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1999年10月10日 「深く掘る人生」

1999年10月10日 「深く掘る人生」 第10回日韓合同修養会(於・韓国)

  説教者 山本裕司
  (ルカによる福音書 6:46~49)

 21世紀を迎えようとする日本、私たちの祖国日本を、今、私たちは、深い憂いをもって見つめています。いったいこの国は、これからも立ち行くのだろうか。いや、実は、もう日本は倒れてしまっている。ただ、それに気づかないだけだ、などとも言われる。どうして、こんな国になってしまったか。どうして、これほど貧しくなってしまったのか。魂のことに対してであります。生命のことに対してであります。

 その貧しさは、戦後、国家と天皇の戦争責任を曖昧にし続け、アジア諸国と真実の和解をなすことができなかったことに始まっていると言わなくてはなりません。そのような中で、この八月に、反対の大声を無視して、日の丸・君が代が国旗、国歌として法制化されました。文部省は何十年も前から学校で子供たちに日の丸に敬礼させ、君が代を歌わせ、もう一度、天皇を賛美させようとしてきましたが、その努力がここに一つの結実をみたのであります。

 その憂さを晴らそうと、この夏、レジャーに行くと、大規模な環境破壊を目の当たりにしなければならない。国民の税金を湯水のように使って美しかった川に、ムダなダムを作り、不必要な護岸工事をなし、海を埋め立て小動物を絶滅させ、森林を伐採しているのが、土木・建設会社と癒着した建設省であり、農林水産省であり林野庁であります。その省庁の決定権をもつ大臣、官僚たちの多くは、日本の受験競争に勝ち抜いたエリートたちであります。

 あるいは、最近日本で『買ってはいけない』という本がベストセラーになりました。それによりますと、おびただしく流されるCMで国民を騙して金儲けをしようとしている食品会社や洗剤会社などの名前が列挙されています。それら健康を冒し、環境を汚染する製品を認可しているのが、厚生省です。厚生省は、薬害エイズ問題などで、その馬脚を現したのですが、医師会、製薬業界、化粧品業界と、厚生省との官民癒着の構造は救いようのない状態と言われています。高級官僚たちは天下り先の確保、会社は企業倫理を捨てた利潤追求、政治家は選挙対策とエゴイズムのために、他者を犠牲にして恥じない群れの姿がここにあります。これが日本という国が倒れかかっているという内容であります。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。

 主イエスはこう教えて下さいました。ルカ6:49「聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」主イエスのお考えによれば、日本が、今倒れかかっている理由は、ただ一つであります。「聞いても行わなかった」からであります。日本は確かに、聞いたのであります。御言葉を聞いたのであります。最初に聞いた日は、一五四九年八月一五日であります。この日、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着し、直ちに布教活動に着手しました。しかし、しばらく後、豊臣、徳川による大弾圧によって、御言葉は「行われる」ことはなかったのであります。

 次に、御言葉が聞こえたのは、一九世紀後半、明治初期です。アメリカなどによるプロテスタントミッションによって日本伝道が再開されました。宣教師たちは日本に教会だけでなく、沢山のミッションスクールを建てました。その学校は、日本人から高く評価され今に至っています。おびただしい人たちがそこを卒業しました。ところが、現在、キリスト者の数は、カトリック、プロテスタント合わせて、一〇〇万に充たない、人口の1%以下であります。やはり、この時も日本人は「聞いても行わなかった」のではないでしょうか。聞いても、信仰告白という行いにまでは至らなかったのであります。

 「和魂洋才」と言われました。ミッションスクールは受け入れるのです。最新の知識や語学、近代文明は喜んで受け入れるのです。しかし、一番大切なミッションの建学の精神・キリスト教信仰は受け入れないのです。上手に取捨選択するのです。そうやって獲得された魂なき知識、魂なき技術は、いったい何を生み出すのでしょうか。ある人は「猿に金とブルドーザーを渡したらどうなるのか、今、日本はその壮大な実験をしている」と、建設省の環境破壊を批判しています。

 魂がないのです。すると、さらに、どうなっていくのでしょうか。マタイ12:43~44「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」

 この御言葉を読んだ時、オウム真理教のことを連想する人は多いのです。このオウム真理教のメンバーも高学歴の者が多いのです。皆、頭はいいのです。しかし魂の部分は空っぽで幼稚園児以下だったので、そこに悪霊がいくつも住み着いてしまったのではないでしょうか。皆、いぶかっているのです。どうして、あれほどの犯罪行為をなしたオウム真理教がすたれないのか。なお入信する青年が何故いるのか。それは、その者たちの魂が空洞だからです。生きる意味が分からないのです。それがたまらないのです。目に見えるかっこよさや豊かさに満足できない内省的な青年たちは、その魂の空洞に耐えられないからであります。

 逮捕されたあるオウム真理教の女性はこう入信の動機を語っています。「一番に思ったのは、この世は何て汚いんだろう、ということです。外に出て、車の中から眺める景色は、鉄やビルがとても冷たい感じだった。スーツを着た人間が異様だった。何かひもでその人の体がグルグルと縛られて、解放感がないように感じた。」(都沢和子)

 あるいは、終身雇用制によって、ずっと面倒を見てくれると思っていた会社から、バブル崩壊後、リストラされて、行き場を失った中年男性が沢山います。昨年一年間の自殺者の内、五〇歳代は、前年比で54パーセント増の約六千人と報告されています。倒産などのストレスによって、鬱病になった人も多いのです。それを青年たちはじっと見ている。良い大学を出て良い会社に入れば、幸せになれる、自分も幸せになって、人も幸せにできると教えられて、小さい頃から勉強させられてきた。しかし、それは嘘だったのです。それは、結局、砂の上に建てた家にすぎなかった。そういう超エリートたちによって、今、日本は倒れそうになり、中年男性が次々に倒れている。新宗教に行く若者たちは思っているのです。倒れない家を建てたい、と。切実に願っているのです。

 主イエスは言われました。ルカ6:48「それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。」

 この御言葉を注解してある人は「先見の明」とぽつりと書いています。「深く掘る」、それは先見の明である。かつて日本の女性が相手に求める条件は「三高」と言われていました。高身長、高学歴、高収入、しかし、今、誰もそんなことは言いません。三高を夫とするなら、老後まで倒れない家庭を建てられる、この嘘に数年で皆気づき、この「三高」という言葉はすたれました。しかし、それが「先見の明」と思った女性が現実に、あの時はいたのです。その三高を見つけて結婚し、自分は深く掘って家を建てたつもりだったのです。しかし、現実は、浅い、実に浅かった。結婚や性は今、日本において、途方もなく揺れ動き、止まることを知りません。

 今回の合同修養会の主題は、「信仰が民族に及ぼした影響と持つべき使命」であります。明治維新以後、キリスト教伝道が再開されて、約一三〇年たちました。その間、よくやったと言える面は、確かにあるかもしれない。しかし、ここでそれを数えるよりは、教会は、今、むしろ私たちの民族に影響を及ぼすこと、貧しかったと、懺悔した方がよいと思う。日本において、聖書は今でもよく売れています。ミッションスクールの評価は相変わらず高い。インテリのキリスト教に対する知識も深い。しかし教会には来ない。それは、「聞いた」だけで終わっている姿なのです。そして、私たち教会に属する者たちも、それに似て、受洗して教会員になっても、生涯礼拝を守るという「行い」に真剣に生き通す者は、けっして多くはありません。

 それは信じていると言っても、実は先にも申しました、「信仰告白と言う名の行い」にまで深く掘っていない姿でありましょう。信仰を深く掘るとはどういう意味なのか。その深さとは、神にまで至るということではないか。自分の学歴や地位、自分の健康や財産というものに頼る柱を据えるのではなくて、そこを突き抜けて、深く神にまで至る。主イエスキリストにまで深く食い込む土台を据える。そこまで掘って、初めて私たちは堅固な家を立てることができる。それが「聞いて行う」という意味でありましょう。

 日本は今、暗い。ある雑誌は、証券会社や銀行の犯罪を取り上げた時、「底知れぬ闇」と書きました。誰が悪かったのでしょうか。何故、日本という家は砂地に建ってしまったのでしょうか。政治家が悪いのでしょうか。財閥が悪いのでしょうか。実は、もっと掘り下げて言うなら、そうではありません。その責任は、全て教会にあるのではないでしょうか。教会だけが、深く掘ることの確かさを知っているのです。教会こそ、人間の魂の空洞を、悪霊ではなく、聖霊で充たすことができる唯一の家であります。

 この真実を、いよいよ、宣べ伝える時が到来したと、私たちは考えなければなりません。私たちの属する日本基督教団も三〇年続いた紛争が、ようやく終結に向かいつつあります。伝道が忌避された三〇年でありました。しかし、21世紀は「伝道の世紀」にしたいと願っています。折がよくても悪くても、御言葉を宣べ伝えていきたいと願う。そして、神にまで深く掘り、そこから命の泉をくみ出し、その命の言葉をもって、組織の中で行動し発言できる信仰者を一人でも増やしていきたい。日本のあらゆる組織、団体に必ず何人かはキリスト者が存在する国を建てていく。その人たちが隠れキリシタンのようになっているのではなくて、公に名乗りを上げてキリスト者として発言していく。そこで初めて日本は立ち直ることができる、そう思うのであります。


 祈りましょう。  主イエスキリストの父なる神様。今朝、ソウルチェイル教会の愛する兄姉と、私たち西片町教会が合同で主日礼拝をなし、あなたの御言葉を聞くことが許されたことに心より感謝致します。天下国家を論じながら、自分がその批判に耐えられない弱い者でありますが、どうか、あなたの導きによって、先ず最初に、私たちこそが、聞いて行う者となることができますように。堅く据えられた土台の確かさを、身をもって経験して、その事実を、私たちの愛する祖国、韓国と日本で宣べ伝えていく使命をはたしていくことができますよう、聖霊を豊かにそそいで下さい。愛するソウルチェイル教会の兄姉、そしてその牧者徐道燮牧師、姜建洙牧師を特別にあなたが顧みて下さり、祝福して下さい。





・引用出典は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』より 。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会  Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会  Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988




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