拝順序における「主の祈り」の位置ですが、多くの解説者が言っていることは、主の祈りは聖餐の中に位置づけられるということです。そして、聖餐がない主日の場合も、聖餐卓がその中心にあり、またその順序付近に、主の祈りと献金があるが故に、なお礼拝式はイコール聖餐式であることが明らかにされるのです。

6.その他のこと
 緊急時以外は、サクラメント・聖餐執行者は厳密に牧師と定められいます。それは牧師が、礼拝において必要不可欠である神の側を立場を委嘱されているからであろうかと思います。そのことが、リタージカル・アクションにおいて明確に示されねばなりません。
 現在の西片町教会のやり方では、布は、信徒によって、取られており、これは人の側の奉献が現すかぎりにおいては、ふさわしいかもしれません。しかし、もっとふさわしいのは、牧師と信徒との共同作業によって、白い布が取られる、つまり奉献されることと考えます。それは、神と人の奉献がそれによって表現されるからです。また配餐奉仕者の資格は、牧師から食器を手渡されることによって生じると思われます。そのリタージカル・アクションによって、牧師の役割を代行するということが示されるのです。それが、一切、現在の聖餐においてはなされていませんので、ここは変更する必要があると思われます。
 また現在聖餐時、前に出てくる時用いている『讃美歌21』433「あるがままわれを」は良い曲であり、聖餐に用いられても良いと思いますが、しかし、主観的な歌であり、また聖餐の歌でもない点で問題が残ると思われます。もし讃美歌を歌いながら出てくるということを続けるのであれば、『讃美歌21』71を推薦したいと思います。「近づき、み前に出よう、み体と血、今受けよう」(1節)と歌われ、またその他いろいろな点(客観性や格調の高さ、一節の短さ、8節まであること)で、あの場で用いるにふさわしいと思われます。しかし、433を長く歌ってきたので、それを捨てがたいというのであれば、月ごとに順番に歌っていくことを勧めたいと思います。
 また牧師は神の側を代表する場合が多いのですから、最後の聖餐感謝祈祷は会衆の一人が献げるのがふさわしいと思われます。そのような相互性によって、神と人のコミュニオン、交わりが表現され、それこそが礼拝なのであります。

 以上、研究途中であり、さらに深めなければならない点は多々ありますが、一応、話し合いのきっかけになるかと思い、あえて書きました。どうか、これから共に礼拝について学び、考え、神様に喜ばれるより良い礼拝を求めてまいりましょう。


・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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