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2000年 1月16日 「少年イエスの巣立ち」

2000年 1月16日 「少年イエスの巣立ち」

  説教者 山本裕司
  (ルカによる福音書 2:42)

 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。(ルカによる福音書 2:42)

 ルカ福音書二章には、御子イエスの二度の宮詣での物語が記されています。一度目は、お生まれになって四〇日を経たばかりの頃と思われますので、幼子イエスは母親の手にしっかり抱かれたままのお参りであったと思います。その巡礼の旅の間中、若い父母はこの幼子にかかりっきりであったと思います。やれ泣いたと言えばお乳をあげ、震えていると寒くはないかと心配のし通しであったと思います。そうやって両親に手厚く守られてきた幼子もやがて大きくなる。そして、この時、少年が再び神殿に詣でる時がやってくるのです。ここで、福音書はイエスが十二歳になった時とその年齢を書いています。当時のユダヤでは、男子が十二~十三歳になると幼年期を脱して青年期に入ったこととされていました。子ども扱いは脱して、宗教的集会もこれからは大人と同じように参加していくことが求められるのです。それは丁度、教会学校に幼い頃から通っていた子どもが高校生になると、大人の礼拝に出席することが求められる。そして、洗礼や信仰告白をして聖餐にも与るようになることと似ているかもしれません。

 ルカはこの二度目の宮詣での物語において、もはやこのお方は幼子ではない。このお方はたくましく成長され自立されたのだ。初参りの時とはもはや違う。一〇〇㎞以上の巡礼の道を自力で神殿に詣でられるまでに大きくなられたのだ、そう語ろうとしているのではないでしょうか。だから、この記事には、御子イエスの成人式を祝う思いが込められているのではないかとすら思うのです。

 長い道を今度は、少年は一人で元気に歩いてくれる、それは両親にとって、とても助かるはずです。しかし、子どもが一人で歩き始める、それはどうかすると、少年を見失ってしまう、新たなる心配を親たちに与えることにもなる。幼児期にはなかった、不安、心配を古今東西の親たちは味わうことになるのです。

 祭りが終わった後の帰り道は、礼拝をすませた解放感が溢れていたと思う。沢山の巡礼者のグループが、好きずきに合流したり離れたりしながら、おしゃべりをしつつ道を戻るのはとても楽しいレジャーであったと思います。母マリアも父ヨセフも勿論、イエスのことを忘れたわけではないでしょう。母は父と一緒に歩いていると思い、父はあの子は母と一緒だと思っていたのかもしれません。それで一日歩いてしまったのです。夕方になって家族が合流して宿をとろうとした時、両親は初めてイエスがいないことに気づく。最初は、いや親戚と一緒だろうと思って、テントを一つ一つ訪ね、聞いて回っている内に、だんだん血の気が引いてくる。大人扱いと言っても、まだ今の中学一年生くらいです。子どもがいなくなる。それは親にどれほどの焦燥感を与えるか。当時も神隠しのようなことはいくらでもありました。悪く悪く考えてしまうものです。もう二度と、あの子には会えないような気持ちになる。両親は、青い顔してエルサレムに引き返しました。三日間必死で探し回った。今頃、あの子はどれほど母を求めて呼んでいるだろう。どんなにひもじいだろう。そう思っていたところが、両親が神殿の境内にイエスを見出した時、少年は元気はつらつとしていた。学者たちの講義を聞き、それに賢い質問を返していた。母マリアは少年を見つけた時、飛びついて抱きしめたかもしれない、あるいは「バカバカ」と少年の肩を揺さぶったかもしれない。もう目は涙でいっぱいだったと思う。そして叱りました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」48 ところがそれに対して、少年イエスは、こう答えられたのです。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」49 

 この言葉こそ、ルカ福音書において主イエスご自身が最初に発する御言葉なのであります。もしこれが映画であったなら、この第一声にどれほど、監督はこだわるであろうかと思う。神の子の声を初めて人々は、ここで聞くのです。もし私が映画監督なら、この時、男の子は「声変わり」をして両親に答えられたと描きたいと考えました。

 御子は何も心配する必要がなかったのですと、母に答えているのです。何を取り乱しているのですか。あなたは「お父さんもわたしも心配している」と言う。しかし、私の父はここにいます。この神殿、この家の主人が私の父なのです。父の家に子である私がいるのですから、これほど安全なことはありません。私は大丈夫、お母さん、もうあなたの手を私は離れました。今、私は大人になって、巣立ちの時を迎えました。そのことを理解して下さい、私があなたの手の届かない所に旅立っても心配しなくていいのです。いつの日か、私はあなたが決して理解できない生き方を始めるでしょう。その時、あなたは今回以上に「剣で心を刺し貫かれる」(2:35)ほど、私のことで悩むかもしれない。私は、あなたの前から姿を消して、命がけの戦いのために出ていくでしょう。しかし、その時も、同じことを言いたい。「どうしてわたしを捜したのですか」と。私はどこに行こうとも、天の父の御手の中にいます。その父に私のことを全て委ねて下さい。御子イエスは微笑んでマリアを見つめられつつ「母さん、安心して、何があっても取り乱さなくていいのです」と優しく静かに言われているのです。

 最近読みました『母子癒着』(木村栄、馬場謙一)という本の中に、こういう事例が紹介されていました。その少年は、素直な良い子でした。ところが中二の頃から学校を休むようになった。それでいて昼頃になると自分から起きて元気になる。登校拒否が始まって三ヶ月くらいして、思いあまった母親が、彼を連れて精神科に来るのです。病的な感じはないのに、医師の問いに「家から離れるのが怖い」、「外に出ると不安になる」と言う。聞いてみると、家では母親といつも一緒にいて、常に身体の一部を接触していないと不安になるようなのです。母親が台所に立つと、一緒に立って、スカートやエプロンにつかまる。買い物に行く時も一緒に来て、身体を触れ合わせている。夜は自分の布団を運んできて母の手をつないで離さないという状態だった。母親はもう息がつまりそうですと訴える。

 その家庭は平凡な家庭であり、何の問題もないかに見えたのですが、来院三ヶ月位たったある日、母親がその頃見た夢の話をふと漏らしたところから謎が解け始めていく。夢の中で、彼女は橋の上に立っている。大雨のあとだろうか。橋の下で濁流が渦巻いている。あたりは薄暗く、誰もいない。何かひどく恐ろしい気分になる。彼女は欄干につかまっているが、その時、胸にかかえていた買い物袋を川の中に落としてしまう。買い物袋の中には、何か大切な書類が入っていて、大変なことをしてしまったと思います。しかし反面、これでよかったのだ、という矛盾した気持ちもわいてくる。この夢についての連想を話している内に、彼女は突然、長い間忘れていた一つの光景を思い出した。彼女は結婚当初、夫の実家で三年ほど暮らしたが、その家から少し離れた所に大きな川が流れていたこと、まだ生まれたばかりの息子を抱いて、よくその土手に立って流れを見つめていたこと…。どうしてそんな所に行ったのだろう。最初は分からなかったが、ある日、決定的な感情を思い出す。それは、「この子さえいなくなってくれたら」という、息子に対する殺意であった。岸辺に立ち、川の流れを見つめながら、彼女が迷い、抑えかねていたのは、息子を川に投げ込みたい思いだったのです。見合いの末婚約した夫はふがいない男だった。しかし、その時はもう息子がお腹にいたため、破談にするわけにいかない。結婚した後「この子さえ生まれてこなければ、こんな結婚しなくてすんだのに」と思うと、いつのまにか、川岸に立っている。しかし、それは一時のことで、その内、息子にも愛情を感じるようになり、忙しくしている内に、結婚に対する不満も忘れてしまった。結婚当初の忌まわしい記憶を押さえ込もうとして、息子に過保護に接してきたが、しかし、心の奥ではなお嫌悪感を抱き続けていたようなのです。その結果、少年の潜在意識には、いつか僕は母に棄てられるのではないかという不安が刻み込まれたのです。彼は母の胸に抱かれながら、そこに「安住」できなかった。だから、少年は母を手放すまいと、一時も母から離れることができなくなり、それが少年の自立を妨げたのです。この病的な母子癒着とは、実は、幼い時、自分の全存在が母親から受容され愛された体験がないところに、つまり、逆説的ですが、真の母子関係が希薄だったところに生じたと医者は分析するのです。

 一方、こういう母子のことも紹介されている。裏通りには、いつも二~三人の母親たちが幼児を遊ばせていた。その中に、今時珍しい中卒の母親がいた。彼女は、まるで時間を忘れたかのように、日溜まりにしゃがみ込み、昼頃まで半日自分の二歳の娘と過ごしている。女の子は、はじめの内、母親とばかりたわむれていたが、やがて、母のひざと友達との間を行ったり来たりしながら、年長の子どもと遊び始める。振り向けばいつも母親がいてくれる。のんびりとうっとりと、いつも子どもの視野の中にいた。

 しばらく後、通りには、その母親の姿はなく、女の子が活発に仲間と走り回っている。さらに半年後、女の子の行動半径はグンと広がり、彼女の歓声が風に乗って聞こえてくる。そして、著者は言うのです。必要な時期に、必要なだけ子どもを甘えさせ、依存させ、満足した子が、熟した柿が枝を離れるように、自然に母のひざを離れて歩き出す姿がそこにはあった、と。

 少年イエスは、天の父の懐に常に抱かれていることを自覚されて育たれました。ルカ3・22では、主イエスが洗礼をお受けになられた時、天から父なる神の声が響くのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。この天からの声を、御子は聞き続けて成長されたのです。それは絶対的に父に受け入れられているという経験でした。私たち人間の父、母は、子どもを愛していると言いますが、しかし、この父なる神のように完全に愛することはできなかったのではないか。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」、この単純な言葉を語りかけることを怠り、もっと複雑な言葉ばかりを子たちに押しつけること多かったのではないか。人は、真の愛に包まれた経験がないと、何歳になっても臆病なままなのではないか。主イエスは地上の父母に執着されませんでした。それは、地上のものに頼らないという意味でもあります。私たちは、直ぐ地上のものを恐れるのです。恐れつつ頼るのです。まるで先の中学生が、母親のエプロンからひとときも手を離せないように。だからいつも人と一緒でいないと不安なのです。人の顔色ばかりを窺い、地上の富や安定にしがみつき、信仰の冒険に出ていくことができない。信仰の巡礼に思い切って一人歩み出すことができない。天の父がいつも守っていて下さることを知らないからです。人が自立できるかどうか、そして神の召しに勇気をもって応え、巡礼の旅に出ることができるかどうか、それは真の「父なるもの」、「母なるもの」を心の中に抱けるかどうかにかかっているのではないか。

 私たちが母なる教会において、父なる神の御名によって洗礼を受ける時、御子イエスの洗礼と同じ経験をすることができる。私たちもまた「あなたはわたしの愛する子」との天の声を例外なく聞くことができる。どんな過酷な親のもとで幼児期を過ごした者にも、この声は聞こえてきます。その時、私たちは自立することができる。一人、恐れず立つことができる。地上のものからぱっと手を離して、大人になって、神の召しに応えて戦いに出ていくことができるのであります。


 祈りましょう。  主イエスキリストの父なる神様。それが故に、私たちの父ともなって下さる御神、「私の父」とあなたを呼ぶことを許して下さった恵みに心より感謝申し上げます。

 (この後、皆で『讃美歌21』五四四「イェスさまが教会を」を喜びに溢れて歌った)





・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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